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第四十九話 しっとりと美味い肴



「おっ、帰って来てやがるな」


 永岡はみそのの家に近付いて、思わず頬を緩めた。


「旦那、お疲れ様でやす」


 その時、丁度弘次が脇道から現れ声をかけて来た。


「おめぇなぁ」


「いや旦那、今日は本当に今来たところでぇ」


 永岡がまた弘次に小言を言おうとしたところ、弘次が被せる様に言って永岡の小言に蓋をした。


「まぁ、いいやぃ。中へ入れてもらうとするかぇ?」


 永岡は、微かに明かりの溢れているみそのの仕舞屋へ弘次を誘った。


「おぅ、邪魔するぜぇ」


 いつもの様に一声かけると、直ぐにみそのの声が返って来た。それを聞いた永岡は、いつもに増してじんわりと、その声が心に沁みて来る様に感じた。


「おめぇ、今日は何処どけぇ行ってやがったんでぇ」


 それでも聞かずにおけず、永岡はみそのを見るなり言うのであった。


「何処って、今日は新さんが様子を見に来てくれましてね。また襲われる恐れが有るからって、今日一日、新さんの行きつけのお店やら何やらと、私を案内してくれながら、警護してくれていたんですよ」


 みそのは永岡の顔を覗き込む様にして、様子を伺う。


「そ、そうかぇ。ま、まぁ、良いけどよぅ。先だっておめぇが、飯田ってぇ野郎をつけてった時なんだがな。先に茶店を出てった由蔵ってぇ番頭風の男に、おめぇが見られていた節があったんでぇ。オイラも智蔵もおめぇに忠告しようと、今日はおめぇを捜しめえってたのさぁ。ったく呑気に言いやがって」


 永岡はみそのをジロリと一睨みすると、


「まぁ、そのおかげで色々と解った事もあってな。オイラとしては棚ぼたみてぇな事にもなったんで、呑気とは言えおめぇにゃ、感謝しなきゃいけねぇくれぇなんだがな」


 と続け、頬を緩めた。

 首を竦めて聞いていたみそのも、つられる様に頰を緩めると、


「今日は新さんと出かけていたので、大したものが出来ませんが、今お酒の用意しますね」


 と、永岡と弘次に声をかけて部屋から出て行った。


「それで今日は何か動きはあったかぇ?」


 永岡はみそのが出て行くと、弘次に目を向ける。


「へい、今日は、どうやら飯田は、通春みちはる様の所へ金子きんすを届けにめぇっただけみてぇでやした。聞き取れやせんでやしたが、ひそひそと何か言ってたかと思いやしたら、直ぐに部屋を後にしちまったぐれぇで、その他は別段、特に変わった様子は見られやせんでした」


 弘次は、坂上に次いで、飯田が通春様に接触はするものの、何もそれらしい事が聞けなかった事を、もどかしそうに永岡に謝った。


「おめぇが謝るこたぇやな。それに通春様が謀ったってぇ言うのも、未だ決まっちゃいねぇんだ。あくまでお奉行様がお疑いなさっての指示さぁね。ま、名奉行の大岡様にも間違まちげぇはあらぁな。臭そうに黒っぽく見えても、白ってこたぁ良くある事でぇ。気にするねぇ」


「お待たせしちゃいましたかね?」


 みそのがお盆に酒肴を乗せて、部屋に入って来た。


「おぅ、今日はなんだぇ?」


 永岡は嬉しそうに背筋を伸ばして、盆を覗き込む。


「だから、うちは居酒屋ではないんですからねぇ? そんな期待しないでくださいな」


 とは言いつつ、みそのは最近では永岡や弘次の、美味しそうに食べる姿を見る為に、酒の肴を考えるのが、一つの楽しみにもなったいた。


「ほぅ、これはまた面白ぇなぁ。さっきからトントンと音がしていた正体はこいつだったんだなぁ」


 永岡と弘次に出されたのは、小皿に入った佃煮と、杓文字にべったりと乗っかった、鯵のなめろうだった。


「こ、こいつは何でやすかい?」


 弘次が恐る恐る、なめろうを指差した。


「ふふ、見た目は悪いけれど美味しいんですよ。これは鯵と葱や生姜にお味噌を入れて、これでもかってくらいに、包丁で叩いたものなんです。少し取って食べてくださいよう」


 みそのは弘次になめろうを勧めながら、二人に酒を注いでやった。


「まぁ、ここで不味かったもんはぇやな。弘次、思い切って食ってみろぃ」


 永岡も興味深そうにそれを見ている。


「ちょっと旦那ぁ、弘次さんに毒味をさせようって、魂胆じゃ無いでしょうねぇ? 思い切ってって、どう言う事なんですかっ」


 みそのがいつもの調子で口を尖らせる。


「んまいっ! 美味いですよ、旦那ぁ!」


 みそのにやり込められつつあったところに、弘次の感嘆の声がして、首を竦めていた永岡も箸を伸ばして一口舐める。


「んー美味い。何でぇこの美味うめぇのっ」


 永岡は弘次を見て頷き、みそのを見てまた頷き、また箸を伸ばして一口舐めた。


「こいつぁまた、めっぽう酒にも合うねぇ。おめぇ、料理屋かなんかやると良いんじゃねぇかぇ?」


 永岡は絶賛し、酒を飲み飲みなめろうをつまむ。


「弘次さん、これはご飯にも合うんですよ。後でご飯に乗せて、湯漬けにして出してあげますね」


 みそのが声をかけると、弘次はにんまりと嬉しそうな顔をして、是非にと願った。


「それじゃぁ、もう一つ用意して来ますね」


 なめろうが酒を進ませた様で、みそのは空いた徳利を持って部屋を出た。


「調べの方はさっぱりでやしたが、今夜は凄ぇのに出会えやしたねぇ?」


 弘次はなめろうが相当気に入った様で、珍しく多弁になっている様子だ。


「確かになぁ。こいつぁ凄ぇ捕物になったなぁ」


 永岡も一緒になって笑った。


 そこへ「コンコン」と、玄関の戸を叩く音に弘次が訝しんだ。


「源次郎殿だな」


「源次郎殿?」


 永岡は思い当たり、


大丈夫でぇじょうぶでぇ、おめぇの知りぇでぇ」


 と、ニヤリと弘次に笑いかけ、自ら玄関へと向かった。


「早速ですな、源次郎殿」


 永岡はやはり源次郎の訪いで、みそのにもう一人増えたと声をかけ、源次郎を中へ誘った。


「お、おぅ、早ぇじゃねぇかぇ」


 永岡と源次郎が腰を下ろしたと同時に、みそのが源次郎の分まで、酒肴を用意して現れたので、永岡は驚きの声を上げた。


「はい。うちは早くて美味しいのが売りの、居酒屋ですからねぇ?」


 みそのは嫌味っぽい口調で笑った。

 みそのは、源次郎に新之助からの言伝を聞いた際に、永岡達が着いた後、頃合いを見計らって、また訪ねて来ると聞いていたのだ。


「こちらは河村源次郎殿だ。オイラの上役ってぇところさなぁ」


 永岡に紹介されて、弘次とみそのはそれぞれ挨拶をした。


「河村源次郎と申す。改めてよろしく頼み申す。それに某は永岡殿の上役では無いので、遠慮は無用にござる」


 源次郎は頬を緩めた。


「旦那ぁ。河村様はあっしの知りぇだって、おっしゃってやしたが、あっしは、どうも初めてだと思うんでやすが?」


 弘次が永岡を見て訝し気な顔をする。


「あぁ、あれな。弘次は覚えてぇかぇ?」


 永岡は可笑しそうに言うと、尾張屋敷に居た先客が源次郎だと、種明かしをして笑った。


「あ、あの時の…」


 弘次は驚いて源次郎を見ると、慌てて頭を下げた。


「ふふ、頭など下げんで良い良い。それよりも、くれぐれも御城には忍び込むで無いぞ?」


 源次郎は弘次を一睨みして、小さく笑った。


「へ、へい、滅相もぇでやすよ」


 弘次も慌てて応えて頭を掻いた。


「それで何か掴んだ事でもござったか?」


 源次郎は永岡に本題に入る様に促した。


「まぁ、源次郎殿。折角なんで、みそのの料理を食いながら聞いてくだされ」


 源次郎になめろうを食べる様に勧めると、永岡は話し出した。


「弘次の方は、通春様の所には、飯田ってぇ偽薬に絡んでいた藩士が、通春様に金を渡しに来たくれぇで、他に変わった様子は無かったってぇ事だったな?」


 永岡が弘次を見て確認すると、弘次は大きく頷いてそれに応える。


「まぁ、オイラの見たところ、今までの事をかんげぇても限りなく黒にちけぇんだが、通春様は白にちげぇねぇと思うんですよねぇ」


 永岡が源次郎を見ると、源次郎はなめろうを口に入れて、目を丸くしていたところだった。


「いや失敬した。あまりにも美味かったでな。それで永岡殿は、何故にそう思うのでござろうか?」


 源次郎は一口つまんだ良く解らない食べ物が、あまりにも美味かったので、驚いて思わず話しどころでは無くなっていた様で、自分を諌める様にして永岡に聞き返した。


「まぁ、こいつを食えば誰だってそうなりまさぁな。なぁ弘次」


 そう言って永岡と弘次は頷いて笑った。


「オイラが通春様が白だってぇ思うのは、今まで探ってて、通春様からは事件に絡んだ証拠や話しが、何も出て来ねぇってのもそうなんですがね。金の流れが普通じゃぇのが、気にくわねぇんでぇ」


「金のぅ…。そうか、そうだな」


 源次郎も合点がいった様に相槌を打った。


「まぁ、手前てめぇんところの藩士を使うんだったら、何も金を使う必要もぇでしょうし、何かの策略で金を使うとしても、金を藩士に持たすんなりゃ、もっと上級藩士にやらせそうなもんです。どちらかと言うと、藩から金が出てるって言うよりも、外部から金が出てるって思った方が、今まで探索して来た事をかんげぇると、すっきり物がかんげぇられるんですよ。実際に、今のところ通春様は、逆に藩士の方から金を受け取ったり、饗応を受けたりしてるだけで、通春様からは金は出てませんし、それに関わる様な指示すら聞けてぇんでねぇ。そして今日みそのを探していた時に、飯田と茶店で会っていた西海屋の由蔵を、先の抜け荷事件絡みって事で、思い切って会って来たんですが、由蔵は口では知らねぇと言ってやがったが、オイラがみそのの事を、性別を告げねぇで聞いた時に、ご丁寧に女だと付け加えて答えやがったんで、抜け荷にも今回こんけぇの偽薬にも、西海屋が関わってるってぇのは、明らかだと思うんですよ。確たる証拠にはならねぇが、みそのの事を知ってたってぇのが、何よりもの証拠になると思うんで、オイラはきっとこっちの事件も、西海屋が黒幕なんだと思うんですよ」


 永岡は今まで掴んだ情報を踏まえて、源次郎に推測を語った。


「ただ、だとしたら尾張徳川家を巻き込んで、偽薬で世を混乱させてまで、達成せねばならぬ謀とは…。西海屋の狙いは何なのであろうかのぅ。何とも解せぬのぅ」


「そうなんですよ、源次郎殿。オイラもそこんところが腑に落ちねぇんで、中々西海屋の仕業だとは思えなかっんですよ」


 源次郎の疑問に、永岡も身を乗り出して同調する。


「あっしも通春様を見る限り、首を傾げたくなる思いでやしたんで、動機がどうにせよ、通春様よりその西海屋ってぇ方が、臭ぇと思いやすよ?」


 話しを聞いた弘次もまた、今まで自分で見聞きした事を考えても、永岡の推測が有力だと言う。


「何れにしても、未だ推測には変わらねぇんで、もう暫くは通春様を探るにしても、これからは西海屋に矛先を向けて、調べにかかろうと思ってるんで、そう源次郎殿から上様にもお伝えねげぇませんかぇ。いや、御老中様かどちらか解らねぇんですが、以前西海屋に近づいて、蟄居の命を受けちまったもんで、また手ぇめえされちまうと厄介なんで、そのめぇに、上様からうちのお奉行に下知を賜りゃぁ、オイラも安泰なもんで、宜しくお願いしますよ」


 永岡は経緯を話し、最後は改まって頭を下げてお願いした。


「永岡殿、そう頭を下げ無くても良いというに」


 源次郎は永岡に頭を上げさせ、そもそもが、上様の願いを聞いての調べなのだから、心配する事は無いと太鼓判を押してくれた。


「ふぅ、安心したら腹が減って来ちまったぜぇ。さっきの弘次に言ってた、美味そうな湯漬けを先にもらえねぇかぇ?」


 永岡は黙って話しを聞いていたみそのに、困った様な顔で片手拝みに頼んだ。


「わかりましたよう。うちは居酒屋でしたもんねぇ?」


 永岡はみそのの憎まれ口を聞いて、にっこりとまた片手拝みに喜んだ。


「皆さんはどうします?」


 弘次と源次郎も食べると聞いて、みそのは嬉々として用意に立ち上がった。


「そうしましたら、ここに残っているのはこうしちゃいましょうねぉ」


 みそのは、お代わりにと盆に乗せて持って来ていた、木べらにべったり盛られたなめろうを、囲炉裏の端に刺し始めた。

 どうやら表面を少し芳ばしく炙る様だ。


「おおぅ」


 三人から小さな歓声が上がる。


「ふふ、こうやって炙ると、また違った味わいになって美味しいのですよ?」


 そしてみそのは、直ぐに湯漬けの用意をして来ますと言って、部屋を出て行った。


「炙ったらそれはまた美味いであろうなぁ」


 囲炉裏の火で炙られている、なめろうを見ながら、源次郎がぼそりと言った。


「源次郎殿も、みそのの料理が病みつきになりますぜ」


 永岡はそう言って笑い、頷いている弘次を見て話しかけた。


「弘次も今となっては、みそのの料理に病みつきみてぇだがな。ーーなぁ、弘次。智蔵が今日、たまには『豆藤』にも顔出せって言ってたぜぇ。それに智蔵は、おめぇが気兼ねしてやがったら、『もういい加減にしねぇか』って、オイラから言ってやってくれってよ。そしてな、何よりもお藤もそう願っているんだとよぅ」


 永岡は弘次に、智蔵は子供達の遊んでいる姿を見ながら、目を細めて話していたのだと伝えた。


「お、親分…」


 弘次は俯いて、黙って肩を揺らした。

 源次郎も訳ありを察して、何も言わずに小さく頷いている。


「ま、そう言うこった。おめぇもいつまでもこだわってねぇで、その辺のところを汲んでやれや。なぁ」


 永岡は湿っぽくなるのを嫌い、殊更明るく言った。


「あら、どうしたんですか?」


 お櫃の上に大振りの茶碗を乗せてみそのが入って来た。


「おいおい、危なっかしいなぁ」


 みそのが危うい姿勢で、障子を閉めようとしているところを、永岡が手伝ってやる。


「ほら弘次。折角だから、美味い湯漬けを食わしてもらおうぜぇ」


「へ、へい」


 弘次は袖で顔をゴシゴシ荒っぽく擦ると、真っ赤な目に笑顔で応えた。


「よぅし、じゃぁみその。早ぇところ、その美味うめぇ湯漬けを食わしてくんねぇ。源次郎殿も弘次も、さっきから待ち切れねぇってよぅ」


 永岡は茶化す様に言って笑った。


「永岡の旦那が一番待ち切れなかった様にしか、見えませんけどねぇ?」


 みそのも永岡が殊更明るく言って、湿っぽい空気を変えようとしているのを察し、口を尖らせながら応える。


「はぃ、どうぞ召し上がれ」


 大振りの茶碗の飯の上に、先程炙っておいたなめろうを乗せ、その上から小葱と生姜を刻んだ薬味を飾り、熱々の湯をかけ回したみその特性、炙りなめろう湯漬けが三人の前に出された。


「これは」


 源次郎も思わず声を出してしまい、三人共ゴクリと唾を飲み込んだ。


「ん〜。堪んねぇなぁ〜」


 永岡が感嘆の声を吐いたのが合図かの様に、源次郎も弘次もそれに続いて唸り声を上げた。


「んん〜っ」


「ただの湯ではないのですなぁ」


 源次郎は出汁の効いた湯漬けに目を丸くしながら呟き、そして箸が止まらない。


「あら、河村様はそう言う事もわかるんですねぇ?」


 みそのも嬉しそうに黙々と食べる三人を見ながら応える。


「お酒の肴が佃煮しか無くなってしまいますが、ご飯も出汁もお代わりありますからね」


「おぅ、肴は佃煮でも何でも構わねぇや、弘次なんて佃煮も一緒に食ってやがるぜぇ。ふふ、早速お代わり頼まぁ」


「あっしもお願いしやす」


「某も良いか」


 皆、余程口に合った様で、みそのに次々とお代わりを願った。

 そして嬉しそうに湯漬けを食べ、旺盛な食欲を見せている三人の男を見て、みそのも嬉しそうに目を細めるのだった。



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