蝶よ花よ
「ああ、着替えてサッパリしたわな」
お花が浴衣に着替えて次の間から出てきた。
昨日とは違う水色に千鳥の柄の浴衣だ。
「聞いたか?お花?児雷也もきっと豆を鼻の穴に詰めて死にかけたことがあるんぢゃっ」
サギはすっかり疑問が解決したかのように言った。
だが、
この推測には納得しかねるようにお花は思いっ切り顔をしかめた。
「児雷也はそんなことしないわな」
お花はムキになって否定する。
「今はしなくとも小さい頃にゃ誰だっていっぺんは鼻の穴に豆を詰めるものぢゃっ」
サギもムキになって断言する。
「小さい頃でも児雷也はしないわなっ」
「するっ」
「しないわなっ」
「すると言ったらするんぢゃっ」
双方、譲らず。
サギとお花はこんな下らぬことで言い争いになった。
二人共、我が強いので折り合いが付かぬのだ。
「お花のわからんちんめっ。わしゃ、もう帰るっ」
サギはプンプンしてお花の部屋を出ていく。
「ふんだっ」
お花もふくれっ面で襖に背を向けた。
「――ん?」
サギが裏庭から路地へ出ると、天水桶が山盛りに積まれた陰に潜んでいる怪しい男がいた。
どうも見覚えがある童顔。
「あ、見世物小屋の木戸番ぢゃっ」
サギは忍びの習いで人の顔はよく覚えている。
客寄せの口上を言っていた木戸番だ。
「どうも。わしゃ、鬼武一座の雨太郎と申す者にござります。先ほど、こちらのお嬢様が風呂敷をお忘れで。それと、児雷也からお嬢様にお詫びの品を言付かって参りましたんで――」
雨太郎はお花が玄関に置き忘れた風呂敷と一緒に小さな細長い桐箱をサギに手渡した。
「へええ?」
サギは中身が気になって桐箱をクルクルとひっくり返して見る。
「さだめしお嬢様はお家へ内緒でおいでになったのでしょうからお訪ねする訳にも参りませんので、それで、お前様がお帰りの際にお預け致そうと待っておりました次第で――」
雨太郎は天水桶の陰に潜んでいた弁解をした。
「そうぢゃ。こっそり抜け出して行ったんぢゃ。お前さん、よう気が利くのう」
サギは偉そうに感心する。
「畏れ入りましてござります。では、たしかにお預け致しましたのでお嬢様へお渡し下さりまし」
雨太郎はペコリとして去っていった。
「お花っ、お花っ、これ見いっ」
サギは廊下も階段もひとっ飛びにお花の部屋へ舞い戻った。
「――えっ?児雷也からお詫びの品っ?」
サギの報せにお花はパアッと笑顔になる。
「早よ、開けてみい」
「う、うんっ」
ソワソワと逸る気持ちを抑えて桐箱を開けると、
銀のピラピラ簪だ。
蝶をかたどった銀細工の下に短冊のようにピラピラが揺れている。
「わあ、銀のピラピラ簪っ。それも上等な品だわなっ」
お花の目が輝く。
「ほお~」
サギに簪の良し悪しは分からぬが蝶の細工は凝っているし、銀がキラキラと光って綺麗だ。
「ただのお詫びの品とは思えんわな――」
お花は簪を見つめて熱っぽく呟いた。
鬼武一座の興行は連日、大盛況で児雷也にとって銀のピラピラ簪くらい大した買い物ではなかろう。
だが、
恋に恋する厄介な年頃のお花は特別な意味合いに受け取った。
「――そういえば、投剣の舞台を見ていた時、あたしゃ幾度となく児雷也と目が合うた気がするわな」
取って付けたようにお花が言い出した。
「そうなのか?」
昨日はそんなことは聞かなかった。
「うん。十ぺん以上は目が合うたっ」
お花は確信を込める。
「簪、差してみるわな。サギもこっちお入りな」
お花はいそいそと次の間へ入ってサギを手招きした。
次の間は豪勢な桐箪笥に衣桁や乱れ箱や鏡台をしつらえて、お花が身支度をするための部屋になっている。
衣桁があるというのに脱いだ振り袖や帯がゴチャゴチャに畳に広げっ放し、
まだ暑いだけに天花粉(汗知らず)の香りがする部屋だ。
お花は鏡に向かって座ると銀のピラピラ簪を差した。
「どうお?」
「ええなぁ。お花の頭に蝶がちょこっと止まっとる」
サギは見たままを言っただけであるが、
「あっ、サギ、きっとそうだわな。この簪の蝶というのに意味があって、あたしがお花だから児雷也は蝶になって、あたしの元へ飛んでゆきたいという気持ちを簪に込めたんだわな」
お花は恋に恋する厄介な年頃なので蝶の簪にここまで深読みした。
「ふうん」
サギはお花の夢の話と似たり寄ったりと適当に聞き流し、
「――あれ?わしの顔?こんな顔しとるんぢゃ。へええ」
お花の肩越しに鏡に映る自分に気付いて、鏡を覗き込んだ。
「サギの家には鏡はないのかえ?」
お花は鏡越しに顔が並んだサギを見やる。
「婆様のがあるけど、ずうっと磨きに出しとらんからボヤボヤ~としか映らん。ハッキリと顔を見たの初めてぢゃ。この鏡はよう映るのう」
この時代は金属鏡なので専門の研磨師に曇った鏡を磨いて貰わぬとならない。
サギは鏡に向かってアカンベしたり、ベロベロバアしたりと百面相した。
「鏡は女子の命だわな。まめに磨きに出してピカピカにしとると器量良しになるというわな。まあ、サギは器量良しだけど。ほら、こんなの着けたら、ずうっと娘らしゅう見えるわな」
お花はカスティラの桐箱に仕舞ってある色とりどりの簪の中から派手な摘まみ細工の花簪を選んでサギの髪に差してやった。
「うへぇ」
鏡に映った花簪を差した自分を見るとさすがにサギはこっ恥ずかしい。
今まで一度たりとも娘の格好などしたことはないのだ。
「あっ、ええこと思い付いた。サギ、あたしの振り袖、貸してやるわな。舟遊びの日にそれを着るといい」
お花は手を打って独り決めして、
「あたしとお揃いになる振り袖があるんだわな」
桐箪笥の二段目の引き出しから薄紫色の振り袖を取り出した。
裾に大きく白百合の柄がある。
お花は同じ柄の振り袖を色違いで薄紅色も持っていた。
「もう先に亡くなったお爺っさんが箪笥いっぱいに振り袖を誂えて下すったんだわな。ぽっくりも花簪もみんなお爺っさんが揃えて下すったものだわな」
「ほお~」
桐箪笥の引き出し四段それぞれに四季ごとの振り袖がごそっと重なってある。
この桐箪笥と振り袖で家の一軒も建つという贅沢ぶりであった。
そこへ、
「お花様?奥様が今日の晩ご飯をサギさんもご一緒にと――」
女中のおクキが開けっ放しの襖から声を掛けた。
「おやまあ、お振り袖を広げっ放して、これはどうしたことにござりましょう?」
おクキはお花が脱ぎ散らかした振り袖や帯を見咎める。
「ああ、舟遊びにサギに貸す振り袖を選んでおったんだわな」
お花はケロッとして誤魔化す。
(お花の奴、なかなか抜け目ないのう)
サギはまた感心した。




