第五話 初江戸散歩で八丁堀!
「超〜足痛いんですけど〜」
「てかタクりたい…」
みそのは軟弱な声を出し、今にも泣き出しそうだ。
今日は初めての外歩きで両国まで来ている。
江戸っ子ならばなんともない距離だが、みそのは履き慣れない草履履きに、途中から辟易している。
「それにしても町名と店の名前だけの情報って、ばっくりしすぎなんですけど!!」
挙げ句に、甚平に怒りをぶつける様な独り言を言う始末。
そう、今日は江戸の町の記念すべき初散歩として、みそのは甚平の真面目に働く姿を、そっと覗いてやろうと目論んでやって来たのだ。
今日のみそのは紺絣の着物に緋色の帯、白い手拭いを姉さん被りにして、極力目立たぬつもりの装いだ。
緋色の帯は女心なのであろうが、そのせいなのか、みそのがかなりの大柄な女だからか、道行く人々は足を止めて見返している。
この時代の平均身長は、女は145センチ程、男でも157センチ程、みそのが160センチなのを考えると、男の中でも小さくない部類なのだ。
「ここが甚平っちのお店かぁ」
『古着』と書かれた小さな板看板に、『甚』を丸で囲った印が、捺印の様に控え目に書かれている。
それにしても人に聞きながらとは言え、意外とすんなり着いてしまった事に、みそのは驚いていた。
普段は大抵、地図アプリを見ながらでも、なかなか辿り着けないのが普通の事なのだ。
「でも甚平っち居ないじゃないの〜。ちゃんと仕事するって言ってたくせに、どうなってんのよ〜」
お店には甚平の父親らしい男が、退屈そうに小さくなって座っている。
みそのは折角苦労して来たのだから、どうなってるのか、店に入って聞いてみようかしらと迷っていると、目付きの鋭い男が一人、肩で風を切る様に、少し芝居がかりながら、お店に入って行くのが目に入った。
「やい! 甚平はまだ戻ってねぇのかっ!!」
「てめぇんとこのバカ息子は、不義理を働いたんでぇ。隠し立てすると、てめぇも痛い目にあうぜっ!」
「それとも何かい、てめぇがバカ息子の尻ぁ拭くってのかい。こっちはそれでもいいんだぜ?!」
ワザとかどうか、そこら中に聞こえる様な、ドスを効かせた大きな声でその男が、矢継ぎ早に凄んでいる。
甚平の父親らしき男が、ビクビクしながらひたすら頭を下げているのが、男の肩越しから覗いている。
「あの〜、買い物に来たのですけど〜」
みそのは何を思ったか、間の悪い客の如く店先から声をかけた。
「何か、お取込み中でしょうか〜」
そして何と大胆にも、みそのは店の中に入って来た。
「て、てめぇ、取り込み中もなにも、見りゃぁわかるじゃねぇかいっ! ーーと、とっとと帰りやがれっ」
男は唾を飛ばして凄んで見せるが、少々不慣れなのか、予定をしてない珍客のせいで、完全に心を乱された様子で、凄んだつもりも変に甲高い声になり、何とも間抜けな格好になる。
みそのは小柄な男がまだ幼さの残る子供で、使いっ走りでやらされてるのだと、看破しての行動だった。
「あのねぇお兄さん、私はお客様なの。ここはお店で私はお客様。お店ではお客様は神様なのよ?」
みそのは見下ろす様に言うと、
「神様に帰れと言うお兄さんこそ、何様なの?」
と、更にずけずけと近寄って言う。
「…………」
思いの外、近付いて来たみそのの背丈が高いので、口を開けて見上げる様にして後退るだけで、男は何も言葉が出て来ない。
「お、お、俺様よぅ…」
漸く挑む様に吐いた言葉も、先程までの勢いも無く情け無い。
「もしかして、お兄さん面白い事を言おうとした?」
みそのは鼻で笑うと、
「今の全然笑えないんですけど〜。もうちょっと返しを勉強してきなさいよっ!」
みそのはお笑いには厳しい。こんな時に、変にお笑い根性が出てしまった様だ。
男は意味がわからず、ただ圧倒されたのか、腰が引けた格好で、みそのを回り込む様に避けながら店先に出て行くと、
「お、覚えてやがれ〜」
と、お決まりのセリフを置いて駆け出して行った。
「おととい来やがれ〜!」
みそのは、こんなシチュエーションで、この言葉を言える時が来るなんて、と、思ってもみない幸運を得た事に感動して、少し顔が紅潮している。
『何これ、ちょー気持ち良い〜』
みそのは心の内でガッツポーズして、余韻に浸っている。
「いや〜、ご迷惑をお掛けして申し訳有りませんでした」
すぐには言葉も出なかった親父が、自分はこの店の主人の甚右衛門だと名乗り、話しかけてきた。
その時、
「御免よぅ、邪魔するぜっ」
と、黒羽織りに尻っぱしょり、腰には二本差しに十手を挟んだ男が入って来た。
「あっ」
生の八丁堀の旦那の登場で、テンションが上がり、みそのは思わず声を出していた。
しかもこの八丁堀の旦那は、すこぶる男前なのだ。
みそのが羨望の眼差しを向けていると、
「ん? どうしてぃ。何かオイラの顔についてんのかぇ?」
と、男は両手でゴシゴシと顔を擦って、後ろから付いて来た小者に確認させる。
「それにしてもお前さん、いい度胸してんじゃねぇかぇ。オイラそこんとこから、ずっと見てたんだぜぇ?」
ニヤニヤと後ろを親指で指しながら、みそのを見て言った。
「見てたんなら、早く助けに来てくれれば良かったじゃないですかっ」
みそのは先程のテンションが興醒めしてしまい、反動でやけに小憎たらしくなって、口を尖らせながら言った。
「助けるも何も、オイラの手なんかいらなかったじゃねぇかぇ。なぁ親父?」
男は甚右衛門に風を向ける。
「旦那ぁ〜」
ふらないでおくんなさいよ、と言わんばかりに、甚右衛門は助けを求める様に言う。
「まぁ、今日のところは大目にみるが、お前さんも、あんまり無茶するんじゃねぇぜっ!?」
今度は真面目な目をして、叱りつける様にみそのを見て言った。
「あいつぁ荒神一家のもんでぇ。っても下っ端の下っ端、クソみてぇなガキだけどな。でも奴らぁしつけぇたちだぁ、後で何かされてもおかしかねぇぜ」
みそのは急に不安になって、助けを求める様に八丁堀の旦那を見る。
「まぁ気をつけるんだな。オイラは南町の永岡ってもんだ。何かあったら番屋にでも駆け込んで、オイラの名前を言ってくんなっ。ーー親父も気ぃつけんだぜ?」
永岡と名乗った八丁堀同心は小者に目をやると、
「んじゃまぁ行くかぇ?」
「へい旦那」
と、出て行きかけてから、また足を止めてみそのに振り返る。
「ところでお前さんは、どこの誰なんでぇ?」
「呉服橋の裏に住む、みそのと申します…」
みそのは教えたく無かったが、正直に言わないと、後で面倒な事になるのも嫌なので、素直に答える。
「みそのねぇ、ふぅ〜ん」
永岡は何か考える素振りをしたが、
「あの辺りもオイラの町廻りの内でぇ、何かあったら言ってくんな」
永岡は小者を促し町廻りに戻って行った。
「みそのさん、とおっしゃいましたか?」
永岡が出て行って、それを見送るみそのに、甚右衛門が話しかけて来た。
「永岡の旦那のおっしゃる通りでござますから、くれぐれもお気をつけておくんなさいよ。本当に何かあったら、永岡の旦那を頼ると良いですよ。ああ見えてあの旦那は、ヤットウの方がめっぽう強いって、評判なんですよ」
甚右衛門はチャンバラの格好をして言う。
「私も後が怖いんで、逆らわなかったんですからね? あんな子供なんて、怖くも何とも無かったんですから」
少し胸を張って、甚右衛門が名誉挽回とばかり大口をたたく。
『何よ、超〜ビビってたくせに!』
と、胸の内で思ったが、それを引っ込め、
「はい、気をつけますね。でも、あの旦那はそんなに頼りになるんですか?」
確かに自分と同じくらいの大きさの男が多い中、永岡は五尺八、九寸と六尺近い、頭一つ出た背丈で、鍛えられてそうな身体が着物の上からでも伺えた。
「そりゃもう。私は見た事はありませんが、旦那の武勇伝は有名ですよ?!」
またチャンバラの格好をして、子供の様にその様子を再現しながら、甚右衛門は答える。
「あっ、どうもすみません。何かお探しでいらしたのでしたよね?」
甚右衛門は、チャンバラの格好をしている自分に気がつき、少し恥ずかし気に慌てて聞いて来た。
「あぁ、あれは何というか、方便で…」
少し照れながら、みそのは来意を説明する。
「あのバカ息子の様子を見に来てくれたんですかい。それは申し訳ない事をしましたなぁ、本当にありがとうございます」
平に謝られ、みそのは恐縮して甚右衛門の頭を上げさせる。
「心を入れ替えて励むって言ってましたが、借金がどの位なのかも聞いて無かったので、大丈夫かなって気になってしまって、なんとなく訪ねて来てしまったんです。甚平さんは大丈夫なんですか?」
甚右衛門は苦い顔をすると、
「さっきの奴みたいなのが四六時中くるので、あいつには、昼間は店に出るなって言ってあるんですょ。はぃ。みそのさんがおっしゃる通り、何日か前に心を入れ替えて仕事に励むから、二両を用立ててくれって言いましてね。でも恥ずかしながら、そんな大金ぽんとは出せませんから、色々と借りられそうな親類を回って、集めているんですが、これが頭打ちでしてねぇ…」
甚右衛門は溜息を吐く。
「あのぅ、もし宜しければ、残りは私が用立てしましょうか?」
とんでもない事を聞いたという様に、甚右衛門は両手を顔の前で鷹揚に振りながら、
「そんな事させられませんよ。ましてや親類からかき集めたと言っても、未だせいぜい二分か三分で一両満たないんですから。赤の他人様にそんな大金借りるなんて、どうにも出来ませんよぅ」
「でも早く返さなければ利息も嵩むんですよね? このままだと、甚平さんもお仕事出来ないし、借金も膨らむしの、悪循環じゃないですか?」
みそのの言葉に、甚右衛門は何も言い返せない。
「そしたらこうしましょう。甚右衛門さんがお決めになった利息で、私がお金をお貸しします。赤の他人に遠慮するならそうしてください」
そしてみそのはお店を見回す。
「それから条件として、こちらのお店の商売の仕方を私が意見して、それに従ってもらうと言うのは如何でしょう?」
甚右衛門は警戒してみそのを見る。
「安心してください。私はお金を貸すのですから、滞りなく返してもらう為にも、お店が繁盛して欲しいのです。もし私の意見で良くならないのならば、すぐに取り下げて、また売れるように考えて意見します」
「ほ、本当にそれで良いんでございますか?」
甚右衛門はほっとした顔でみそのを見ると、半信半疑で聞いてくる。
「はい、先ずは二両お貸しします。甚平さんの借金の利息が、既に膨らんでいるかも知れませんからね。その利息分は、御親類からのお金で賄ってください。もし足りないようならば、二両をお渡しする際に追加でお貸しします」
みそのは明日にでも自分の仕舞屋まで、甚平に取りに来させるように言いおくと、恐縮する甚右衛門をよそに、満足気にお店を後にするのだった。