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第四十七話 みそのの行方

 


「旦那ぁ、その由蔵よしぞうってぇのは、あの西海屋さいかいや宗右衛門そうえもんの右腕ってぇ、番頭なんじゃねぇんでやすかぃ?」


 智蔵が驚いた様に言った。

 昨夜みそのから聞いたと言う、永岡の話しを聞いての事だ。


 今朝の永岡は奉行所へ出仕するや、朝一番で大岡へこれまでの報告を済ませていた。

 そして奉行所を出た永岡を、控え部屋で待ち構えていた智蔵が見つけ、飛び出す様に出て来て合流したのだった。

 今は探索に向かっている道中で、智蔵にも歩きながら報告内容を聞かせていた。


「確かその右腕ってぇのは、由蔵って名前だったはずでやすぜ?」


 永岡は、思わぬところで西海屋の名前が出て来たので、思わず立ち止まってしまう。


「そ、そうかぇ。西海屋の番頭は由蔵って名前なめぇだったのかぇ」


「へい、間違まちげぇと思いやす」


「う〜ん」


 永岡は西海屋と言う名前から、あの凄腕の辻斬りや、清吉を凄まじいまでの太刀筋で斬り殺した、あの時の浪人風の男を思い出した。そしてその男が、新之助が危うく殺られそうになったと言う覆面の男と、同一人物では無いかとの思いが、永岡の中に湧き上がって来たのだった。

 永岡はその思いを智蔵にも伝えると、由蔵が茶店を出てから、飯田を追うみそのを見ていて、あの浪人を差し向けたのでは無いかとの自分の考えを語った。


「そうなるとみそのさんは、また狙われる恐れがありやすねぇ」


 智蔵が危惧を口にした。


「あぁ、その可能性はあるわなぁ。あいつに何か有るめぇに、何とかしてぇもんだがな…」


「旦那ぁ、今回こんけぇの一件でやすが、また西海屋も絡んでるって事になりやすよねぇ? そうでやしたら西海屋に手ぇ出しやすと、また上の方からケチが付きゃしねぇでやすかぇ? 西海屋の調べは、いよいよって時になってから、進める方が良いんでやすかねぇ?」


 智蔵は、以前永岡が蟄居処分になった事を心配して、西海屋への調べには、かなり慎重になっている様だ。


「だからと言って、放っておく訳にゃぁ行かねぇんだがなぁ。試しに庄左衛門をとっ捕まえて、西海屋の出方を見るってぇのは、どうだろうかぇ?」


 永岡はみそのに危険が迫っている事を踏まえ、事を急ごうと智蔵に意見を求めた。


「そうしてぇところでやすが、旦那も言っていやした様に、もし尾張様が絡んでるってぇかんげぇやすと、未だ解らねぇ事が多いんで、もう少し泳がせといた方が良い気がしやすが」


 智蔵は申し訳無さそうに言う。


「それもそうだよなぁ。オイラが慎重にってぇ言っておきながら、焦っちまってた様だぜぇ。そうなんだよなぁ」


 永岡も解ってはいたが、改めて自分に納得させる様に言う。


「旦那ぁ、今日のところぁ、旦那はみそのさんの警護へめえった方が、良いんじゃねぇんでやすかぇ?」


 智蔵はそんな永岡の心中を察して永岡を促した。


「まぁ、昨日も何も無かった様なんで、大丈夫でぇじょうぶだろうが、この事だけでも伝えて、あまり出歩かねぇ様に言っておいた方が良さそうだなぁ。悪りぃがみそのの家をめえってから、巳吉と坂上の探索に向かわしてくれるかぇ?」


「勿論でさぁ。どうせ通り道っちゃぁ、通り道じゃねぇでやすかぃ。それよか旦那は今日一日、みそのさんに付いてやってくだせぇよ」


「そこまでしねぇでも、家から出ねぇ様にすりゃ大丈夫でぇじょぶだろうょ。とにかく行ってみてからにしようや」


 とにかく二人は、探索前にみそのに忠告しに行く事にして、少し引き返す形で足を速めるのだった。



 *



「悪い事したなぁ」


 希美は電車の中で、ぼそりと独り言を呟いた。

 今日は久々の土曜休みで、夫も休みが取れるという事もあり、二人で映画を観に出掛ける約束をしていた。

 その為、昨日の内にお園さんから譲り受けた家から、自宅マンションへと帰って来ていた。

 しかし、いざ夫と出掛けようと、着替えもほぼ終わりかけた時に、希美の携帯が鳴ったのだ。

 メールの主は前のお店の時からのお客様で、希美が日本橋丸越に移動になってからも、わざわざ遠方から希美目当てに通ってくれる、とても大切なお客様だった。

 そのお客様からのメールは、『これから日本橋丸越に向かいます』との事で、夫には申し訳ないが、お客様には不義理も出来ず、急遽休日出勤となって、仕事場へと向かっているところなのだ。

 夫には、「どうせ希美は寝ちゃいそうだし、仕事に行って来いよ」とは、言われて出て来たのだが、どうも申し訳ない気持ちで一杯なのだ。

 それに、夫と今日一日デートしてみて、自分の気持ちを確かめたかったのも、少なからず希美の中にあったのだった。


「今頃どうしているんだろぅ…」


 希美は夫の事なのか永岡の事なのか、何れか判らぬ呟きと共に、大きな溜息を吐くのであった。



 *



「邪魔するぜぇ」


 永岡が慌ただしく入って来て、店の中を見回した。


「あら、永岡の旦那じゃぁ無いですかぇ。何かあったんですかぇ?」


 お加奈は、いつもと違う永岡の様子を訝しみながら声をかけた。


「おぅ、みそのが来てやしないかと思ってなぁ。その様子じゃぁ、顔見せてねぇ様だなぁ」


「みそのちゃんに何かあったんですかぇ?」


 お加奈は心配そうに永岡に詰め寄って来た。


「い、いや、そういう訳じゃねぇんだけどよぅ。ちっとばかし気になる事があったんで、さっきみそのんとこへ寄ってみたんだが、居なかったもんでなぁ。おめぇんとこへ行く様な事を、めぇに話してたんで、取りえずこっちに来てねぇかって、寄ってみたってぇ訳さぁね」


 永岡は、取越し苦労になるかも知れぬ事なので、お加奈にはそう言って笑って見せた。

 すると、永岡の話しを耳した甚平が寄って来て、


「旦那ぁ、隠さねぇで言ってくださいやしよぅ」


 と、永岡に詰め寄ってる。


「何も隠しちゃぁいねぇんだよ。一昨日ちょいと危ねぇ目に遭ったみてぇなんで、用心してあまり出歩かねぇ様にと、伝えておこうと思っただけでぇ。もしみそのがここへ来たら、オイラがそう言っていた事を伝えてくんな。そんで甚平には悪りぃんだが、みそのがけぇる時にゃ、おめぇが送ってやってくれねぇかぇ?」


「そ、そりゃ造作もねぇ事でやすが」


 それでも何か言いたそうな甚平だったが、永岡は有無を言わさず片手拝みで頼み、すぐ様店を出て急ぎ歩き出すのだった。



 *



 永岡が本所の辰二郎の家に向かっていると、智蔵が向こうからやって来て、


「旦那、辰二郎の家には来てやせんでした」


 と、首を振りながら報告した。

 永岡もお加奈には会いに行っていなかったと智蔵に伝え、


「ったく、何処どけぇ行きやがったんでぇ。無事でいてくれりゃぁ良いんだがなぁ」


 と、みそのを心配する言葉をこぼした。

 二人は手分けしてみそのを捜していた様だ。


「あっしは念の為、善兵衛の搗き米屋をめえってみやすんで、旦那はみそのさんが戻ってるかも知れねぇんで、みそのさんの仕舞屋へ向かってくだせぇよ」


「それもそうだな。戻ってるかも知れねぇな」


 永岡は微かな期待に気を取り直し、智蔵の言う通り、みそのの家に向かう事にした。


「では旦那、追っ付けあっしも行きやすんで、後ほど」


 智蔵はそう言い残し、善兵衛の店に向かうのであった。



 *



「源次郎か?」


 吉宗は大岡の報告を受けて、源次郎を呼び出していた。


「はっ」


「今朝忠相から聞いたのじゃが、尾張の百姓が、これもまた尾張の役人に雇われて、偽薬を作っているらしいのじゃ。急ぎ尾張の国許での調べを進めて、誰からの指図であったか確かめてくれんかのぅ」


 吉宗は忌々し気に源次郎に言う。


「永岡の手下が今、その百姓をつけておって、六郷村の作業場へ、じきに戻って来るらしいのじゃが、その詳しい話しや場所が知りたければ、直接永岡と接触しても良いのじゃぞ。尾張が絡んでいるとなれば、大事になってしまうでな。町方とも助け合って事に当たるが良い」


「ははっ」


 源次郎の気配が無くなっても、吉宗は虚空をじっと睨んで、暫くそのままの姿勢で考えるのであった。



 *



「ったく、あいつぁ何処どけぇ行っちまったんでぇ」


 永岡はみそのの家に着いても、家には誰も居らず、智蔵が辿って来るであろう道を歩きながら独り言ちていた。


「みそのさんが、どうかなされたのかな?」


 突然後ろから声をかけられ、永岡は飛び退って刀の鯉口を切った。


「まぁまぁ、まぁ待たれよ。某は公儀の者にて敵ではござらぬ」


 源次郎は両手を広げて、永岡に敵意が無い事を示す。


「大岡様より上様へ報告が上がり、某は上様より命じられて動いてござるのじゃ。なので上様は、お主の事も、みそのと言う女子の事もご存知じゃ」


 上様と聞いて永岡は、切った鯉口を元に戻して、無礼を謝る様に片膝をついて畏まった。


「その様な事をせずとも良い。早よ直られよ」


 源次郎は永岡を立たせ、歩きながら話す様に促した。


「上様より、この度は尾張藩が絡んでいるとなると、大事になり兼ねぬとの事で、町方のお主と協力して事に当たる様、命じられておるのじゃ。某は河村源次郎と申す。宜しく頼み入る」


 源次郎は歩きながら永岡に頭を下げた。

 そして続けて、


「某は弘次殿が尾張屋敷に潜んでいた時、先に居たのじゃ。その後、弘次殿を念の為探らせてもらったで、お主とみそのと言う女子の事も存じておる」


 と、尾張屋敷での一件を語った。


「そ、そうでしたかぇ」


 永岡は源次郎が将軍直々の御庭番と知り、声をかけられるまで気づかなかった事に納得する。と同時に、次は不覚を取らぬ様に自分を諌めるのだった。

 みそのを心配していたとは言え、直ぐ側まで近付かれても気づけなかった事に、相当衝撃を受けている様だ。


「それで、みそのさんは、どうかなされたのかな?」


 源次郎はもう一度聞き直す。


「あぁ、それなんですが、未だ何とも…」


 永岡は、一昨日みそのが新之助と一緒のところを覆面の男に襲われた話しをし、みそのが茶店で見た由蔵は、西海屋の番頭かも知れぬのと、みそのが由蔵に気づかれていた疑念が浮かんだ為、この事をみそのへ伝えに朝方寄ったのだが、既にみそのは不在で、今捜しているところだと説明した。


「心配じゃな。ならば上様へご報告差し上げて、手の者を増やす様に手配いたそう」


 源次郎が事も無気に言うので、永岡は恐縮したが、源次郎は今は永岡にも、働いてもらわなければならぬと、半ば強引に認めさせた。


「用件なんじゃがな。お主の手の者が、偽薬を作らされている百姓をつけておるとの事であったが、その百姓が六郷村の作業場へと戻ったら、某にも教えて欲しいのと、その百姓が言っていた尾張藩の役人が誰なのか、解っている様なら教えて欲しいのじゃ」


 源次郎は自分の手の者も、尾張の国許へ調べに走らせていると言う。


「役人の名前なめぇまでは出て来なかった様でして、未だ解りませんが、百姓達が六郷村に戻って来るのは、あと三日はかかると見て良いでしょう。戻ったらお伝えしますがどちらに繋ぎを?」


「繋ぎなれば、お主が弘次殿と繋ぎをつけている所へ、某の方から顔を出す故、心配せずとも良かろう。お主が大岡様へご報告に上がれば自然、某の耳にも入って来るのじゃが、急を要する事も有ると思うのでな」


 源次郎は、今日はとにかく、今回の事件を協力して解決する様にとの、上様の命を伝えに挨拶に来たのだと言う。そして源次郎は、みそのの事は任せる様にと念を押し、永岡の元を離れて行ったのだった。


「おいおい、オイラもそうだが、みそのの名前なめぇまで、上様の耳にへぇってんのかよ」


 永岡は、自分達の名前が将軍の耳へ入っている事を驚くと共に、直々の御庭番からみそのを任せろと言われ、先程よりも少しばかり安らかな心地になった。

 そして、今回の事件は将軍の命でもある事に、永岡は覚えず武者震いするのであった。



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