第五十六話 嫌な予感と情報源
「おぅ、永岡は居るかぇ?」
「あっ、新田の旦那ぁ。お疲れ様でごぜぇやす」
西海屋から半町ほど離れた小間物屋から、留吉が丁度出て来たところを、新田が折良く見つけて声をかけて来た。
「お前もな。何か聞けたかぇ?」
新田は顎で小間物屋を指して言う。
「いえ、これと言った事はさっぱりでぇ。へい。永岡の旦那ならこっちでさぁ」
留吉は新田を、永岡の居る西海屋の斜向かいにある、茶問屋の二階を借り受けた見張り場へと案内した。
「ちっとばかし遠回りになりやすが、こっちからお願ぇしやす」
留吉は寺へと入って行くと、そのまま境内をやり過ごして、寺の裏口へと案内する。
「ここを出やすと、店の裏口へと出られやすんでぇ」
西海屋の斜向かいにある為に、出入りは目立たぬ様に裏口からしている様だ。
留吉が新田を案内して二階へ上がって行くと、丁度智蔵と広太が、部屋から出て来るところと鉢合わせた。
今日から怪我が回復した広太を、本人のたっての願いで探索に復帰させていた。
「新田の旦那じゃねぇですかぃ。何か有りしやしたかえ?」
智蔵が留吉の後ろから階段を登って来るのが、新田だと気がついて声をかけた。
「おぅ、出掛けるのかぇ? 丁度良かったぜぇ。お前も、出掛ける前に一緒に聞いてくんなぁ」
「新田さんじゃねぇですかぇ。どうしたんですかぇ?」
永岡も新田の声に気がついて、智蔵の肩越しに顔を覗かせた。
「竹蔵が身を寄せてる、ヤクザもんの一家が判ったんでな。お前に頼みてぇ事も有って来たんでぇ。ちっと中で話しをしようじゃねぇかぇ」
新田は言うや、智蔵達を部屋の中へと追いやる様にして、部屋へと入って行った。
「オイラに頼みってなんですかぇ?」
永岡が座るなり新田に尋ねた。
「まぁ、ちっと聞いてくんなぁ」
新田は片手を挙げて永岡を制し、新太が聞き込んで来た竹蔵が、今出入りしているのが黒猫一家だと言う事と、その前は荒神一家であった事を伝え、黒猫一家から話しを聞き出すのは、困難な事を踏まえて、永岡が顔が効く荒神一家の方を、聞き込んで欲しいのだと語った。
「確かに黒猫の鮒蔵は、手間がかかりそうでやすねぇ」
話しを聞いて智蔵がぼそりとこぼした。
「しかしまぁ、鮒蔵もこう言う事にゃぁ、何かしら顔を出すなぁ。新田さん、荒神一家の方は任せて下さいよ。これからちょっくら行って来ますぜ」
永岡は早速行って来ると請け負った。
「手配りはさっき話したまんまで良いさな。頼んだぜぇ」
智蔵が供をすると言った顔を向けたので、永岡は予定通りに、智蔵と広太は隅田村へと向かい、西海屋宗右衛門が通っていると思われる家を、そして、弘次と留吉は、ここで西海屋を調べる様にと言い含めた。
「でも智蔵、気を抜くんじゃねぇぜ。危ねぇと思ったら深追いする事ぁ無ぇかんな。弘次も無理するんじゃねぇぞ」
永岡は智蔵と弘次に覆面の遣い手が、いつ出て来るとも思えないのだと念を押した。
弘次はこれから、西海屋の中へと潜り込む事になっていたのだ。
「何ならオイラが隅田村へ一緒に行ってやろうかぇ? 流石に西海屋の中まで一緒とは行かねぇからなぁ」
新田が、覆面男と出くわした時の事を考えて提案する。
「いや、滅相もありやせんやぁ。旦那は旦那の調べへ行ってくだせぇよぅ」
慌てて智蔵が恐縮して返す。
「いや、オイラは、今日は黒猫一家の動向を見に行くくれぇなもんさね。そいつがちょいと厳しいんで、永岡に物を頼みに来たんでぇ。んなもんだから、そんくれぇ助太刀するぜぇ。その代ぇり、誰か黒猫一家へ回ってくれりゃぁ良いさな」
新田は、黒猫一家へは、永岡が荒神一家の聞き込みをするまで、遠巻きから探るつもりでいたらしく、危険も無いので誰かが代わってくれれば良いと言う。
「いやぁ、それでも…」
「そうしてもらおうぜぇ」
智蔵が恐縮していると、黙って話を聞いていた永岡が横から口を挟んだ。
「オイラは昨日智蔵と歩いていた時に、何だか嫌な感じを覚えたんでぇ。そん時は気のせいかと思ったが、ここへ来て妙に胸騒ぎがしてきちまったのさぁ。それにお前達が出掛ける段になって、新田さんが現れて、しかも代ぇりに行ってくれるってぇ話しになんのは、何かしらの暗示かも知れねぇや。智蔵、ここは新田さんに甘えるか、今日のところは隅田村へは行かねぇか、どっちかにしようぜ」
「旦那が仰るんなら、あっしは構わねぇんでやすが」
永岡の言葉に智蔵も納得した様子で、新田の言う様に、隅田村へは新田と智蔵が行く事になり、広太がこの場へ残り、その代わりに留吉が新田の代わりに、黒猫一家の動向を探りに行く事になった。
「まぁ丁度良かったかも知れねぇなぁ。言ってみりゃぁ、広太も病み上がり初日ってぇ訳でぇ。あまり歩き回らせて、明日っから使いもんにならねぇじゃ、堪ったもんじゃ無ぇからな。ふふ、大事に扱ってやらねぇとな?」
久々親分と見回りが出来ると喜んでいた広太が、急に西海屋を見張る役目になって、気落ちしているのを見た永岡は、茶化す様に笑って広太を元気付けようとした。
「旦那ぁ、そりゃねぇでやすよぅ。もうあっしは大丈夫でなんでやすからぁ」
広太は八の字に眉毛を歪ませながらも、いつもの調子に戻った様に笑った。
「広太、しっかりやれよぅ」
智蔵が広太に声をかけると、新田に付いて部屋を出て行く。
「新田さん、お願いします」
永岡も新田の好意に感謝しながら、二人を見送るのだった。
*
「おぅ、邪魔するぜぇ」
「なんだ手前はっ! どさんぴんは、気安く入って来るんじゃねぇやいっ!」
永岡が昼飯でも食べに来た様な気安さで、荒神一家に顔を出すと、中から出て来た若い衆が、熱り立って永岡に詰め寄って来た。
「おいおいおいおい、やかましいやぃ。永岡が来たってぇ、早ぇとこ、茂蔵を呼んで来やがれってぇんでぇ」
永岡が剣の遣い手ならではの気を発して、静かに怒鳴りつけると、永岡を知らないで凄んでいた若い衆も、尻尾を丸めた様に、慌てて奥へ駆け込んで行った。
「これはこれは、永岡の旦那じゃぁござんせんかぇ。今日はどう言った御用向きでござんしょう?」
そう待つ事も無く、奥から現れた茂蔵がもみ手をしながら愛想笑いで迎える。
この茂蔵、ヤクザの一家を構えてはいるが、今一肝が据わって居らず、一度縄張り争いの末、意気がった若い衆の暴動を抑え切れず、出入りの直前になって永岡に助けを求め、相手方を宥めてもらって事なくを得た事など多々あり、永岡には頭が上がらないのである。
永岡も多少悪さもするが、案外近隣の町の者からは、慕われているヤクザの一家なので、大目に見ながらも、目を光らせて付き合っていたのだ。
「ちっと前までお前んとこに、竹蔵ってぇ、チンピラが出入りしてたの覚えて無ぇかぇ?」
永岡が早速話しを切り出した。
「へい、確かそんな奴がいやしたねぇ。そいつが何かやらかしたんでやすかぇ?」
茂蔵は自分の事では無さそうなので、ほっとする様に応えた。
「まぁな。大した事ぁして無ぇんだが、ちっとばかし、悪事の使いっ走りをしてやがる節があるんで、聞きに来たってぇ訳さぁね」
「悪事のねぇ。それはどんな事でやしょぅ?」
「お前は黒猫一家は知ってんだろ?」
「知ってるも何もねぇでござんすよぅ。こっちは、最近ではあそこに狙われていやしてねぇ。ここんとこ小競り合いが絶え無ぇんで、困ってるんでごぜぇやすよぅ」
茂蔵が苦虫を潰した様な顔で応えた。
「その黒猫一家の事で、ちと聞きてぇ事があんだよ。竹蔵は今、黒猫一家の使いっ走りをしてやがってな。そいつがどうやら最近江戸を騒がせてる、偽薬に繋がって来やがったのさぁ。そんな訳なんで、お前んところにも、その偽薬を捌く仕事の話しが無かったかや、どう言う経緯で、竹蔵がお前んとこから、黒猫一家へと鞍替えしたのかとかな。まあ、黒猫一家のその辺の噂を、お前は知らねぇかと思ってなぁ。どうでぇ、何か知ってる事ぁ有るかぇ?」
「やはり彼奴らは、そんなクソみてぇな事をしてやがりましたかぇ?」
茂蔵はそう言って腕組みをした。
「旦那、そう言われてみりゃ、ウチにも半年くれぇ前に、うめぇ話しがあるとか何とか言って、流れもんが顔を出した事がごぜぇやしたよ。そいつは、南蛮渡来の薬を安く仕入れられっから、一つ乗らねぇかってぇ言ってやしたんでぇ。きっとあれが偽薬だったんでござんしょう。あっしは胡散臭かったもんで、相手にしねぇで、追い返したんでやすがねぇ」
「そうかぇ。やはりお前んとこにも話しが来てたんだな。で、そいつはそれっきり見ねぇのかぇ」
「へい。あっしのとこへはそれっきり顔を出してやせんねぇ」
茂蔵は後ろに控えていた若い衆に、あの時の流れ者を、その後見た奴がいないか聞きに行かせた。
「竹蔵がウチへ出入りしなくなったってぇのは、きっとその黒猫の仕事の方が、金になったってぇだけの話しだと思いやすよぅ。なんせウチでは、竹蔵に割りのいい仕事を回すほどのネタも無ぇですし、竹蔵に大事な仕事を回すのも危なっかしいんで、控えてやしたからねぇ」
茂蔵は町のドブさらい等の掃除も、若い衆などにやらせているので、そんな時の人手が足りない場合や、荷物を運んだりするのに、小遣いを与えて働かせていた程度だったと言う。
「ふふ、結構な事じゃねぇかぇ。まぁそれが無かったら、オイラもお前なんかの肩なんか持たねぇんだぜぇ。これからも町のもんの為にしっかりやれよぅ」
「へ、へい、そりゃもぅ。言われなくてもやりまさぁ」
茂蔵が少し胸を張って応える。
「最後に黒猫一家の噂でごぜぇやすがね。噂って言いやすか、さっきも言った様に、最近ウチの縄張り目当てに、ちょいちょい、ちょっかいを出して来やがるんで、ウチも念の為に人集めたり、町の店に声かけして、味方の地固めしようと動いてたんでやすよ。しかし、これが思った以上に人も集まらねぇし、今まで愛想良くしていやがった店なんかも、急によそよそしくなりやがったんで、おかしいと思って、ウチの若い衆に調べさせてみやしたら、どうやら黒猫の奴らが金を積んで人を集めたり、店を抱き込んだりしてやがったみてぇでやして、ウチぁ外堀からも埋められてる状況なんでさぁ」
茂蔵が永岡にすがる様な目を向けて来る。
「かなりの金をばら撒いていると思って間違ぇありやせんので、相当な大店かなんかを抱き込んだか、例の偽薬で荒稼ぎしたか、そんなところでやしょうねぇ。旦那ぁ、何とかならねぇんでござんしょうかぇ?」
茂蔵は、最後は永岡に頼み込む様に言うのだった。
「何とかなるもならねぇも、お前らの働き次第さぁね。オイラが上手く取り計らう為にも、お前らの方でも、その金の出所を突き止めてくれや。そしたらオイラって言うより、お上がお前らの力になるぜぇ」
永岡はニヤリと笑った。
「親分、翔太が例の流れもんらしい奴を見たって、言ってやしたぜぇ」
先ほど茂蔵に頼まれた若い衆が、奥から翔太と言う若い男を連れて来た。
「ほら翔太、さっきの話しを話して差し上げろぃ」
翔太は促されて、恐縮しながらも話し始めた。
「へい、あっしが兄ぃの使いで、霊岸島まで行った時でごぜぇやすが。そこの茶店で何処かの侍ぇと、話してるところを見た事がごぜぇやす。へい、二月ほど前でごぜぇましょうかぇ」
翔太は、その侍は比較的身なりの良い侍だったので、何処かの家中の者ではないかと言う。
「ほぅ、お前、またその侍の顔を見たら、そいつだって判るかぇ?」
「へい、多分判ると思いやすよ。その侍ぇは、ここんところにでっけぇホクロがありやしたんで、それが目印になるはずでさぁ」
永岡が尋ねると、翔太は自分の小鼻の横を指差しながら言った。
「ほぅ、そうかぇ。小鼻の横にホクロがなぁ」
永岡は、飯田の小鼻の横の大きなホクロを思い出し、それは飯田で間違いないと心の内で思った。
「その侍らしき男に心当たりが有るんで、一度翔太にも見てもらいてぇんだが、今度翔太を貸してもらえねぇかぇ?」
「えぇ、ようござんすょ。まぁ好きに使ってやってくだせぇ」
茂蔵が応えると、永岡は黒猫一家の金の出所を探る様に、改めて頼んで腰を上げた。
「んじゃ、今日のところはこれで帰るんで頼んだぜぇ。また翔太には繋ぎを入れるんで、そん時はまた宜しく頼まぁ」
永岡は意外と身近に良い情報源があった事に、すっかり気を良くして、荒神一家を後にするのだった。




