02 銀髪の美少女
とりあえず、状況を一旦整理しよう。
まず、俺はバイト先へと向かうために自転車を漕いでいた。
そして、運悪く加速してきた車に跳ねられて、病院へと運ばれた……はずだ。
よし、そこまではちゃんと覚えてる。
それで、真っ暗な意識の中で若い女の人が声を掛けてきてくれて、助けを願ったら『助けてあげる』と返事が返ってきた。
んで、気が付けば現在に至るという———————
「……まさか、助けてあげるってそういう感じ?」
最悪の想定に、動揺が走る。
思っていたのと違う現状に戸惑っていると、目の前にいる彼女が不思議そうな表情を浮かべながら問いかけてきた。
「あなた、誰?」
「いや、それは俺が聞きたいんだけど……」
「スライムじゃないの?」
「いや、君には俺がスライムに見えるの?」
スライムと言われれば、ファンタジー小説とかに出てくる下級モンスターを彷彿させる。
てか、冗談でも人のことをスライムとか言うか? 普通……。
「でも、人間じゃないのよね」
「え、もしかして俺、人間だと思われてない?」
「そうよ」
「そ、そうなんだ……」
今までの短い人生経験の中で、人間かどうかを疑われたことなんて一度もなかった。
いや、普通なら誰もそんなところを疑ったりはしないだろう。
「だって、あなた、スライムの代わりに出てきたんだもの」
「はいはい、そうですか……ん? 君、今何て言った?」
あまりにも自然に口にしたものだから、ついサラッと流してしまうところだった。
スライムの代わりに俺が出てきた? 彼女は今、そう言ったのだろうか?
聞き直す俺に、彼女は不思議そうに首を傾げながら唇を開く。
「あなた、スライムでも人間でもなければ何者なの?」
「いや、まさに俺がそれを聞きたいんだけど……。第一、手足も生えてるし誰がどう見ても人間でしょ」
確認のため、身体を調べてみたものの、スライム要素なんてどこにもなかった。
服も布生地のラフな部屋着を着ており、どう見繕ってもスライムとは程遠い。
だけど、彼女の意思は簡単に捻じ曲がるほど柔らかくはなかった。
「スライムに手足が生えてるなんて珍しいわ」
「ちょっと、人間だって言ってるよね! どうして君はそこまで俺をスライムにしたがるのかな!」
「私、間違えたこと言ってないわ」
「間違えたこと言ってるから、反論してるんでしょうが!」
「あなた、変わった生き物ね」
「それは今まさに俺が思ってることだ!」
このまま彼女と話していても一向に埒が明かない。
とりあえず、状況を理解するためにも彼女ではない誰かに聞く必要がある。
しかし、その必要はすぐに無くなった。
「スライムの代わりに、あなたが出てきたわ」
彼女の綺麗な声色が、俺の脳内を猛烈にかき乱す。
「スライムの代わりにあなたが出てきた」という彼女の言葉が、「スライムを召喚したらあなたが出てきた」という意味合い以外で使われているとは考えにくい。
信じたくない事実が導き出された今、想定が現実へと変わってしまったのである。
それはつまり、ここは俺の住んでいた国とは程遠い、辺境の異世界の地で間違いないようで——————
「なんだ、なんだこの気持ちは……」
思っていたのとは違う感情が込み上げてくる。
異世界にくれば、全てがハッピーライフだと思っていた。
異世界転生にしろ、異世界召喚にしろ、夢のような現実に憧れて、異世界に行ければ幸せな気分で満たされると本気で信じていた。
だが、実際はそんなことなかった。
胸中は、両親や兄弟に二度と会うことができない悲しみと怒りが湧き上がってくるだけ。
期待も、夢も、憧れも、向こうの世界に取り残してきたかのように、今の俺の中には不甲斐なさしか残っていない。
「どうしたの?」
異変に気が付いたのか、彼女が俺の元へと歩み寄ってくる。
そして、俺は見たくないものを見てしまった。
透き通る銀色の瞳の奥に映し出される自分の姿。
闇色の髪にサファイアのような澄んだ瞳。
整った顔立ちなんて、昔の俺の欠片もない。
「誰だよ……誰なんだよ! お前は一体誰なんだ!」
突然声を荒げたせいか、彼女がビクッと大きく肩を震わせる。
だが、彼女に気を遣ってあげられるほど、今の俺には余裕が無かった。
込み上げてくる怒りを上手く制御できない。
そんな自分を無性に傷つけたくなる。
傷つけたくないのに、傷つけたくなる。自分でもよく分からない感情だ。
いつまでも駄々を捏ねて現実逃避してる場合じゃないと分かっているのに、それが思うようにできない。
どうすればいいか分からない。この先、一人でどう生きて行けばいいのか……。
「本当に、変わった生き物ね」
彼女が、普通の声量で淡々と呟く。
「俺の何が、そんなに変わってるんだよ……」
「変わってるわ、こんな喜怒哀楽の激しいスライムは見たことないもの」
「だから、俺はスライムなんかじゃないって言ってるだろ……」
「スライムだわ。だって、あなたの思考は極端に傾いてるもの」
「意味が分かんねぇよ……」
彼女の言い分が全く分からない。
怒りに支配されて、考えることを放棄しているせいだろうか。
いや、多分支配されていなかったとしても理解できていないだろう。
だけど、なぜか馬鹿にされていない気がした。
俺を見据える眠たげな銀色の瞳が、何かを伝えようとしてる気がするのだ。
でも、それが何なのか全く分からない。
「私は、あなたが羨ましいわ」
「こんな俺の、どこが羨ましいんだよ……」
「喜怒哀楽が激しいところよ」
「いや、俺が言いたいのは……」
そう言いかけた瞬間、背後から今まで感じたことのない強烈なプレッシャーが襲い掛かってきた。
いや、プレッシャーというのは恐らく錯覚。
彼女の瞳に映る化け物の姿を目にしてしまったから、プレッシャーなどという錯覚を引き起こしているのだ。
体長三メートルをも超えるであろう巨体に、湾曲を描く鋭く尖った二本の牙。
その様はまるで、かの有名な「サーベルタイガー」のようだ。
全身の力が硬直し、逃げることすらもままならない。
俺はこのまま、噛み殺されてしまうのだろうか?
そんな嫌だと頭の中で分かっていても、不安と恐怖が全身を支配してるせいでどうすることもできない。
せめて、目の前の彼女だけでもこの場から逃がさないと、と声を発しようとした次の瞬間——————
「グルァァァァァァ!!!」
今にも襲い掛かってきそうな勢いで、背後の化け物は咆哮する。
もうダメだと、俺は必死に瞼を閉じた。
だが、一向に襲い掛かってくる気配を感じない。
一体どうしたのかと彼女の瞳越しで化け物の様子を窺おうとして、俺は言葉を失った。
純正のクリスタルのような二つの宝石の中に宿る、妖しく光る水色の瞳孔。
そしてその先には、薄氷の檻に閉じ込められている化け物の姿があった。
空を見上げても雲一つない快晴、氷が作り出せるような環境じゃないのは明白だ。
そうすると、状況からみて犯人は一人しか考えられない。
「き、君がやったのか……?」
面と向かって彼女に尋ねてみる。
すると、妖しい双光を消した彼女が、儚げな表情を浮かべながら言葉を綴った。
「私は、あなたが羨ましいわ」