第五十四話 進展と不安
「…と言う訳でオイラ達ぁ、川向こうを散歩しに行ったみてぇなもんで、その後に西海屋の留吉達に合流したんですよ」
永岡は頭を掻きながら、新田に報告をしている。
永岡達は、お互いの報告の為に『豆藤』に集まっていた。
「そんな簡単に見つかったら、わけ無ぇさなぁ。粘り強くやろうじゃねぇかぇ?」
新田が宥める様に言ってニヤリとする。
「それにしても、相変ぇらずここで出て来るもんは、美味ぇもんばかりだなぁ」
新田は、蛸とワカメの酢味噌和えをつまんで、嬉しそうに智蔵を見る。
「ありがとうごぜぇやす。後でうちの奴にも言ってやりまさぁ」
智蔵は恐縮しながらも目を細めた。
「悪りぃ悪りぃ、話しをそらしちまったな。オイラの方は、伸哉と弘次のおかげで引き継ぎは上手く行ってな。そんで、オイラと伸哉が巳吉の住処へ着いた時だがな。丁度巳吉が出て来やがって、その流れで伸哉にも一緒に後をつけてもらったのよ」
新田が伸哉を見ると、伸哉が緊張しながら頷いた。
相変わらず伸哉は、新田に見られると緊張してしまう様だ。
「オイラ達がつけて行くと、巳吉の奴ぁ、押上村の百姓家へと入って行ってな。暫く掃除でもしてたのか、バタバタと音を立てて、半刻ほど中で何かやってやがったのさ。まぁ、巳吉を追って歩き始めてから、伸哉が話してた通りになったんだがな」
新田はニヤリとまた伸哉を見た。
「しかし今日は中々出て来ねぇってんで、何か有るんじゃねぇかって言ってたところに、人足風の男が何か荷を引いてやって来やがったのさ。ま、そいつぁ荷を届けに来ただけだったらしくてな。直ぐに出て来て帰って行ったんで、取り敢えず弥吉に追わせて、住処を突き止めてあるんでぇ。明日っからは、そいつにも見張りを付けさせる手配りにしてるぜ」
新田は横に座っている手下の弥吉を見て頷いた。
「そいつの名前も判ったんだよなぁ」
「へい。竹蔵ってぇ、ケチなチンピラでやして、ヤクザもんの使いっ走りでさぁ。長屋の連中の話しでは、最近羽振りが良いってぇ噂でやした。明日っからは、何処のヤクザに出入りしてるか調べてみやす」
弥吉は、男が長屋に入って行ったのを見届けてから、周辺で男の噂を聞きまわったらしい。
「そんで巳吉の話しに戻るがな。その後の巳吉は、その百姓家から中々出て来ねぇんで、オイラ達も焦れちまってたんだが、日が落ちた頃に漸く出て来やがってよぅ。でも案の定と言うか、そのまま飯屋に寄ったくれぇで、自分の住処へ帰っちまったってぇところょ」
新田は苦笑いしながら言った。
「新田さんが入った途端に、随分と動きがあったんじゃねぇですかぇ。その竹蔵ってぇ野郎を手繰って行けば、黒幕に繋がるかも知れませんねぇ」
永岡は、新田はツキを持っているのだと言って笑った。
「おぅ、今回はちっとばかりツイてたみてぇでな。弘次に案内してもらった、オイラんところの三木蔵と文吉にも、早々に動きがあったみてぇだぜ」
新田が三木蔵に目配せをして、話す様に促した。
「へい。あっしらは弘次さんに案内してもらいやして、飯田ってぇのが居る屋敷に行ったんでやすが、屋敷に着きやしてから、前の竹藪ん中へ入って話してやすと、程なく屋敷から当の飯田が、一人で外出する様子で出て来たんでさぁ。飯田は身綺麗な藩士の格好でやしたんで、最初はお家の用向きかと思いやしたが、取り敢えず、皆で跡をつけて行く事にしたんでやす。そしたら結局、長ぇ事歩かされる羽目になりやして。その着いた先ってぇのが、六郷村の外れに有りやす、農家の物置みてぇな小屋でやしたんでぇ。そんで飯田は、その小屋に入ってから四半刻程で出て来やして、また来た道を帰って行ったんでやす。どうせ帰りは屋敷になるんだろうと踏んで、文吉だけに後を追わせる事にしやして、あっしと弘次さんがその場に残って、その小屋を探る事にしたんでさぁ。と言っても弘次さんが小屋に近づいて、粗方探ってくれたんでやすがね」
三木蔵は頭を掻きながら、自分は周辺の聞き込みをしたのだが、周りは殆ど人が居なく、少し離れたところで聞いても、小屋の事を知る者はいなかったと苦笑いした。
「弘次さんの話しでは、長助と猪吉ってぇ百姓風の男二人が、何かすり潰しながら、のんびり話していやしたそうでぇ。その話しの内容ってのは、次の作付けやら天候やらの話しで、特に怪しい物は無かったみてぇでやす。あっしらは、これ以上進展も無さそうでやしたんで、その小屋の調べはそこまでにしやて、尾張屋敷まで戻ったんでやす。そんで屋敷に戻ってみやすと、案の定文吉は竹藪ん中に潜んでやして、飯田も寄り道する事も無く、屋敷ん中へ入って行ったってぇ話しでやした」
三木蔵は言い終えると、弘次の身のこなしを褒め称えた。
「ほぅ、飯田があの百姓二人組と繋ぎをつけたかぇ……とにかくご苦労だったなぁ」
永岡はぼそりと言うと、三木蔵達を労った。
「しっかし、幸先良いじゃねぇですかぇ、新田さん」
永岡が満面の笑みで新田を見る。
「明日っからは、六郷村へも見張りを付けるとするかぇ?」
新田が永岡に問うと、どちらから人を割くか尋ねた。
「そうですねぇ。あの二人組とは面識が有る松次も居るんで、六郷村の方はこっちで何とかやってみますよ」
永岡は少し考えて答え、新田と明日の探索についてあれこれと話しながら、手配りをして行く。
「じゃぁ、オイラは新之助ってぇ男から、例の覆面野郎の話しを聞かせてもらう事になってるんで、この辺でお先に失礼します。新田さんはこの後飯が出て来ますんで、今日は皆と飯を食ってってください。智蔵、頼んだぜぇ」
永岡は、最後に智蔵へ一声かけて腰を上げ、新之助が待つみそのの家へと向かうのだった。
*
「おぅ、邪魔するぜぇ。新さんは来てるかぇ?」
永岡は少し息を弾ませながら、みそのの家へと入って来た。
「遅いですよう、永岡の旦那ぁ。新さんは先ほどからお待ちかねですよ?」
みそのが永岡の声を聞きつけて、玄関まで出て来た。
「悪りぃ悪りぃ。新田さんとの打ち合わせがあったんでな。新さん、そんなに待たせちまったかぇ?」
「嘘ですよ。今朝旦那から遅くなるって聞いていましたので、新さんには、もっと遅くなるって言ってありましたから、今も新さんは、『意外と早く来られたな』って言ってましたよ」
みそのがにっこりしながら、すすぎの水を持って行き永岡の足を洗った。
みそのはこの慣わしも、最近では卒なくこなせる様になっている。
「そうかぇ。ありがとうよ」
永岡はみそのに足を洗ってもらうと、新之助の待つ部屋へと向かった。
「お待たせしてご無礼しました」
永岡は部屋に入って開口一番、新之助に詫びる。
「まぁ、そう詫びる事は無い。ささ、永岡殿も一杯やったらどうだ? それにしても、ここで出て来る酒は美味いのぅ?」
新之助は上機嫌に言うと、永岡に酌をした。
「ありがとうございます。しかし先ずは酔っちまう前に、例の覆面野郎について、新さんに聞いておきてぇのですが、よろしいかな?」
永岡はいつに無く真剣な眼差しで、新之助を見ている。
「そうじゃった。ここで料理と酒を出されると、つい本題を忘れてしまうのぅ。では永岡殿、庭へ出てみようかぇ?」
新之助は苦笑いをして、話しだけでは伝わらないので、刀をとって話しをしようと永岡を庭へと誘った。
庭と言っても大して広くはないのだが、大人二人が刀を振り回すくらいは、辛うじて出来る程度のこじんまりとした庭だ。
その庭で、永岡と新之助は一間ほど離れて対峙した。
「ワシはあの男の様に早くは刀が振るえんが、ワシなりにやってみるで、一度受けてみてくれんか?」
新之助は言うなり刀を抜き払った。
「承知したっ」
永岡も言うや刃引きの刀を抜く。
「良いか」
新之助が刀を正眼に構えて声をかける。
「お願い申す」
永岡が言うや、新之助の剣気が膨らむ。と同時に、新之助の身体が、一回り大きく見えた様な錯覚を起こしたが、永岡も負けじと剣気を充実させる。
ピリピリと二人の剣気が更に膨らんで行く。
「りゃぁ!」
新之助が気合い声と共に、正眼に構えた刀を永岡に踏み込みながら振り上げ、袈裟懸けに斬りおろして来る。
「むんっ」
永岡が新之助の袈裟懸けに合わせようと、瞬時に腰を捻り刀を合わせようとした。しかしその時、新之助の袈裟懸けで切りおろしていた刀が急に消え、がら空きの永岡の首を目掛けて襲って来ていた。
「でりゃっ」
永岡は咄嗟に身体を投げ打つ様に捻りながら、新之助の刀から逃れたのだが、完全に腰が浮いて体制を崩してしまい、永岡が体制を立て直さんと、刀を構えた次の瞬間には、新之助の二の太刀が、永岡の首筋に寸止めされていたのだった。
「ま、参った…」
永岡は首に寸止めされた刀に、肝を冷やしながら呟く。
「ふふ、すまんすまん。しかし、ワシも永岡殿と同じ様な事になってしもうてな。悔しゅうて、あの男の太刀筋を頭の中で何回も反芻してのぅ。そうして動きを模写してみたのじゃが、中々あの男の様には速く刀が振れんでな。しかも袈裟懸けからの変則的な動きなどは、途中で何かにぶつかった様に弾けて、急激に方向を変える様な動きなんじゃが、それが中々真似出来んのじゃよ」
「そ、それは誠ですかぇ? 今のでも途中、太刀筋が消えた様に感じたんですが?」
永岡は新之助の話しを聞いて、更に驚いている。
「まぁ、キレというのかのぅ。彼奴はも少し速くてキレがあったわぃ。永岡殿も彼奴と対峙する事を考えて、刀は本身を身に付けておくと良かろう」
新之助は、永岡の刃引きの刀の事を気にかける。
「た、確かに。こんなんで相手出来る様な敵じゃねぇよなぁ…」
永岡も刃引きの刀を見ながら、背筋に冷たい物が走る思いで応える。
「まぁ、本物では無いにしろ、これで一度太刀筋を見てる故、次に立ち合う時には、もっと太刀筋も読めて来る事じゃろう」
新之助は永岡に今の動きを頭の中で反芻しておく様に続けると、刀を鞘に納めた。
「忝い」
永岡も刀を納め、新之助に礼を言う。
「では、そろそろ中へ入って食事にしましょうか?」
みそのは、本気では無いにしろ、ハラハラしながら真剣で立ち合う姿を見ていたので、二人が刀を鞘に納めた事で、ほっとして声をかけたのだった。
「しかし美味いのぅ」
先程の顔とは打って変わって、新之助は上機嫌に頬を緩ませて、湯豆腐に舌鼓を打っている。
「昆布と鯖節でお出汁をとっているのですよ。ふふ、新さんはお気に召してくれたみたいですねぇ?」
みそのが笑って応え、訝しそうに永岡を見る。
「あぁ、悪りぃ悪りぃ。美味ぇぞ。うん、美味ぇ美味ぇ」
みそのの視線に漸く気づいた永岡は、慌てて豆腐を口に放り込み、汁を啜った。
「まぁ、永岡殿。余り考え過ぎん事じゃ」
新之助は、先程の動きを頭の中で反芻するのは大事だが、余り考え過ぎるのは返って良くないと言って、考えに耽っていた永岡を窘めた。
「それもそうさなぁ。オイラらしくねぇや」
永岡は無理矢理作った笑顔で、取り繕う様に言う。
「旦那、無理しないでくださいね?」
みそのはそんな永岡を見て、言うには居れずに心配してしてしまう。
「おぅ、今のオイラじゃ手に負えねぇや。新田さんにも言われてらぁ、一人の時ぁとっとと逃げるとするぜぇ」
そう応えた永岡だが、内心では未だ逃げる事に抵抗を覚えている。なので、そんな時はみそのの顔を思い出そうと、反芻する様にしっかりと刻みつけた。
「お前も十分気をつけるんだぜぇ。相手はお前の事ぁ、抜け荷の件もあったんで、きっと厄病神みてぇに思って、消しに来たのに違ぇ無ぇからなぁ。それに新さんも、みそのを守ってくださるのは有難ぇが、みそのじゃねぇが、無理しねぇでくださいよ」
永岡は頼む様に言うと、自然と頭を下げるのだった。
*
同じ頃、西海屋の主人である宗右衛門の部屋へ、由蔵や他の奉公人にも知られず、一人の男が入り込み、宗右衛門と小声で話していた。
「ほぅ、やはりあの時につけられていたのじゃな。まぁ良い。今少しの間、隅田村の方へも目が行く様ならば、それはそれで好都合じゃ。それに、もし仮に危うくなる様ならば、斬り捨てて良いのじゃぞ。蘭丸」
隅田村を歩き回る永岡と智蔵を木陰から見ていたのは、蘭丸こと森成利であったのだ。
蘭丸は気付かれぬ様に、永岡と智蔵を『豆藤』まで尾行した後、西海屋宗右衛門こと主君である織田信長に、報告に上がったのだった。
「はっ。では、ある程度こちらへ目を向けさせておきます故、計画が順調に運ぶ段まで待機してございまする」
「うむ。くれぐれも由蔵の企てを助けるでないぞ。彼奴にはワシから新たに仕事を申し付けておく故、案ずることは無いとは思うがのぅ」
「蘭丸、もう少しの辛抱じゃ」
信長が蘭丸の目を真っ直ぐに見つめる。
「はっ」
蘭丸も主君である信長を見つめるのであった。




