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Moratorium  作者: ちか
3/6

三話




 薄衣が掠めていくように、額を撫でられたような感触を覚えて桐枝は目を開く。

 夜遅くまでまんじりとしていたけれど、結局はいつの間にか眠って朝がやってきたようだ。

 額から消えた感触を追うように手で押さえるもそこには既になにもなく、視線だけで見渡しても誰もいない。

 昨日、千寿が部屋へ泊まっていったことを忘れるほど桐枝の記憶力はお粗末なものでも劣化してもいないが、しかしあの千寿が眠っている自分の額を撫でていっただけで済ませたことは意外だ。落描きでもされたならすぐに起きるのでそれもないだろう。

 千寿がなにもしておらず桐枝の気のせいということももちろんありえるのだけれど、彼ははっきりとした答えを出そうとは思わない。

 ベッドから起き上がった桐枝は鼻先に漂う朝食の良い匂いに、千寿が本気で朝食を作ったのだと理解してなんともいえない顔になる。

 肩書き持ちの生徒の部屋は一般生徒よりも設備に恵まれており、共同キッチンを用いずとも簡単な料理ならば作れるようになっていた。

 美味しそうな匂いがしている以上、よほどでなければ産業廃棄物などは作っていないだろうけれど、いつ見ても尽くされる側の千寿だ。ひとに振る舞えるだけの腕があるのか疑問である。

 桐枝は食べられればいいほうであるものの、朝から嫌がらせ染みたものを食べさせられればいち日がぱっとしなくなる。

 千寿が既にキッチンで動いている以上、うだうだと考えていても仕方がない。

 膝を叩いて勢いつけた桐枝はベッドから離れて、まずは顔を洗いにこれまた肩書き持ち特権である洗面所へ向かう。

 洗面所へ向かうには台所のそばを通る必要があるのだが、案の定というべきか、流しの前には千寿がいて濡れた手を拭いていた。


「……おはよう」

「おはよう、桐枝。いい夢は見れたかしら?」

「覚えてねえよ」

「あら、いい夢だったら間違いなくアタシが出てきていたのに、惜しいことをしたわね」

「朝からお前の自信は満タンか」


 いっそ羨ましいと思いつつ、桐枝は洗面所へ向かう。

 洗面台に設置された鏡に映る桐枝の顔、額にはやはり痣もなければ落描きもない。

 意識のない桐枝にしたことであれば、千寿はきっとなにも答えなどよこさないのだろう。そも、千寿自身「何故」の答えをまだ持っていないのかもしれない。

 若干冷たい水の世話になった桐枝が戻ると、千寿が既にテーブルの準備まで済ませるところであった。

 イエス・ノー枕なんぞというふざけた代物と一緒に持ち込んでいたのか、桐枝の知らぬテーブルマットまでもが敷かれており、朝からなんとも小洒落た風情である。


「結局、なに作ったんだ?」

「プレートご飯にでもしてあげようかと思ったんだけど、そうするとアタシも食いっぱぐれそうだったのよねー」


 どうやら、桐枝に喧嘩を売るような献立はやめたらしい。正解だ。

 よくよく見れば千寿の外したエプロンもごく普通、簡素な黒い胸当てエプロンである。正直なところ、桐枝は新婚さんいらっしゃいとでも言いたげな用途を思えば不適切極まりない白いレースとフリル過多な代物を身に着けている千寿を覚悟している部分があった。覚悟と同時、引っ叩く用意もばっちりである。

 しかしながら、桐枝の覚悟は杞憂に終わり、千寿の姿にはなんら問題なく、用意された朝食とて普段食堂で千寿が食べているものを思い返せば驚くほどに桐枝へ合わせたとしか思えないものであった。

 茶碗は伏せられたままであるが、茶碗があるので飯が炊かれているのは間違いない。他に並ぶのは鰯の丸干し、小松菜とがんもどきの煮浸し、味噌汁は大根と油揚げ。驚いたことに、大根の葉はじゃこと併せてふりかけにされている。

 美味しい匂いは確かにした。

 したが、それにしてもまさか昨今の一般家庭では朝から毎日望むのは贅沢な部類の朝食に、桐枝は思わず千寿の顔を二度見する。どえらいドヤ顔を浮かべていた。


「オーホホホ! カルシウムたっぷりに嘘はなくってよ!」

「あ、そう……」


 そういえばそんなことも言っていた、と思いだし、改めてテーブルの上に桐枝は視線を落とす。

 つまり、カルシウム豊富という縛りのなかで千寿は朝食を作ったわけである。


「……お前、ひょっとして料理上手か?」

「ミスターパーフェクトと呼んでちょうだい。もしくはスーパーダーリン千寿様でもよくってよ?」

「その口調でもミスターやらダーリンを名乗るんだな」

「そもそもダーリンは……」

「冷めるからそういう講釈いいわ」


 チッチッチッ、と指を振りだした千寿を遮って、桐枝は椅子へ着く。千寿は行儀悪く一瞬前とは意味合いの異なる派手な舌打ちをして向かいに座った。

 伏せられた茶碗を視線で促した千寿が、桐枝に片手を差し出す。三合炊きの炊飯器は千寿側にあったので、桐枝は大人しく茶碗を渡した。

 熱い湯気を立てる白飯をしゃもじで混ぜた千寿は、ごく軽く桐枝の茶碗によそってから、自分の茶碗にちゃっちゃかと一食分よそい、それから桐枝の分もしっかりよそい始める。


「良妻か!」

「スーパーダーリンよ!」


 語調に反して落ち着いた調子で渡された茶碗を腑に落ちない気持ちいっぱいで桐枝は受け取った。

 それぞれ食べる準備が整ったところで手を合わせるのは、ふたりとも幼い頃の躾が行き届いているからなのだろう。千寿は「いただきます」と声を揃えたあとに「召し上がれ」と調理人らしく続けたけれど。

 桐枝が最初にくちづけた味噌汁は当然ながら食堂で口にするものとは違う味わいであったが、鼻先から抜けていく熱気まで美味しいと思わせた。じわ、と舌に染みていく塩気はようやく体を完全に目覚めさせ、そんな汁気をたっぷり吸った大根と油揚げは食道から胃までをやさしく温める。

 口に塩気が残る状態で食べた白飯は、炊きたて独特の風味が際立ち、噛むほどに米独特の甘みが滲んだ。

 がんもどきは少し箸を入れただけでじゅわ、と汁気が滲んだので、桐枝は思い切って二等分するだけにして、一片を大口開けて頬張ることにする。

 生憎と雁の肉を食べたことのない桐枝であるが、がんもどきは既にがんもどきという美味しい食べ物だ。噛むほどに様々な試行錯誤を経て生まれたのだと感慨深くなるような小さな発見が幾つもあった。

 これまた白飯で口の中を切り替えたところで、そういえばふりかけもあったのだと桐枝は茶碗全体にはかけず、一部にのみ鮮やかな緑色を散らす。

 ひと口掬って食べれば、僅かな塩気と独特の歯ごたえが楽しい。


「思うんだが」

「なにかしら」


 桐枝は鰯の丸干しにさっと醤油をかけ、頭からもりもりと食べ終えてから口を開く。


「カルシウムもだが塩分も大分摂った気がする」

「日本人の宿命よ。白飯が主食で口内調理という習慣を完全に忘れ去らない限り逃げられないの」


 ご飯がすすむおかずは、総じて塩分が高いものであり、それは千寿の言葉然り宿命であり、仕方のないことなのである。

 桐枝は「そうか」と頷いたきり、文句も言わずに食べ進め、二回ほどご飯をおかわりした。




 当たり前といえば当たり前であるが、泊まったからには千寿が登校する際、彼は桐枝の部屋から向かわなければならない。

 早朝といってもいい時間から、桐枝の部屋のドアをくぐらなければならない。

 千寿は得意満面になりながら、通学鞄を取り出した。


「……お前と仲良く登校しろって?」

「物分りがいいわね」

「拒否権は?」

「アタシが服を乱して泣きながらこの部屋を出て行ってもいいなら、別々に登校しましょ」

「一つだけ言ってもいいか?」

「なにかしらん」

「死ぬときは苦しい死に方をしてくれ」

「オーホホホ! あと七十年は生きて縁側でぽっくり逝ってあげるわ!!」


 肩書持ち特権、厚い壁の部屋なのをいいことに朝っぱらから高笑いを決めた千寿は、怨嗟吐き出す桐枝がネクタイを取り出す様子によからぬ顔をした。即座に桐枝は千寿から距離をとる。


「なにをするつもりだろくでもないの塊」

「結んであげるだけよー?」

「そういうのは将来嫁さんにやってもらう楽しみにとっておくからいいんだよ」

「あら、桐枝の将来はアタシのお嫁さんでしょ?」

「ひとの将来をお先真っ暗にするのをやめろ」


 失礼しちゃう、とぷんぷん頬を膨らませる千寿に朝から塩分だけが原因ではない理由で血圧上がりそうになりながら、桐枝はさっさとネクタイを結んでしまう。

 その様子をつまらなさそうに見ていた千寿の襟元にもネクタイが結ばれていて、プレーンノットの桐枝とは違い服飾におけるこだわりを主張するエルドリッジノット……で済まされていれば、それは千寿の襟元では平常の部類だ。

 本日、雅洒髑髏千寿氏の襟元は大変豪華なフリルとレースがあしらわれていらっっしゃる。


「おい、おい、風紀委員長の前でいい度胸だな、雅洒髑髏てめえこの糞野郎」

「タイの付け替えは容認されてるじゃなぁーい。やーね、風紀委員長様ったらお硬いんだから。朝から硬いのは股ぐらだけにしたら?」

「風紀委員長パンチッ!」

「生徒会長ガード!」


 とうとう堪えていた拳を繰り出した桐枝に、千寿は腕を交差させて受けて立つ。

 がつ、と鈍い音がしたけれど、千寿は余裕の顔だ。


「……すごく痛いわ」


 余裕の顔でぷるぷる震えている。


「あんな受け方したら当たり前だろ」

「だって、不良とかアンタだってこんな感じで……ちょ、本当に痛い」

「小麦粉とお酢混ぜたの持ってきてやろうか?」

「かぶれるから嫌よ!」

「顔面に塗りたくられてえのか」


 痛い痛いと煩い千寿を自業自得だろう、と一瞥するも、放っておけば桐枝に無体を強いられたと吹聴して回るであろうことは想像に易い。

 桐枝はやはり千寿なんぞを部屋へ引き入れるべきではなかったのだと遅すぎるも強い後悔を胸へ募らせながら、千寿の腕をとってワイシャツの袖を捲る。

 ほんのり赤くなっている部分は僅かに熱を持っているが、湿布でも貼っておけば問題ないと特殊環境故に風紀委員長として拳を振るわざるを得なかった桐枝は経験上判断した。

 さりとて、素人判断を千寿へ下して後々なにか言われるのも煩わしく、しっかりと目の前で「大したことはない」という診断が下りるのを見るべきかと共に保健室へ訪う必要性にげんなりする。


「桐枝ってば案外やさしく触るのねえ」

「怪我人の腕を握り潰す趣味はねえよ」

「この前、地面へ這い蹲ってた生徒の腕を捻り上げてたじゃない」

「得物出そうとしてたからだろうがっ、どうしてお前は一々俺の風評被害を企むんだよ!」

「孤独になった桐枝の前に変わらぬアタシがいれば、桐枝もアタシへ夢中にならざるを得ないでしょ?」

「原因がお前だと分かっていて夢中になるとか、お前のなかの俺はどんだけ頭ん中お花畑に設定されてるんだ? 名誉毀損で訴えるぞ」

「じゃあ、アタシは桐枝を窃盗罪で訴えるとするわ」

「お前から盗みを働いた覚えは……待て、言わなくていい」


 ろくでもないの塊である千寿からはろくでもない答えしか返るわけがないし、その内容も十中八九予測できて桐枝は制止をかける。

 だが、こと桐枝の神経を逆撫ですることには並々ならぬ熱意を見せる千寿だ。桐枝の制止など振りにしかならない。


「アタシの心はアンタに盗まれたのよ!」

「だから言わなくていいって言っただろうがッ! 大して面白みもねえのにドヤ顔かましやがって鬱陶しい!!」

「ひとからの好意によくそこまで言えるわよね。絵本の世界だったらその傲慢さは神様なり妖精なりが呪いをかけて真実の愛を見つけるまでケダモノになっているところよ」

「早朝から妄想はやめ……」


 桐枝は腕時計へ視線を落とした。

 保健室へ寄らなくてはならないことを考えれば、かなり、大分、ぎりぎり……ぎりぎり、アウトになりそうな時間を示す文字盤に、桐枝は一瞬硬直する。

 直後、桐枝は素早く立ち上がって必要なものを取り、千寿を急かして部屋を飛び出した。

 もう、千寿と一緒に同じ部屋から登校などどうでもいい。遅刻のほうが重要である。

 だが、思わぬ事態に桐枝は目を剥くことになった。

 平素、桐枝から逃げまわるだけの俊足誇る千寿がその速度を殆ど出せていないのだ。

 なにをやっている、など訊かなくても分かる。

 走れば振動で腕が痛み、腕を庇うせいで思うように動けないのだろう。

 引き攣る桐枝の顔。

 躊躇は一瞬、ここで足踏みしていれば遅刻が確定するのだと思えば、桐枝が動くのは早かった。


「え、きゃあっ?」

「驚いたときでも女子力たけえな!!」


 千寿を抱え上げ、桐枝は猛然と走りだす。

 その様を千寿はもちろん、登校途中の生徒たちも呆然としながら見ていた。




 案の定、千寿へ下りた診断結果は大したことはないというものであった。

 頻りに「え? 介助とか必要じゃないの? え?」と養護教諭へ詰め寄っていた千寿であるが、湿布どころかタオルに包んだ保冷剤をよこされるのみで終わり、非常に釈然としない顔をしながら保健室を後にすることとなる。


「おかしいわ……」

「俺からすればなんであれだけ騒げるほうがおかしいわ」

「はあっ? じゃあなに、アンタはああいうのが日常だって言うのっ? 痛みとともに生きてますっていうのっ? いつからか俺は痛みを感じなくなってしまったんだとか遠い目をしてるって言うのっ?」


 桐枝は無言で千寿の頬を引っ張った。あまり伸びない。

 悲鳴を上げながらべちべち叩いてくる千寿の頬から手を離せば、引っ張っていない側の頬まで押さえてやたらと女々しい格好になっている。


「なにすんのよっ」

「直前の言動も顧みずなにするんだとは……その図々しさはどこで培えるんだよ」


 いっそ感心すらしてしまいそうであるが、千寿に感心など嫌味を含んだ意味でもしたくない桐枝はさっさと教室へ競歩の足取りで向かい出す。

 千寿の診断結果を確認したからにはもう彼と一緒にいる必要もないので、足取りは速度を上げていく一方だ。しかし、揚げ足取りをされるのも面倒臭いので、風紀委員長がどうのこうの言われないように決して走らない。保健室へ向かう途中までは怪我人を急ぎ運んだという大義名分を押し通す所存だ。

 千寿の神経逆撫で攻撃に対する警戒を張り巡らせる桐枝の背後、たったかと軽い足音が近づき、ほどなく千寿が並ぶ。


「……おい、さっきまで痛くて上手く走れませんって風情だったのはどうした」

「あら、もう忘れたの? 保健医も大したことはないって言ってたじゃない。それに、いまは走ってないわよ」


 あくまで競歩、と千寿はにっこり笑う。

 対する桐枝の頬はひく、と引き攣り、間もなく士業ベルが鳴りだす校内で彼の怒声が響いた。




 桐枝とツーカーの仲と自他ともに認める大鳥は、ともすれば桐枝以上に桐枝や、その周囲のことを分かっている部分がある。

 なにかと騒がしい学園の頭ふたりに巻き込まれるのを好ましく思わぬ大鳥は、彼らの起こす騒々しさには風紀委員として以上には関わりたくない。

 けれども桐枝と千寿、ふたりを見ていると妙な感心が湧いてくる。

 よくもまあ、そこまで綱渡りをなんでもない顔でしていられるものだ、と。


「お互い渡り切るつもりがあるのかも怪しいが」

「なんのことですか?」


 呟いた大鳥は委員会室へ入ってきた香月に片眉を上げた。


「ノックならしましたよ」

「……聞こえなかったようだ」

「考え事にでも集中していましたか? 珍しい」


 まるで、大鳥が平素から深く物事を考えていないかのような口振り、表情で揶揄してくる香月に、しかし大鳥は不愉快そうな様子もなく「それで?」と用件を促す。

 せっかちとも言える大鳥に苦笑を一つ、香月は「ちょっとだけ面倒の気配がありまして」と自身が入ってきたドアを……その向こうへと振り返った。僅かに生徒たちの声が漏れ聞こえてくる。

 羽目を外して騒ぎを起こす生徒がいなければいいと思うが、その筆頭は悲しいことに生徒代表ともいえる生徒会長と、そんな彼を諌める通り越してぶち切れて追いかける風紀委員長によって起こされる場合のほうが多い。


「今朝方の話をご存知ですか?」

「うちの委員長の部屋から会長が出てきて、ふたり仲睦まじく登校したとかなんとか」


 千寿は体調が悪いのか足取りが覚束ない様子だったとか、桐枝がそんな千寿を横抱きにしていたとか、桐枝が聞けば血圧を下げる薬を十代から服用しなくてはならないような話がこそこそと生徒の間で交わされているのを大鳥も聞いている。


「うちの会長だったら手を叩いて喜ぶか笑うかしますが……まあ、面倒に変わりはないでしょう? なんやかんやで人気ありますから」


 スクールカースト上位の生徒には、まるで熱狂的なアイドルファンのように対象を信奉する集団がいた。

 彼らは親衛隊としてまとめられ、それぞれの隊長が統括している。

 だが、クラスも違えば学年も違う隊員たちを完全に掌握するというのは難しい話であり、中には親衛隊に設けられた規則を破るものもいる。

 過激派とも呼ばれる一部の隊員には風紀も手を焼かされることがあり、火種になるようなものが燻らぬように日々祈っていた。


「会長はあの『キャラ』で上手いことやっていますし、委員長も似たようなものです。常から見えるふたりの関係はとやかく言われるものではありません。娯楽扱いする向きすらもあるでしょう。でも、今回は少し違うかもしれませんね」

「忠告か?」

「予告です」

「つまり、確定なんだな」

「小火で済むかどうかはふたりの出方次第でしょう」


 面倒臭い、と大鳥は呟く。

 怠惰な雰囲気漂わせる風紀の副委員長に肩を上下させた香月は、ふと壁へとかけられたカレンダーに視線をやって目を細める。


「時間がないんですよ」


 大鳥が香月の視線の先を追い、やはり目を細めた。

 カレンダーは既に秋の終わりを告げている。

 大鳥と香月は高等部三年生だ。


「時間が、ないんです……」


 桐枝と千寿も、三年生だった。




 遊びは十代まで。

 笑って言っていたのは学園のOBであっただろうか。

 特殊な閉鎖空間だけで許される秘密の遊びは、当然ながら外では通用しない。

 箱庭の常識を現実世界にまで持ち込んだ人間はただただ自滅か、自滅に見せかけて潰されていく。

 どれだけ親密な関係を築こうと、どれだけ将来を誓い合おうと、どれだけ特別扱いされようと、それらは全て卒業するときに思い出と一緒に学園へ置いていくべきだ。

 恋人のようであった誰かとは別れの言葉もなく仲の良かった友人になり、夢見た将来は仕事のなかで昇華され、白さえも黒と言い切れてしまえそうな優越感はむしろ振り回される側として味わうことになる。

 卒業すれば、学園のなかであったことは誰も口に上らせなくなる。

 特別なことなどなかった。

 素晴らしい友人たちとそれなりの青春を駆けた。

 示し合わせたような話がそこかしこで聞こえる同窓会、距離がなくなってしまうほど近くで見た顔と再会してもよそよそしさや戸惑いもなく近況を話すのだ。

 薄っぺらいだろうか。

 空虚だろうか。

 保身と嘲られるだろうか。

 自らとその周囲を守りたいのは誰であっても当然なのに、それを咎め、責め立てる権利が何処の誰にあるというのだろう。

 学園のなかで築いた特別など、外へ出てしまえば幻同然に消えていく。

 掴むだけ無駄だと知っているのに、どうして誰も彼もが手を伸ばすのだろうか。


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