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 大きなため息が一つ。

 耳に届いたそれに、ホタルは周りを見回した。

 安易に屋敷から出られない、でも散歩が大好きな妃のためにと、庭師が精魂込めて手を入れているラジル邸の庭は、ここ数日続いた好天気のおかげもあって、この数年来で一番の美しさだという。

 納得のその華やかさの中に、まったく似つかわしくない大きい大きいため息が、また聞こえてくる。

 この屋敷の中に、自分以上にため息をつきたい人間がいるなんて。

 もう一度続けざまに聞こえてきたそれに、ホタルはため息の方向を見つけた。

「どうしたの?」

 ホタルの様子に気が付いたサクラが尋ねてくる。

 その足元には、純白の魔獣がピタリと寄り添っていた。

 今、サクラの内に『破魔の剣』はないから。

 だから、この魔獣はサクラの傍らにいることができる。

 少し前から屋敷を空けている主に、サクラの中で眠っていた剣が呼び寄せられたのは昨夜遅くのことだ。

 早ければ数時間で戻る剣は、昨夜のうちに戻ることはなく、今朝になって現れたタオという名の魔獣が、しばらくは剣が……そして、サクラの想い人が戻ることはないのだと告げていた。

「ちょっと……こちらに良いですか?」

 迷わず、見つけた方向にすたすたと歩き出す。

 裏庭は、華やかな花ではなく、様々な背丈の樹木が並んでいる。

 その中をホタルは進み、サクラは何も言わずに後について歩き、当たり前のようにタオが続く。

 そして、庭の隅で背丈の低い木々に隠れるようにうずくまる姿を発見。

「マツリ?」

「わあ!」

 そっと声をかけると、ため息の発信者は、滑稽なほど肩を跳ねさせて振り返った。

 アーモンド型の瞳を真丸に見開いて、現れた女主と先輩侍女と、おまけの魔獣を順々に見やる。

「何してるの?」

 サクラが首を傾げながら近付くと、マツリは焦ったように何かを背後に隠した。

 何かある、と分かりすぎる態度だ。

 サクラはホタルの脇を通り過ぎて、マツリの前にストンとしゃがみ込む。

 相変わらず身分を顧みない無頓着な様子に、多少は慣れたであろうマツリがそれでも口をパクパクさせる。

「…話したくないなら良いのよ?」

 にっこり。

 いえ、それでは話せと言っているようなもんですよ。

 無邪気な脅迫にホタルは苦笑いを零して、タオがサクラの横に座ったのを見てから、反対側の隣に屈み込んだ。

「悩み事?」

 二人の年長者を前に、おずおずとマツリは隠していた手を前に出した。

「こんなの…どうすればいいんですか?」

 ほっそりとした手にあるのは封書だった。

 淡いピンク地に、白い花の透かしが入っている、いかにも……な見た目に、それが何かは、なんとなく知れる。

 サクラもホタルも、受け取ることなく、ただ差し出されたそれを眺めた。

「読んだの?」

 サクラの尋ねに、「はい」と素直な返事。

 遠くの声を聞くことはできても、封書の中身を知ることは、もちろんホタルにだってできない。

 しかし、マツリの様子からして、その中身は13歳の少女をときめかせるものではないないようだ。

「この方に、興味はないのね?」

 マツリはぶんぶんと頭を縦に振る。

「全然っ。知らない方です」

 力強い、はっきりとした答えが返ってくる。

 サクラは何かを思い出すように、視線を上に向けた。

「なら、放っておけばいいと思うけど……ねえ?」

 多分、母親の教えをなぞっていたのだろう。

 作法に厳しいオードル夫人は何と言っていただろうか。

 ホタルも記憶を探る。

『興味のない殿方からの恋文は、身分に関係なく放っておいてよろしい』

 そうだ、確かにそう言っていた。

『きちんとしたお付き合いの申し込みならば、家を通すのが筋です。でなければ、そのような恋文は、殿方の戯れが大半とお考えなさい』

 3人の娘の母にとって、娘達の将来は何よりも重大事だ。

 それに、オードルのお屋敷には若い侍女が何人もいて、彼女はその者達のこともとても親身に気にかけていた。

『ホタル、貴女も大切な預かりものなのですから』

 そんな風に。

 このため、その手のことには殊更厳格だった。

『興味のある方や、文面に真摯さを感じて心が動いたなら、お返事を書くのも良いでしょう。ですが、忘れてはいけませんよ。こういったことで、傷つくのは常に女性の方なのです。ですから……恋の選択権は、身分ではなく女性にあるのですよ』

 と、付け加えた女性は、だから、とホタルに一つ命じたのだ。

 ついでに思い出したことがあったが、それはひとまず頭の隅に追いやる。

「はい。放っておけば良いと思います」

 ホタルはそうとだけ答えた。

 実際に、何通か受け取ったことのあるその類は、ホタルはすべて迷わず抹消してきた。

「……持っていたくないです」

 見た目は大人びていても、そこはまだまだ幼さの残る少女だ。

 その気持ちにも同意できた。

「破って棄てる?」

 ホタルは提案した。

「いっそ、燃やす、とか」

 サクラは更に上を行く意見を述べた。

 マツリとしては、サクラの意見に乗りたいようだ。

「良いでしょうか?」

 マツリがサクラに尋ねる。

「良い?」

 しかし、サクラはホタルに振った。

「どうして、私に聞くんですか?」

 こちらも、その手のことに慣れている訳ではないのだから。

 しかしながら、サクラはさらっと。

「もらったことないもの」

 答えた。

「ええ!?」

 驚きの声を上げたのはマツリだ。

「こういうのって、こういうのって」

 持っているのも嫌だとばかりに、指先でつまんでそれを見せる。

「そんなに珍しいことなんですか!?」

「私がもらわなかっただけ。姉や妹にはたくさん来てたわ」

 ホタルは苦笑いを浮かべた。

 サクラにまったく恋文の一通も届いたことがないなんて。

 これは、解いておきたい誤解だ。

「違います。サクラ様宛のものだって何通もありましたよ。でも……私とオードルの奥様で処分してました」

 先ほど、夫人の言葉と共に、思い出したことを告白する。

「そうなんですか!?」

 これも、サクラ本人ではなくマツリ。

 反射的な問いかけは、少なくとも身分ある方の前では慎むように。

 後でそう注意しなかれば、と考えながら。

「そうです」

 隣で、声には出さずとも視線で尋ねてくるサクラに答えた。

 サクラは、ぐっと眉を寄せる。

 また、考えるように上を見て。

「なぜ?」

 結局、理由が思い当たらなかったようで、そう尋ねてきた。

 サクラの知らない理由を、ホタルは知っている。

 もう時効だろうと、当時を思い出しながら正直に話す。

「サクラ様の嫁ぎ先は……奥様の中では既に決まってましたから。だから、余計なものは見せないようにって指示されまして、徹底的に排除しました」

 サクラの眉間の皺が解けて、ぱちくりと瞬かせる。

「知らなかったわ」

 オードル夫人としては、サクラの妹であるアオイのお披露目がひと段落した時点で、ゆっくりと結婚話を進めようと考えていたようだ。

 だが、当のサクラがアオイのお披露目で、輿入れ先としては文句の付けようのない帝国の第二皇子に攫われるようにして娶られてしまったのだから、その話はそのまま夫人の胸にと納められ、日の目を見ることはなかった。

 ふと、サクラは興味を持ったように、ホタルに顔を寄せた。

「私の嫁ぎ先って?」

 サクラの興味はもっともだろう。

 だが、相手については名を言わぬ方が良いとホタルは判断する。

「そこまでは知りません。何にしても、サクラ様に結婚話があったなんてことは、他言無用です。マツリも黙っててね」

 相手についても、実は夫人から教えてもらっていた。

 夫人はとてもホタルを信頼していてくれたから。

 その信頼を裏切らないためにも、ホタルはこの先一生、相手の名を言うことはないだろう。

 今更とはいえ、こんなことが誰かれの耳に入ることは望ましいことではない筈だ。

 特に。

「特に、カイ様には絶対、ぜーったい内緒です」

 いや、別に。

 当時のサクラの夫候補が出現したからって、カイが何かするとはもちろん思っていない。

 だが、きっと気分の良い話でないだろうし。

 それが原因で不機嫌になられると、何かと不都合が多そうだ。

「分かりました」

 ホタルの考えはマツリに通じたようで、素直に頷いて了承する。

 サクラの方は、何か納得いかないような顔をしていたが。

「……マツリ、そこにいるのか?」

 聞こえた声に、話はそこで終わる。

 ガサガサと音がして現れた大きなクマ……ではなく、屋敷の料理人。

 ホタルの心臓が、ほんの少し規則正しい鼓動を乱した。

「と、失礼しました」

 サクラの姿を目にとめて、ジンは頭を下げた。

 サクラはにこりと笑いかけて、挨拶を返しながら、

「あ、マツリ」

 思いついたように、マツリの手元を指差す。

「それ、厨房で焼いてもらったら?」

 マツリは現れた大男から、視線を手に持っているものに移動させる。

 忘れていた不気味なものを思い出したと言わんばかりに、手紙の縁を摘まんで

「これ、焼いて頂けますか?」

 ジンに見せた。

 ジンは、料理を作るときの繊細さとは打って変わった、実に無造作な動作でそれをマツリから取り上げる。

「何だ?」

 サクラとホタルが手に取ることさえを躊躇ったのに、彼はあっさりと、表と裏を確認した。

「あー! 見ちゃだめです」

 マツリが焦ってそれを取り返す。

 ジンはマツリを見下ろし、さしたる反応を含んでもいない声で

「恋文だな……燃やすのか?」

 マツリは取り返したものの、やはり触りたくないという風に縁っこを持っている。

 本当にどうやらその手紙が嫌のようだ。

 その潔癖さがホタルは少々心配になった。

 大きなお屋敷に勤めていれば、こんなこと多々ある。

 手紙だけならまだしも、直接遊びに誘う者だって少なくない。

 13歳はまだ子供と見る者が大半であろうが、しかし、マツリは見た目は大人びているし、何よりきれいで可愛らしい。

 今後、数多くの誘いが来ることは安易に予想ができる。

 そのたびに、こんな過剰な反応をしていたら疲れてしまうだろう。

 サクラも同じように心配しているだろうかと隣を見た。

 だが、サクラは意外にも微笑んでマツリを見ている。

「ここで俺に渡すのか? 後で厨房に持ってくるか?」

 ジンの声がして視線をそちらに戻せば、マツリが彼に手紙を渡していた。

 ああ、信頼してるんだな。

 そう思った。

 封の開いた手紙をあっさりと手渡すぐらいに。

 マツリはジンを信用しているのだ。

 先ほどの心配が少し薄らいで、サクラの笑みの理由も悟る。

 信頼できる者が近くにいるなら大丈夫だろう。

「でな、マツリ。お袋が結構な剣幕で探してたぞ」

 手紙を懐にしまいながら、ジンは思い出したように告げた。

「ええ!?」

 マツリはぎょっとしたようにジンを凝視する。

「どちらで!?」

「客間」

 ジンが答えるやいなや、走り出さんとする少女を、サクラが止める。

「マツリ。一緒に戻りましょ」

 そう言って立ち上がったサクラに、マツリがホッとしたように笑顔を見せる。

 なるほど、サクラが一緒なら、マアサのお小言も短くて済むだろう。

 ホタルもサクラにあわせて立ち上がった。

「ホタルは、厨房に寄ってお茶の用意をしてくれる?」

 当たり前に一緒に行くつもりだったホタルの足を、サクラが留めた。

 驚いて見やると、サクラは微笑んで

「ね?」

 一瞬戸惑ったものの、ホタルは頷いた。

「一応……走っていった方が良いかしらね」

 サクラは呟くと、マツリとタオを連れて木々の合間に姿を消した。

 それを見送って、ではと厨房に歩き出す。

 ジンは厨房の主なのだから、当然ホタルと同じ方向に歩き出す。

 微妙な空気。

 結婚の話はサクラからマアサに断ってもらった。

 マアサからは、気にしないようにと声をかけてもらったが、ジンとその後、直接話しをする機会はなかった。

 そもそもが、そうやって親しく話す間柄ではないのだ。

 だが、気にはなっていた。

 結婚を断って、ジンは不快に思ったろうか、と。

「ホタル」

 隣を歩くジンに呼ばれて、ホタルは歩みを止めないままに顔を上げてジンを見た。

 端正とは言い難いが、実直そうな細い瞳がホタルを見下ろしている。

「縁談の件な」

 思い出していたそれを直接本人の口から聞かされて、ホタルは反射的に詫びの言葉を口にしかけた。

「っあの」

 しかし、ジンの野太い、やんわりとした声がそれを遮る。

「気にしないで欲しい」

 ジンは頭をポリポリとかきながら

「お袋が突っ走って話がそちらに行ってしまったがね。正直、私としても、君を妻にと言われてもね」

 ジンが足を止める。

 ホタルも、それに合わせて立ち止った。

「あー、決して君に不満があるとか、そういうことじゃないんだが」

 あまり会話が得意ではないと分かる朴訥とした話し方。

 だが、その真意は十分にホタルの耳に届く。

 この人は優しい。

 この人はまっすぐだ。

 この人と結婚すれば、きっと大事にしてくれて。

 間違いなく幸せになれるだろう。

 でも。

「私……結婚なんて考えられなくて」

 ホタルは結婚はしない。できない。

 この人は、いずれ誰かと結婚し、家庭を築くだろう。

 でも、その相手はホタルではあり得ない。

「君の方から断ってくれてほっとしてる」

 ジンは、少し微笑んだ。

「私じゃ、あの母親に太刀打ちできないからな」

 ホタルは笑った。

 確かに。

 マアサに押されて結婚させられてしまうジンを想像することはあまりに簡単だ。

「でな。今まで通りにしてくれるとありがたい」

 それはホタルの方こそお願いしたいことだった。

「はい」

 頷いて、ジンが歩き出すのについていく。

 今まで通り。

 サクラ様がこのお料理をすごくお気に召してました、なんてことを気兼ねなく伝えるような。

 そんな今まで通り。

 それは、少しも難しいことではないだろう。

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[一言] ジンが良い人で良かった
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