あの時の願い
「さっきぶりですね。アキさん」
「陽和、ちゃん……?」
私は、傘をこちらに差し出しながら微笑む少女に対して、目を見開いて到底信じられないと言わんばかりの表情で見上げていた。
だが、陽和ちゃんはそれには構わず私に傘を優しく手渡そうとしてくる。
さっきのこともあるので警戒してしまうのだが、よくよく考えると陽和ちゃんはそんな人ではないので、ここはご厚意に甘えさせてもらおうと思い、傘を手に取った。
それを見た陽和ちゃんはうんうんと満足げに頷くと、さっきの厳戒さはどこへやら、私の隣に無遠慮に座って来る。
「というかこの傘……」
「あ、気付きました?去年に涼くんに貸してもらってそれっきりです」
「フユくんに、怒られる、よ」
「あ、やっぱりですか?」
そう言ってクスリと笑う陽和ちゃん。
この子は彼に怒られることは怖くないのだろうか。
「……陽和、ちゃんにしては、珍しい、ね」
「はい?」
私が言っている言葉の意味は陽和ちゃんは分からなかった様だ。
普段はとっても頭がいいのに、こういうところは本当にフユくんに似てる。
まあ、そういうところにフユくんは惹かれていったんだろうけど。
ちなみに今の言葉は嫌味である。だからぶっちゃけ気付かれなくてよかったと心の中でホッとしている。
と、そんなことは置いといて、私は陽和ちゃんがここにいる理由を考えた。
無論、その答えはすぐに出てきたが。
「……フユくんに、怒られたんで、しょ」
「……」
陽和ちゃんは何も言わなかった。
やはりと言わんばかりに私はため息をつく。
それと同時に、正直嬉しくもある。
だって好きな人が私のために怒ってくれたのだから。
ただ、やはりなんで彼自身が来てくれなかったのかという疑問が浮かび上がってしまうが、それについて考えるとキリがなくなってしまうので考えないようにした。
「陽和ちゃん、私、は、怒られて、謝って、くるような……」
「……います」
「……え?」
あまりに小さな声だったので思わず聞き返すと、陽和ちゃんはバッとこちらを向いた。
「違いますよ」
「……!」
今度はしっかり聞こえた言葉に、私は驚いて声も出なかった。
陽和ちゃんはそれには構わずに続ける。
「私は涼くんに怒られたんじゃありません。悟らされたんです」
「悟らされた……?」
私のリピートに陽和ちゃんは「はい」と小さく頷く。
「彼はこう言ってました。“ 人の心は一文字だろうと二文字だろうと、簡単に壊れる。それを自分たちは糸を紡いでくみたいに繊細に、相手を包み込む必要がある“と」
「……!」
その言葉には聞き覚えがあった。
フユくんが両親を亡くして自暴自棄になっていた頃、私が彼に言った言葉である。
3年前のほんの数十秒程度の言葉のため忘れていたと思っていたが、彼はどうやらしっかり覚えていたようだ。
私はその事実を知って、目から熱い何かが込み上げてくる感覚を覚えた。
そのことに陽和ちゃんは気付いていたが、あえてだろうか。そのままこちらを見ずに続けた。
「彼は人の怒り方を恐らく分かってる。だって、いつも最後には“しょうがないな“と笑って許してくれるんですから。普通の人なら気まずい空気をそのままにしてお来ますよ。本当に彼は凄いです」
確かにそれには一理ある。
彼は怒るときは必ず、優しく質問を投げかけてくる。
それはそれで良心が傷付くので質が悪いと私は思っているが。
それはそれとして、彼は医療の申し子。
医療とは体だけではなく精神も大切だ。
だからこそ医者は、人の心を理解しなければならない。
彼はそれが分かってる。だからあんな怒り方ができる。
本当に彼は優しいのだ。
「……アキさん」
「ん……?」
「先程はすみませんでした」
「……」
突如投げられた謝罪に私は思わず固まった。
だってほんとに突如だったんだもん。
ただ、彼女はそんなことには気付いていないようで、淡々と語り続ける。
「私は彼の言葉でやっと気付きました。私は心が理解できていないんだなと。だから人のことを傷つけてしまっても気づくことができないし、傷つけることに躊躇いがないんです。だから友達の一人も出来ない。……言ってて悲しくなってきました……」
そう言って複雑そうな表情をする陽和ちゃん。
悩みなんだなぁ……。
陽和ちゃんはちょっと釈然としない表情で続ける。
「けど、貴方は涼くんにあんな優しいお願いをした」
「……聞いたんだ」
「はい。とっても嬉しかったですよ」
「ん」
淡々と返事をするものの、やはり気恥ずかしい。
出来ればフユくんでけに知ってて欲しかった願いなのだから、余計に。
「……これ、緋色ちゃんには……」
「言ってません。言うつもりもありませんよ」
「そっか……」
「私としては、結構良いお願いだと思うんですけど……」
「客観的に見れば、だけど、ね」
私がそう言うと、陽和ちゃんは一瞬だけキョトンとした後に、花のような笑顔を見せた。
やっぱりこの人も質が悪いなあ。
私はそう思い、身体を伸ばす。
寒い。けど、さっきみたいな孤独感や優越感はない。
私は勢いよく立って、そのまま後ろを向くとーー。
「帰ろ、陽和ちゃん」
そう言って、満面の笑みを見せた。
あの時の私の願い。それはーー。
「私たち四人が、どうかずっと一緒に、幸せに暮らせますように」




