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Moratorium  作者: ちか
1/6

一話




 鬼ごっこをしよう。

 ずっと、ずっと終わらない鬼ごっこを――




 山奥に佇むのは重ねた歴史の風格感じさせる瀟洒な学び舎。

 名門を謳い、現代でも有力者の子息が机を並べる桃城学園に、今日も怒声が響き渡る。


「ゴルァァァァァッッ、雅洒髑髏おおおおおおおお!!!」

「オーホッホッホッホ!! 捕まえてごらんなさぁぁぁいっ?」


 鬼の形相で五十メートル五秒を切りそうな速度で走るのは、桃城学園風紀委員長の藤樫桐枝(とがしきりえ)

 恐るべき速度で桐枝に追いかけられて尚、逃走継続しているのは桃城学園生徒会長の雅洒髑髏千寿(がしゃどくろせんじゅ)

 レースに縁取られた薄衣のストールをつまむのはマニキュアとラメで輝く爪化粧した指。狐の形に揃えた指が咥えるストールは千寿が走る速度を表すようにひらひらと後ろへ靡いた。

 凄まじい速さで廊下を駆けていく千寿を桐枝は猛然と追いかける。桐枝の眼光はびこーん、という効果音をおまけしながら赤く光っているし、口からは謎の瘴気が漏れていた。分かりやすく怒り荒ぶっている。

 桃城学園のスクールカースト二大頂点である桐枝と千寿は仲が良くないと言われている。

 正確には、千寿のことを桐枝が好く思っていないのだ、と。


「桐枝ったらそんなにアタシのお尻を追いかけちゃって、とうとうベッドに乗り込んでくる気にでもなったのかしらぁっ?」

「死ねッ、死にさらせ! お前が歩くだけで風紀が乱れる!!」

「だから、アタシを繋いで檻に入れようっていうのねっ? まあ、どこのエロ漫画の入れ知恵かしら!!」

「ぶっ殺してやる!!」

「助けて風紀委員さぁーん! おーかーさーれーるぅー!!」

「俺が風紀委員長だっつってんだろうがあっ」

「『残念だったな、俺が風紀委員長だ。お前を助けてくれるやつはいない。俺を惑わせた自分の色香を恨め』ですって……なんてやつなのかしら!」


 桐枝は走りながら器用に上履きを脱ぐ。

 目指すは前方のきらきらしいキューティクル誇るすかぽんたんの頭。

 平素から野球部に常々惜しまれている強肩が全力で上履きをぶん投げた。


「耶路撒冷っ」


 あまりの衝撃で聖地にでも魂が飛んでいったのか、頓狂な声を上げて千寿は転倒する。そりゃもうびたん、とこんにゃくを床へ叩きつけたかのような勢いで転倒した。

 それだけ見事なすっ転び方をしてくれれば桐枝が追いつくのは容易というもので、背は高いが細身の千寿の腰の上へ、背も高けりゃ筋肉質で体に厚みもある桐枝は飛び乗った。


「ぁ……っ」


 スペースを空け腰とでも続けてぐるぐる先生に検索かければその手の小説に事欠かない声を上げる千寿は、声に反して大分あかん状態であったのだが、そんなことで容赦してやるほど桐枝は千寿との付き合いが短くない。

 尖り気味の顎へ組んだ両手を添えて、桐枝は千寿の上から退かないまま思い切り引き上げてやった。


「あーっ、あーっ」


 バンバンバンと廊下を叩く千寿、無言でエビ反りを続行する桐枝。

 麗人と言っても差し支えのない容姿をしている千寿が苦悶の表情を浮かべて涙目になり、そんな千寿に苦痛を与えることで歪んだ笑みを見せる桐枝の図という、説明だけを聞けば特殊嗜好向けの戯れを連想してしまう地獄を天下の学び舎で繰り広げるふたりであるが、悲しい哉、桃城学園の生徒たちはそんなありふれた光景に微笑みはするけれど、いまはそれよりもとふたりの脇を通り過ぎながら今日の食堂限定メニュー争奪における計画や取引を交わしている。

 成長期の空腹の前には憧れの人気者ふたりが妖しい絡み合いをしていようと瑣末とばかりの生徒たちも目に入らず、とうとう床を叩く手すら力を失って全身をぐったりさせた千寿に満足した桐枝は、ぱっと両手を千寿の顎から放した。当然、千寿の顔面が床と接触する。

 今度は上がらぬ悲鳴。

 数秒観察した桐枝はため息を吐きながら千寿の上から退いた。


「特に惜しくないやつを亡くした」

「……死んでねーわよ」


 くぐもった声で抗議して、千寿がのっそりと顔を上げる。

 その際に顔へ手を当てた千寿がらしからぬ舌打ちなんぞをするものだから、桐枝は疑問に思ってゆっくりと起き上がる千寿の前へと回りこんで麗しの顔を覗き込んだ。

 嫌そうに顔を拭った白い千寿の手にはべっとりと赤い色。高い鼻からは拭い切れない血が滴っている。


「まったく、よりにもよって鼻血なんて最悪だわ。どうせなら処女血でも出させてみせないよ」

「最悪なのはお前の発想だよ、この糞馬鹿野郎」

「んまぁー! ひとに暴力振るって流血沙汰にしておいてこの言い草!! だれかー! 風紀委員長に乱暴された哀れな生徒会長に愛の手をー!!」


 叫んだ拍子に鼻血が逆流したらしく、千寿は盛大に噎せた。

 げふごふと咳き込む千寿に対し馬鹿を見る目を向けていた桐枝を、千寿は「責任取りなさいよ! アンタとアタシの交歓によって流れた赤血球白血球血漿その他よ! 認知しろこの野郎!!」と懲りずに叫んで迫る。

 多少血の気が抜けた程度では有り余る千寿の元気を目の当たりにしてうんざりした桐枝は、喚き立てる千寿の胸ぐらを掴んで引き寄せた。


「……おら、責任取ってやったぞ」


 鼻から流れ、拭い損ねて千寿の顔を汚す血を舐め引き取った桐枝は「これで文句ねえだろ」と言って、口をひん曲げる。

 一瞬俯いた千寿は片手を桐枝に向かって伸ばした。


「あ? てめえは風紀までしょっぴく予定だが、お手々繋いでなんてしてやらねえぞ」

「違うわよ」


 千寿は挑発するような好戦的な笑みで否定する。

 ひらりと蝶の羽ばたきにも似た動きで振られた手のひらは、赤い。

 ひく、と桐枝の顔が引き攣り、直後千寿をモンゴリアンチョップが襲う。


「ふぎゅっ……ひ、酷いわ……桐枝はきっと女を孕ませても責任とってやるよとか言って腹を蹴り上げるのね!! この外道!!!」

「人聞き悪いこと言ってんじゃねえよ!! 俺をここまで暴力に駆り立てるのはお前くらいだよこの馬鹿! 糞馬鹿!!」

「お前だけだって言えばなんでも許されると思って!」

「お前こそてきとう言ってれば逃げられると思ってんじゃねえだろうな。いい加減風紀に来てもらうぞこの糞馬鹿」


 がし、と千寿の首へ腕を引っ掛けて、桐枝は強制的に千寿を歩かせる。


「そんなにアタシたちの仲を見せつけたいのね、独占欲の強い男」

「ああ、俺たちの仲ならさっき散々見せつけたよ。おかげで俺はいま片足靴下だけだ」

「あら、間抜け」


 プッと失笑した千寿の首へ引っ掛けた腕の力を、桐枝は無言で強くする。

 風紀委員室へついた頃には心なしか千寿の鮮度が落ちていたけれど、桐枝は努めて知らぬ存ぜぬを突き通した。




 失っていた鮮度も一杯の紅茶を飲めば取り戻したのか、千寿はばんばんとテーブルを叩きながら「ちょっとー、お茶菓子がないわよー」と催促している。風紀の副委員長である大鳥が裂きも切り分けもしていないエイヒレを千寿の前に置く。抜き打ちチェックをした際に不良たちが酒類とともに所持していた没収品である。


「せめて炙ってちょうだいよ……」

「お前はそんなサービス受けられる立場だとでも思ってんのか」

「逆に訊くけど、これほどまでに美しい私を前にして尽くそうという気持ちは欠片足りとも湧かないっていうのかしら?」


 やれやれといわんばかりの様子を見せる千寿を前に、桐枝は大鳥へ目配せする。千寿とかいうろくでもないの塊が生徒の筆頭とも代表ともいえる生徒会長なんぞをやっている学園を取り締まる風紀のふたりは、ツーといえばカーと鳴くほどの連帯感で結ばれていた。

 大鳥が取り出したのは数枚の書類。受け取った桐枝はひらひらと数度振ったあと、やりきれなさとともにテーブルへ叩きつける。


「これが今までお前に提出させた反省文だ……分かってると思うがごく一部に過ぎねえ」

「限りある資源の無駄遣いよねえ……反省文もメールでいいんじゃないかしら? 反省文用のメールフォームでも作るのくらいわけないじゃない」

「……そこじゃない。話の趣旨はそこじゃない」


 桐枝は深呼吸する。


「なんでお前は何度しょっぴかれても懲りずに問題を起こすんだ……っ」


 絞りだすような桐枝の声に千寿は「まあっ」と大げさに驚き、両手で口元を押さえた。

 心底白々しい仕草にイラッとする桐枝の気持ちなど察したとしても意に介す気が欠片もなさそうな千寿は、嘆かわしいとばかりの様子でため息を吐く。


「酷いわ、桐枝。言いがかりよ! 私がいつ問題を起こしたっていうの」

「お前はこうして風紀委員室へ連行されている現実をなんだと思ってんだ」

「美しい私を手元へ置きたい桐枝の独占欲」

「離せ、大鳥! こいつの顔面を前衛的な現代アートに作り変えてやる!!」


 自身を羽交い締めにする大鳥へ叫ぶも、大鳥は無言で「それはいけない」とばかりの顔をしながら首を振り続ける。

 千寿はエイヒレを引き千切って齧りながら、桐枝へにやにやした視線を送った。増々暴れる桐枝だが、大鳥の力は緩まない。


「ふふん、唯一の味方がそうでもなかったみたいねー?」


 千寿が得意満面に腕を組めば、大鳥が顔を僅かに歪めた。


「会長のためじゃない。あんたにうちの委員長がおちょくられるような隙をやりたくないだけだ。仕事が進まない」


 桐枝を庇うようでいて機会をやればここぞとばかりにおちょくられるに決まっていると言い切る大鳥に、桐枝は「俺のことそんな目で見てたの……?」としょんぼり眉を下げた。一所懸命風紀委員長をやっているのに結果が追いついてくれない。現実の厳しさが辛い。


「……まあいい。おい、雅洒髑髏。この糞馬鹿」


 大鳥の羽交い締めから開放された桐枝は、かつかつと指先でテーブルを叩きながら千寿を睨む。千寿はエイヒレをがじがじと齧りながら上目遣いで見つめ返した。


「講堂にお立ち台設置してディスコまがいのお祭り騒ぎをしようなんぞ、俺の目が黒いうちは許さんからな」


 今日、千寿をしょっぴいてきたのは、生徒会の良心ともいえる副会長の香月が「申し訳ありません、うちの馬鹿がまた馬鹿やらかすつもりのようなのでお手数おかけしますがここはひとつ……」と密告してきた内容に現場へ駆けつけたところ、まさに千寿がジュリ扇両手に踊りだそうとしていたからであった。

 今頃、講堂は他の風紀委員たちが集まった生徒を散らしていることだろう。首謀者故に一にも二にも早く逃走した千寿を追いかけられる足を持つのは桐枝しかいない。大鳥は別件でなにかあったときのために待機していたのだ。

 千寿は大げさに唇を突き出し、不満そうに指先を眺め始める。


「返事は」

「息の詰まる学園生活に風を引き入れるくらいいじゃない」

「ものによるわっ」


 酒類の持ち込みをするほど馬鹿ではないであろうが、それにしてもディスコ紛いの催しはいただけない。これが単純なダンスパーティーやら、ダンス部の披露会を盛大に、などであれば桐枝とて融通を利かせるものを、どうして千寿は却下するしかないものに発想をかっ飛ばすのか。


「俺だってやること他にあるってのに、他の奴らはこぞって自分じゃ無理だってお前のこと押し付けてきやがるっ」

「風紀公認の仲ね、素敵」

「大鳥ぃ! 認めてねえよなっ?」

「巻き込むな」


 大鳥はすげなく言って顔を背ける。桐枝は一瞬だけ震えたが、気を取り直して新しい反省文の用意を頼んだ。


「うふふ、副委員長にまでそっけなくされちゃう桐枝かーわいそー! アタシが慰めてあげようかしら? ベッドに枕二つ用意しておくといいことがあるわよ」

「黙れ。ベッドをシングルにしてでもお前に慰められるのはごめんだ。この諸悪の根源」

「酷い言い草よ。あんまりだわ。正義の風紀委員長が生徒虐めだなんて……!」

「生徒会長が風紀委員室に連行されている現実を恥じてから初めてそんな世迷い言をほざけ」


 千寿はこてん、とまるで自分が心底愛らしい存在であると信じているかのような作った仕草で首を傾げ、手に持ったままのエイヒレを軽く振る。


「やーよ。アタシ、此処に来るの嫌いじゃないもの」

「……あ?」


 柄の悪い声を出したせいで僅かに空いた桐枝の口へ、千寿は食べかけのエイヒレを突き刺す。


「いってえな!」

「うばっちゃったー」

「こんな生臭い間接キスがあって堪るか!」

「だから炙ってって言ったじゃない」


 さも桐枝に非があるかのような物言いをしてくる千寿に、桐枝は「お願いだから一発殴らせてくれ」と懇願のひとつもしたくなってきた。

 桐枝が強張った拳を握ったり開いたりする前で、千寿は悠々と紅茶を飲み始める。


「うん、やっぱりいいわ」

「……なにが」

「生徒会室より、風紀に置いてある紅茶のほうが好みなの」


 悪びれない千寿に桐枝は唖然として、そんな桐枝の口に戻ってきた大鳥がままかり煎餅を押し込む。

 ツーカー故に大鳥がカルシウムの提供をしてくれたことを理解する桐枝だが、だからといってカルシウム程度でどうにかなる感情ではないのだと彼は叫びたくて仕方がなかった。

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