07 森林の怪鳥
フランとのひと悶着があった後、俺は完全に彼女を意識してしまっていた。
フランは女の子で、それでいてかなりの美少女だ。
そんなフランのあられもない姿を見た後で、平然と接しろという方が無茶な話だろう。
情けないことに俺は、彼女はおろか女の子とろくに遊んだことがない。
せいぜい、バイトで業務内容を話すぐらいだった。
だから、焚き火を囲って終始無言で魚を食べているこの状況、かなり気まずい。
一体何を話していいのか分からないのだ。
というか、今の今までフランとどういう話をしていたかさえも忘れてしまっていた。
これも全て、フランが俺の純心をかき乱したせいだ。
だから、フランが話を振ってくれるまで待とう。
それから、一時間近くたった今でも、俺とフランの間に一切の会話はなかった。
本格的に居心地が悪くなってくる。
フランの裸を見た後に、この静かな空気は女性経験の少ない俺にはハード過ぎた。
ここは、先に寝て現実から逃避した方がよさそうだ。
そして、俺はもたれ掛かっていた石に深く腰掛けようと体勢をずらしたその時——————
「もう寝るの?」
無言の空気を先に破ったのはフランの方だった。
「あぁ、もう寝て明日に備えようかと……」
真面にフランと顔を合わせられず、川の方に視線を向ける。
もうすぐ社会人となるはずだった大人が、羞恥で顔を合わせられないなんて情けない……。
「そう、私も寝るわ」
「で、でも、一人は起きてないと森の中だし危ないんじゃないか?」
陽が照っていた時間は、ここから離れたところでサーベルタイガーと遭遇した。
この場所も、いつ敵に襲われてもおかしくないだろう。
「……私、眠いわ」
「そ、そうか……! なら先に寝ていいぞ」
今までの俺なら「いや、先に俺が寝るって言ったでしょ!?」とツッコミを入れるところなのだが、そんな心の余裕はなかった。
「勝ち組」の奴らは、こんな経験を積んで勝ち組になったのだろうか?
だとすれば、俺は一生勝ち組にはなれない気がする。
ともあれ、フランが先に寝てくれるというのだから、これ以上余計な気を遣わずに済みそうだ。
ホッと安堵の息を漏らした直後、俺の太ももに何か軽いものが触れた気がした。
いや今の尚、俺の太ももを鎮座している。
感覚を研ぎ澄ませないと分からないぐらい、太ももに乗っかる物体は質量が少ない。
一体、何が俺の太ももを占領しているのだろうか?
ゆっくりと視線の先を自身の太ももに向けたところで、ついに俺は言葉を失った。
何も思い浮かばないし、何も考えられない。
太ももを占拠しているのが向かい合って座っていたはずのフランだということ以外は——————
「すぅ……すぅ……」
凄く可愛らしい寝息を立てながら、フランは俺の太ももで寝ている。
サラサラの銀髪が焚き火に照らされ、見惚れてしまいそうになるほど美しかった。
長いまつ毛、朱色に染まる頬、色素の薄い桃色の唇に、思わずドキドキしてしまう。
ちょっとだけ、触れてもいいだろうか……?
そんな邪な事を何度考えたことか。
だけど、男女の交際をしていないのにそんなことはしてはいけないという頑丈の理性がしっかりと働いてくれたおかげで、何とか俺の中にある男を封じ込めることができた。
俺は深呼吸を一度した後、太ももで寝ているフランに問いかける。
「あ、あの……。こういうのは良くないと思うんだけど……」
「……」
「ほら、俺たちは友達なんだし、こういうのは避けた方が良いかと……」
言い訳を探すようにしながらも必死に訴えようとするが、フランからの反応は一切ない。
フランが目覚めるまで、ずっと膝枕をしていろというのだろうか?
そんな長時間、俺に耐えられるわけがなかった。
だけど、フランには触れ難い。
じゃあ、そのまま立ってしまえばいいのではないか?
いや、そしたらフランは川辺の小石に頭を強く打ち付けることになる。
それは、流石に可哀そうだ……って、だったら俺はフランが起きるまでこのまま膝枕をしていなければならないのか……?
先の見えない未来に軽く絶望しかけていると、今にも消えてしまいそうなか細い声が太もも当たりから聞こえてきた。
「バラン……いわ……ぬい……」
ポツリポツリと何かを言っているようだが、全く聞き取れない。
「どうしたんだ?」
そして今度は、耳を凝らしてフランの言葉を一言一句聞き取ろうとする。
「バラン、固いわ。力を抜いて……」
「そりゃ、フランが寝てたら力も入るだろうよ!」
こんなシチュエーションに今まであった事ないのに、緊張するなと言う方が無茶な話だ。
意識すればするほど、太ももの筋肉が硬直していく。
「また、固くなった。力を抜いてって言ったのに……」
「誰のせいだ、誰の! だったら自分で腕枕して寝ればいいだろ!」
「いやよ、そしたら私の腕が痛いじゃない……。それに、私は腕より太ももの方が好きなの……」
「うん、正直どっちでもいいね!」
気が付けば、フランとの間にあった変な空気は消えていた。
だけど、改善すべき状況はまだ残されたままだ。
さて、膝の上のフランをどうしてやろうか……。
そんなに柔らかいものを求めているのであれば、そこら辺の草を集めてクッション代わりにすればいいんじゃないだろうか?
いや、汚いとか言われて却下されるオチが目に見えている。
フランは、外でも構わず全裸になって自分の身体を洗ってしまうほどの潔癖症を発揮する変人だ。
そんなフランに、草のクッションで寝てくれなどというお願いはあまりにも無謀すぎるだろう。
「んー、何かいい方法はないものか……」
「バラン? 何に悩んでるの……?」
フランはそう尋ねてくるが、瞼を閉じたままだ。
というか、それよりも大事なことがある。
「フラン……本気でそれを俺に聞いてるのか?」
「そうよ、バランが悩んでそうだったから……」
「いや、何かいい方法ないかなって口にしてるぐらいなんだから、悩んでるのは明白でしょ!」
「それで、何に悩んでいるの?」
「だから、それを本気で俺に聞いてるのかって言ってんだよ!」
多分、脳の半分以上はすでにスリープ状態に入っている。
これ以上、俺が何を言ったところで何も届かないだろう。
諦めて、俺はこのままフランの膝枕と化してしまおうとした、まさにその時だった。
突然、風もないのに森がガヤガヤと騒ぎ出したのである。
明らかに、今の状況は異常だ。
俺は騒ぎ立てる森の中に警戒を促す。
だけど、座っていては視界の範囲も限定されてしまう。
俺は膝の上で寝ていたフランをお構いなしに振り落としてから周囲の様子を窺う。
なんだか、足元で可愛らしい苦痛の声が聞こえた気がしたが、今は構っていられない。
途端、焚き火が左右に激しく揺らめきだす。
まるで、風を操る何かが近づいているような——————
「一体、どこにいるんだ……?」
森の中は真っ暗だから、何が近づいてきているのかさえ分からない。
逆に火を焚いているこちらの姿は向こうから丸見え状態だ。
火を消そうにも、今消してしまったら、向こうはもちろんのことフランの姿も見えづらくなってしまう。
異常事態が起こっているというのに、フランは地べたで痛みに耐えながら寝ている。
フランが起きないのは、きっと俺がフランを守ると宣言したからだ。
少しは自分を守るぐらいの防衛本能を働かせてもいい気がするが、今はそんなことを言ってる場合じゃないだろう。
フランが全く動かない以上、俺が一人でどうにかするしかない。
そして、恐れていた焚き火が完全に消え去ったところで、諸悪の根源がようやく姿を現す。
月光に照らされて、闇色の羽毛から不思議な光彩が放たれており、頭からは三叉の冠羽のようなものが背中にかけて伸びている。
それでいて、体長四メートルをも超える大きな巨体を二本の細い足が支えていた。
その姿はまるで——————「孔雀」を彷彿とさせる。
「ピェェェェェェェェェ!!!」
耳を塞ぎたくなるような甲高い声が森林内に蹂躙する。
どうやら、今度の俺の相手は大きな孔雀らしい。