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富羅鳥城の陰謀  作者: 薔薇美
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金平糖と錦絵


ザザーッ。


 一陣の風が吹き抜けるように木々の葉を揺らし、枝から枝へと(ましら)のごとく飛び移る人影があった。


 そこは富羅鳥山の人も通わぬ獣道。


 高い枝から低い枝へヒラリと身軽に下り立ったのは小柄な(わらし)


 これこそ、お鶴の方の産んだ赤子(あかご)で、今や数えの十五になる。


 白鷺(しらさぎ)のように華奢な色白い姿からサギと名付けられた。


 柿渋染めの筒袖に泥染めのたっつけ袴、身なりは男子(おのこ)と変わらぬが髪を束ねた紐は緋色で多少なりとも娘らしさを(かも)していた。


 どこから見ても非の打ち所のない立派な『くノ一』である。


 自然のままに鬱蒼と生い茂った木々に覆われた山奥の暮らしで木漏れ日しか浴びないためにサギの肌は白蝋(はくろう)のように白く、艶やかな黒髪は烏の濡れ羽色であった。


 大きな黒い瞳に通った鼻筋は美男と誉れ高かった亡き父、富羅鳥守鷹也の面差しを受け継いでいた。



 見晴らしの良い樫の木の枝に立って(ふもと)のほうを見渡すと蛇のようにうねった山道が一望である。


 サギは山道の遥か遠くからだんだんと近づいてくる人馬に目を凝らした。


 颯爽と馬を引く若衆の姿がいよいよ鮮やかになる。


 逞しく成長した我蛇丸である。


兄様(あにさま)ぢゃ。兄様(あにさま)が帰ってきたっ」


 サギは嬉しさのあまり思わず元の高い枝に両手で飛び付き、クルンクルンと回転した。


 バサ。

 バサ。


 頭上を鳥が飛んでいく。


 サギはチラッと獲物を狙う鋭い眼差しで(くう)を睨むと、


 シュッ。


 目にも留まらぬ早業で袴の腰板から竹串を抜き、飛ぶ鳥を狙って撃つ。


 プスッ!


 呆気ないほど容易(たやす)く命中。


「ワンッ」


 一匹の犬が嬉々と獣道から飛び上がり、草むらへ落ちるよりも早く宙でガブリと鳥をくわえ取った。


 サギの愛犬、摩訶不思議丸(まかふしぎまる)


 見た目は普通の雑種だが、忍びの修行を積んだ一人前の忍びの犬である。


「さあ、摩訶。帰ろうぞ」


 サギは獲物を入れた袋を(はす)掛けに背負(しょ)う。


 そして、また木の枝から枝へと飛び移りながら山奥の富羅鳥の忍びの隠れ里へ帰っていった。




「お江戸日本橋ぃ、七つ発ちぃ、初登りぃ、行列揃えて、あれわのわのさ~♪こちゃえ~こちゃえ~♪」


 調子外れな唄声が山中に響き渡る。


 サギは小屋の前の木の高い枝に黒猫と腰を下ろし、唄いながら我蛇丸の到着を待ち構えていた。


 サギの愛猫、にゃん影。


 一見して普通の黒猫だが、にゃん影もまた忍びの修行を積んだ一人前の忍びの猫であった。


 カタン。

 カタン。


 小屋の中ではサギの唄に調子を合わせるかのように機織(はたお)りの音が続いている。


「おうっ、(けぇ)ったぞ」


 馬では山の外廻りの道を来るので山中の獣道を突っ切って帰ったサギよりずいぶんと遅れて我蛇丸が辿り着いた。


 「ブルル」


 鞍に積んでいた米俵を下ろすと馬の汗ばんだ背から馬臭い湯気が立ち登る。


 我蛇丸の愛馬、アオ。


 普通の栗毛で、普通の馬であった。


「ほれ、土産ぢゃ」


 我蛇丸が振り分けの荷から紙袋を取り出した。


「うわぃ、金平糖ぢゃあっ」


 サギはホクホク顔で金平糖の袋を抱き抱えた。


 カタン。


 小屋の中で機織りの音が止まる。


「あれ、我蛇丸ぅ、よう、お帰んなさったのうっ」


 お鶴の方が大きな声で言いながらバタバタと戸口へ駆け出てきた。


母様(かかさま)、金平糖ぢゃっ」


「良かったのう。甘いものはサギの大好物ぢゃなあ」


母様(かかさま)もぢゃろ?――パクッ」


 サギとお鶴の方はもう金平糖を頬張ってケラケラと笑い合った。


 十四年の歳月はお鶴の方を大名の側室の頃とは別人のような山の逞しい女房(かかあ)に変えていた。


 もっとも今ではお(かも)という名で呼ばれている。


 あの月夜から以前の記憶を失い、お鶴の方は自分の名も素性も幼子の鳶千代のことすらも何も覚えていないのであった。


 一から十までお(とき)の手解きを受け、糸繰り、機織り、炊事、洗濯と十四年のうちに何でも器用にテキパキとこなすようになっていた。


 我蛇丸はといえば十九歳になり、三年前から江戸へ出て日本橋で蕎麦屋を営んでいる。


 我蛇丸の蕎麦屋は鴨南蛮が美味しいとなかなか繁盛していた。




「――ほれ、これもお待ちかねぢゃろう?」


 小屋へ入ってから我蛇丸はサギに錦絵を手渡した。


「うわぃ、錦絵ぢゃっ」


 サギは待ってましたとばかりに飛び上がる。


 錦絵をもう何枚も集めていて江戸へ出ている富羅鳥の忍びの者が土産に持ってくる錦絵を自分の寝床の枕屏風にペタペタと貼り付けていた。


「これは役者絵ぢゃなく軽業芸人ぢゃなあ」


 新しい錦絵は美しい若衆が五本もの刀剣をお手玉のように(あやつ)っている絵柄であった。


「今、評判の投剣の芸人ぢゃ。江戸へ来とるんぢゃ」


 我蛇丸は『投剣の鬼武(おにたけ)一座、児雷也(じらいや )(きた)る』という引き札を出した。


「児雷也という名の芸人なんぢゃな。蝦蟇(がま)を出すのか?」


 児雷也といえば有名な読み物に出てくる大蝦蟇(おおがま)の妖術使いの名である。


「どうぢゃ、見たいか?」


「見たいっ」


 サギの大きな瞳がキラキラと輝く。


「ずっと(せん)からサギが十五になれば江戸見物をさせてやると約束ぢゃったけぇのう」


「そうぢゃ。ハトもシメも江戸へ出て蕎麦屋を手伝うとるんぢゃもの。わしだけ除け者は真っ平ぢゃあ」


 サギはやっと江戸へ出られると大喜びで摩訶不思議丸とにゃん影と土間をピョンピョンと跳ね廻った。


「美味い握り飯を持たせてやろうのう」


 厳しい婆様(ばばさま)、お(とき)もサギには甘い。


 もう大膳(だいぜん)には我蛇丸から話を通してあるらしかった。


「ただし、サギ。人前で忍びの者と分かるような振る舞いをしてはならんぞ。背よりも高いところへ飛び上がったり、竹串を投げ飛ばしたり、鎖鎌(くさりがま)を振り廻したり――」


 大膳がしっかと釘を刺す。


「やらんやらん。父様(ととさま)、わしゃもう十五ぢゃぞ。ちゃんと分別の付く年頃ぢゃあ」


 サギは要らぬ心配とブンブンと首を振った。


 血の繋がりはなくとも富羅鳥の忍びの頭領、大膳を父、我蛇丸を兄と慕って忍びの修行に明け暮れて育ったサギであった。

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