10
冬の初め、ラジル邸では大きな変化が起ころうとしていた。
事の始まりは、侍女の一人であるカノンがお勤めを辞めたいと申し出たことだった。
お腹の中に子供がいます、と恥ずかしげながら嬉しそうに告げた彼女は、続けて表情を引き締めると
「この歳で3人目ですよ?働きながら育てるなんて、絶対無理です」
きっぱり言い切った。
確かに、カノンの年齢での出産は、いくら3人目とは言っても身体への負担は大きいのだろう。
しかしながら、この屋敷には5人の子供を持ちながら働き続けているマアサがいる。なんとかならないものかと尋ねるマアサに、カノンは残念そうに首を振った。
「あまり体調が良くないんです。お医者様にも…お勤めは辞めた方が良いと勧められて…そうしたら、主人が心配してしまって」
そう言われてしまえば、マアサも何も言えない。
そもそも、彼女が侍女としてここで働いていることは、決して生活に困窮しているというような切迫した理由のためではない。
彼女の夫は、この屋敷にも出入りしている腕のいい家具職人だ。何人かの弟子を抱えるほどで、暮らし向きはどちらかといえば上流に入る。
ただ、少女の時にマアサの下で侍女として勤め始めて以来、ずっと共に働き、夫ともこの屋敷で出会い、結ばれたという縁から、また、元来が働き者のカノンだから、特に辞めるという選択肢を選ばないまま今まで働き続けてきたのだ。
体の無理をおしてまで働き続ける理由はどこにもない。
はっきりとした性格の彼女が、潔く決断したことを翻意させるのは困難と、マアサを始めとする屋敷の者達は早々に諦めた。
諦めたが良いが、さて次の侍女をどうするか。
ここの主は、屋敷内に余分な者を置くことを良しとしない。故に、屋敷内の者は、自らの仕事を責任を持って粛々とこなすことを常に求められる訳だが、言いかえれば、一人欠けるとなるとその穴を埋める余裕のある者はいないのだ。
早々に新しい侍女を探さなければならないだろう。
だが、なかなかにこれが難しい。
身元のはっきりした者。器量は二の次で良い。とにかく働き者で性格の良い者。
それから、つまらぬ噂に左右されぬ者。つまらぬ噂を立てぬ者。
これが重要だ。
ここに攫われるように連れてこられた主の妃は、最近でこそゆるぎない寵愛を受けて、世間に正妃と認知されつつあるものの、それでも心ない噂は完全に消えた訳ではない。
耳に入るそれらに浮足立つような者は絶対に屋敷内に入れてはならない。
「ホタルのような者がいれば良いのですが…」
というタキの呟きは、屋敷内の者全ての願いだ。
そんな悩みに頭を抱えているマアサのところに、またまた厄介なニュースが飛び込んできた。
今度は料理人のレンが怪我をした、というのだ。
「いい年をして何をしているの?ニキに頼めば良かったでしょう」
庭師に抱えられるようにして厨房に戻ってきた夫を見て、呆れたため息を零す妻。
それを冷たい対応と、誰が責められるだろう。
レンは庭の木になった果実を取ろうと台に乗り、足を踏み外して腰をしこたま打ち付けたのだという。
でっぷりと太ったレンには、少々無理が伴う行動だったのは否めない。
身軽でそういったことが得意な庭師に頼めと言う、マアサの意見はもっともだ。
「マアサ、あまりレンを責めないでね」
レンが怪我をしたと聞いて厨房に現れたサクラが、夫の前で腰に手を当ててお小言を漏らすマアサにそう願う。
「…承知しておりますわ、サクラ様」
マアサとて、分かっている。
怪我を気遣い、身分を顧みずにサクラが厨房へ駆けつける程、レンを慕ってくれているように、マアサとレンにとっても、恐れながらこの正妃は娘のように愛しい存在だ。
突如として現れた謎の方ではあったが、その優しさや穏やかさはすぐにも知れた。
だから、このお屋敷に馴染むように随分と心を砕き、軍神と呼ばれ、張りつめた日々を送る主の救いなれば良いと願ったものだ。
今やその願いは叶った。
娘は主の愛情を一身に受け、主は彼女の存在に満たされている。
それにより、屋敷内の全ての者に温かなものがもたらされている。
欲がなく、あまり多くを望まない妃のために、だからこそ何かできることはないかと、誰もが常に思いを巡らせているのだ。
庭にある木に今年一番の実がなった時、これが正妃の好物だと知っている料理人が、それを焼き菓子にして差し上げたい、と思うのは極々当たり前のことなのだろう。
果実は手に入れたものの厨房には立てず、色付いて芳香を放つ実を焼き菓子にはできないと、しょんぼりする料理人を、やたらと責めるのも可哀想と言えば可哀想だ。
しかしながら、それとは別に大きな問題がマアサのため息を大きくする。
なんとか立つのがやっとという夫に、厨房で忙しく動くことを求めるのは当面無理そうだ。
つまりは、別の料理人が必要なのだ。
そんな訳で、ラジル邸は二人の古参の使用人を失い、否応なく新しい使用人を雇わざるを得ない状況となったのだった。
サクラに呼ばれて部屋を訪れると、そこはいつになく人が溢れていた。
ホタルはぎょっとして、一瞬戸口で足を止める。
「ホタル」
部屋の奥にいるサクラの手招きに、間に立つマアサと知らない二人の横を会釈しながら通り過ぎて、歩み寄った。
サクラは、先日ホタルが衣替えをして、暖かな色彩へと姿を変えたソファに座っている。
深い緑を基調とした生地が、厳しいと聞いているここの冬を、少しでも過ごしやすくしてくれるようにと願って、選んだソファカバーだ。
座るサクラの橙のドレスが鮮やかに映えて、それはホタルの願いを早くも叶えてくれているようだ。
いや違う。
ホタルは分かっている。
本当はソファなど、ドレスなど、何色でも良いのだ。
この部屋の暖かさは、サクラ自身によるものだ。
曇りがちな外は木枯らしが吹こうかという冷たい空気で満ちているのに、サクラの周りだけが春の日が差し込んでいるかのように暖かい。
女性というのは、誰でも愛されるとこんなに美しく変貌するのだろうか。
私でも?
それはどこか羨望めいた疑問。
ホタルには起こりえないことと思い知りながら、なのに湧き上がる。
以前にはなかった思いに戸惑いながら、サクラの傍らに立った。
「新しい侍女と料理人ですって」
それがこの部屋にいる見知らぬ二人のことであることはもちろん分かった。
頷きを返しながら、今日から一緒に働くことになる二人を見る。
料理人というよりは、衛兵といった感のあるがっしりとした男。
それから、スラリと背の高い美しい娘。
どちらも緊張した面持ちで、少々所在なさげに立っている。
「…まもなくカイ様がお戻りになると思うのだけど…」
サクラの呟きは、特にホタルに話しかけているという訳ではなさそうだった。
しかし、ホタルはほとんど反射的に耳を澄ました。
今日は登城の日だったから。
窓から差し込むのは、既に夕方を示す赤を帯びた光。
とうに城は出ているだろう。少し早めに、あちらを出発していれば、既に近くにいる筈。
寡黙なサクラの想い人の声を探すことは難しいかもしれないが、共にでかけた饒舌な側近の声ならば。
少しだけ、聞く範囲を広げれば、すぐ近くにシキの声を見つけ、続けてそれに短く答えるカイの声が届く。
さはど待つことなく、望む方はお戻りになるだろう。
だが、それをサクラに告げるより先に、扉をノックする音がしてタキが現れた。
「カイ様がお戻りですよ。すぐこちらにいらっしゃいます」
タキは言うと、そのまま部屋の奥へと入り、ホタルが立つ反対側のソファの傍らに立った。
「…やはり…先に別室でカイ様にご紹介した方が良くありませんか?」
サクラがタキに問う。
ホタルのラジル邸初日は、早々にサクラに会わせてもらえた。
だが、それはホタルがサクラの幼馴染だという事情と、カイの特別の計らいで実現したことのようだ。
一般的には広間で主に面を通すのが先だろう。
まして、妃の私室で主に紹介するなど、あまり聞いたことがない。
しかし、心配げなサクラに、マアサが答えた。
「サクラ様とご一緒のときの方がよろしいかと…特にマツリの方はカイ様にお会いするのは初めてですし…」
サクラは、言葉の意味がよく分からないというように首を傾げた。
でも、ホタルにはマアサの思うところが理解できる気がする。
漆黒の軍神と呼ばれるこの家の主のことを、この二人はどれだけ知っているだろうか。
戦における非情さは、幾度と耳にしただろう。
伝説の一部に。
まるで神話のように。
皇太子の慈悲深さと、対を成すように囁かれる弟皇子の人となりは、時には、冷酷さや残忍さを伴っている。
カイが軍神として存在する以上、それらは彼の一部として存在するには違いない。
しかし、ここは戦場ではないから。
敵も、魔獣も、ここにはいないから。
「漆黒の軍神が、この屋敷でどれだけ寛がれていらっしゃるか、知っておいてもらった方が良いと思います」
タキが、ホタルが思ったことを、上手にサクラに伝える。
そう、ここにあるのは安らぎと穏やかさに満ちた心地良さ。
軍神はここで、剣を納め、鎧を…全てを脱ぎ捨て、眠りに就く。
ただ一人と望む妻の元で。
「ここは…それが一番顕著な場所ですから」
サクラはタキを見上げていたが、嬉しそうに、そして少し恥ずかしげに微笑んだ。
そのサクラを、何か眩しいものでも見たかのように、タキは目を細めた。
「サクラ様、料理人の方は、カイ様はご存じですの」
マアサの言葉に、サクラの視線が男に動く。
あわせて、ホタルも料理人という男に目を向けた。
「ジンと言います。私の長男ですわ」
紹介されて、骨太な男はにこりともせずに頭を下げた。
そう言われてみれば、どことなくマアサやレンに通じるものがある。
だが、それよりも、ジン、という名にホタルは懐かしさを感じて、つい男を見つめた。
それはサクラも同じようで
「ジン、というの?」
気軽に男に語りかける。
彼は少し戸惑ったように目を瞬かせた。
「ごめんなさい。オードルの庭師と同じ名前なの、ちょっと懐かしくなってしまって」
サクラの視線が同意を求めるように、ホタルに向かう。
ホタルは頷いた。
「私の祖父と同じ名前なんです」
そう言うと、男は少しだけ表情を柔らかくする。
それだけのことなのに、武骨でとっつきにくそうにも見えた彼は、驚くほど人の良さ気な青年へと変貌を遂げた。
最初からこんな顔だったら、すぐにレンとマアサの息子だと気がついたのに、と思う。
「奥方様は苦手な食べ物はないと聞いてますが、父とは味付けなども随分と違うと思いますので、何かお気に召さないことがあれば、何なりとお申し付け下さい」
大きな体にとても似合うおおらかな口調だ。
そんなところも、祖父と少しだけ重なる。
ここに来てからは一度もオードルに戻っていないから、祖父にも会っていない。
元気だろうか。元気に違いない。
そして今日もオードルの庭の隅々までに手を入れている筈だ。
急に祖父の顔が見たくなった。
「本当はね、嫌いなものもあるの…だけど、レンの作るものはどれもおいしくて食べれてしまうのよ」
サクラはにっこりと、親しげに笑う。
そのサクラに、再び目を瞬かせ…しかも、心なしか表情が色付いたようなジンを見て、ホタルの懐かしさは一瞬で吹き飛んだ。
サクラ様…滅多やたらに微笑みかけないで下さい!
心で叫ぶ。
サクラの容姿は、確かに並はずれた美貌に恵まれている姉妹に比べれば、凡庸な部類に振り分けられるのだろう。
過去には、それに引け目を感じて俯き加減なところがあり、尚更、サクラを貧相な娘に見せていた。
だが、今のサクラは違う。
見慣れている筈のホタルでさえ、一瞬目を奪われるほど。
愛されて、愛することを覚えた方は、生来の穏やかで柔らかな空気を纏いながらも、強かに艶やかに。
見事なまでに花開いた。
一時なりでもサクラと接する機会があったならば、誰であっても少なからず心惹かれるに違いない。
そう思わずにはいられないし、実際にそうであろうことは、ホタルの遠耳に届けられるサクラの噂話が証明している。
カイに伴われて公の場に出るようになってからというもの、軍神の寵妃を愚弄する噂をホタルが耳にすることはほとんどない。それは、カイの権威に基づくものもあろうが、よりサクラ自身によるものと、ホタルは確信している。
陰で囁かれる嘲笑さえ、今は僅かなのだから。
むしろ、その愛らしさや優しさが敬意と憧憬で語られる。
しかしながら、ホタルには少々心配事が増えてしまったのだ。
この方はご自身の魅力に無頓着過ぎる。
もう少し、ご自身の魅力に気がついて欲しい。
いつだったかシキがサクラを花に例え、その無自覚さを指摘したが、まさにそう。
まるでその美しさを自らは知らぬように。
芳香を醸す自身に気がつかぬように。
惜しみなく注がれる想いに咲き誇る者は、あまりに自然にそこにあり、何も隠そうとしない。
サクラが誰の想われ人であるか。
その想いがどれほどのものか。
あまりに明らかで、早々と不埒者を愚行に走らせることはないだろうとは思いつつ、しかし、正直なところ、カイ以外の目に触れさせたくない、と考えることもしばしば。
「貴方の料理もとても楽しみにしているの」
そんなホタルの気持ちを知りもせず、サクラはまたもや無防備に無邪気な色香を零れさせた。
ホタルの気のせいでなく、ジンは幾らか頬を緩ませると
「ご期待に添えるように努力します」
答える声と、ノックに続いて扉が開く音とが重なる。
「お帰りなさいませ」
サクラは、公の場に出る時以外結われることのない長い髪と、ドレスの裾をふわりと揺らして、身軽に立ちあがった。
これもまた無意識に違いないのだろうが、新人に見せた笑顔とは一線を画す、とびきりの笑みで夫を迎え入れる。
部屋に現れたカイはサクラに歩み寄ると、極々自然な動作で肩を抱き、長身を屈めるようにして小柄な妻の額に軽く口付けを落とした。
この屋敷に勤める者達にとって、いつの間にか馴染みになった、しかしながら、見るたびにほっとさせる光景だ。
マアサは、本当はこれを見せたかったのだろう。
ふと、ホタルはそう思った。
何者も入り込む隙のない、仲睦ましい光景は、この屋敷の象徴の一つに違いない。
この新しく仲間となる者に、これをいち早く見せたかったのだ、きっと。
そんな気がした。
「…久しぶりだな」
正装を解きながら、カイがまず声をかけたのは、ジンの方だった。
ジンははっとしたように、膝をついて頭を下げた。
隣に立っているマツリと呼ばれていた娘が目を丸くしながらジンを見て、自分はどうすれば良いのかというようにマアサを見た。
「お前、この屋敷でカイ様に出くわすたびに膝をつくつもりか?」
苦笑いを零しながら、シキがジンの腕を取って立ちあがらせる。
「膝にタコができるぞ」
その言い方がおかしくて、ジンとマツリ以外が笑いを零す。
ジンは仏頂面とも言える顔のまま、シキに頭を下げた。
「相変わらず、無愛想だな」
気軽に話しかけるシキに、ジンはポリポリと頭をかいて、ようやく苦笑いらしきものを浮かべる。
「…性分なんです」
「知ってる」
そう言って、ポンと肩をたたく動作に、彼らが昔馴染みなのだろうと知れた。
「…で、こちらがイーファス男爵のご息女?」
シキが続いて尋ねれば、新しい侍女は実直さだけが取り柄のような硬く勢いの良い動作で、深々と頭を下げた。
「マツリ・イーファスです」
名乗る声は、見た目に反して、かなり幼い。
「イーファス男爵も最近は忙しいだろう?」
シキの問いかけは、子供を手懐ける笑顔を共に。
マツリは、先ほどのジンよりもよほど顕著に頬を染めた。
「はい…あ、いえ、あの…」
あたふたと答えにならない言葉を口にする様に、ホタルはそっと同情する。
サクラの笑みが無意識ならば、こちらの方の微笑みは思い切り意識的に計算ずくめ。
どちらも慣れない者にとっては、心臓に悪いことこの上ないのは共通点。
「マアサ…男爵からは容赦なく使ってくれと言われている」
カイの声が静かに響く。
それだけで、空間に緊張感が走る。
「承知いたしました」
マアサが答えると、その横でマツリの表情が引き攣った。
「カイ様」
サクラが諌めるように名を呼ぶと、カイはちらりと妻を見下ろして
「マツリ」
初めて侍女の名を呼んだ。
ビクリと反応して「はい!」と、元気な返事が返った。
「カノンは長くここに勤めていた者だ。代りをしようなどとは思うな。できることをやれば良い」
ピンと張ったような声に幾らかの優しさを含ませて、この家の主は慣れない所作の侍女を励ました。
マツリは、一瞬目を見開いて、次には
「頑張ります!」
ぺこりと頭を下げた。
「…カイ様、こっちには激励は?」
シキがジンを指さす。
カイはジンを眺めた。その表情は、何もないのだが。
「そっちは…サクラの激励で十分だろう?」
それは、先ほどのやりとりのことだろう。
どこから聞いていたのか知らないが、それはあまりにちょっと…。
「それは…ちょっと大人気なくないですか」
ホタルの心中を、シキが声にした。
そのまま部屋に留まるかと思われたカイは、だが、タキに耳打ちされて再び部屋を出て行った。
シキがそれに続き、マアサも新たな使用人を連れて出て行こうとする。
そのマアサにサクラは声をかけた。
「少しマツリと話をしたいの」
サクラの申し出にマアサは、嬉しそうに笑みを浮かべると
「ぜひ、そうして上げて下さいな」
マツリを残して、ジンと部屋を出て行く。
残されたマツリは不安そうな表情を、必死に無表情に隠そうとしているようだ。
「歳はいくつ?」
再びソファへと座ったサクラは、前に立つ娘にそう尋ねた。
「13です」
娘というよりは少女という年齢。
やはり見た目より、随分と若いのだ。
背が高く、目鼻立ちも大人びているからだろう。
正直、ホタルやサクラとさして変わらないかとも思ったが、その年齢ならば全くもの慣れていない様子や緊張も納得できる。
何より、13歳という年齢ならば、男爵の娘が侍女として勤めることもさほど珍しくはないだろう。
貴族の娘が、花嫁修行代わりに、身分ある者の館に勤めることはままあることだ。
マツリの年齢ならば、2、3年ばかり勤め、一通りの作法を身につけてからどこぞに嫁ぐのだろう。
ホタルはそんな風に考えた。
だが、当の本人は、ホタルの思考を吹き飛ばす勢いで、聞かれてもいない身の上を語り始めた。
「あの…男爵なんて名ばかりなんです。弟が4人、妹が1人います。母は1人です。あ、もちろん父も1人です。大家族で、父は研究馬鹿で…母は、なんだかとぼけてて…本当に貧乏なんです。だから今回のお話しは本当に感謝してます!」
ともすれば悲壮感が漂いそうな話を、家族への溢れる愛情と本人の気合をスパイスに、一気に告げる。
マツリを見上げるように見ていたサクラは、少しして堪え切れないように、ぷっと吹き出した。つられてホタルも零れそうになる笑みを、なんとか抑える。
なんとも、見た目にそぐわないかしましい娘ではないか。
少しの間、止まらない笑いに肩を震わせていたサクラだったが、その表情がふと気遣わしげなものに変わる。
「貴女が13歳ということは…まだ、弟さんや妹さんは小さいでしょう?あなたが、家を出てしまっても大丈夫なの?」
マツリは焦ったように、更に慌ただしく言葉を続けた。
「上から、10、8、5、2歳で一番下の妹が、もうすぐ1歳になります。皆、大丈夫です!両親もすごく元気なんです!ただ…貧乏なだけで!」
それに、サクラは首を振った。
「みんな…寂しがらない?あなたは寂しくない?」
マツリはぴたりと忙しない動きを止めた。
まっすぐにサクラを見つめる綺麗な青い瞳が、隠しもしない驚きに満ちている。
マツリがどんなふうにサクラを想像していたのか、知るよしもない。
しかし、目の前にいる方は、軍神の寵妃だ。
そして、帝国キリングシークの皇子妃である。
世間知らずな少女が、その言葉から想像した気高い女性像とは、かなりかけ離れていたのだろうか。
「…あの」
マツリは俯いた。
先ほどまでとは打って変わった大人しい声で
「実は…家族と離れるのは初めてなんです」
そう告白した途端、ぽろぽろと涙を零し始めた。
子供そのまま。
涙を拭こうともしない。
サクラが立ちあがって、マツリに近付く。
「マツリ?」
優しい声で呼びかけて、自分よりも幾らも背の高い少女を抱きしめた。
「寂しいし…不安ですけど、自分でお勤めに出ようと決めたんです」
マツリは必死にそう言葉を続けた。
サクラは頷いて、大きな子供の背中を撫でて宥める。
ひっくひっくと際限なく泣き続けながらも、マツリは健気にサクラを見つめ
「経験はありません。でも一生懸命がんばります!」
サクラから離れて一歩下がると、勢い良く頭を下げた。
熱意は十分に評価できそうだ。
動作の一つ一つには優雅さのかけらもないが、そんなものは教えれば良い。
ホタルはこの少女の素直さと実直さに、とても好感を抱いた。
「ホタル」
サクラに呼ばれて二人に近付く。
サクラはそっと耳打ちするように少女に告げた。
「いつでも、気がねなくここに来てね。私やホタルは歳が近いから、話しやすいこともあるでしょう?」
マツリがちらりとホタルを見る。
ホタルは頷いて、笑いかけながら
「…あ、でも恋の相談は私ではなく、他を当たって欲しいですけど」
冗談めいて言うと、マツリはポッと頬を染め、そして、この部屋で初めての笑顔を見せた。
こうして、長く人の入れ替わりがなかった屋敷内に、二人の新顔が加わったのだった。