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一、妓女




 複数の足止めを促す声がする。それらをかき消すように甲高い少女の声が、エントランスに響き渡った。


「アレーックス! いるのは分かってるんですからねっ!!」


 淡い緑のドレスを着た少女が、腰にある半透明な黄緑色の大きなリボンを振って階段をのぼろうとしている。


 彼女の侍女や護衛達が慌てて引き留めている。可哀想に。


「離しなさい! わたくしは落ち着いておりますっ!! アレックス! 早く出てきなさい! アレーックス!!」


 段下の喜劇に、自然と笑みがこぼれる。


「ようこそ、姫君」


 段上からの挨拶は失礼にあたるが、声掛ける。既にこの先は夢見る乙女には程遠い男女の世界が繰り広げられている。

 他のお客様にご迷惑をかけないようにしないと。


「わたくしが女将を務めておりますディアナ・ポルタと申します」


 ゆっくりと降りながら言葉を探す。他のお客様方にご迷惑がかかる前に、彼女には丁重にお帰りになって頂かねばならない。


 先程言伝したディアナの側仕えが聞き間違えたのでなければ、今ここにいる少女はエリザベッタ・ヴィオラ・サラガ殿下。我が国にいる皇女。


とりあえず見繕った黒いドレスは殿下に会うのには相応しくない。

身体に沿って滑らかな曲線を描きうつくしいのだが、少々お子様には刺激的かも知れない。しかしすぐに着用出来るのはこのドレスくらいしかなかった。



「ではマダム・ポルタ。アレックスをここに連れてきなさい。わたくし、気が長い方ではなくってよ」


 エリザベッタは顎を上げてツンと言い、その可愛いお口で命令を下した。少し垂れ目な瞳を細め、あかく色付けた小さくとも艶やかな唇が次々と言葉を紡ぐ。


 光沢のある亜麻色の髪をクルクルと巻いた小さなお姫様は固く手を握りしめプルプルと小さく震えていた。迷子の子猫を見つけた気分だ。


 ……なんと可愛らしい子猫でしょう。


 額に軽く右手を当てて軽く息をつき、心を無にする。一段ずつゆるりと降りる。


 エリザベッタは娼館の階段の踊り場まで駆け上がってきていた。


 怯えを含んだ淡い緑の瞳を舐めるように鑑賞し、すっと頭を下げる。


「仰せのままに」


 階段の踊り場で深く頭を下げつつも、少女が階段を登らないよう周りに目を配る。


 ふぅ、と可愛いため息が聞こえた。


 横目で軽く見る。隠れるようにそっと胸を手で撫で下ろしていたエリザベッタはとても愛らしい。それにくだんの彼は既にこちらへ向かって来ているはずなので問題ない。


 少し窓枠に目をやり、天気が良いことを理由に彼女を応接間ではなく最近完成した温室に案内し、お茶を持っていくよう指示した。



 あぁ、本当に愉快。




☆☆☆



 

「お茶の準備が整いました。姫様、こちらへどうぞ」


 城から連れてきた侍女が小さなテーブルにティーセット広げている。バターの香りがふんわりとした。クッキーでもあるのだろうか。優美な温室とはいえ、娼館でアフタヌーンティーをする気はない。さっさとアレックスを連れて城に帰るつもりだ。侍女の言葉を無視して色とりどりの花を歩きながら眺める。


「……いい匂い。この花、かしら」


「それは山百合の花ですわ」


 黄色く小ぶりな花の香りに心を研ぎ澄ませる。花の名を教えてくれた少女は娼館で働くには幼いように見える。少女が着るピンクのふわりとしたワンピースには繊細な花の刺繍やレースがある。服の趣味は悪くないようだが、礼儀を知らぬ者らしい。


「野生にあるのは、城にあるものよりも小さいのに香りはそのまま同じなのね」


 豊かな胸はここの館の使用人の条件なのだろうか。じっと自分の胸部を見る。


「……失礼しました。わたくしはディアナ・ポルタの養女、ナディア・ポルタ。焼き菓子をお持ちしました。どうぞ」


 年頃は同じだろうか。ナディアが持っているバスケットに苦心しながらお辞儀をする。


「そんなのいらないわ。帰ってちょうだい」


 つん、と鼻をそらして答えた。


 こんな所で焼かれたお菓子なんて興味はない。何が入ってるか分かんないもの、食べさせようとしているらしい。苦笑が隠しきれない。


「ウチのシェフのクッキーは姐様方から美味しいと好評なんです。一口ご賞味頂ければ光栄です」


 ナディアは立ったまま、持っているバスケットの中から一枚クッキーを取り出し、サクッと食べてにこやかに微笑む。毒見のつもりなのだろうか。


 後ろの侍女や護衛達からも苛立ちを感じる。右腕をピンと張り、手のひらを彼女らに向け下がらせる。


 こんな所で働く少女にマナーを求めてはいけない。礼儀を知らない可哀想な子なのだ。


 まぁ、しょうがないんじゃないかしら。優しくて心の広いお姫様のわたくしは、このくらいの彼女の無礼は許します。美味しそうなバターの香りが許しなさいと言ってる。


「バタークッキーも美味しいんですけど、私のおすすめはこちらの茶色いのです。ココア生地のクッキーで、サクッほろっとしてて中に入ってる小さなチョコが口の中でほんわりととろけて本当に美味しいんです」


 ……ココア生地尚且つチョコレートッ!


 お姉さまから食べ過ぎはお肌に良くないと言われ、侍女達からはお菓子ばかりで主食を取らないからと目の前で没収され、わたくしのチョコレートは日に日になくなっていく。チョコレートまでがわたくしを誘惑する。


 ナディアの本当に蕩けるような笑みに、クッキーの香ばしい匂いに堪らなくなって、彼女の持っているバスケットに戸惑いながらも手を伸ばす。



 ……美味しいっ。



「エリザベッタ様」


 名前しか呼ばれてないが侍女が怒っているのが伝わる。むっ、と睨みつけるがクッキーを口いっぱいに入れてしまったから威力が出せない。


 ニッコリと黒く微笑む侍女が椅子を引く。

 少し食べたことに後悔し、目線を逸らす。

 咀嚼しながら、ドレスの形を崩さないようにゆっくりと座る。

 もう一枚もらおうとナディアを探す。ナディアは後ろで控えている他の私の侍女に何度も頭を下げていた。少し顔色が悪くなっている。糖分が足りないのだろうか。


「姫様。姫様はもうすぐ八つにおなりです。そもそも淑女というものは……」


 侍女はまだお説教を言っていた。右手を上げ、分かっていることを伝える。本当は食べちゃいけないってと分かっている。美味しそうだったんだもの。しょうがない。チョコレートが濃厚でほろ苦くて良い。久しぶりのチョコレートに感動する。やはり美味しい。


 呆れながらも侍女の入れ直してくれた紅茶はミルクティーだった。甘さ控え目なのだが、ミルクのまろやかな味わいが先ほどまでの苛立った心を和らげていくのが分かった。


「アレックスが来るまでよ。少し落ち着きましょ。あなたもよナディア。こちらへどうぞ。クッキー、悪くなかったわよ」


「いえ、私はお渡しするよう仰せつかっただけで、ご相伴には。……えと、はい。ご一緒させて頂きます」



 眼力で席に着かせた。

 娼館なんかで働かなきゃいけない子に城の美味しいお菓子をお裾分けしているのだ。


 ……無理に押し付けたのではない。


 ナディアとチョコレートの話をしながらアフタヌーンティーを楽しんだ後、侍女が「そろそろお時間が……」と声かけられたので、お菓子のお礼を言って帰城の馬車に乗った。


 エリザベッタは娼館で働く少女にもきちんもお礼を言える立派なレディなのである。

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