世界一可愛い美少女
6月下旬、暖かく、それでいて肌寒い時期。要するに梅雨の季節。
外はザァァァという雨の音で包まれていた。
そんな中、俺は何の気もなしに傘を手にして帰ろうとしていた。
ちなみに周りに人がいないのは、日直のおかげで俺の帰る時間帯が大分遅れたせいである。
こんな寂れた空間に対して俺はため息を一つついた……その時だった。
「……あ、あの……冬島涼さんですよね……?」
突如として背中から呼ばれた俺の名前に、俺は無意識に振り返った。
「確か君は……」
振り返った視界には一人の少女が佇んでいた。
よく手入れの行き届いた栗色の髪、よく透き通った大きくて可愛らしい瞳、目を引き寄せられてしまう桃色の唇。一言でいうのであれば、とても端正な顔立ちをした少女だった。
「ああ……、なんか用か。櫻井陽和さん」
「あ、私の名前知ってたんですね。別のクラスなのに」
「そりゃまあ、毎度学力1位の奴の名前ぐらいは覚える」
「それを言うあなたは毎回2位を記録してますよね」
それに,こいつの場合……。
「……世界一可愛い美少女……。」
「っ!……その呼び名はやめてください……」
こいつ、即ち陽和は「世界一可愛い美少女」なんていう痛々しい通り名で呼ばれてしまっている。
……まぁ、本人非公認らしいが……。この反応が何よりの証拠だ。見てみろ。めっちゃ顔赤いぞ。
「悪い悪い。それで、俺に何の用?」
ちょっと期待を込めて聞いてみる。
……いや、断じて愛の告白を期待しているわけではない。そう、決してそんな……。
「あ、そうでした。これ、廊下に落ちてたんですけど、冬島さんの名前が書いてあったので」
そう言って陽和が差し出したのは一枚のハンカチだった。
「あ、ああ、俺のだ。ありがとう」
「いえいえ。」
そう言われながらハンカチを渡された現状に、先ほどの不埒な期待に大変反省をした。
……はい、すいません。告られるという期待をしてしまいました。誠に反省しております。
俺が心の中でいたく反省していると、陽和はクスリと小さく笑った。
その様子がなんとも可愛らしく、思わずその笑みを凝視してしまう。
「……あの、そんなに見つめられると困るのですが……」
「……あっと、ごめん。見惚れてた」
「みほっ……!」
陽和は急に林檎のような赤さを頬に宿した。
「もうっ!女の子にそうゆうのはあまり言わないで下さい!」
「え、ええ……?」
率直に言っただけなのだが、なんと理不尽な話なのだろう。
「……それで、用はもう無いな?」
「え、ええ、まあ……。」
「そうか」
用が済んだのなら速攻で帰らせてもらおう。
そう思って、校舎の昇降口から出ようとしたその時だった。
「……あれ?もしかして雨降ってます?」
「ああ、降ってるぞ。天気予報見てねぇのか」
朝は一ミリたりとも降っていなかったが、天気予報では午後から雨が降ってくると予報されていた。
だが、陽和は雨が降っていると聞くなり、急に困った表情となった。
「……どうしましょう。こうなれば走って帰るしか……。」
後ろからボソボソと陽和の声が聞こえてくる。
当の本人は小声で喋っていると感じているかもしれないが、全く小声じゃない。なんなら、昇降口辺りによく響いてしまっている。
なんともドジっ子なところを見てしまって、後悔の念を込めてため息をついてしまう。
反応を見るに、傘を忘れてしまったのだろう。
俺はそんな様子が見るに耐えなくなり後ろを振り返り、そして同時に手に持っている傘を陽和に差し出した。
「……え?」
「ほれ、やるよ。傘ないんだろ?」
陽和はとても驚いた表情で首を横に振った。
「もらえません。もらえばあなたが濡れてしまいます」
「別に構わん。濡れても速攻で体を温めりゃいい」
「それに体は丈夫な方だ」と胸を叩く。
「……分かりました。」
大変渋々ながらも陽和は差し出された傘を手に取った。……嫌か。そんなに男の傘をもらうの嫌か。
そう思いながら陽和の顔を覗き込むと、陽和の目もこちらに真っすぐ向けられた。
「いつかちゃんと返します」
向けられた瞳はやはり澄んでおり、その上、優しいんだなと分かる。
「……?」
再び陽和に見惚れていると、陽和が小さく小首をかしげた。
「……お返しなんていらねえよ。」
「……意外と素直じゃないんですね。」
「うっせ」
「フフッ。すみません」
1
「それじゃ、冬島さん。傘、お借りしますね」
「おう」
陽和は傘をひらいて、昇降口を出て行った。それと同時にこっちに小さく手を振っている。
俺はその小さな背中を見送った後、途方に暮れていた。その理由は……。
「……可愛かったなぁ」
無論、陽和のことを想像していたからである。
いや、ホント……可愛かった……。
「世界一可愛い美少女」という通り名も頷ける。それくらいの美少女だった。
だが、いつまでもここに居座るのもよろしくない。
「……さて、帰るか」
俺は、家へ帰るべく雨が降っている外へと歩みだした。
「濡れるけどな!」
さあ、全力ダッシュで帰るぞおおおおおおおお!