反戦の空しさ
反戦の小説を、一昨年の夏から書き始めた――
人類史に於いて、平和の歴史は思ったよりも短い。
戦争の対義語が平和だとすれば、平和という言葉があるからには、戦争.紛争が実在するという事。
日本も、僅か100年間を見れば、例外ではない…
それを、平時にこそ忘れてはならない――
そんな想いを胸にして。
国家間の戦争が始まった――
民族紛争の類は多々あれど、日本という、少なくとも戦争の対義としての平和を、現時点に於いて享受できている国に住んでいると、どうしても遠い…なんなら異世界の出来事でもあるかのように思ってきた。
(その平和も、19世紀後半からの戦時を経た、犠牲の上に存在する事を忘れてはならないが)
日本の報道は時間を割かないし、どうしても戦争を直視する機会が少なかった。
しかし、今は違う。
ウクライナの住人がツイッターで映像を発信し、在留邦人が恐怖を日本語で発している――
過去だと思っていた戦争を、リアルタイムを、関心を持つことで入手する事ができる――
狂った破壊者の声明は、敢えて差別用語だと理解した上で、キ〇ガイそのものだ。
「ウクライナ軍は抗戦するな。抗戦すれば死者が出る。その責任はウクライナ政府にある」
「我々は核を持っている。ロシア国内には手を出すな。報復するぞ」
「ロシア市民には、支持する事を期待する」
→ その上で、ロシア国内で戦争反対の声を上げた人々を拘束した。強制やん…
特にヒドイものを抜粋 & 要約したものだが、キチ〇イに対して何が出来るのか…
伝えたい事。心を揺らすもの。思い描くもの。
そんなものを、書き手は心に宿して文字を起こす…
しかし、それは平和という時間の上に与えられた、幸運である事を思い知らされた――
戦争を忌諱する作品を書いている最中に、本当に戦争が起こるとは思ってもみなかった…
(中国による台湾進攻はあるかと思ってました。今回のロシアを手本に、やりそうですが…)
無力さを痛感した。
武器を手にする意思もない。
遠くで平和を享受する一市民に、いったい何ができるのか?
そんな想いを浮かべた上で、拙作の中に出てくる一文を原文のまま、載せてみます。
(第72話に掲載予定です 前後はご想像ください)
―――
そんな意識を変化させる。それも、巨大な国家の。
一介の将にそれが為せるとは到底思えなかったが、兎も角心が動いたことだけは確かである。
動いた心を、隣の心に伝播させる…
それは、それほどに難しいことでは無いだろう…
それが広がれば、或いは…
そんな妄想を指針として、彼は動くのだった――
―――
立場が違えど、平和を望むこと。
その心を、想いを、表明する事。
子供に、親に、友人に、恋人に、他国の人に…
今の平和を失くしてはならないと、恥ずかしがらず、伝える事。
そうする事で、未来の争いは消えるかもしれません。
戦争と平和 これに対義語があるとすれば 無関心 でしょうか。
恐らくこれを読んでいる多くの世代は、自分も含め、一時の平和が戻り、戦争を知らない世代です。
言論の自由のある側に生まれた事に感謝して、
戦争が起こった時くらい、平和について考えてみるのはいかがでしょうか…
タンクマンと兵士は、あの時通じ合ったと思うんですよね…
それが伝播することは無かったですが…