第六十八話 いざ西海屋へ
新田は、智蔵達が西海屋の周りに配置取ったのを見て、三木蔵に頷いた。
「御用の筋だぁ! 動くなよぉ」
新田は勢い良く西海屋へ入って行くと、手代やら丁稚、そこで立ち働いている者達へ、その場から離れない様、良く通る声で言い放った。
新田が店内を睨め回すと、奥へと人が逃げ込むのがチラリと見えて、新田は三木蔵に追う様に目顔で合図する。
三木蔵は手代らしき男が止めるのも気にせず、一気に物音がした部屋へと土足で追って行った。
「な、なんの御用なのでしょうか?」
少し不満気に手代が新田に詰め寄って来る。
「偽薬作りの密売の咎だ。こっちは証拠を掴んでるんでぇ、黙ってろぃ」
新田は手代を一睨みすると、店の端に皆を並ばせる様に促した。
その時、奥の部屋で悲鳴と共に、物が倒れる音が聞こえて来た。
「だ、旦那様っ」
思わず手代が声をあげる。
「旦那様ってぇ事ぁ、今の叫び声は宗右衛門の声だってぇ言うのかぇ?」
新田はてっきり、三木蔵が由蔵を捕らえに行っての騒ぎだと思っていたので、その手代に聞き直した。
「は、はい。た、確かに旦那様の声かと」
手代は主人が何かされてるのかと思い、怯えながらも、目は新田を睨む様にして応える。
すると、煙と共に奥からバタバタと三木蔵が転がり出て来た。
「だ、旦那! か、火事でさぁ! 由蔵の野郎、部屋に油を撒いて火をつけやがりやしたっ」
「な、何ぃっ」
相当油を撒いたのか、煙が見る見る充満して来て、見る間に炎までもが店まで襲って来た。
「店の外へ出ろぃっ!」
新田は並ばせた奉公人達を、押しやる様に店の外へと追いやり、三木蔵を助けて自らも外へと走り出た。
西海屋の周りを固めていた智蔵達も、店の中から騒ぎ声と共に、煙が上がっているのを見て、何か起こったのだと思ったところに新田の声がして、急いで店先へと駆けつける。
「あっ」
広太は動かずに店の様子を伺っていると、中から西海屋の印半纏を着た由蔵が、塀を乗り越えて現れた。
由蔵は駆け寄って来た広太を、思いの外素早い動きで当身を食らわせ、易々と広太を気絶させると、周りを見回して一目散に逃げ出した。
店では益々火の勢いが増している。
「店の人間は、後は宗右衛門と由蔵なんだなっ」
新田は手代にもう一度問い質す。
「は、はい。左様でございます。旦那様と番頭さん以外は、下女も含めて全員ここに集まって居ります」
手代は奉公人を見回して、別の手代に確認すると、その手代も小刻みに頷いている。
智蔵達は、用水桶から水を運んで消火にあたっているが、もう既に焼け石に水状態で、消火の意味を成していない。
「火消しは未だかぇっ!」
それでも必死に水を掛けながら三木蔵が叫ぶ。
先ほどから伸哉は、呼子を鳴らしながら桶を手渡している。
皆必死の形相で働いているのだが、虚しくも炎の勢いは増すばかりだ。
「これ以上は危ねえっ。この辺で終ぇだっ。皆引けっ、終ぇだ終ぇだっ!」
新田は、あざ笑うかの様に勢いを増す火の手に、これ以上は危険だと判断して皆を避難させた。
「あれっ、広太兄ぃが居ねぇっ!」
十間程離れたところで、翔太が広太が居ない事に気がつき声をあげた。
今まで必死に消火にあたっていたので、広太の姿が見えないのに、誰も気がつかなかった様だ。
「捜して参りやすっ!」
伸哉と松次が智蔵に言うや、炎上する西海屋へすっ飛んで行った。それを追う様に智蔵達も西海屋へ引き返す。
広太は捜す程の事も無く、直ぐに西海屋の裏手で倒れているところを松次が見つけ、伸哉と二人で抱え上げて助け出された。
「どいたどいたぁ、は組のもんでぇ。どかねぇ奴ぁ、痛ぇ目にあうぜぇ〜!」
荒々しくも威勢の良い声が聞こえてきた。
どうやらやっと、火消し達が駆けつけて来たようだ。
纏持ちやら、鳶口や刺又を持った火消し達が、勢い良く智蔵達の横を走り抜けて行く。
「兄ぃ、兄ぃっ!」
「おい広太っ、しっかりしろぃっ」
先程避難していた所まで広太を運んで、智蔵や伸哉達が広太に声をかけている。
「どぉれ、見せてみろぃ」
新田は言うや、広太をざっと見て、瞼を少しめくって頷き、やおら広太の上体を起こすと喝を入れた。
「ゴホッゴホッ」っと、咳き込みながら広太が覚醒すると、自分を心配そうに取り囲んでいる面々を、不思議そうに目を丸くして見回した。
「大丈夫かぇ広太、いってぇ何があったんでぇ?」
智蔵が広太の肩を掴んで顔を覗き込む。
「な、何って…」
「兄ぃは裏手で気を失ってたんでやすぜぇ?」
伸哉と松次が状況を掴めていない広太に、倒れていた状況を説明する。
「あっ、由蔵っ」
広太がやっと理解出来たのか思わず叫んだ。
「由蔵? 由蔵がどうかしたのかぇ?」
智蔵が広太に問い質す。
「へ、へい。あっしが見張ってた所の塀を乗り越えて、由蔵が出て来たんでやすが、思いのほか素早ぇ野郎で、捕まえようとしたあっしの方が、逆に当て身を食らわされちまって、伸びちまったみてぇでやす。すいやせん親分」
広太は申し訳無さそうに、智蔵に詫びを入れる。
「当て身って、本当にあの由蔵かぇ?」
話しを聞いていた新田が口を挟んで来た。
「へ、へい。いつも着ていやす西海屋の印半纏も着てやしたし、傘を被っていやしたが、ちらりと顔も見えやしたんで、由蔵に間違ぇ無ぇと思いやす」
広太はここのところ、毎日西海屋の見張りを任されていたので、由蔵は日に何度となく見ている事もあり、自信を持って言っている。
「そうかぇ。当て身ってぇのは、誰もが出来る訳じゃ無ぇんでぇ。あの由蔵がそんな事出来るなんて、思ってもみなかったんでなぁ」
新田は、上手く当て身を決めるのは、剣客でもある程度の熟練者でないと難しいので、易々と当て身を決めた由蔵を訝しんだ様だ。
「ってぇ事は、由蔵は宗右衛門を連れて逃げ出したってぇ事かぇ。ったく、してやられちまったなぁ」
新田は苦虫を潰した様な顔で悔しがる。
「あっしは伸びちまいやしたんで、その後の事ぁ分かりやせんが、由蔵は一人で逃げて来た感じでやした」
広太はその時の状況を思い出して、新田に言う。
由蔵は、主人の宗右衛門を連れてる様な雰囲気は無く、人の事など気にせずに、一人で逃げるのに必死な様子だったと説明した。
『ドーン、ガタガタガタ、ダーン』と、物凄い音と共に、火消し達の怒鳴り声が聞こえて来る。
纏持ちが智蔵達のすぐ側の屋根に登って、勢い良く纏を振っている。
他の組の火消しも駆けつけている様で、組同士の喧嘩も始まっている。
そもそも町火消しは、昨年、享保五年に八代将軍である徳川吉宗が設置させた、『いろは四十八組』からなる町の者で組織された火消しである。
この頃の消防活動は、火を消すと言うよりも、余程小規模な火事を除いて、火は自然鎮火に頼るしかなく、周りの家々を打ち壊して、火が周りに広がらないのを防ぐのが主だった。
その為に、力自慢や血気盛んな輩が火消しに集まるので、喧嘩っ早い荒々しい輩が多いのは否めない。
新田は、その火消し達の喧嘩を横目に見ながら、西海屋の奉公人達の元へ歩み寄った。
「おぅ、お前。松吉ってぇ言ったな?」
「は、はい」
新田が先程から話しを聞いていた手代に、声をかける。
「西海屋は金蔵なり、何か金目のものを置いてる、別宅かなんかはあるんだろう?」
「は、はぃ。私は中へは入った事は無いのでございすが、旦那様と番頭さんだけが使っています家は、隅田村に一軒と、少し遠いいのでございますが、花又村の鷲明神様の近くに一軒ございます」
「花又村だと?」
新田は松吉が言った、花又村に食いついた。
「花又村ってぇと、千住大橋から二里程行った、あの花又村の事かぇ?」
「は、はぁ。左様でございます。は、はい」
新田は町奉行所の管轄外でもある、花又村が怪しいのでは無いかと思い、更に松吉に問い質す。
「その花又村には、どのくれぇの金目のものが有るんでぇ?」
「ど、どの位と申されましても…」
松吉は他の手代の顔を伺うと、その手代達は一様に首を傾げる。
「ま、まぁ、良く存じ上げないのですが、千両箱で十は下らないかとは…」
「な、何だとぉ。そ、そんな大金、なんでそんな辺鄙な所へ持ってってんでぇっ」
「い、いゃ。旦那様が仰るには、辺鄙な所の方が安全なんだとの事でして、実際に用心棒の番人を二人雇っていましたし、今まで盗みに入られた事などございませんので、その様に言われましても…」
松吉は、新田に大きなお世話と言わんばかりに、困惑気味に応える。
「ふっ、まぁ良いや。ところでお前は、その家の場所の絵図は描けるかぇ?」
「はぁ。中には入った事はございませんが、花又村へは何度と無く、使いに行ってますから、頭には入っておりますけど」
松吉は殆どが持って行くのが主だったが、花又村へ金を運ぶ使いを、何度もこなしていたとの事で、新田は松吉に詳しく絵図にする様に頼んだ。
近くの商家で紙と筆を借り受け、松吉に絵図を描かせた新田は、一先ず智蔵と広太、そして伸哉を連れて、花又村まで由蔵の行方を確かめに向かう事にし、松次と翔太を永岡がいる押上村に、今の状況を知らせに行かせる事にした。
そして、三木蔵と留吉はここに残り、入れ違いになるかも知れぬ永岡と、竹蔵を捕らえに行っている弥吉と新太、それに文吉の帰りを、西海屋の状況を見ながら待つ事になった。
「じゃぁ、それぞれ頼んだぜぇ」
新田は押上村に向かう松次達と、ここへ残る三木蔵達に言い残して、花又村へと智蔵達を引き連れて急ぎ出立した。
*
「今晩は〜」
みそのは新之助との繋ぎの為に、呉服町から程近い、駿河町の煙草屋へとやって来ていた。
「あらまぁ、こんな時間に珍しい事ですこと」
老婆にしては声に艶のある女主が、店仕舞いした引き戸を開けてニヤリと笑った。
みそのが来たとなると、用件は自ずと知れている。
将軍である徳川吉宗との繋ぎの為なので、女主も無下には出来ない。
「あのぅ。新さんに急ぎ会いたいのですけど、今夜とかって無理ですかねぇ?」
無愛想で評判のこの女主を、今、常連の親父共が見たらさぞ驚くであろう。
みそのへの好待遇は尚の事、愛想笑いまで浮かべている。
みそのはお構い無しに、気の良い老婆として頼み事をしている。
「一応あのお方は、お忙しいお方ですからねぇ。何とも言えませんが、どうにか繋ぎを付けてみますよぅ。でも必ず今夜と言うのは、中々難しいと解っておくれよぅ」
将軍をまるで豆腐屋でも呼ぶ様に、町の娘が言っているのだが、女主は嫌な顔を少しも見せずに聞いてくれる。
「そうですよねぇ。解ってます。でも何とかお願いします」
みそのは女主に深々と頭を下げると、東京から持って来たのど飴を女主の手に握らせ、ニコリと笑って立ち去った。
最初に来た時にのぞみが舐めていたのを、女主が目敏くと言うよりも鼻敏く「あら、良い匂いをさせてるのねぇ」と気がつき、みそのが一粒分けてあげてから、来る度にお土産として渡していたのだ。
みそのに対する女主の好待遇も、これが要因の一つかも知れない。
「必ずお伝えしておきますからねぇ」
女主は益々親しみを込めて、立ち去るみそのの背中へ声をかけるのであった。




