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第五十九話 みそののお散歩

 


「へぇ〜、ここがあの西海屋なのね〜」


 みそのは、活気のある店先に掲げられた大きな一枚板に、『西海屋』と彫り書かれた、立派な看板を繁々と見ながら言った。


「あら、みそのちゃんは西海屋さんとお知り合いなの?」


 一緒に歩いていたお加奈が、不思議そうにみそのを見て言う。


 今日は数日前に、散歩がてら浅草寺にでも遊びに行きましょうと、お加奈から誘われての遊行だった。

 みそのが東京での仕事の休みの日を、使いに来た息子の甚平に伝えたのが、今日と言う事だ。


 みそのは最初、この甚平とひょんな事から知り合いになり、色々と店の面倒やらを見る様になってから、甚平の母親であるお加奈と妙に気が合い、時折こうしてお加奈の気晴らしに付き合って、一緒に出掛けたり、お昼を食べたりしている。

 お加奈はみそのを、二十三、四くらいだと勘違いしているが、実はみそのとお加奈は同い歳で、みそのとしても親近感もあり、話しが合うのも頷けるのだ。


「知り合いと言う程の事ではないんですけど、良く永岡の旦那の話しに出て来ましたので、つい、ここかぁって思っちゃいまして」


 みそのは、永岡の話しに良く出て来る店が、偶然にも通りかかった所に有り、名所を見る様に興奮している様だ。


「そうだったのねぇ。今や西海屋さんは、飛ぶ鳥を落とす勢いらしいわよ。そんなお大尽の西海屋さんとお知り合いだなんて、流石みそのちゃんだわって思いましたよぅ。ふふふふ」


 お加奈は自分の早とちりに、可笑しくなって笑っている。


「でも永岡の旦那が話していたんなら、何か悪い噂でも有るのかしらねぇ?」


 お加奈は今度は眉を寄せ怪訝な顔で、みそのと一緒に店の中の様子を見る。


「お加奈さんは、悪い噂は知らないんですか?」


「えぇ。仕事を取られたって、商売敵の恨み言は噂で聞いた事が有るけど、特にこれと言ってねぇ…。でも、その商売敵ってのは、西海屋さんには、かなり強引なやり口で仕事を奪われたって、ふれ回っていてね。腹いせに火を付けてやるだの、物騒な事を言ってるみたいだから、その事と関係してるのかしらねぇ?」


 お加奈は益々険しい顔つきになり、肩を竦めて怖がった。


「ありゃ、みそのさんじゃぁねぇでやすかぇ?」


 みそのがお加奈と歩いて来たところを、丁度茶問屋の二階から、西海屋を見張っていた広太が見つけて声を上げた。

 広太は怪我を負う前、智蔵の供をしている時に、何度かみそのを見ていたので覚えていた様だ。


「な、何ぃ」


 先ほど到着した永岡が、みそのと聞いて窓辺へ駆け寄った。


「あの野郎、何してやがんでぇ。ったくよぅ」


 永岡は、みそのがお加奈と一緒の事を考えると、だいたいの察しはついたが、思わず恨み言が口から出た。


「早く行きやがれってぇんだよ。ったく、店のめぇで立ち話しなんかしてんじゃねぇよっ」


 永岡は、みそのとお加奈が店先で、中の様子を見ながら何やら話しているのを、ジリジリしなから見ている。


「おぅ留吉、オイラぁちっと出掛けて来っから、ここは広太とよろしく頼むぜぇ。なぁに、みそのにここは通らねぇ様に言い含めたら、直ぐに戻らぁ」


 永岡がそう言って部屋を出かけた時、


「旦那ぁ、ちょっと待っておくんなせぇ。今みそのさん達ぁ歩き出しやしたが、店から誰か出て来て、みそのさん達の方を見てやすぜ」


 外の様子を見ていた広太が永岡を呼び止めた。

 永岡は、また窓辺へ駆け寄って外を見ると、広太の言ってる様に、店先で手代風の男が二人、由蔵と一緒にみその達のいる方向を見ていた。


「ったく、言わねぇこっちゃねぇや」


 店先で由蔵は、みそのが歩いて行った方向と反対側とを、二人の手代に指し示し、それぞれに指示を出している様だった。


「おい、留吉。オイラはみそのの方へ行くんで、おめぇは彼奴を追ってくんな」


「合点でぇ」


 永岡は由蔵達の様子を見るや、留吉と二人、転がる様に部屋を出て行った。



 *



「彼奴でさぁ。間違まちげぇありやせんや。彼奴が、例の流れもんと話してたさむれぇでやすよ」


 折良く外出の格好で、屋敷から出て来た飯田を見るなり、竹藪の中で息を殺していた翔太が声を上げた。


「やはりそうかぇ。まぁ十中八九、間違まちげぇとは思ってたんだが、これで決まりだな。ありがとうよ。翔太」


 智蔵が翔太の肩を叩いた。


「じゃぁ三木蔵みきぞう、後は頼んだぜぇ」


「任せとけってぇ。おめぇも抜かるんじゃねぇぜ」


 三木蔵は智蔵にニヤリとやった。

 智蔵が永岡から手札を受けた、岡っ引きである様に、三木蔵もまた新田付きの岡っ引きなのだ。

 二人は毎日の様に、奉行所の控え場で顔を合わせていて、気心も知れている。


うるせぇやぃ。とっとと飯田をつけやがれってぇんでぇ。おめぇこそ抜かるんじゃねぇぜぇ。ふふ」


 智蔵がやり返して、飯田の後を付けて行く三木蔵を見送った。


「あっしはどうしやしょう?」


 頬を緩めながら三木蔵を見ている智蔵に、翔太が覗き込む様に伺いを立てる。


「そうだな。早々に用事が済んじまったなぁ。今日のところはもう良いぜぇ。茂蔵しげぞうに礼を言いがてらおめぇを送ってくぜ。ご苦労だったなぁ」


 智蔵が笑いながら翔太を労うと、翔太は慌てて手を振って恐縮する。


「いえいえ、智蔵親分。滅相もねぇでやすよ。それにあっしはウチの親分に、今日から永岡の旦那にお仕えしろって、言われて来てやすし、親分さんさえ良けりゃぁ、もう少しあっしを、使ってやっちゃくれねぇでやすかねぇ」


「ほぅ、それはどう言うこってぇ?」


 智蔵は何となく察しはついたが、翔太に問いかけた。


「いやぁ、どうって言われやすと言い辛ぇんでやすが…。まぁ、言っちまえば、こっちの方が面白おもしれぇからでやすかねぇ。それにあっしを人間扱いしてくれんので、やり甲斐があると思ったんでさぁ。荒神一家に戻っても文の使いや、ドブさらいなんかでやすし、あっしは、そんな仕事でもちゃんとこなしてんのに、兄ぃ達ときたら、今度はあれ持って来いだの、あっしの事を召使いの様に使うだけ使って、怒鳴り散らしてるだけでやすからねぇ」


 翔太は頭を掻きながら、荒神一家の下っ端の心境を訥々と語った。


「ふふ、まぁ良いだろう。少しは骨休めにもなるってぇ訳だな。それじゃぁ、今日一日助けてもらおうじゃねぇかぇ。よろしく頼むぜぇ」


 智蔵はクスリと笑うと、翔太の肩を叩いて歩き出した。



 *



「ん? ありゃぁ、永岡んとこの留吉じゃねぇかぇ ?」


 今日の新田は、黒猫こくびょう一家に乗り込んで話しだけでも聞こうと、黒猫一家のある霊岸島まで歩いて来ていた。

 そんな時に丁度留吉が角を曲がって来たのだった。そして前を歩く留吉は、何やら商家の手代の様な風体の男を、つけている様に見えたのだ。


「ははぁん。留吉の奴ぁ、西海屋の手代をつけてたんだなぁ。ってぇ事は、行き先は一緒って事になるんじゃねぇかぇ」


 新田は独り言ちると、足を速めた。


「へひっ。な、なんだ、新田の旦那じゃねぇですかぇ。肝冷やしやしたよぅ」


 留吉は新田に肩を掴まれて呼ばれ、身構えながら応えた。


「悪りぃ悪りぃ。で、どうしてぇ?」


 新田は前を行く手代を顎で指して尋ね、そのまま手代を追う様に促し歩き出した。


「へい。西海屋に偶然、友達連れのみそのさんが通りかかりやして、店の前で暫く話し込んじまったんでやすよ。それを由蔵に気づかれちまったみてぇで、由蔵が手代二人を連れて出て来やして、何やら指示を出しやがったんで、永岡の旦那が、みそのさん達をつけてった手代を追って、あっしらが追ってるあの男が、もう一人ってな訳なんでさぁ」


 留吉が歩きながら、前を行く男に目を向けたまま話した。


「そうかぇ。じゃぁ、決まりだな。あの野郎は、黒猫一家に繋ぎをつけに来たのにちげぇねぇ。大方もう一人にみそのさんの行方を追わせて、行き先をつかませといて、彼奴にゃ黒猫一家に走らせて、破落戸を雇って、みそのさんを始末させちまおうとでもかんげぇたんだな」


「あぁ、そう言えば、この先ぁ黒猫一家がありやしたねぇ。確かにそうかんげぇるとスッキリしやすねぇ」


 留吉は妙に納得して小刻みに頷いている。


「でも由蔵も、下手に動きやがったぜぇ」


 新田はニヤリとやって留吉を見る。


「あぁ、そうでやすねぇ。あっちは永岡の旦那がついてやすし、本当にみそのさんを襲いでもしやがったら、一部始終をあっしら全員見てるんでやすから、これだけでも、西海屋をお縄に出来るってぇもんでやすよっ」


 留吉も段々、新田の言わんとしている事が解って来て、思わず興奮気味に応えた。


「まぁ、様子を伺うとしようかぇ」


 新田は、手代が黒猫一家へと入って行くのを見届けると、留吉にニヤリとやって、道端の用水桶の影に身を隠すのだった。



 *



「ったく、あの野郎。呑気に買い物なんかしやがって」


 永岡がぼそりと独り言ちる。


 永岡は、みその達の後をつけている西海屋の手代を追っていた。

 今は、みその達が賑やかに話しながら、小間物屋で簪などを見て回っている。

 その手代は、みその達から少し離れた所で、自分も店先で何かを探している風に装い、横目でみその達を見ながら見張っている。それを永岡は更に遠目から、その様子を見張っていた。


「ったくよぅ。オイラもみそのを囮に使おうって、かんげぇちまったんだがなぁ。いざこうなると、堪ったもんじゃねぇなぁ」


 また永岡は独り言ちて小さく笑った。



 *



「出て来やがったぜぇ。留吉」


 手代が黒猫こくびょう一家へと入って暫くすると、見るからに武闘派の破落戸四人が、手代と一緒に出て来るなり、足早にこちらへ向かって歩いて来た。

 手代も人目を気にしてか、新田達が潜む用水桶を通り過ぎた頃には、破落戸達とは次第に離れて行き、十間ほど先に有る茶店に入って行った。

 手代は破落戸達とは別に、西海屋へと帰りたいらしい。


「丁度良いや。留吉、行くぜぇ」


 手代が茶店に入ったのを見るや、新田は用水桶の影から飛び出して走り出した。



 *



「おっ、誰か来やがったぜ」


 松次が掘った穴の中から、綿入れを二重に着込んだ伸哉が言った。

 昨日は、ここで寒さに震え閉口していたので、二人共今日は同じ様な出で立ちだ。


さむれぇみてぇでやすねぇ」


 松次が歯をカチカチさせながら応える。


「おめぇ相変あいけぇらず寒さに弱ぇなぁ。ふふ、あぁ。ありゃぁ尾張の飯田だなぁ」


 伸哉は、綿入れを二重に着込んでも、ブルブルと震えている松次を面白がりながら、男を凝視して言う。

 飯田は、伸哉達の十間ほど先を通り過ぎる所だった。


「ちょいと頭を下げろぃ」


 松次が良く見ようと身を乗り出したので、伸哉がそれを咎めだ時、


「あれ? ありゃぁ三木蔵みきぞう親分でやすよねぇ」


 と、松次は飯田の先に三木蔵を見つけた様だ。

 三木蔵は隠れる所が無くなって来たからなのか、半町ほど離れた所で、所在無げにうろうろとしながら、飯田の様子を伺っている。

 伸哉は小石を拾って、三木蔵の方へ放り投げ、自分の姿が三木蔵に見える様に手を振った。

 三木蔵は少し先の方で転がる小石の音に気づくと、その物音の先の草むらで、こちらに手を振る伸哉にも気がついた様だ。


「おぅ、ありがとうよ。しかし、どうも見張り辛ぇ場所だなぁ。でも穴を掘るとはかんげぇたな。ふふ、それにしても、ご苦労なこったなぁ?」


 三木蔵は伸哉達の潜む、草むらに掘った穴の所までやって来ると、伸哉達の苦労を労った。

 見張りが暇だったのと、動いて暖をとる為に、その穴はかなりの大きさまで掘り進められていて、三木蔵が入っても未だ余裕があった。


「すぅ〜ふぅっ。しかし冷えるなぁ。おめぇらの格好が頷けるぜぇ」


 三木蔵が穴に潜んで暫くすると、寒さがじわりと来た様で、笑いながら身体を小刻みに震わせた。


「三木蔵親分、こいつをやってくだせぇ」


 伸哉は暖をとる為に持って来ていた、酒の入った竹の水筒を差し出した。


「すぅ〜っ。こいつぁ、ありがてぇや。じゃぁ、遠慮無くいただくぜぇ」


 三木蔵はニヤリとやって竹の水筒を傾けた。


「ふぅ〜っ。ちったぁ、ましんなったぜぇ。ありがとうよ」


 三木蔵は少しほっとした顔になり、伸哉に礼を言って水筒を返して寄こした。


「さっきおめぇんとこの親分が、荒神一家のわけぇもん連れて、飯田の顔を拝みにやって来たぜぇ。飯田はそのわけぇのが見た男と、同一人物で間違まちげぇねぇとよ」


「やっぱりそうでやしたかぇ。で、ウチの親分はどうしてるんでぇ?」


「智蔵は屋敷に着いた時に、永岡の旦那に尾行となっても、俺に任せて西海屋の方へ戻る様に言われてるって言ってたんでな。今頃ぁ、西海屋に着くか着かねぇかってとこだろうなぁ」


 伸哉と三木蔵が話していると、小屋の中から飯田と、飯田を見送る猪吉いのきち長助ちょうすけが出て来た。

 飯田は何やら鷹揚な感じで、労いの言葉をかけている様子で、二人はそれに対し、金が入っているのか、巾着袋をかざしながら、ペコペコと頭を下げて見送っていた。

 飯田が歩き出して少し行ったところで、小屋の前で見送っていた猪吉か長助が、


「かんならず明日ぁ、押上村さ仕上げ行くで、心配せんでちょう」


 と、大声で飯田に言って、また手にした巾着袋をかざして見せた。

 飯田は片手を上げ、それに応えると、仕事を終えた様子で歩き出した。


「ふふ、明日らしいなぁ。動くのは」


 そうニヤリと言うと、三木蔵は立ち上がった。


「おめぇらも、もう今日はここを引き上げて、永岡の旦那にこの事を報告するといいぜぇ」


 三木蔵はそう言うや、小さくなりかけている飯田の後を追う為に歩き出した。


「それじゃぁ、松次。三木蔵親分がおっしゃる様に、俺たちも茶問屋へとけぇるかぇ?」


 三木蔵に頭を下げて見送っていた二人は、伸哉の言葉で身支度をするのだった。



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