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 ホタルの穏やかな寝息に、その眠りが深いものであることを悟り、シキは抱いていた体をそっと離した。

 ラグの上に横たわる華奢な体に、脱ぎ捨てた自らの上衣をかけて覆う。

「……ん……」

 ホタルは失われた温もりに戸惑うように身じろいだものの、しかし、それを求める素振りはなく、体を覆う布地を引き寄せながら、丸まるように手足を縮める。

 それが、ホタルがどんな風に生きてきたかを象徴しているようで、心が軋んだ。



『息子は言っておりました……ホタルは至宝なのだと』



 サクラがホタルの居場所を決して口にしないだろうと確信したシキが、次にしたこと。

 その場で主からしばらくの暇の許可を半ば無理やりに取り付けた。

 タキを捕まえ、暇を得たことと幾つかの頼みごとを伝え、間髪を置かず翼竜に飛び乗った。

 行く先は、サクラの実家であるオードル家。

 シキはまず、オードル家で庭師をしているという、ホタルの祖父の元を訪ねた。

 そこにホタルがいると思っていた訳ではない。

 シキが追うことをホタルが想像していたかどうかは分からないが、祖父の元というのは逃亡先としては安直すぎる。

 だが、他にホタルの居場所を問うべき人物は思い当たらなかった。

 キリングシーク国内にあるオードル家には、夕暮れ時には到着することができた。

 突然の来訪に驚く妃殿下の美しい姉に非礼を詫び、詳しい話をする間も惜しんで庭師との対面を望めば、聡い彼女はシキの尋常ではない様子に何かを感じてくれたのか、すぐさま庭へと歩き始めた。

 急く気持ちを抑えて、ピンと伸びた背中の後を歩きながら、己の焦りにも似た慌ただしさがこの屋敷全体を包み込んでいることに気が付く。

 そして、今オードル家がこのキキョウの婚礼と、三女の縁談とに混乱に近い状況にあろうことをふと思い出した。

「こんな時に申し訳なかったね」

 再度の詫びに、案内人は女神と名高い美貌を優雅に微笑ませた。

「いいえ。周りが騒がしいばかりで、私やアオイは普通に過ごしてますから……ジンはこのあたりにいると思うのですが」

 庭に着いて、キキョウは周りをぐるりと見渡し。

「ジン! ジーン!」

 その名を呼んだ。

 親しみに溢れたそれが、ホタルの祖父のこの家での立場を何より雄弁に教える。

「キキョウ様、確かに私は爺ですが、そんな大声で呼ばずとも、聞こえますよ」

 そう言いながら茂みから現れたのは、ホタルとは似ても似つかないがっしりと大きな老人だった。

「そんなつもりではないわ……お客様だから、急いでいたの」

 キキョウは笑いながら、シキに男を示した。

「ホタルの祖父です」

 もちろん、面識のない男だ。

 頭部は白髪がそのほとんどを占めていたが、ところどころに濃い茶が残る。老人に相応しい、落ち着いた瞳も濃い茶だ。

 労働を主としている者らしい日に焼けた骨太の体に、今はまったく似合わない花束を抱えている。

「ジン、こちらはシキ様よ。カイ様の……サクラの旦那様の側近の方。貴方にお話があるんですって」

 キキョウは極々簡単に、シキをジンに紹介した。

 敢えて身分などを告げずにいてくれるのだろう。

 それでも、サクラの旦那様……つまりは、キリングシーク皇帝の実弟の側近、という人物は、ジンにとってみればまるで雲の上の存在に違いない。

 しかしながら、ジンは僅かなうろたえも見せずに、シキに一礼をした。

「それはお母様の?」

 キキョウが、ジンの持つ花束を指差す。

「はい」

 ジンは答えた。

「私が持って行くわ」

「鎮静効果のあるものを選びましたので、寝室に置いても大丈夫ですよ」

 キキョウは礼を言いながら、ジンから花束を受け取ると、シキに一礼して館へと歩いて行く。

 何を詮索することなく、早々にジンと二人にしてくれる気遣いに、彼女がサクラの姉であることを実感しながら感謝した。

「……ジン・ユリジアと申します」

 両手が自由になった老人は、その場に膝をついて改めて礼をする。

 貴族と庭師。

 それは埋めようもなく、歴然とあるものだ。

 分かってはいても、ホタルが思うであろう身分の差をまざまざと見せつけられたようで、シキの焦りには苛立ちが加わった。

「立って。丁寧な礼を受けている余裕はないんだ」

 それでも声からは、尖った感情をきれいに拭い去って、ジンを促す。

 ジンが立ち上がったのを確認するやいなや、シキは本題を口にした。

「ホタルがサクラ様の元を辞した」

 深く皺を刻んだ表情が、ほんの少しだけ驚きを乗せる。

 そして。

「ホタルは……サクラ様の元を辞しましたか」

 何かを納得したように呟いた。

「そんな日はやはり来るのですね」

 深い皺に埋もれそうな瞳は庭を、いや、もっと遠くを見ている。

 夕暮れ時の赤い空のその向こうを。

 シキはその老人を見ていた。

 こうして探すように見てみても、ホタルとほんの少しも似たところのない老人だった。

「こちらに戻って来てはいないんだな」

 ここまでのやり取りでそれを察し、シキは確認した。

「はい……戻ってきておりません」

 穏やかな話し方で告げられたのは予想していた答えだ。

 とは言え、シキは小さく落胆した。

「サクラ様の元を辞したならば……ここには、私の所には戻らないでしょう」

 続いた声には、確信が多分に含まれていた。

 両親のないホタルにとって、ただ一人の親しい身内であろう老人のそれに、シキは違和感を覚える。

「あの娘は、私に遠慮しておりますから」

 今度の言葉には、寂しさが滲んでいた。

 家族だろうに。

 遠慮などというものがあるのか。

 この老人とホタルの距離感は、何に起因するものなのか。

「居場所に心当たりは?」

 この祖父は、ホタルがサクラの元から去ったことをさえも知らなかったのだ。

 そして、年頃の娘が消えたというそれを、うろたえることなく静かに受け止めている。

 ますます大きくなる違和感と、ホタルの逃亡の覚悟を感じながら、シキは更に問いを重ねた。

 ジンは少し考える素振りをするでもなく、首を振る。

「まったく?」

 一つの心当たりもないというのだろうか。

 そう思ってから、幼いホタルがここに引き取られ、その後ずっとジンとサクラの側で生きていたことを考えれば、ある意味それは当り前なのだと気が付いた。

「はい。申し訳ございません」

 それでも、だ。

「幼い頃、暮らしていた場所は?」

 そんな場所くらいなら、思いつきそうではないか。

 ジンは困ったように、首を振った。

「存じません……息子が兵に志願し、恐れ多くも騎士の称号を得てからは、縁が途絶えておりましたので」

 穏やかな表情に、ふと自嘲の笑みが浮かんだように見えた。

 この男の息子。

 それはホタルの父親に他ならない。

 ジオ・ユリジア。

「息子は草花をいじることしか能のない私を、早々に見限ったようです」

 ジンは言って、ぐるりと庭を見まわした。

 つられて、シキも庭に視線を移す。

 ラジルの館の庭よりも、色鮮やかな花々が多く植えられているのは、若い令嬢のためにとの心遣いだろう。

 様々な彩りがそこかしこで咲き誇りながらも、調和を乱すもののない優しさが溢れる庭だった。

 これがこの祖父の人柄だとしたら。

 それを見限ったという、優秀な騎士だと伝わるこの男の息子は、一体どんな人間だったのだろうか。

「恐れながらお尋ねいたします。シキ様は……何ゆえに、ホタルをお探しでしょうか」

 初めての老人の問いに、シキははっきりと答えた。

「ホタルは私の想い人だ」

 ジンは少しばかり、目を見開いた。

 驚きを表した表情は、しかしすぐに変化する。

 あからさまな哀しみへと。

「あの子は、貴方様から去ったのですね」

 サクラ様ではなく。

 そう心で続いたのであろう言葉。

 多くを語った訳でもないのに、全てを悟ったように言う。

「どうか、追わないでやって下さいませんか」

 どうしてか、この言葉を予想していた。

 聞け入れる筈のない願い。

 それはきっとホタルの願いでもあるだろう。

「息子……ホタルの父親は、変わった力を持っていました」

 応えないシキをどう思ったのか、ジンは幾らかの沈黙を経て、突然そう口にした。

「ジオ・ユリジア」

 シキは、その名を呟いた。

 戦乱に散った何人もの英雄の中の一人。

 ジンは頷いて少し間を置いてから、言葉を続けた。

「その者が持つ能力を見る能力……とでも申しましょうか」

 老人は、庭より遠くを見る瞳のまま。

「能力を見る力?」

 問いかけることで先を続けさせながら、ホタルの知らない場所で、この話を聞くことに後ろめたさも感じていた。

 だが、きっとシキはこれを知る必要があるのだ。

 だから、老人は語る。

 ジンの視線が、シキに移る。

 そして、シキの心中を宥めるように頷きつつ

「その力に、持つ者が気が付いていようといまいと。持つ者がそれを表に出していようといまいと……遠耳を持つ者や千里眼を持つ者、あるいは使い魔なども、どんなに相手がそれを隠していようとも、見ることができていたようです。それから、そんな特殊なものでもない……そう、算術に長けているとか、剣術にぬきんでている……そんなものも感じとれていたようでした」

 聞いたことのない話だ。

 だが、もし、本当にそんな能力があったのだとしたら。

 人はそれを、どう使うだろうか。

 潜在的な能力をも見たというならば。

 シキの頭には、それが簡単に浮かんだ。

 戦火の惨状に惑う幼い子から、力のある者を拾い上げて。

 家を焼かれて、行き場のない者達を集め。

 剣術に長けた者を、集めて育てて軍を成す?

 算術に長けた者には、学ばせ商いを?

 そんな風にして、自らの砦を作り上げていくことは容易に想像ができる。

「……そんな能力がなければ、おとなしく庭師に納まっていたかもしれません」

 シキの思考を読み取るようだった。

 ジンを見れば、老人の目に少しばかり迷いがある。

 シキは視線で先を促した。

「ジオは、他人の能力だけでなく、自身のことも見透かしておりました」

 シキの見つめる先で、老人は今までない無表情でそれをはっきりと口にした。

「己には子を残す能力がない、と……そんなことまで、息子には分かっていたのです」

 思ったより、驚きはなかった。

 ホタルがジオ・ユリジアの娘ではないことを示す告白を、静かに受け入れた。

 それは、ホタルに対するシキの想いを、僅かなりとも揺らがすものではない。

 そして、それは間違いなくホタルを頑なにさせる一因だろう。

 ホタルはユリジアの娘ではない。

 ならば、ホタルもまた、ジオ・ユリジアが見出した遠耳の子供なのだろうか。

 男はホタルの能力を利用して伸し上がったのか。

 いや、違う。

 それでは、少しばかり時間に差異が出る。

 ホタルがこの世に生まれた時、既にジオ・ユリジアは騎士としての地位を確立していた筈だ。

「一つ聞いても?」

 こんな事実を付きとめたからといって、何の救いにもならない。

 それこそが、ホタルが逃げた本当の理由だとしても。

 それが、どんなことだったとしても。

 知っても知らなくても、シキの想いに変わりはない筈だ。

 そう思いながらも、それを尋ねずにはいられない。

「ホタルの母親は……どんな女性だった?」

 しかしながら、ジンはそれにも首を振った。

「存じません……息子は一度として、私の前に妻という女性を伴って現れることはありませんでした。どのように知りあったのかも、どこに住まわせておったのかも……何も存じません」

 そして、この老人も息子に何も問うことはなかったのだろう。

「一度だけ、ここを訪れて妻子があることを告げて行きました。その時に、息子は言っておりました」

 その時を思い出すように。

 老人が瞳を伏せた。

 シキは言葉を待つ。

 やがて老人が瞼を上げた。

「……ホタルは至宝なのだ、と」

「至宝?」

「はい……子を成す能力のない己が、この世に送り出すことのできる、最高の宝なのだ、と」

 今度はシキが目を閉じる。

 ホタルのあの遠耳。

 送り出した?

 力の見る男が、その力を駆使して。

 ただ遠くを聞くだけではない。

 使いようによっては、各国の脅威になり得るあの力。

 単なる遠耳とは違うあれは、一人の男が意図的に作り上げたものだというのか。

 何が行われたのか、想像をすることは難しくはない。

 例えば、戦火で拾い上げた遠耳の男女。

 それが在れば。

 人はそれを繰り返して、優秀な牛馬を作り上げてきたのだから。

 無情に徹すれば……優秀な男の手にかかれば、それは簡単なことだっただろう。

 男はそれで良い。

 その存在に何を願ったのかは分からないが、目的を遂げた。

 だが、ホタルの母は何を思ってホタルを産んだのだろうか。

 実の父は?

 男の願いに崇高な意義を見つけた?

 自ら望んだ?

 己らが産みだすその存在を、どう思っていたのか。

 いずれにしろ。

 それがホタルにとって幸せな状況ではなかったことだけは、今までの彼女の言動から簡単に導くことのできる答えだった。

「……それは、正しかったのだろうか」

 正しい筈はない。

 思いながら、つい尋ねていた。

 目の前の、思慮深い瞳でシキを見つめている老人に。

「どうなのでしょうか」

 老人は一度はそう答えた。

 しかし、すぐに首を振り。

「いえ、多分、間違っていたのでしょう。他人の能力を見透かす男でしたが……心を見透かすことはできなったようで」

 不意にどこにも似ていないと感じた彼の中に、ホタルを見つけた。

 彼女を育てたのはこの老人なのだろうと思わせる頑固そうな、それでいて優しげな瞳。

「……ホタルは可愛い孫です。あれの幸せを願うばかりで……老い先短いこの年寄りの心残りはそれだけです」

 ああ、この老人は。

 ホタルを慈しみ、育て上げた者だ。

 ホタルが己の血を分けた孫ではないことを。

 息子の狂気が作り上げた存在だと知った上で。

 それでも、幼子を抱き上げて。

 この祖父の愛情と。

 サクラからの信頼と友愛で。

 ホタルは、闇から救われたのだ。

 重く暗いそこから、その二人に救われて。

 だが、そこからは動けずにいる。

「ホタルの幸せを願っています。そして……それを分かち合うのが私であることを望んでいます」

 シキの言葉に、老人は何も言わなかった。

 ただ、深く、深く頭を下げた。



 相変わらずホタルは体を縮めるようにして寝入っている。

 シキはその傍らに、再び横になる。

 ホタルは丸まったまま動かない。



 その後、幾人かのホタルやジオ・ユリジアの所縁の人物を探し出し訪ねた。

 最終的に、この場所に辿り着いたのは、ホタルをオードル家に送り届けたという人物から聞き出すことができたからだ。

「ジオ・ユリジアは優れた上官でした」

 40歳ほどと思われる、柔らかな物腰の男はそう言った。

 この男だけではない。

 出会った誰もが、ジオ・ユリジアを褒め称えた。

「私は戦で両親を失いました……町のゴロツキだったんです。それをあの方は拾い上げ、生きる術を教えてくださいました」

 剣の使い方、算術、読み書き。

「私だけではありません……多くの者が、あの方にそうやって救われたのです」

 何十…もしかしたら100を超える子供が、彼によって多くの知識を与えられたのだという。

 ジオ・ユリジアは、そうして多くの知識を与えながら、その個々人の優れた部分を見出し導いた。

「誰でも一つ二つは優れたものを持っている……ユリジア様が良く言っていた言葉です」

 この男は、過去には兵士でありユリジアの元で戦ったという。

 ユリジアが殉死した際に自らも傷を負い、今は町の片隅で子供相手に算術や読み書きを教えているそうだ。

 ユリジアが与え、この男が身につけた能力で生きている。

 そんな人物に何人も会った。

 ある者は言う。

『この世の平和を望み、自らを犠牲にされた方でした』

 私欲の少ない男だったようだ。平和な世界を語り、それを実現することに全てをかけていた。

 そのために、己の持ち得る力を駆使していた。

 それらから見える、ジオ・ユリジアという人物は確かに崇高な理想を掲げた清廉な騎士に違いなかった。

 だが、男は間違えたのだ。

『妻子をとても大事になさってました』

 そんな言葉も良く耳にした。

 妻子を戦地から遠く離れた土地に置き、自らは常に戦火にある。

 そして男は、よくよく妻子を気にかけていたらしい。

 多分、妻は遠耳を持つ女。そして、その力を引き継ぐ娘、ホタル。

 気にかけていたのは、妻子という存在か、力のみか。

 聞く術はないが、だが、人づてに聞く話の中に、妻という女、そしてホタルにも彼なりの想いがあったのだろうと思われる。

 だが、男は間違えたのだ。

 掲げた理想の大きさに、目の前にある小さな者達の願いを聞き逃した。



 シキはホタルを抱き寄せた。

 頑なに丸まっていた手足が緩み、シキの胸元に小さな存在がすり寄る。

「……俺は間違えないよ」

 聞こえるか聞こえないかの……ホタルが起きていれば間違いなく聞こえるのだろうが、そんな小さな声で囁く。

「君は俺の宝だ」

 だが、ここに在るのは錬金術師が作り上げた秘薬ではない。

 ここに在るのは。

「……愛しているよ、ホタル」

 君は俺に愛され慈しまれるべき存在だ。

 俺の生きる糧になる。

 俺の家族となり、俺と共に生きていく。


 ホタル、俺は間違えないから。

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