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第五十五話 ある考え



「…という訳で江戸市中で死者が相次いで居る故、もう悠長な事を言っている場合では無くなったとの、御奉行からの御達しじゃ。大元を突き止めたいところじゃが、こうなったら先ず、偽薬が市中に出回らない様、仲買人やら偽薬に関わる者を皆引っ捕えよ。いいか、心して掛かってくれ」


 市中見廻り前の朝の同心詰所で、与力の木戸きど耀蔵ようぞうが同心を集め、南町奉行、大岡越前守忠相からの下知を伝えていた。


 ここ十日程の間で、奉行所には三十あまりの遺族から、被害の訴えが寄せられていたのだ。

 そして、奉行所に訴えを出ていない、他の亡くなっている者を含め、薬の影響で重体になっている者、後遺症に悩まされている者がいる事を考えれば、その被害は尋常では無く、最早一刻の猶予も無くなって来た様なのだ。


「木戸様、大岡様はオイラの方も同じく捕縛する様にと、仰せられたのでしょうか?」


 永岡は与力部屋へと戻る前に、木戸に声をかけた。


「その事だがな。ワシからも永岡に、御奉行からの言伝があったのじゃ。お主の方も違わず捕縛する様にとの事じゃが、あくまで町人までで、尾張藩士には手を出すなとの事じゃ。藩士に関しては動かぬ証拠を手に入れた上、御奉行に預ける様にとのご指示じゃぞ」


 木戸は苦い顔をして、永岡にくれぐれも面倒を起こさぬ様に言いおき、与力部屋へ戻って行った。

 木戸も町奉行所の管轄下に無い武士身分の案件には、毎回憤りを覚え、苦い思いで目を瞑って来たのだ。

 そんな木戸が立ち去るや、


「永岡、あの六郷村と押上村の百姓家や、巳吉なんかも取り押えるかぇ?」


 新田が微妙な顔で永岡に声をかけ来た。


「そうなりますよねぇ。何とか西海屋に繋げてから、取り押えてぇもんなんですがねぇ」


 永岡は今までの探索が、水の泡になり兼ねない事を危惧した。


「まぁ、永岡。未だ百姓家に乗り込んだところで、偽薬が出て来る訳じゃぁねぇんだろ? 六郷村の百姓達が、押上村で偽薬を完成させるのを待って、巳吉やらが、取りに来た所で取り押さえる方が得策さぁね。今取り押えても、証拠が曖昧なりゃ自供にも手間取らぁ。そのくれぇオイラ達の塩梅に任せてもらって、出来ればその間に何かしら、西海屋への繋がりを掴もうぜ」


 偽薬は六郷村である程度形にした後に、押上村の百姓家で薬を仕上げているとの、永岡の推測を聞いていたので、新田はそこまで待ってから動く事を勧めた。


「そうでしたね。それまでに何とかしましょうかぇ」


 永岡は新田に力強く頷いた。


「それに木戸様の話しでは、御奉行が言ったのは町人までって事だよなぁ」


 新田はニヤリと笑う。


「あぁ、そうですねぇ。飯田は偽薬を捌く時ぁ、町人姿になってましたねぇ?」


 永岡もニヤリと笑う。


「そう言うこった。たまたま捉えた町人が、実は武士だったんならしょうがねぇさなぁ」


「今度は町人姿のまま、由蔵と繋ぎをつけたら言う事無いんですがねぇ?」


「おいおい、そこまで欲をかいちゃぁいけねぇぜぇ」


 新田に窘められ、永岡は頭を掻いて苦笑いをする。


「んじゃ、そこんところまで泳がしながらやるとして、西海屋の方へ繋げる手立てはあるのかぇ?」


 新田は気掛かりを永岡にぶつけた。


「それなんですが、強引にやりゃぁ、どうにでもなるのかも知れませんが、今は竹蔵たけぞうから手繰るよりほかぇと思うんですが、新田さんはどう思います?」


「まぁ、そうなるさぁなぁ。最悪飯田を締め上げて、由蔵に無理矢理繋ぎをつけさせても良いしなぁ。まぁ、それはあくまでも最終手段として、先ずは竹蔵を重点的に洗うとするかぇ?」


 新田はそう言って、西海屋の方からも由蔵を始め、ヤクザ者との関係を洗い直す様に言った。


「ではお願いします」


 永岡は改めて新田に願った時、ある考えが頭を過ぎったのだが、それは口に出さずに、同心詰所を後にするのだった。


「旦那ぁ、何やら大変てぇへんな騒ぎになってやすねぇ?」


 永岡の姿を認めるや、智蔵は控え部屋から飛び出し、慌てた様子で声をかけて来た。

 永岡を待っている間、他の岡っ引き達のそれぞれお付きの同心が出て来て、偽薬に関わる輩を片っ端から引っ捕えるのだと、息巻いていたと言う。


「ふふ、そうだろうなぁ」


「あっしらの邪魔になんねぇでくれりゃぁ、良いんでやすがねぇ」


 永岡が顔を顰めて応えると、智蔵も心配そうにぼやくのであった。


「御奉行からの御達しと有っちゃぁ、しょうがねぇさなぁ。まぁ、程々に頼みてぇところだが、死人が出てる事を考えりゃぁ、そうは言ってられねぇさね」


 永岡は苦虫を潰した様な顔をする。


「へい、そうでやしたねぇ」


 智蔵も死人が出て、奉行所へ訴え出ている者が、ここ数日急増しているのを聞いているし、それ以外でも町の声として、智蔵のところへも上がって来ているので、十分承知していた。


「今新田さんと話したんだがな。オイラ達はもう少し様子を見る事にしたぜぇ」


 永岡は先程の新田との計画を、智蔵にも話して聞かせた。


「そいつぁいいですぜ。せめてそのくれぇしねぇと、今までの探索が水の泡になり兼ねやせんからねぇ」


 智蔵も同じ事を思っていたらしく、ほっとした様だった。


「一つ聞いてもらいてぇ事があるんだがな…。まぁ、今は未だ良いか…」


「何です旦那、今の内に話してくだせぇよ」


 永岡が言いかけて止めたので、智蔵は遠慮せずに話す様に願った。


「ああ、本当にやるってぇ訳じゃぁねぇんだがな」


 永岡は智蔵に念を押す様に前置きする。


「さっきの新田さんの話しなんだがな。最悪飯田を捉えちまって、それから締め上げて協力させたとしても、いくら新田さんでもそれまでにゃ、少なからず時間もかかるってぇ訳だろ? きっと抜け目ねぇ西海屋の事なんで、偽薬が出来上がった頃合いの時ぁ、尚更気を張ってるってぇもんさ。だからな、その辺の異変にゃ、直ぐに気がつくと思うんだよな。んなもんだから、飯田が由蔵に繋ぎをつけたところで、容易にそれに乗って来るとは思えねぇんだわ。だったら一層の事みそのを囮に使って、由蔵をハメるってぇのはどうかって、思っちまったんだよ」


 永岡は気まずそうに頭を掻いた。


「い、いや〜旦那ぁ。そいつは危ねぇですぜぇ。それにいくら警護しながらだったとしても、例の覆面野郎が、いつ出て来るとも限らねぇんですぜ。みそのさんの命の保証は出来やせんや。とにかく旦那、その話しは止めにしておきやしょう。もう少し考えりゃぁ、妙案が出て来るかも知れやせんぜぇ」


 智蔵が慌てて否定して、他の手立てを考える様に勧める。


「だ、だから本当にやるって、話しじゃぁねぇんだよ。オイラもおめぇと同じかんげぇなんだが、ちと浮んじまったもんでな。ふふ、悪りぃ悪りぃ。とにかく時間もぇんで、はえぇとこ西海屋に繋げる手立てをかんげぇねぇとなぁ」


 永岡は智蔵に笑いかけ、漸く歩き出すのだった。



 *



「どうだ、弥吉やきち。何か判ったかぇ?」


 朝早くから竹蔵の寝ぐらを見張っていた、弥吉のところへ新田が顔を見せた。


「へい、昨日の内に、新太しんたに竹蔵の噂を聞き込ませていやしたんで、ヤクザもんの方は新太が聞きつけて来やした」


 弥吉は弟分の新太へ昨日の内に言いつけ、調べ上げていた様で、今も新太は周辺の聞き込みに回っていると言う。


「ほぅ、で、何処のもんだったんでぇ?」


 新田は気の利く弥吉を、嬉しそうに見て聞いた。


「へい。新太が竹蔵の行きつけの飲み屋で聞きつけて来たんでやすがね。ヤクザもんは、どうやら黒猫こくびょう一家らしいんでさぁ。そのめぇまでは、荒神あらがみ一家の使いっ走りだったみてぇでやすが、急に金回りが良くなったんで、飲み仲間が聞いたところ、今は黒猫一家の仕事をしてるんだと、自慢していやがったそうでごぜぇやす」


「黒猫の鮒蔵ふなぞうかぇ。これまた厄介やっけぇ名前なめぇが出て来やがったなぁ」


 黒猫一家は所帯こそ小さいヤクザ一家だが、黒猫の鮒蔵と言う流れ者が、腕っ節一つで成り上がった一家で、最近悪い噂に必ず影をさす名前で、お上の事を屁とも思っちゃいない、向こう見ずな輩の集まりだったのだ。


「黒猫一家にゃぁ、誰かめえしてんのかぇ?」


 新田が弥吉に手配りを確認する。


「へい。あっしも今朝ここへ来てから新太に聞いたもんで、未だ手配りも何も出来ちゃねぇんでやす」


 弥吉は新田にすまなそうに応えた。


「そうかぇ。気にするねぇ。なりゃ、そっちはオイラがやるんで、おめぇはこのまま新太と竹蔵の方を頼まぁ。しかし、鮒蔵んとこだと踏み込んだところで、すんなり話す様な奴等じゃねぇからなぁ。竹蔵は黒猫一家のめぇは、荒神一家の使いっ走りをしてたって言ったよなぁ?」


「へい。そうみてぇでやす」


 弥吉の返事を聞いた新田は、暫し考えてから、


「荒神一家は永岡が顔が効いたはずなんで、永岡に荒神一家の方から何か聞けねぇか、探ってもらうとするかぇ」


 と、それをまとめた様に呟いた。


「取りえず永岡に繋ぎをつけてくらぁ。弥吉、後は頼んだぜぇ」


 新田はそうと決めたら動きが早い、その場を弥吉に託し、永岡の元へと足早に向かうのであった。



 *



松次しょうじ、あそこかぇ?」


「へぃ。あの小屋でさぁ」


 寒さの中でも足早に歩いて来たせいか、松次と伸哉の額には薄っすらと汗が滲んでいた。

 松次に案内され、六郷村までやって来た伸哉は、丁度今、例の百姓が働く小屋が見えたところだった。


「ちっとばかし、見張りづれぇところだなぁ」


「そうなんでやすよ、兄ぃ」


「おめぇは顔が割れてっから、身を隠すのに都合の良いとこを見回みめえってくんな。俺はちょっくら様子を見てくらぁ」


 伸哉はそう言って、俊敏な身のこなしで小屋の方へと向かって行った。



「どうだったぇ?」


 伸哉は先ほど別れた所で待っていた松次に、先ず身を隠す場所が有ったか聞いた。


「へぃ。何もねぇんで、あっこのちょっとした草むらに、穴を掘っておきやしたんでぇ」


 松次は、十間ほど離れた場所を指差して応える。


「へへ、しょうがねぇよなぁ。ご苦労だったな」


 松次の土に汚れた手を見て伸哉が労った。


「せっかくだから、おめぇの掘った穴ん中にへぇるとするかぇ?」


 伸哉は笑いながら、松次が指した先へと歩き出す。


「まぁ、あの調子だと今日は動かねぇと思うぜぇ。今日はのんびりと、誰が来るかも知れねぇのを待つ感じになりそうさね」


 伸哉は歩きながら、今見て来た中の様子を話した。

 中は案の定、猪吉いのきち長助ちょうすけの二人が、のんびり話しながら作業していた様で、その隣に置かれた藁などの材料の量を考えると、一先ず作業が終わって押上村へ持ち込むのは、早くても明後日以降と見た様だ。


「二人共、元気にしてやしたかぇ?」


 松次は旅を共にした仲なのか、二人を案じる言葉が思わず出た様だ。


「ふふ、安心しろぃ。二人共のんびりとしたもんさね」


 伸哉は松次の案じる顔が、面白くなって笑った。


「とにかく今日は俺たちも、穴ん中でのんびりとやろうじゃねぇかぇ」


 伸哉はややうんざりした顔で、松次に言うのだった。



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