第六十話 狙われるみその
「みそのちゃん、今日はありがとうねぇ。本当、良い気晴らしになりましたよぅ」
「いいえぇ。私も誘われでもしないと、中々外出しないので、こういう機会が有ると、楽しみが増えて嬉しいんですよ?」
「ふふふふ」
みそのとお加奈は仲良く二人で、楽しそうに話しながら歩いている。
みその達は浅草寺でお参りし、ぶらぶらと買い物をしながら、仲見世を見て回り、近くの蕎麦屋で天婦羅蕎麦を食べたりと、すっかり満喫して帰路についているところだった。
「親分、みそのさんが戻って来やしたぜぇ」
みそのとお加奈が行きと同じ様に西海屋の前を通り過ぎて行くのを、茶問屋の二階から外の様子を見ていた広太が見つけ、智蔵に声をかけた。
智蔵は少し前に翔太を伴い着いたところで、広太から事の次第を聞いて、昨日挫いた足をさすりながら一休みしていたところだった。
「確かにみそのさんだなぁ。流石に帰りは、店の前で立ち話しはしねぇみてぇだな」
みその達はチラリと西海屋を見るくらいで、楽しそうに話しながら歩いて行く。
「じきに永岡の旦那も現れようさ。俺は旦那と合流するから、広太、後はよろしく頼むぜぇ」
「へい。あっ、彼奴が西海屋の手代ですぜ」
智蔵が窓辺から離れて、部屋を出かけようとした時、みその達を追って行った手代が前を通り、西海屋の中へ、目で何やら合図を送った様だった。
「彼奴かぇ。じゃぁ、旦那も直ぐにやって来るな。翔太、行くぜぇ」
言うや、智蔵は先程までさすっていた足も何とやら、翔太を連れてすっ飛んで行った。
「おぅ、智蔵じゃねぇかぇ」
永岡はいち早く路地から現れた智蔵を見つけ、駆け寄り様に声をかけた。
「あらましは広太から聞きやした。彼奴がみそのさんを付け回してやがる手代でやすね?」
「あぁそうだ。みそのの野郎、呑気にぶらぶらした挙句、飯まで食ってやがったんだがな。その蕎麦屋ん中で、隣にあの男が座って食ってるってぇのに、全く気がつかねぇんだから呆れたもんだぜぇ」
永岡は手代を追いながら応えると、
「ふふ、で、翔太が居るってぇ事は、飯田のツラぁ拝めたんだな?」
と、翔太をチラリと見て確認する。
「へい。翔太が見たってぇ侍は、やはり飯田で間違ぇ無ぇ様でさぁ。翔太は今日のところぁ、永岡の旦那の手伝いをしてぇってんで、そのままこっちへ連れて来やした」
智蔵は永岡に報告すると、翔太を顎で促した。
「だ、旦那、その通りでさぁ。あの男に先ず間違ぇ無ぇでやす。親分さんに永岡の旦那の手伝いがしてぇって、お願ぇしちまったんでやすが、どうかよろしくお願ぇしまさぁ」
翔太が永岡に頭を下げた。
「お前がやってくれるってぇんなら、オイラは大歓迎さね。でも今回は怪我人も出てる訳だし、殺された奴もいるんだぜぇ。ただ面白そうだからってぇんなりゃ、止めといた方が良いぜぇ?」
永岡は前を行く手代を見ながら話し、翔太にもう一度考えて決める様に匂わせる。
「へ、へい。おっかねぇ目に遭いてぇ訳では無ぇんでやすが、あっしは、旦那や親分さんと一緒に働きてぇんでやす。旦那、どうかあっしを使ってやってくだせぇ」
翔太はもう一度頭を下げて永岡に頼んだ。
「ふふ、分かったよ。頭を上げねぇかぇ。まぁ、脅す様に言っちまったが、大怪我を負ったのも、斬られて殺されちまったのも本当の話しさぁね。下手人は、今回の事件に絡んでる奴で間違ぇ無ぇんでぇ。そんくれぇの心構えでやってくれって事さね。お前にそんな事ぁ無ぇ様に、オイラも身体張ってやっけどな」
永岡はニヤリと笑って、翔太の肩を叩いて歓迎した。
「へ、へい。足手まといになら無ぇ様に頑張りやす」
笑うと未だ幼さの残る顔で、翔太は喜んだ。
*
西海屋からは未だ手前の、横山町に有る茶店に新田の姿がある。
新田と留吉は、黒猫一家の破落戸共を追っていたのだが、その破落戸共が一軒の煙草屋へぞろぞろ入って行ったので、新田は煙草屋を見渡せる茶屋で、一休みしている風を装って見張っていたのだ。
留吉には念の為、煙草屋の裏口に回って見張りをさせている。
「永岡と智蔵じゃねぇかぇ。ってぇ事は……。やはりなぁ。じゃぁ、彼奴らは暫くここで待機ってぇところだなぁ」
新田が永岡達を目にして独り言ちる。
新田は茶を飲みながら煙草屋の様子を伺っていると、歩いて来る永岡達の姿を認め、その先に西海屋の手代、そのまた先に小さくみそのの姿を見たのだった。
それを見た新田は、早速腰を上げて茶屋を出ると、煙草屋の裏口へと回り、
「おぅ、留吉。彼奴らは多分、暫くここで待機する事にならぁな。念の為お前は残って、向かいで茶ぁでも飲んで一休みしててくんなぁ」
と、留吉に声をかけ、永岡のところへと走り出した。
「新田さん、どうしました?」
永岡は新田から声をかけられると、智蔵と翔太を先に行かせ、少し歩みを緩める。
「留吉の追ってた手代は、黒猫一家に破落戸共を呼びに来たみてぇだぜ。オイラも黒猫一家を見張ってたんで、留吉と一緒にその破落戸共を追って、そこの煙草屋へ入ってったのを見張ってたのさぁ。留吉には念の為、今も煙草屋を見張ってもらってるぜ」
新田は矢継ぎ早に語り、みそのの住処を突き止めた上で、あの破落戸共を使ってみそのを襲う手立てだろうと、自分の推察を聞かせた。
「そんなとこでしょうねぇ…。分かりました。こっちは三人いますんで、新田さんは留吉ん所か、茶問屋へ戻っていてください」
「分かった。茶屋へはさっき出て来たばかりなんで、怪しまれるといけねぇから、茶問屋の方に詰めてるぜ。一応留吉にも声はかけとくわな。後でなっ」
新田は言うや、永岡と別れ、今来た道を戻って行くのだった。
*
新田が永岡と別れた頃、西海屋では身なりの良い武士が一人、店へと入って行くところだった。
広太は浪人者に的を絞っていた事もあり、その武士はお家の御用で現れたのだろうと、特に気にもしていなかった。
しかし、その武士は蘭丸こと森成利で、今は笠原と名乗っている目当ての浪人者だった。
広太はまさか自分を斬った相手だとは、夢にも思わなかったのだろう。
*
「無事っつぅかなんつぅか、やっとあの野郎は家に戻りやがったな…」
永岡は、みそのが家に入って行く様子を、遠目に伺っている手代を見ながら呟いた。
そしてその手代が、みそのの住処だと判断したのか、来た道を足早に帰って行くのを見ると、智蔵に目配せをした。
「新田の旦那が言ってやした、煙草屋に行くんでやしょうねぇ。旦那、あっしと翔太が後をつけて確かめて来まさぁ。念の為茶問屋へ走って、新田の旦那もこっちへ来てもらいやしょうかぇ?」
「あぁ、そうしてくんなぁ。相手は四人って言ってたんで、先ず大丈夫だと思うが、やっぱ新田さんが来てくれりゃぁ、助からぁな。頼んだぜぇ」
智蔵が全て承知とばかりに永岡に言うと、永岡も言わんとした事はその通りとばかりに、智蔵に願った。
「オイラはみそのんとこで待ってるんで、新田さんも着いたら、先ず中へ入ってもらう様に伝えてくんなぁ」
「合点承知でさぁ。行くぜ翔太」
「へい、親分」
すっかり智蔵に懐いた様で、翔太も智蔵と一緒に駆け出して行った。
「やれやれ、何て言ってやろうかねぇ」
永岡は智蔵達を見送ると、みそのの家へと振り返って独り言ちた。
*
その頃西海屋の一室で、宗右衛門こと織田信長と、笠原こと蘭丸、森成利が、声を潜めて語り合っていた。
「由蔵から聞いておる。彼奴も功を急ぎおって、蘭丸には面倒をかけさせたのぅ」
「いえ。私も一人も始末出来ずに、その場を逃げる様に離れました故、その様なお気遣いはどうか」
信長の言葉に、蘭丸は恐縮して頭を伏せたまま応えた。
「しかし珍しいのう。お主が高々二、三人の相手を討取れんとはのぅ」
「はっ、誠に面目もござりませぬ」
「中々遣うのかぇ。その町方の二人は?」
「はっ、この太平の世の侍では、余り見ない腕の者達にござりまする」
「ほぅ。徳川には勿体無いのぅ。上手い事こちらに引き入れたい物じゃが、今の世では、そう武功を挙げて成り上がろう等と、考える漢も居らん様になったでなぁ」
「はっ、仰るとおりでござります」
「で、次は討取れるのかぇ?」
「必ず」
「まぁ、その様な事態になる前に、事を起こして大名どもを急き立てて、戦へと誘い込んだら、その者達も気が変わるやも知れんがのぅ」
信長と蘭丸が二人以外には聞こえない様な、低い独特の話法で話していると、誰かが近付いて来る足音が聞こえた。
「旦那様、由蔵でございます」
案の定、由蔵が襖越しに声をかけて来た。
「うむ。入りなさい」
信長はすっかりと宗右衛門のそれへと戻り、由蔵に応えた。顔までも別人かと見紛う様な変わりぶりだ。
「笠原先生には、あの尾張の百姓やら、役人共を始末して頂く事になっておりましたが、その笠原先生も丁度お越しという事で、はい。旦那様のお耳に入れておかねばならない話しがございます」
由蔵は部屋へ入るなり、平伏して話し出した。
「本日例の女が店の様子を探っていまして、まさかとは思いましたので、梅吉に後を追わせて、女の住処を調べさせてございます。そして洋助には、黒猫一家へ腕っ節の強いのを寄越す様、走らせてございます。笠原先生がお越しになるとは、存じ上げなかったものでございますから、その様な手配りをしてしまいましてございますが、笠原先生がお越しとあらば、話しが違って来るのやも知れぬと思いまして、ご報告に参りました。先程、既に例の煙草屋に、黒猫一家の者達が詰めていると、洋助から報告があったもので、じきに梅吉も戻って来ましょうから、その前にこの事のお伺いを立ててから、話しを進めた方が良いのかと思いましたのですが、如何致しましょうか?」
由蔵が頭を下げたまま主人の言葉を待つ。
「捨て置けば良いものを。今はその様な時では無いと言うに。全く余計な事を」
宗右衛門は能面の様な顔を歪ませて、明らかに不機嫌になる。
「も、申し訳ござりません」
由蔵は恐々として、そのまま頭も上げられない。
「下らない事で、今、町方に手を出されでもしたら、元も子もないでしょうに。笠原先生どうこうと言う事では無いのです。由蔵、良いから今すぐ手配りの後始末をしなさい」
宗右衛門は由蔵に、早々に物騒な手配りを止め、後始末する様に言って、不機嫌なまま煙管に煙草を詰めると、煙草盆から火種を移した。
「ふぅ〜。何をしているのです、早く行って後始末なさい」
宗右衛門は煙草を一服ふかして、未だ畏まって、平伏している由蔵を追い立てると、由蔵は転がる様に慌てて部屋を後にした。
「ふぅ〜」
宗右衛門は気を落ち着かせる様にか、大きくまた一服つける。
「殿、あの由蔵。危のうござるなぁ」
今まで黙っていた蘭丸が、煙管を噛んでいる宗右衛門、いや、信長に声をかける。
「……」
信長は返事をせず、ガリガリと音を立てながら煙管を噛み、目を瞑っている。
信長が苛々している時の癖なのだが、蘭丸はそれを承知しているだけに、何も言わず信長の気が収まり、次の言葉が出るのを待つ事にした。
*
「おっ。彼奴ぁ、由蔵じゃねぇかぇ」
新田は茶問屋の二階に戻って来て、広太と一緒に、窓越しから西海屋の様子を伺っていた。
新田が見張り出して暫くして、みそのをつけていたと思われる手代が、小走りに戻って来たのだが、西海屋に入るや否や、入れ違える様に由蔵が西海屋の店先に現れ、辺りを見回しながら、何か考える素振りで歩きだしたのだ。
「広太、オイラは行って来るんで、また後を頼んだぜ」
新田は由蔵をつける事を広太に言うと、疾風の様に階段を降りて行った。
*
「翔太、ちょっと待て」
智蔵が翔太の袖を引いて、道端の用水桶の陰に引き込んだ。
「どうしやした親分」
翔太は急に用水桶の陰に引っ張りこまれ、目を白黒させている。
「ほれ」
智蔵は前から歩いて来る男を顎で指す。
「西海屋の由蔵でぇ。おっ、後ろから新田の旦那がつけて来てるぜぇ」
小走りで来る由蔵の後ろに、微かに新田の影が見えた。
智蔵は由蔵をやり過ごし、後からつけて来た新田に声をかける。
「おぅ、智蔵かぇ。永岡はどうしてぇ?」
新田は智蔵と一緒に居ない、永岡の事を気にした。
「へい。永岡の旦那はみそのさんの家で、襲撃に備えて待機していやすぜ。あっしは旦那の使いで、新田の旦那を呼びに来たところでさぁ。相手は四人ってぇ事でやしたんで、新田の旦那が居りゃぁ、簡単に片が付くってぇもんで」
智蔵は歩きながら応え、永岡からみそのの家に着いたら、中へと入ってくる様にとの言伝を伝えた。
「そうだな。それでも良いが、これから黒猫の破落戸共の所へ行くはずでぇ。また人が増えてたりしちゃ堪んねぇから、そいつを確認した上で、増えてやがったら一人が人を呼びに走って、増えて無ぇ様なら、それを永岡へ知らせに走る事にして、オイラと残った者で奴等をつけてって、挟み討ちにしようと思うんだが、それで行かねぇかぇ?」
「そいつぁいいや。流石新田の旦那だぁ、それで行きやしょう」
新田の提案に智蔵が賛同する。
「あそこだぜ」
煙草屋が見えて来ると、前を行く由蔵は、足を速めて煙草屋へと入って行った。
「やはり二人増えちまってるみてぇだなぁ。でも侍はいねぇ様だし、このままで行くかぇ?」
破落戸共が煙草屋からぞろぞろと出て来ると、今、留吉から聞いた通り、人数は六人に増えていた。
新田が留吉と別れて程なく、下っ端の様な若いもんが二人、煙草屋へ入って行くのを留吉が見ていたのだ。
「まぁ、大丈夫だろうよ」
新田は六人の破落戸達の腰の据わり具合を、一通り見回した後に、もう一度口にして智蔵を見た。
「永岡のとこには二人に走ってもらって、後詰めはオイラとお前で行くかぇ?」
新田は少し引きずり気味の、智蔵の足を気にしてニヤリと笑った。
「へい。どうもお気遣いさせちまったみてぇで、面目無ぇ。留吉、翔太、ひとっ走り頼んだぜぇ」
智蔵は新田に苦笑いして応え、永岡へ知らせに走る様、二人に声をかけるのだった。




