03 少女の運命
「俺が、羨ましい……?」
彼女の話の意図が全く読めない。
こんな無力で、喜怒哀楽の激しい俺のどこが羨ましいのか。
むしろ、サーベルタイガーという化け物を簡単に倒しのけた彼女の方がよほど羨ましく思う。
なのに、力を持つ彼女は、力を持たない俺に羨望しているのだ。
その明らかな矛盾が、俺の激情を駆り立たせる。
「本気でそんなこと思ってるのか! 力のある君が、力のない俺を羨ましがる理由なんてどこにもないだろ!」
分かっている、これが単なる八つ当たりだということは誰から指摘されるまでもなく自分がよく分かってる。
だけど、力ある者が力なき者に羨望の念を抱くことがどうしても許せなかった。
彼女の発言が、自分の無力さを間接的に馬鹿していると思ったから。
喜怒哀楽にしたってそうだ、欲しいのなら無理やりにでもくれてやりたい。
俺の中から喜怒哀楽がいなくなれば、前世に未練を感じることもできなくなるんだから——————
「本当に、羨ましいわ……」
俺の八つ当たりを受けても尚、彼女はそんなことを口にしている。
「君には分からないだろ! 無力な自分がどれだけ惨めでどれだけ醜いか。そんな自分に嫌気が差す、自分が嫌いになる、大嫌いになる。俺の気持ちもしないで羨ましいなんて軽々しく口にするなよ!」
「じゃあ、あなたには私の気持ちが分かるの?」
冷たさを孕んだ予想外の返答に、思わず言葉が詰まった。
彼女の透き通る声が、駆り立つ激情を強引に抑えつけてくる。
だからこそ、俺は冷静さを取り戻すことができた。
「……悪い、取り乱した」
「別にいいわ、私もあなたの気持ちが分からないもの。だからこそ、羨ましい」
「どうしてそこまで俺を羨ましがるんだ? 君には力があるのに、力のない俺を羨ましがる理由なんてどこにもない気がするんだけど……」
声のトーンを抑えながら素朴な疑問を彼女にぶつける。
すると彼女は表情を変えることなく、淡々と語り出した。
「理由、あるわ。だって私、一人ぼっちだもの。この力のせいで私、ずっと一人ぼっちだもの」
彼女の言葉が、俺の心を大きく揺さぶる。
なぜか、灰色の青春時代を送った自分と彼女の姿が見事に重なった。
俺は彼女の言うような一人ぼっちだったわけじゃない。
バイト先の仲間もいたし、両親、それに兄弟だっていた。
なのに、どうして今この瞬間にも彼女に親近感が湧いてしまうのだろうか?
しかし、答えはすぐそこにあった。
「私、ずっと一人ぼっちだもの……」
彼女の寂しそうな表情を見て、頭から雷でも食らったかのような衝撃が全身に走る。
そこでようやく気が付いた。
彼女に親近感が湧いてしまうのは、一人ぼっちだったからじゃない。
単純に、世の中をつまらないと感じているからだ。
大学生活四年間を、アルバイトと講義に費やしてきた灰色の青春を送ってきたつまらない自分と彼女を無意識に重ねてしまっていたのである。
だけど、同時に俺の心の中では素朴な疑問が引っ掛かっていた。
「この力のせいで一人ぼっち」と彼女は言っていたが、力ある者は自然と人を寄せ付けるのが道理のはずだ。
俺のもといた世界だって、力ある者は「勝ち組」と称され、力なき者は「負け組」と嘲笑される。
そう考えると必然的に彼女の周りに人が集まるはずなのだが、この世界の価値観は違うのだろうか?
疑問を質すべく、俺は彼女に質問を投げかけた。
「どうして、力を持つ君が一人ぼっちになるのかを聞かせてもらってもいいかな?」
「力があるから、一人ぼっちになるのよ」
「まあ、それは聞いたから分かるんだけど……。俺はその詳しい理由を聞きたいんだ」
すると、彼女は純真な瞳で俺に告げてくる。
「言ったらあなたは、私の友達になってくれるの?」
途端、心臓の鼓動がやけに速くなる。
女子の免疫機能があまりない俺に、その純真無垢な瞳は反則だった。
しかし、真面目に聞いてる彼女に対して、いつまでもはぐらかすような真似はできない。
そっぽを向いて照れながらも、俺は無理やりにでも言葉を引き出した。
「ま、まぁ、お、俺でよければ、その、友達、になっても……」
「分かったわ、約束よ?」
「わ、分かったから! 詳しい理由を聞かせてもらえるかな!」
そして、彼女はクルっと俺に背を向けてから理由を語り出した。
「私、「アナザー個体」なの。世界の理を覆すほどの力を秘めているわ」
「アナザー個体」——————初めて聞く単語だったが、彼女は簡潔に説明してくれる。
聞く限りでも、喉から手が出るほど羨ましがられる力のはずなのに、彼女の背中がなぜか小さく見えた。
「その力が強大だから、みんな「アナザー個体」から距離を置くの。何をされるか分からない、逆らわない方が良い、どんな話をしたらいいか分からない。みんなの心の中は分からないけど、表情からみて多分そんな感じだと思うわ」
「そんなの、あんまりじゃないか……」
その言葉が、無意識に口から零れた。
だってそうだろ? 恵まれた力を持っているのに、その力のせいで人を遠ざけているなんて、いくら何でも彼女が可哀そうだ。
でも、距離を置こうとする人たちの気持ちも分からなくもない。
あの殺気に満ちたサーベルタイガーを瞬殺して見せた彼女の力が、自分に向けられたらと考えるだけでも背筋がゾッとする。
しかし、話さなければ分からないことだってあるはずだ。
俺が彼女のことを怖がらずにいられるのは、正体を知らずに話していたおかげなのである。
話すことなく怖いからと一方的に距離を置かれて、彼女が世の中をつまらなく思うのは至極当然の話だった。
「だから、あなたが羨ましい。単純な思考しか持てないはずのあなたが、私の欲しているものを持っているから」
「そ、そうか……」
何だか、もの凄く馬鹿にされた気分だが、真面目な話をしているのでツッコミを入れずに唾液と一緒に飲み込んだ。
「ねぇ、どうして? 精神生命体であるスライムは跳ねたり、転がったり、単純な思考しかできないはずなのに、どうしてあなたは豊かな感性を持っているの?」
彼女は俺の方に振り返ると同時に、首を可愛らしく傾げながら困惑した表情を浮かべる。
だけど、答えは簡単だった。
「それはきっと、俺がスライムじゃないからだよ……」
「嘘よ、あなたはスライムだわ」
「頑なだね! 肉体だってあるし、どう考えてもスライムじゃないでしょ!?」
「でも私、スライムを召喚したわ」
「そうなんだろうけど、俺は正真正銘の人間だ!」
「なら、私は人間を召喚したの?」
「そ、そんなこと俺に聞かれても……」
実際に、彼女がスライムを召喚しようとして俺が出てきたのだからそうとしか言えない。
すると、彼女は歯切れの悪い俺に質問を投げかけてきた。
「あなた、本当に人間?」
「だからそう言ってるでしょ! どうしてそこまで俺の人間性を疑うかな……」
「だって、一人じゃ精神体しか召喚できないもの。それに精神生命体はスライムしかいないわ」
「そ、そうなの?」
となれば、確かに俺をスライムだと疑うのも無理もない話だ。
だけど、俺のことをスライムだと呼ぶ奴は召喚した彼女以外どこにもいないだろう。
でも、俺の身体は人間性で満ち溢れているわけで……。
「確認なんだけど、スライムってぷよぷよした、あのスライムのことだよね?」
「それ以外にいるの?」
「いや、それ以外考えられないから確認を取ったんだけど」
確認のために聞いたのに、そんな初めて知ったみたいな顔されると反応に困る。
「それなら、俺はスライムじゃないと断言できる」
「断言されると困るわ。召喚された精神体はスライム以外にありえないもの」
「そうすると、俺はスライムでもなければ、人間でもないと……」
「もう、どうでも良い話ね」
「どうでも良いのかよ」
「だって、私には分からないもの」
「正論で叩き潰さないでくれるかな!」
今までの話の下りは何だったのだろうか?
でも、俺の正体がスライムでもなければ人間でもない、未知なる精神生命体だということが分かった。
「未知」という言葉の響きに過去の自分なら多少のロマンを感じていただろうが、今の自分が置かれた状況からすると複雑な気持ちでしかない。
だってスライムと一緒の上、生物じゃないと否定されている気がするから——————
「だって、本当に分からないもの。それに、あなたが何者だろうと友達になれるのなら別に構わないわ」
「友達になるのは別にいいんだけど……、そんな正体も分からない奴と友達になったら、余計に周囲から距離を置かれるんじゃないか?」
「大丈夫よ、だって私——————」
そして、彼女は諦めたような表情を浮かべながら言葉を綴る。
「——————そのうち、殺されるから」
途端に、頭の中が真っ白になった。
肉体を持った精神生命体って、なんかおかしな気がすると思いますが、ちゃんとワケがあるので「そんな精神生命体がいるんだ〜」ぐらいに思ってください。