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富羅鳥城の陰謀  作者: 薔薇美
14/25

草之介の憂い


 一方、同じ頃、

 

 桔梗屋の二階の座敷では、


「――実はな、熊さん――」

 

 若旦那の草之介が絶望の淵にいた訳を幼馴染みの熊五郎に問いただされ重い口を開くところであった。

 

「そもそもの元凶は伯父上の(よこしま)な卑しい出世欲のせいなのさ」

 

 草之介は苦々しく吐き捨てる。

 

 草之介とお花の父の樹三郎(じゅさぶろう)はれっきとした武家の出。

 

 武家といってもお目見え以下の御家人(ごけにん)であった。

 

 天下泰平で武士がゴロゴロと無駄に余っているご時世なので御家人の三男に付ける役職などある訳もない。

 

 ただ、父の樹三郎には美男という取り得があった。

 

 それが幸いして桔梗屋の一人娘のお葉に見初められ、婿に入った。

 

 先代の亡き後は樹三郎が商売熱心に桔梗屋をそれまで以上に繁盛させて旦那の勤めを立派に果たしている。

 

 その樹三郎の兄である御家人の白見根太郎(しらみ ねたろう)が出世のためにろくでもない(はかりごと)を企てたのだ。

 


「ええっ?その伯父上がお花坊を武家に行儀見習いへ出せってかい?」

 

 熊五郎は憤慨して声を荒げた。

 

 お花が生まれた時から知っている熊五郎は気安くお花坊と呼んで自分の妹も同然に思っている。

 

「ああ、熊さん、お前も知っとろうが、行儀見習いというのは表向き。実際は妾奉公(めかけぼうこう)さ。行儀見習いと(だま)されて連れて来られた無垢な生娘を二、三年も(もてあそ)んだあげく、いかにも行儀見習いのおかげで良縁に恵まれたとばかり体裁良く家臣へ(かたず)けるのが手口なのさ。美しい町娘の玉の輿にこんな裏があることは誰だって知っておる」

 

 草之介も熊五郎も方々(ほうぼう)へ遊び歩いて顔が広いだけに世故(せこ)に長けていた。

 

「むうぅ、お花坊をそんな目に合わしてたまるかいっ。許せねえっ」

 

 熊五郎はカッカと頭から湯気を上げて怒った。

 

 やはり醤油の芳香が立つ。

 

「おうおう、いってぇ、伯父上の野郎がお花坊を妾に差し出そうってえのは、どこのどいつなんでぃっ?」

 

 熊五郎が片膝立ちになって息巻く。

 

「ご老中の田貫様さ」

 

 草之介が重々しく答えた。

 

「えええっ?」

 

 思った以上の権力者の名にさすがの熊五郎もビビって顔色(がんしょく)を失った。

 

「ああ、行儀見習いに差し出す先があの今や隆盛を極める田貫様と聞いたら、もはや断る訳にも――と、お父っさんもおっ母さんも心痛のあまり寝込んでしまった」

 

 だが、

 

「しかし、伯父上の(たくら)みはあっさりご破算になった。なにしろ先方の田貫様のほうで断っておいでになったんだ」

 

 草之介は苦笑する。

 

「――へ?小町娘と評判のお花坊の妾奉公を断ってきた?」

 

 熊五郎は信じられぬと目を瞬いた。

 

「ああ、一昨日(おとつい)、わしが御中元の挨拶に伯父上の下谷の屋敷へ出向いた折りに、なんと田貫様と鉢合わせて――」

 

 草之介は一昨日の伯父の屋敷での一部始終を語った。

 

 


 その日、草之介は御中元の挨拶ついでにお花の行儀見習いの件をきっぱりと断るつもりであった。

 

 そこへ、いきなり老中の田貫兼次(たぬき かねつぐ)がドタドタと上がり込んできた。

 

 下級武士の出ながら異例の出世で老中まで登りつめた田貫は伯父の白見とは旧知の仲であったのだ。

 

「おい、根太郎っ。このわしがいつ妾など望んだっ。小町だかハマチだか知らぬがお花などという菓子屋の十五の鼻たれ娘にこのわしがウヘヘと食指を動かすとでも思うたかっ。ええ、このわしが小娘を(もてあそ)んで(よろこ)ぶような色欲とでも思うたかっ。なんたる無礼千万っ。ええい、この田貫兼次を愚弄(ぐろう)するかっ」

 

 恐ろしい剣幕で白見を怒鳴り付ける。

 

「めっ、めめ、滅相もないっ。ぐ、愚弄するなどと、け、決してそのようなつもりは――っ、ははあ、お許しをぉぉ」

 

 白見は震え上がって田貫の足元にベタッと蛙のように這いつくばり、畳に額を擦り付けて涙ながらに詫びた。

 

 すると、

 

「ふん、美しい娘など一両の値打ちもないわ。娘盛りなど一瞬で過ぎ去れば寝汚(いぎた)ないメス猿にも等しい。わしが望むものといえば、永久に輝きの失せぬ山吹色の()い奴と決まっておろう。しかと心得よ。しみったれめがっ」

 

 田貫はそう言い捨て、白見を足蹴にして屋敷を出ていった。

 

 


「へええ、美しい娘よりも金かい。さすがに賄賂(わいろ)で名高い田貫様だ。金の亡者と呼ばれるだけのこたぁある。あっしゃ、ちっと見直したな」

 

 熊五郎はいたく感心した口振り。

 

「とにもかくにも、お花坊の妾奉公の話を田貫様から断って下さったのは有り難ぇこった。そんなら草さんがいつまでも絶望の淵におるこたぁあるめぇよ」

 

 熊五郎はさっきの怒りはどこへやら、もう機嫌が良い。

 

「そうは言うても、伯父上がまるで逆恨みのようにネチネチと嫌みを言うて、『田貫様のご機嫌を損じたからには桔梗屋もタダでは済まないと思え』などと脅すのさ。貧乏御家人の伯父上は日頃から桔梗屋の繁盛ぶりを妬んどるから、どんな嫌がらせを仕掛けてくるか知れやしない。わしゃ、一昨日から疑心暗鬼にとらわれて寝床の中で鬱々としとったという訳さ」

 

 草之介は気鬱げに吐息した。

 

 我ながら小心者と呆れるがこのまま何事もなく済むとは思えない。

 

 虫が知らせるとはこういうことか。

 

 草之介は何故だかゾワゾワと嫌な予感がしてならなかった。

 

「そいつぁ伯父上の悔し紛れの空威張(からいば)りだろ?田貫様を怒らせたなぁ桔梗屋じゃあるめぇし、とんだとばっちりだぁな。ま、そんな取り越し苦労はよして、こん次の舟遊びでよ、パァッと気晴らしして、くさくさするこたぁ忘れるこったよ」

 

 熊五郎はポンポンと草之介の肩を叩く。

 

「取り越し苦労か。まあ、そうだな」

 

 考えてみれば貧乏御家人で内職の園芸では妻と五人の子を養いきれず桔梗屋にしょっちゅう金を無心してきた伯父などに何が出来よう筈もないのだ。

 

「さっきゃ、蜂蜜の奴も草さんのことをやけに気に掛けてたぜぇ。このっ」

 

 熊五郎が肘鉄砲(ひじてっぽう)で突いて草之介をひやかす。

 

「へえぇ、蜂蜜が?で、熊さん、お前、芸妓(げいしゃ)は誰を呼ぶか決めたかい?」

 

 草之介はようやく気を取り直し、熊五郎と舟遊びの相談を始めた。

 

 日本橋の大店(おおだな)の道楽息子だけに二人は舟遊びにも手抜かりはない。

 

 船宿、料理、芸妓、いつもその時々で一番のものを選ぶ。

 

 草之介はすっかり絶望の淵から浮上したようであった。

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