第六十一話 安否
「頼みましたよ。私も立場が無くなって来てますので、ここらで名誉挽回しておかないとなりませんからね」
勢い勇んで出かけて行く黒猫一家の破落戸達の背中を見ながら、由蔵が祈る様に手を合わせて見送っている。
由蔵は宗右衛門に捨て置く様にと、後始末を言い渡されたのだが、町方に気付かれる事なく迅速に事を成す事が、後始末と受け取ったのか、功を成す事が名誉挽回と考えたのか、黒猫一家の破落戸達をみそのの家へと送り出してしまった様だ。
*
「そんなに言うなら、言っといてくださいよねぇ! 私だって聞いていれば、お店の前でなんかで、立ち話しする様な事もなかったんですからっ」
みそのは家に戻って程なくすると、永岡が
やって来て、矢継ぎ早に今日の行動を諌められて、小さくなっていたのだが、自分はそんなつもりなど毛頭も無かっただけに、だんだん理不尽に思えて来て、永岡に逆襲し出したところだ。
「まぁまぁ、そうだな、オイラも悪かったょ。だからいい加減、角を引っ込めてくれや。オイラも心配で言っちまっただけなのさ。な?」
永岡もみそのに正論で返されると、タジタジになって謝っている。
永岡は心配が募っていたところにみそのの顔を見たせいで、一気に爆発してしまって言い過ぎた様だ。
「角なんて出ていませんっ。もぅ…。でもその何とか一家って言う人達って、本当にここへ来るんですかねぇ?」
「黒猫一家な。まぁ、絶対とは言えねぇが、来るだろうよ。今、智蔵達を新田さんの所まで走らせてるんで、じきに知らせに来るはずだぜ。知らせが来たら、お前は屋根裏にでも隠れててくんねぇ。その間に捕らえちまうからよぅ」
永岡はみそのを安心させる様に、とりわけ鷹揚に言った。
*
「殿、やはり気になるので見て参りましょう」
蘭丸は由蔵が出て行った時にも、由蔵を危ぶみ、様子を見に行く事を信長に進言していた。
それは、先だって、由蔵が隅田村まで町方につけられていた事に次いで、つい先ほど西海屋に入って来た際に、誰かに見られている感覚が有り、この店が町方に監視されているのは明白だったからだ。
しかし、信長も町方が見張っているのは、店にネズミが入り込んでいた事で承知していて、それ故、由蔵へ余計な真似は止める様に命じていたので、蘭丸が動く事は許さなかったのだ。
「ほぅ。そこまで言うには、何か感ずる所が有ると言う事かのぅ?」
「はっ」
蘭丸はその通りとばかりに、信長に平伏して応える。
そんな蘭丸の姿を見た信長は、
「そうじゃのぅ…」
と、ぼそりと言うや、目を閉じて考えを巡らせるのだった。
*
「兄貴ぃ、きっとここでやすぜ。ほら、あれが目印の手拭いじゃねぇでやすかぇ?」
ぞろぞろと歩いて来た破落戸達の一人が、みそのの家の塀にかけられた手拭いを指して声を上げた。
「おぅ、とっととやっちまおうじゃねぇかぇ。へへ」
下卑た笑いで応えた兄貴分が、皆に声をかけ、酒場へでも寄るかの様に、みそのの家に近付いて行く。
そして、みそのの仕舞屋の中では、
「おっ、外が騒がしくなって来たみてぇだな。おぅ、どうやらお出ましの様だぜぇ。用意は良いかぇ?」
と、永岡が外の気配をいち早く察し、留吉と翔太に声をかけていた。
二人は先程、息急き切ってみそのの家に着いたところで、みそのに茶を出してもらい、やっと人心地で落ち着いていたのだった。
今の二人は、家の玄関口の突っかい棒やら、竹の物干し竿を手にしている。
「へい!」
永岡の声に、二人とも威勢良く応えて腕まくりをする。
「オイラが相手すっから、お前らは倒れたところへ打ち掛かって、縄で縛るんだぜ」
永岡は、茶を飲みながら説明した段取りをもう一度言い、捕物十手を腰から抜いた。
そして、口に指を立てて玄関口に張り付き、外の気配を伺うと、
「行くぜぇ」
一声かけた永岡が勢い良く戸を開けた。
そこへ丁度、戸を打ち破る勢いで破落戸が転がり込んで来て、翔太が渾身の力で竹竿を打ち付ける。そして、間髪を入れずに雪崩れ込んで来た破落戸共を、永岡の捕物十手が、次々に首や足の付け根、向こう脛と言った具合で打ち据え行く。
鋼で出来た十手なだけに、永岡に打ち据えられた破落戸共は、痛みでのたうち回り、留吉と翔太が打ち掛かるまでもなく、次々と無力化されて行く。
その勢いのままに永岡が表に出ると、既に二人となった破落戸は、何が起こったか解らぬと言った面持ちで固まっていて、永岡を目にしてやっと我に返って逃げ出した。が、その時には、「ゴギッ」っと、鈍い骨の折れる様な音と共に地面を転げ回る。
永岡が駆け寄り様に一人の肩口を十手で打ち据えたのだ。
ただ男が大仰に転げ回って進路を塞いだ為、最後の一人が猛烈な勢いで逃げて行ってしまう。
「逃すかっ」
永岡は転げ回る男を飛び越えた時、黒い影がその男にぶつかって行くのが目に入った。
そして次の瞬間、「ゴギッ」っと、鈍い音がして新田の顔が覗いたのだった。
「ふふ、オイラ達ぁ、要らなかったみてぇだなぁ」
新田がのんびりと永岡に近付きながら、十手を手に笑う。
「いえ。一人取り逃がしかけちまった訳ですし、助かりましたょ」
永岡が頭を掻きながら言う。
智蔵は新田が倒した男に縄を打ち、留吉と翔太が、縄打ちに難儀している所へと駆けつけて行く。
「新田さんっ」
急に永岡が真剣な眼差しで新田を見やる。
「うむ」
新田も同時に異変に気が付き周りを見回す。
「来やがったかぇ」
新田と永岡は背中合わせになり、何処から出ているのか解らない、凄まじい気を警戒しながら、十手から太刀に手をやり、鯉口を切って、同時にそれを抜き払った。
ピリピリと刺すような剣気が二人を覆い尽くす。
「ちっ」
微かに舌打ちの様な音が聞こえ、凄まじい気は、跡形も無くすっと引いて行った。
「……」「……」
永岡達は、チリチリ感じていた殺気から解放されつつも、尚も警戒する。
「むんっ」
新田が気配を感じ、そちらへ剣先を向けると、
「ワシだワシだ。斬るでないぞ」
両手を上げた男が近寄ってきた。
「ん?」
「新さんじゃねぇですかぇ?」
新田が良く解らない顔をしたが、永岡の声で剣気を解いて刀を納めた。
「奴さんは行ってしまった様じゃぞ。今日はなんだか妙に胸騒ぎがしてなぁ。気になったで、みそのの様子を見に来たのじゃ」
実はこれは、永岡が来てから留吉と翔太を待つ間に、みそのはそっと家を抜け出し、新之助との繋ぎの煙草屋へ走ろうとしたところ、折良く源次郎が顔を出したので、そこで事の次第を話し、新之助こと徳川吉宗に助けを求めていたのだった。
しかし、源次郎が折良く現れたのは偶然では無く、吉宗の命を受け、人知れず護衛していた事は、みそのは知る由も無かった。
「そうでしたか、お陰で助かり申した」
永岡は、新田と二人とは言え、あの凄まじい殺気を帯びた剣気に、半ば死を覚悟していたので、本気で新之助に感謝の言葉を吐いていた。
「しっかし、化け物みてぇな野郎だなぁ」
ぼそりと新田が言った時、破落戸共をあら方縛り上げた智蔵がやって来た。
「旦那、こんな物が有りやしたぜ」
智蔵の手には、『西海屋』と染め抜かれた手拭いがあった。
「あそこで伸びてるヤツが、握りしめていやしたぜ」
智蔵が指す方を見ると、最初に戸を破って転がり込んだところを、翔太に竹竿で強かに打ち据えられ、完全に伸びてしまっていた男だった。
他の者達は、痛みにのたうち回っている者こそ居るが、気を失っている者はいない。
「裏だけでも取っとくとするかぇ?」
新田が言って、伸びている男を意識がある者とは別の番屋へ運び込む様に、智蔵に指示をした。
そこに偶然を装って源次郎も現れ、永岡は丁度良いと、新之助と源次郎に、みそのの家で様子を見る様に頼み、新田を始め、総出で捕えた黒猫一家の破落戸共を、番屋へと連れて行く事にした。
*
「ありがとうございました、新さん。でも、将軍様をお呼びたてするなんて、良く考えたら有り得ない話しですよねぇ?」
みそのは新之助に酌をしながら、急に呼び出したにもかかわらず、駆け付けて来てくれた礼を言う。
新之助は、源次郎には引き続き外の警護を命じていた。
「なぁに、ワシの為に働いてくれている様な物じゃで、ワシも働かんとなぁ」
これ以上偽薬が蔓延して死者が増え続ければ、江戸が大混乱に落ち入り兼ねない。
吉宗はこの一事をもってしても、自分の城下も治める事が出来ぬと、他大名に統治能力を疑われ、威厳も何も有った物では無いとの理由付けで、徳川幕府の権威の為にも事の収束を早急に成さんと、老中一同に下命していたのだった。
「町の者に死者が出なければ、最悪は犯人など、捕らえられなくとも良いと言ったのじゃが、彼奴らはまだ諦めて居らんようじゃのぅ。ふふふ」
「つい先日、裏長屋のおかみさんの弟さんも、その薬で亡くなったのですよう。弟さんが亡くなったって聞いて、いつも元気な人なのに、酷く沈んじゃってねぇ…。本当、あんな薬なんか、早く無くなって欲しいわ」
みそのは、お菊の哀しそうに沈んだ顔を思い出して、新之助にこぼした。
「そう言えば、こっちへ来る前は、新さんには兄弟とかいたんですか?」
「ん? まぁな。妹が三人と、弟が一人な。そうじゃ、弟は未だ小さくてなぁ。可愛かったぞぅ」
新之助は遠くを見る様な目で言う。
「みんな新さんが急に居なくなったんだから、哀しかったんだろうなぁ」
みそのは、またお菊の哀しそうな顔を思い出す。
「新さんも寂しかったでしょうねぇ」
「まあな…」
みそのの問いに、新之助は寂しげな目で応え、
「ワシは弟の面倒を見るのが好きでな。おしめを替えたり、飯を食べさせたりと、良く妹達と取り合ったもんじゃよ」
と、薄っすらと顔をほころばせて、懐かしそうに思い出を語る。
「そうかぁ。妹さん達もそうでしょうけど、年が離れてる弟さんなら、未だ私の居る時代でも生きているでしょうねえ。見つかるかどうか分かりませんけど、一度捜してみましょうか?」
みそのは新之助の兄弟の消息を調べ、新之助に教えてあげたくなった様だ。
「ん〜。その後、息災に暮らせて居ればそれで良いのじゃ。そんな手間をかけてくれなくとも良いのじゃぞ」
新之助は、みそのの好意に笑顔で応えて遠慮する。
「でも気になるんじゃないですか? 本当に捜し出せるか分からない事だし、気を使わなくて良いんですよ?」
みそのは、それでも新之助に言い募る。
「あれ? そう言えば新さんって、何て名前だったか聞いて無かったですよねぇ?」
みそのは江戸に来る前の、新之助の本名を聞いていなかった事に思い当たり、捜すにしても、名前が分からないでは始まらぬとばかり、改めて名前を尋ねた。
「ん〜、ワシは『葉山良太郎』と言うんじゃが、まぁ、余り無理せんでも良いぞ」
「は、葉山、良太郎、ですか!?」
新之助は不承不承応え、更に無理しない様にと付け加えたのだが、みそのの方は新之助の名前を聞いて、耳を疑う思いで興奮して聞き返していた。
「そうじゃが。どうしたんじゃ? そんな珍しい名前でも無いで、そう驚く事はなかろうに。ふふ」
「い、いえ。実は私も『葉山』と言う苗字なんですよ」
みそのは動揺しながらも小さく応える。
「ほぅ、そうじゃったのか。ふふ、お前さんの父親が、ワシの弟だったりしてなぁ。あははははっ」
新之助は、自分の推測にカラカラと笑った。
「い、いえね、新さん。私は結婚して『葉山』になったので、それは無いのですがね。夫の名前が新さんと同じ『良太郎』なんで、それでびっくりしてしまったんですよう。本当、こんな偶然ってあるんですねぇ?」
みそのは自分が結婚していた事と、夫と新之助が、同姓同名だった事に驚いたのだと、打ち明けた。
「ほぅ、お前さんは結婚していたのかぇ? ん〜、永岡が気の毒じゃのぅ。しかし、ワシと同姓同名の夫とはなぁ。それは驚きじゃのぅ。ふふ、ははははははは」
新之助も偶然を驚きながらも、永岡の事を思うと可哀想だが、笑えて来てしまった様だ。
「でもお前さんの夫が、弟の子供と言う事も有り得るのでは無いかのぅ」
新之助は、少し真面目な表情に戻って話しを戻した。
「そうですねぇ。でも夫の両親は、ずっと千葉の松戸の人ですからねぇ。新さんは和歌山なんですよねぇ?」
「うむ、そうじゃ。和歌山の田舎、山ん中じゃな。ふふ、もう少しでお前さんは、ワシの甥っ子の嫁さんってところじゃったのじゃが、残念じゃのぅ」
新之助は可笑しそうに笑った。
「そうですねぇ。でも同姓同名ってだけでも驚きですよう」
みそのも可笑しそうに笑い、東京に帰ったら、新之助の兄弟を捜す事を約束するのだった。




