第七話 古着屋大作戦
「さぁ、甚右衛門さんに甚平さん。早速取り掛かってもらいますよ!」
今日は朝から両国にある古着屋、『丸甚』の店に立ち、細々打ち合わせをしてからも、みそのは賑やかに、あれこれ指示を出している。
みそのは、甚右衛門に二両を用立てると同時に、返済が滞り無くされる様に、店の改革に乗り出したのだ。
三日前のこと、その前日にみそのが甚右衛門に約束した二両を、恐縮した甚平が受け取りに来た。
そしてみそのは。その借用書と一緒に、店の繁盛の為の意見を聞き入れる事を同意する旨の誓約書的な書付を、金二両と共に甚平に渡し、「頑張りましょうね」と甚平を勇気づけていた。
「あまりにも臭う物は洗って、そうでもない物は一度天日干しにするのよ? 甚平さんお願いしますね!」
みそのは甚平へ声をかけるや、
「甚右衛門さんは、その仕分けが終わったら、中でも常態の良いものを、更に仕分けて行ってくださいね?!」
と、別の作業をする甚右衛門へも声をかける。
みそのは三日前に甚平にお金を渡してから、江戸の町を散歩がてら、古着屋の視察をしていたのだ。
だいたいの店は、甚右衛門の店とそう大差のない店で、ある程度の仕分けをされている様だが、みそのから見ると乱雑で陳列が美しくない。
中には小綺麗にしている店も有ったが、みそのが納得様な店は見つからなかった。
江戸の庶民は、ほぼ全員が、古着を自分で仕立て直したりしながら着ている。
それは町を歩いていると、その暮らしぶりや、着ている物を見れば容易にわかるのだが、それだけに安さを追求する方が優先されるのか、何処も見せ方に工夫を凝らすというよりも、現代で言うワゴンセールさながらの、雑然さの方が目立った。
希美は高校時代に、代官山のちょっと知られた古着屋で、アルバイトをしていた経験がある。
古着屋と言ってもピンキリで、それこそ安さを追求する店から、ヴィンテージやヨーロッパの珍しい服等を、店のセンスでコーディネートしながら、かなりの値段で売る店まである。
希美は後者の先駆け的なお店で、アルバイトをしていたのだ。
まず、古着はオーナーが買い付けに行って、手荷物で持ち帰る事も有るが、大抵コンテナで輸送する。コンテナのスペースを埋めるためにも、業者物の商品や、コンディションの良くない物も積み込んで送られるのだ。
希美がアルバイトしていたお店でも、店番は勿論、コンテナの荷物が届いた日には、仕分けして洗濯するのがお決まりで、その後また仕分けして、選りすぐりの物だけ店頭に並べられる。
希美はその作業を、コンテナが届く度にてんてこ舞いでやったものだ。そして店番の合間にリメイクしたりと、良い様に使われたと言えばそうかも知れないが、従来洋服が大好きな女子高校生なので、新鮮で楽しいお仕事として、やり甲斐を感じていたものだ。
「良い物を仕入れるのに、越したことはないんですけど、まずは今あるものを、より良く見せて売って行きましょう!」
みそのは最初に二人へ言ったのだった。
「でもよぅ、こんな事は買った奴が勝手にやることで、ここまでする事ぁ無ぇと思うんだけどなぁ」
盥に水を張り、汚れ物を洗いながら甚平がこぼす。
「その一手間が大事なんですよ、甚平さん」
みそのはにっこりと笑って、頑張りましょうと甚平の肩を叩いた。
「まぁ、みそのさんが言うんだから、あっしは何でもやりますけどねぇ」
甚平は少し頬を赤らめて、不承不承やっていた作業にも力が出た様だ。みそのに励まされたのが嬉しいらしい。
「そう、その調子。お仕事は手をかければかけるだけ、それが大変な程、成果が出た時に嬉しいのよ!?」
甚右衛門の店は、さながら年の瀬の大掃除の様な活気になって来た。
「甚右衛門さん、これはちょっと手をかけてあげましょうか?」
ほつれや、穴が開いている着物が仕分けられた山を指して、みそのが言った。
「ほつれ程度のものは、うちのにやらせればなんとかなりますけど、こっちのはボロ布として買って行くのが殆どなんで、何もそんなに手をかけ無くても、良いんじゃありませんかねぇ…」
甚右衛門は、穴の開いたくたびれた着物を手にとってみそのに言った。
「確かにこれなんかは穴も開いているし、相当くたびれているから、ボロ布として、雑巾なんかに使うしかないと思うけれども、こっちのなんかは、穴が開いている以外は柄も可愛いし、使えそうよ?!」
「そしたらそれは、端切れにして売ってしまいましょうかね?」
みそのが言うので、甚右衛門が答える。
「それも良いけど、他のお店でもやっているでしょうし、少し手をかけて面白くしたらどうかしら? それにボロ布としてしか使えなさそうな物も、案外使えるかも知れないし、本当に使えない物はボロ布の大きさに切って、買ってくれたお客様に差し上げたらどうかしら?」
みそのは思った事を甚右衛門に言ってみる。
「ただでくれちまうんですかいっ! ーーそれはちょっと…ねぇ…。微々たる銭ですが、一応仕入れている事もありますからねぇ…」
甚右衛門はみそのの意見に、少し難色を示して困った顔をしている。
「甚右衛門さん、損して得とれって言うじゃないですか!?」
みそのは殊更明るい声で言って、とにかく試しにやってみましょうよと、半ば強引に認めさせた。
「でも上手く使えれば、そんなに無駄にはならないし、穴の開いた着物も、存外高い値で売れるかも知れませんよ。甚右衛門さんのおかみさんには、頑張ってもらわないといけませんね!?」
みそのは意見はするが、だからと言って一緒に手伝って働く事はなかった。
手伝いたい気持ちはあるのだが、あくまで今後、甚右衛門達だけで店をやって行く事を考え、極力その辺は距離を置こうと、最初に決めていたのだ。
「わかりましたよぅ。明日にでもうちの奴が帰ってくるので、うちの奴にも頑張ってもらいますよ…」
甚右衛門は観念した様に弱々しく言うのであった。
みそのはそれから三日間続けてお店に顔を出し、慶事で川崎の叔母の家に行っていた、甚右衛門の女房、お加奈とも対面し、あれこれ賑やかにお店の改装をしたのである。
甚右衛門と甚平は、みそのの事を年増であっても、二十二、三だと思い込んでいる。甚右衛門からお加奈を紹介された時などは、「こいつももうすぐ四十になる婆ぁですからね。若い者の話しについていけるか心配なのですが、みそのさん、どうぞこき使ってやってくださいな」と言われていた。しかし、よくよく聞けばお加奈は未だ三十七歳、驚きの同い年である。
聞けば甚右衛門も老けて見えるが四十六との事、夫とそう変わらない事に驚愕する。
みそのは益々、本当の自分の歳を言い辛くなってしまったのだが、やはりお加奈とは同い年な事もあって、話しが弾んだ様で、お店の陳列の見せ方や、着物に手を加えて新しくする計画も、楽しく順調に進んでくれた。
*
あれから六日程経って、みそのはお店の様子を見に来てみた。
店は初めて来た時とは別のお店の様に、様変わりしている。
少しの間、店の外から様子を見ていると、店の中から、いち早くみそのを見つけたお加奈が、嬉しそうに店先まで出てきて声をかけて来た。
「みそのちゃん、本当にあなたは大したものねぇ!?」
少し上気したお加奈は、店内にみそのを引きずる様に案内する。
中では甚右衛門と甚平が、客にお釣りをやったり、値段の交渉をしたりしていて、みそのが来たのに気づいても、チラリと目で挨拶を寄越して来るのが精一杯で、忙しく客対応をしていた。
「あれから段々お客さんが増えて来てねぇ。特に若い娘さんなんかが噂を聞いたとかで、沢山来る様になったのよぅ」
お加奈は満足気に店を眺めながら、みそのに嬉しそうに話す。
「みそのちゃんが描いてくれたこれね?」
お加奈はみそのが描いた、ボロ布になるしかないとされていた着物の、お世辞にも上手とは言えない、リメイクのデザイン画を出して興奮した様に言う。
「なんとか私も、この絵の様にやってみようとして頑張ったのですけど、やってみると段々楽しくなって来てねぇ。ふふっ、もう出来上がったら嬉しくて嬉しくって、ふふふふ、そしたら売るのがもったい無くて、自分の物にしちゃったのさ」
小娘の様に恥かしそうにお加奈は言った。
確かにお加奈は、所々に花柄の模様の様に継接ぎされた、可愛い着物を着ている。アップリケの様な仕様だ。
みそのが描いたデザイン画よりも、断然出来が良い。
お加奈は生地と生地との相性や、色の相性なんかも上手くやっていて、その辺のセンスもある上に、思いのほか手も器用な様だ。
「そしたらうちの人に怒られてねぇ。でもどうしても着たいから、他にも沢山、拵えればいいんだろって言ってやって、むきになって作ったのさ」
お加奈はそう言って、誇らし気に胸を張った。
「でも、本当に売れるかどうかもわからないから、少し不安だったんだけどねぇ。それが私が着ているもんだから、それは何? って話しになって、あれよあれよと売れてっちゃってる訳なのよぉ」
益々誇らし気に、鼻腔を膨らませながらお加奈は言うと、これもみんなみそのちゃんのおかげだと言って、頭を下げた。
「それもこれも、お加奈さんの仕事が素晴らしいからですよっ」
にこにことお加奈の話しを聞いていたみそのは、そう本心で答えた。
実際、みそのの絵よりも素晴らしい出来栄えなのだ。
「本当、お加奈さんは才能があるんですねぇ。是非これからも頑張ってくださいねっ!」
照れくさそうにするお加奈を、更に赤面させ喜ばせた。
*
みそのはひとしきり話しをして、客が絶える様子が無さそうなのを見て取ると、
「あまり長居しては、商売の邪魔になってしまいますから、私はこの辺でお暇しますね?」
と、みそのは腰を上げた。
「そぉんな事は、気にしなくても良いんですよぅ」
お加奈はそうは言いながらも、店の人手が足りないのが、先程から気になっていた様で、申し訳無さそうに腰を上げると、みそのに少し待つ様に言って奥へと駆けて行く。
「これ、みそのちゃんにと思って拵えたので着ておくれょ。うちの人も、こればかりは文句はなかったんだからさぁ」
お加奈は悪戯っぽく言って、自分と同じ花柄模様の継接ぎの着物を差し出した。
「えっ、良いんですかぁ! 嬉しい、ありがとうございます!」
少し迷ったが、ここはお加奈の好意を無下にせず、有難く受け取る事にした。
「では今度遊びに来る時にでも、着させてもらいますね」
みそのは嬉し気に言ってお店を後にした。
振り返ると店の中から客と話しながら、甚平が物欲しそうにこちらを見ている。
みそのは、それににこりと応えると、嬉しそうにまた歩き出したのだった。
*
『あぁ〜、なんとも気分が良いねぇ〜。今日は帰ってからのルービーが、また格別なんだろうなぁ〜』
みそのがそんな事を考えて、ニヤニヤと歩いていた時、横から物凄い勢いで何かにぶつかられ、みそのは何が何やら分からずに、道の真ん中まで吹き飛ばされてしまっていた。




