第六十二話 後始末と新たな手
「口は割ったんでやすかぇ?」
「あぁ、なんせ新田さんだかんなぁ。この通りさ」
永岡の指し示す部屋の隅には、黒猫一家の若いもんが転がっていた。
手拭いを持っていた男だ。
男は新田の拷問に早々に根を上げ、喋るだけ喋らされた挙句、気力の限界を超えたのだろうか、気を失ってしまっていた。
智蔵は他の黒猫一家の者達を、別の番屋へ連れて行き、仮牢に押し込んで来た帰りで、翔太だけを連れている。
留吉は広太の待つ茶問屋へ先に帰らせ、新田もまた奉行所へ報告するのに、一足違いでこの番屋から出て行っていた。
「やはり、西海屋の由蔵に頼まれての犯行だってぇ事でぇ。由蔵がある程度の場所を知らせてきて、手拭いで家の目印をしていたんだとよ。まぁ、黒猫一家の者を捕らえたのは、あの化け物を通して、西海屋の耳へも入ってんだろうし、この事だけじゃぁ、しょっ引いても、言い逃れされちゃぁ重い罪に問えねぇやな。んなもんだから、やっぱ計画通り、先ずは押上村で現場を押さえた上で、片っ端から捕らえねぇ事にゃ始まらねぇさな。とにかく勝負は明日っからだな」
永岡は明日、明後日には全てが片付くと睨んで、語尾を力強くして言い放った。
「そうでやすね。伸哉達もそろそろ帰ってる頃でやしょうし、明日の動きも知れやしょう。旦那、あっしらも茶問屋へ引き上げやしょうかぇ?」
「そうさな。行くとするかぇ」
永岡は智蔵に応え、番屋の親爺に声をかけて立ち上がった。
*
「それで黒猫共は、ことごとく捕らえられたのじゃな…」
蘭丸の報告を受け、信長は短く吐き捨てる様に言うと、また考えを巡らす様に黙っている。
蘭丸が駆けつけた時には、黒猫一家の者達がことごとく打ち据えられた後で、蘭丸は町方の者達も全員始末するつもりだった。
しかし、いつしかの吉宗と思われる男とともに、忍びの者で有ろう気配が大勢現われ、始末は諦めて引き上げて来たのだった。
「殿、由蔵はそろそろ潮時なのでは?」
蘭丸は沈黙に耐え切れなくなったのか、由蔵の不始末には我慢が出来ない様子で、言葉を発した。
「そうじゃのぅ。しかし蘭丸、彼奴には未だ役目が残っておる。暫し待つのじゃ」
蘭丸が今にも由蔵を始末しそうな様子を察し、信長は宥める様に言う。
「先ずは明日の様子を見ようではないか。のぅ?」
「はっ」
明日は偽薬の最後の仕上げの日であり、信長は事が上手く運ぶ様ならば、多少の綻びが有ったとしても、強引に事を起こしてしまえば良いとも思っている。
「尾張は、疑われはしても、そこまでじゃった様じゃのぅ」
「はっ、町方は次第に警戒を解いてございます。もはや次の手を出す頃合いかと存じまする」
戦乱の世に引き戻す為、尾張藩には戦の引き金になって貰わねばならない。
そんな重要な役割を担う尾張藩には、他にも謀反の筆頭に成り得る策が残っていた様だ。
「うむ、それも明日次第じゃ。蘭丸、頼んだぞ」
「はっ」
蘭丸の返事を聞き、ゆっくりと煙草盆を引き寄せると、信長は煙管に火種を移して一服つけた。
そして信長は揺れる紫煙を眺めながら、また何事か考えを巡らすのであった。
*
「おぅ、戻ったぜぇ。出入りはねぇかぇ?」
永岡と智蔵が茶問屋の二階に戻ると、広太と留吉の他に、六郷村から伸哉と松次も戻っていて、今は松次が窓際で表の様子を見張っている。
「へい。今のところ由蔵に使いに出された手代と、由蔵本人の出入りくれぇで、他に怪しい者の出入りはありやせん」
今まで西海屋の様子を見張っていた広太が、永岡に応え、窓際に座っている松次も首をコクリと縦に振った。
「そうかぇ。侍の出入りが有ったはずなんだがなぁ」
永岡と智蔵が顔を見合わせて訝しむ。
「じゃぁ、なんか外で騒ぎはなかったかぇ?」
永岡は少し考えて聞き直した。
「そうでやすねぇ。さっき、ちょいとその先で喧嘩騒動が有ったんでやすが、それも直ぐに治りやしたんで、そんな大事にゃなっちゃいやせんでぇ」
広太が先ほどの職人同士の痴話喧嘩を思い出して、永岡に説明した。
広太はあんな所で騒動を起こされると厄介だと思い、ヒヤヒヤしながら見ていたとの事だった。
「それ以外にゃ、これと言ってねぇんだな?」
「へい、特に…」
広太も不安になって来て、困った様に語尾を濁した。
「いや、良いんだ広太。多分そのちょっとした騒動を仕掛けて、目をそっちに向けさせた隙に、店へと入って行ったってとこだろうょ。それだけ分かれば十分でぇ」
永岡は推測を話し、今度は伸哉に六郷村の首尾を尋ねた。
「へい。あっしらが小屋を見張ってやすと、飯田を追って、三木蔵親分がやって来やしたんでさぁ。飯田が小屋に入って四半刻ほどしやすと、帰る様子で小屋から出て来やして、そん時に猪吉と長助も、見送りに出て来たんでやすが、別れ際に二人は、金が入った巾着みてぇのをかざしながら、必ず明日は押上村へ行って仕上げるって、飯田に言っておりやした。へい。そんでまた三木蔵親分が、飯田の後をつけて行きやしたんでやすが、そん時に三木蔵親分が、今日のところは早ぇとこ帰って、この事を報告する様にと言いなさったんで、あっしらは、早々に引き上げて来たってぇ訳でやす」
「あの後は六郷村へ行ったってぇ訳なんだな」
伸哉の話しを聞いて、智蔵はぼそりと独り言ちた。
「するってぇと、飯田は明日、六郷村へは現れねぇってぇ事になりやすよねぇ?」
智蔵が永岡に問いかける。
「まぁ、その百姓は金を貰ってるみてぇだし、わざわざ別れ際に、明日行くってぇ言ってるくれぇなんだから、明日は来ねぇから言ったんだろうなぁ」
永岡はそう言うと、智蔵の次の言葉を待った。
「いや、飯田を武士とは知らねぇ事にして、お縄にしてぇって話しでやしたから、上手ぇこと飯田が、町人姿で押上村に現れてくれりゃぁ良いと思いやしてね。何か仕掛けてみてはどうかと思ったんでやすょ」
「まぁ、余り日も開けてられねぇからなぁ。でも飯田の奴ぁ、そんな事ぁしなくても、明日押上村に顔出すかも知れねぇぞ」
「そうなんでやすが、前にあの百姓が押上村で作業してた時にゃ、飯田は現れやせんでやしたし、あの二人にゃ町人姿を見られたくねぇんじゃねぇかと思いやすんで、日を開けて薬を取りに行くなり、巳吉か誰か別のもんから、薬を受け取ったりしてたんじゃねぇですかぇ?」
「確かにそうだよなぁ。でもオイラ達ぁ、飯田への繋ぎの方法は知らねぇかんなぁ。かなりの博打になるんじゃねぇかぇ?」
永岡が智蔵とあれこれ話した結果、難色を示す様に応えると、智蔵は頭を掻きながらニヤリとした。
「あっしも、最初は気が付かなかったんでやすがね。あの黒猫一家の、伸びちまってた野郎なんでやすが、飯田の屋敷で見かけた男だったみてぇだったんでさぁ。翔太がさっき番屋で改めて見て、ここへ帰って来る間に思い出したんでやすょ」
翔太が大仰に智蔵の後ろで頷いている。
「幸い奴ぁ、顔に傷を負ってる訳でもねぇんで、奴を使って、飯田を押上村に呼び出させてはどうかと思いやしてねぇ」
智蔵は永岡の答えを待つ様に黙って見ている。
「そうさなぁ。そりゃぁ良いかも知れねぇな。しかし百姓二人の動き出す時刻が、はっきりと掴めてねぇからなぁ。呼び出すにしても、大雑把になっちまうぜ? でも、まぁ、やってみるかえ?」
永岡は不安を覚えるも、やってみる価値が有ると踏んだ様で、智蔵の案に同調した。
「旦那ぁ」
そこに黙って聞いていた松次が声をかけて来た。
「あの二人は、根は真面目で良い人間なんでさぁ。訳を話しやしてこっちの味方に引き入れて、どう動くかを、先に教えてもらっちゃどうでやしょう?」
そう言った松次は、百姓二人が協力する事で、罪を問わない様にして欲しいと付け足した。
「そんな事が出来る様な二人なのかぇ?」
永岡は少し危ない話しだと思い、松次に聞き返す。
「へい。あっしと北山の旦那で、あの二人と旅して見た限りじゃ、あの二人は、何をやらされてるかも解っちゃいねぇ様でやしたし、何より純朴な百姓でやしたんで、話せばきっと分かってくれると思いやす。それに北山の旦那が、このせいで斬られたと知ったら、尚更こっちの味方になってくれるはずでさぁ」
松次は必死に言い、百姓二人を罪に問わない様にする為にも懇願する。
「智蔵はどう思うかぇ?」
永岡は智蔵に意見を求めて振り返る。
「そうでやすねぇ。まぁ、北山の旦那と松次が帰って来た時の話しを思い出しやすと、今松次が言った様に、根は悪く無ぇ、むしろ良い人間だと感じてやしたんで、やってみる価値は有るかも知れやせんねぇ。念の為、北山の旦那の意見も聞いてみちゃどうでやしょう?」
智蔵は北忠の意見を聞いてから、最終的に決めても良いのではと口にした。
北忠は最近では自分で飯も食べられるまでになり、話しが出来るまでは快復している。
「そうさなぁ。これからちょっくら顔を見に行って来るかぇ」
永岡も北忠の意見を聞き、それから判断する事にした様で、一旦この話しを終わらせて出掛ける事にした。
「とにかく、明日は飯田のとこに、あの黒猫の典男を向かわせる事にするんで、番屋の方へは智蔵が行って、彼奴に言い聞かせちゃくれねぇかぇ? オイラは忠吾んとこへ行ってから、その足で追っ付け向かわぁ」
永岡は松次を、智蔵は留吉を引き連れ、それぞれ足早に目的地へと向かった。
「よ、よろしくお願いしやす…」
ドタドタと永岡達が出て行った後、茶問屋の二階に残された翔太は、広太と伸哉に改めて挨拶をすると、窓辺での見張りを買って出るのであった。




