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本懐短編

クソデカ檸檬 (feat.梶井基次郎)

作者: 本懐明石

クソデカ檸檬


feat.梶井基次郎



 えたいの知れない五千二百ほどの不吉な塊がスクラムを組んで、私の心を怒号を上げながら地団駄を踏むように始終圧えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか、吐き気を催す邪悪と言おうか――酒を飲んだあとに全身の穴という穴から三千リットルの下呂を撒き散らすあの宿酔があるように、酒を毎時間毎分毎秒飲んでいると宿酔に限りなく相当した時期が遥か六十三億光年先からやって来る。それが来たのだ。これは和田アキ子との飲みの席を途中退出するぐらいいけなかった。結果した肺尖カタルや神経衰弱疲労困憊大貧民がいけないのではない。また背を無数のはんだごてで縦横無尽に焼くような国家予算に相当する程度の借金などがいけないのではない。いけないのはその全身にびっしりとちぢれ毛を生やした気色の悪い不吉な塊だ。胎教の頃から私を喜ばせたどんな美しい玉音放送も、どんな美しいプレバト黎明期の梅沢富美男の俳句の一節も辛抱がならなくなった。オードリー春日がIKEAの椅子を壊す時の音だけで作った音MADを聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は韓国から北朝鮮を浮浪し続けていた。

 何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強く引きつけられたのを覚えている。風景にしても名前を六十六年にも渡って間違われ続けたアンジャッシュ児島の心のように壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、煮詰めた浮浪者の唾液で洗ったかのような汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったり自粛明けの通勤電車のようにむさくるしい部屋が覗いていたりする超絶怒涛の裏裏裏裏裏オブ裏通りが好きであった。雨や風や引っ越しおばさんが蝕んでやがて土に帰ってしまう、と言ったようなめちゃくそバリバリ趣きのある街で、高さ五十メートルもある土塀が崩れていたり家並が百八十度傾きかかっていたり――ひな壇芸人のように勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵(周りが太陽の方に首を向けている中で一輪だけ道路を挟んで向こう側のラップバトルを見ているなど)があったり工具のカンナが咲いていたりする。

 時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百万里も離れた仙台とか長崎とか平壌とかバルカン半島とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を全身全霊で起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に超極楽安静の極み。がらんとした旅館の一室。塩酸にドロドロになるくらいまで漬け込んだような清浄な蒲団。オリエンタル食堂のダクトのような匂いのいい蚊帳と糊のバシバシ利きすぎて全く腕を曲げられない浴衣。そこで死ぬまでの百三十年ほど何も思わず横になりたい。希わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――模造紙のように巻かれたLSDを一通り舐め終わったかのような錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との三重写しである(?)。そして私はその中に現実の私自身をDSのカセットのように見失うのを楽しんだ。

 私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第四段として、あの安っぽい絵具(ところどころ原材料の虫の触角が混じっている)で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様を持った花火の束、特大山寺の星激滑り、花第三次世界大戦、枯れしわくちゃヨボヨボすすき。それから鼠花火というのは一つずつ輪になっていて詰め放題のニンジンのように箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を肘で突くように唆った。

 それからまた、びいどろという色硝子で鯛や花やマッカーサーを打ち出してあるおはじきが好きになったし、北京玉が好きになった。またそれを花京院のようにレロレロと嘗めてみるのが私にとってなんともいえない享楽春水だったのだ。あのびいどろの味ほど幽かな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを尻穴に入れて見せびらかしては父母に叱られたものだが、その幼時のインドで生産されている虫歯待ったなしの砂糖菓子ぐらいあまい記憶が瀬戸内海のように大きくなって落ち魄れた私に異世界転生してくる故だろうか、まったくあの味には幽かな爽やかななんとなく次郎系ラーメンと言ったような味覚が漂って来る。

 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは言えそんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身をムツゴロウのように慰めるためには贅沢ということが必要であった。二銭や三銭や五百円のもの――と言って贅沢なもの。美しいもの――と言って無気力な私の触角にむしろ安店のキャバ嬢のように媚びて来るもの。――そう言ったものが自然私をよしよしゴロゴロと慰めるのだ。

 生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば喜久屋書店であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。洒落た切子細工や典雅なロコローション趣味の浮世絵模様を持った琥珀色や翡翠色のクソデカ香水壜。煙管、妖刀「村雨」、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに三十年も費やすことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一隻買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっては大事な取引先の応接室ぐらい重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみなハチマキを巻いて大太刀を振るい上げた借金取りの亡霊の大軍ように私には見えるのだった。

 ある朝――その頃私は甲の友達から乙!の友達へというふうに友達の下宿を転々丼々転丼々として暮らしていたのだが――友達が戦地へ出てしまったあとの学生起業家の経営哲学のように空虚な空気のなかにぽつねんと一人取り残された。私はまたそこから彷徨い出なければならなかった。何かが私を時速十億八千万キロメートルで追いたてる。そして北朝鮮から韓国へ、先に言ったような裏ジオストク通りを歩いたり、駄目オブ駄目菓子屋の寸前で急に立ち留まったり、乾物屋の激カピカピ蝦や棒鱈や湯婆婆を二度見したり、とうとう私は五百十二条の方へペタバイト町を下がり、そこの果物屋で足を留めた。ここでちょっとその果物屋「エデン」を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさがバーカウンターで女にやたらウインクをする男の魂胆ぐらい最も露骨に感ぜられた。果物はかなり勾配の急な台の遥か上空に漂っていて、その台というのも古びた黒い(R:255 G:255 B:255)漆塗りの鉄板だったように思える。何か叶姉妹のインスタの画像一覧ぐらい華やかな美しい音楽の快速調アッレグロの流れが、見る人をダイヤモンド鉱石に化したというゴルゴンの鬼女板――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに還暦を過ぎた老人の政治思想の如く凝り固まったというふうに果物は並んでいる。ド真っ青物もやはり大奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている。――実際あそこの人参葉の美しさなどは素晴しかった。それから一グラムに対して三十二ガロンのめんつゆに漬けてある豆だとか慈姑だとか。

 またそこの家の美しいのはド深夜だった。ペタ町通はいったいに賑やかな通りで――と言って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾窓の光がナイターの如くおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗い(R:232 G:232 B:232)のだ。もともと片方は暗い二十四条通に接している街角になっているので、暗いのは当然であったが、その隣隣隣隣隣隣家がペタ町通にある大豪邸にもかかわらず暗かったのが瞭然はっきりしない。しかしその家が大学三回生の就活に対する漠然とした不安感のように暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。もう一つはその家の打ち出した山田ひさしなのだが、そのひさしが眼深に冠った帽子のひさしのように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子のひさしをやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、ひさしの上はこれも真暗(R:253 G:253 B:253)なのだ。そう周囲が真暗なため、店頭に点けられた幾つもの電燈が驟雨うううううのように浴びせかける絢々爛々絢爛々は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。全裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきりまいきりきりまい眼の中へぶっ刺し込んでくる往来に立って、また近所にある鎰屋の三千二階の硝子窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものはペタ町の中でも鋼龍の宝玉の入手確率ぐらい極稀だった。

 その日私はいつになくその店で爆買いをした。というのはその店には激珍しいLemon(米津玄師)が出ていたのだ。Lemonなどごくありふれている(逆張りオタク)。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえ体操の七千億八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあのLemonが好きだ。Lemonエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあのじゃんけんのように単純明快な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。――結局私はそれを四十九つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は日が六千暮れるぐらい長い間平壌の広場をぐるぐると歩いていた。始終私の心をスクラムを組んで地団駄を踏むように圧えつけていた気色の悪い不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。シンクの油汚れのように執拗かった憂鬱が、そんなものの四十九顆で紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという魔訶不可思議アドベンチャーワールド(2059年まで臨時休園)なやつだろう。

 そのLemonの冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖を悪くしていていつも身体に5778ケルビン(太陽の表面温度に相当する)の熱が出た。事実友達の誰彼に私の灼熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が一人を除いて誰のよりも熱かった。その熱い故だったのだろう、寿司のように握っている掌から五臓六腑に浸み透ってゆくようなその極寒さは快いものだった。

 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅いでみた。それの産地だという真カリフォルニヤ大帝国が想像に上って来る。漢文で習った「ORANGE RANGE」の中に書いてあった「花びらのように散りゆく中で 夢みたいに君に出逢えたキセキ」という言葉が断きれぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には熱い鉄血のほとばしりが昇って来てなんだかアレを吸ったかのように身内に元気が目”覚”めて来たのだった。……

 実際あんな単純な幻覚や触覚や嗅覚や視覚やが(関西弁)、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は魔訶不思議アドベンチャーワールド(年内に閉園することが確定)に思える――それがあの頃のことなんだから。

 私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持さえ感じながら、美的装束をして街を闊歩した詩人(ツイッターでの松本人志までを含める)のことなど思い浮かべては歩いていた。汚濁に塗れた手拭の上へ嫌がらせのごとく載せてみたり全長三メートルのマントの上へあてがってみたりして色の反映を量ったり、またこんなことを思ったり、

 ――つまりはこの【ハイパーグラビティ】、なんだよな。(暗黒微笑)――

 その重さこそ常づね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心から密室事件で「殺人鬼なんかと一緒にいられるか、俺は部屋に戻る」と自分の部屋に戻ろうとする男の如く馬鹿げたことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。私は地面に血が出るほど激しく頭を打ち付けた。

 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは喜久屋書店の前だった。平常あんなに避けていた喜久屋書店がその時の私にはやすやすやすやす安めぐみと入れるように思えた。

「今日は一つ入ってみてやろう」そして私はずかずかと商品を蹴散らしながら入って行った。

 従業員以外立ち入り禁止の部屋から出てくると、しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん全速力で裸足のまま逃げていった。香水の壜にも煙管にも私の心はのしかかってはゆかなかった。吐き気を催す邪悪が立て罩こめて来る、私は歩き廻った疲労困憊神経衰弱大貧民(六千二百九十五敗目)がのれんを上げて気さくに出て来たのだと思った。私は画本の棚の目の前へ行ってみた。画集の重たいのを取り出すのさえマジでヤバいほど力が要るな! と思った。しかし私は五冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、克明にはぐってゆく気持はさらに湧いて来ない。しかもフリーホラーゲームの町はずれた洋館ぐらい呪われたことにはまた次の一冊を引き出して来る。それも同じことだ。それでいて一度バラバラ殺人とやってみなくては気が済まないのだ。それ以上は堪なくなって地獄のそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾星霜もそれを繰り返した。とうとうおしまいには日頃から大好きだったアングルの橙色の重い本までなおいっそうの堪たえがたさのために地面に叩きつけてしまった。――なんという呪われたことだ。全身の筋肉に疲労が残っている。全身の骨も疲労骨折しており、私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を四度見していた。

 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。一枚一枚に眼を晒し終わった後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、私は以前には好んで味わっていたものであった。……

「あ、そうだそうだそうだそうだ」その時私は袂の中のLemonを憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度このLemonで試してみたら。「そうだ」

 私にまた先ほどのチャラいバイト君の挨拶ぐらい軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、また慌ただしく潰し、また慌しく築きあげ、また慌ただしく潰して嫌になってしまった。新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりもした。奇怪な幻想的な東京都庁が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。

 やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る腫れ物に触るようにLemonを据えつけた。そしてそれは気分上々↑↑な出来だった。

 見わたすと、そのLemonの色彩は「ハチ」名義の頃の彼の曲のようにガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へセルの如く吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい喜久屋書店の中の空気が、そのLemonの周囲だけ変にガタガタと青ざめて緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。

 不意に第六のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょぎょぎょっとさせた。

 ――それをそのままにしておいて私は、なに喰くわぬ顔をして、人を喰ったような顔で、外へ出るのだ。(暗黒美少女)――

 私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすたすたすたピスタチオとウッキウキでスキップをしながら出て行った。

 変にくすぐったい気持が街の上の私を爆笑させた。喜久屋書店の棚へ虹色に輝く恐ろしい核爆弾を一兆九十億発仕掛けて来た奇怪な悪漢がこの私で、もう十分後にはあの喜久屋書店が美術の棚を中心として宇宙全土を巻き込む大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう(笑)。

 私はこの想像をエロ漫画を森に探しに出かける少年の如く熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな喜久屋書店も微粒子レベルで粉みじんだろう」

 そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を台無しに彩っている京極をソニックブームで平らにならしながら亜音速で下って行った。

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