第四十五話 秘事
「そんで、どうだったんだぇ?」
永岡は、弘治に酒を注ぎながら急き立てた。
永岡は豆藤で智蔵達の報告を聞き、明日の手配りを終えてから、みそのの家にやって来ていた。そして、永岡がみそのの家に着いて直ぐ、弘次が疲れた顔をして現れたのだった。
永岡は急いでみそのに酒と肴を頼み、今漸く弘次の腹に酒と肴が収まり、人心地になったところだ。
「へい、すいやせん」
と、永岡の酌を受けた弘次は話し出した。
「あっしは、あれからちょいと、尾張様の中屋敷の方へ潜り込みやして、通春様の部屋を探ろうと、天井裏へ上がって梁を渡ってやしたんでやすが、驚いた事にあっしの他に、そこには先客がいやがったんでさぁ」
弘次は疲れた顔を永岡に向ける。
「せ、先客ってぇのは、他に通春様を探っている輩がいたってぇ事かぇ?」
永岡も驚いて弘次に聞き直す。
「へい、多分あっしには、気づいてねぇとは思うんでやすが、あれは公儀の隠密なんじゃねぇかと思いやすよ。へい。その隠密らしき者が、部屋へ下りて行った気配は判ったんでやすが、何をしてやがったかは、あっしも必死に息を潜めていたんで解りやせんでぇ。とにかくあっしは、そいつをやり過ごすので必死でやした」
弘次はすまなそうに頭を掻いて、一呼吸おいた。
「まぁ、そんなこって、一日何も出来ずに過ごしちまって、今日になってやっと動き出せたってぇ訳なんでやす。取り敢えずその隠密らしい者が、探っていたと思える部屋を調べたんでやすが、案の定その部屋は通春様の部屋でやしてね。あっしも、何か今回の事での証拠になる様な物がねぇかと、漁ってみたんでやすが、それらしい物は特に何も出て来やせんでした。出て来る物と言やぁ、政のあり方みてぇな書付が、幾つか出て来るくれぇでやしたょ。そんなんだったんで、あっしはまた天井裏に上がって、様子を伺う事にしやしたんでさぁ。そして暫く潜んでいやしたら、通春様が戻って来られたんでやすが、その直ぐ後に坂上ってぇ家臣が現れやして、通春様も辟易しているのが目に見える様な、おべんちゃらを並べ立てていやしたんでやすが、その坂上が通春様に金を渡してからは、通春様も満更でも無ぇ様な態度になりやして、金は使ってこそ生きて来るだの、色々と通春様も舌が回り始めて来やして、最後は悠々と一緒に屋敷を出やして、町へと繰り出して行きやしたんでさぁ。そんで、あっしは二人が遊郭に入るところまで見届けて、ここへ引き上げて来た次第でやす」
話し終えた弘次が猪口を呷ったところで、みそのが頃合い良く、酒のお代わりと新しい肴を持って来た。
「ほ〜ぅ、漬物かぇ。美味そうじゃぁねぇかぇ?」
永岡はみそのが出した『しば漬け』や『浅漬け』を、出されたと同時に摘み上げ、口に放り込んだ。
「なんだこりゃ。これまた美味ぇじゃねぇかよっ」
「な、なんでそんな怒り口調なんですかぁ? 美味しいんなら、美味しいで、もっと言い様があると思いますけどっ」
永岡の反応に、みそのが口を尖らせて文句を言う。
「わ、悪りぃ悪りぃ、あまりにも美味かったんでつい。なぁ、弘次も食ってみねぇ。肝を潰す美味さだぞ、ふふ」
永岡は少し大袈裟に言って弘次に漬物を勧めた。
「こいつぁ美味ぇやっ!」
弘次も一口食べると、今まで食べた事のない味に、魅了された様に感嘆して酒を飲んだ。
「こいつぁ酒も進みやすねぇ。最高でさぁ!」
弘次は嬉しそうにみそのに言って、また漬物をつまむ。
「ほうら、弘次さんは良い食べっぷりだし、反応もこうでなくちゃぁねぇ。弘次さん、冷や飯を、後で湯漬けにして持って来ましょうね。漬物と合いますから、是非食べて行ってくださいな?」
「おお〜、そりゃぁ良いでやすねぇ。是非お願いしやすょ」
雄次は更に嬉しそうに言った。
みそのは、バツが悪そうにしている永岡を見てクスッと笑う。
「旦那の分もお持ちしますから、そんな顔をしないでくださいなぁ」
みそのはしれっと言って、いそいそと湯漬けの用意をしに、部屋を出て行った。
みそのは、また職場の日本橋丸越で買って来た、『戸井の志ば漬け本舗』の漬物が好評だった事に満足すると、鼻歌まじりに嬉々として、湯漬けの用意をするのであった。
「でも本当に面白いお人ですねぇ、みそのさんは」
弘次は永岡に、色々な意味で不思議なみそのの才を、面白いと例えて関心するのだった。
*
コンコン、コンコン
誰かが戸を叩く音に、みそのは返事をしながら玄関口へ向かう。
「ワシだ、新之助だ」
「あら、新さん」
みそのは新之助だと判ると、慌てて戸を開けて新之助を招き入れた。
「おぅ、急で悪かったかのぅ?」
「い、いえ、そんなんじゃ無いんですよ」
みそのは、やはり新之助が徳川吉宗である事を、意識してしまっていたのか、いつもの調子と違って見えた様だ。
「昨日の事が少し判ったでな、お前さんも気になっているじまろうし、あの同心にも教えてやりたいのじゃろうから、少し無理したが抜け出して来たわぃ。ふふ」
本当はそれを口実に、大好きな町歩きに、無理矢理に出て来たのだと言い足す。
「新さんも大変なお役目ですもんねぇ。ふふ、『も』って事は無いわよね、新さん『は』日本一大変なお役目でしたね?」
みそのは首を竦めて悪戯っぽく言うと、お茶にするかお酒にするか新之助に聞いた。
「おっ、酒ってぇのも良いねぇ。お日様は未だ高い所に居るが、折角だから酒をもらおうかのぅ」
新之助は上機嫌に笑った。
*
「おぅ、久しぶりだなぁ」
永岡は満面に笑みを浮かべ、政五郎のがっしりとした肩を叩いた。
「旦那も相変ぇらずお元気そうで。まぁお互ぇ、随分と角が取れたみてぇでやすがね?」
政五郎もそう言って嬉しそうに笑った。
「最近じゃぁ、お前みてぇな骨のある奴ぁいねぇんで、丸くもなるさぁね。ふふ」
永岡は照れ臭そうに笑うと、早速本題に入る様に話し始めた。
「政五郎、お前にゃ、また世話になっちまって感謝してるぜぇ。昨日智蔵から聞いた話しなんだが、庄左衛門は乗って来そうかぇ?」
「へい、昨日早速うちの若ぇのを走らせやしたら、今は行くのは難しいって言いながらも、木札の引き換えの書付だけは、しっかり受け取りやがったそうなんで、奴ぁ、必ず顔を出しやすぜ?」
政五郎は永岡の問いに、ニヤリとして応える。
「ほぅ、そうかぇ。じゃぁ留吉を賭場に潜り込ましてもらって、構わねぇかぇ?」
永岡は、智蔵は顔が売れている為、他の客の事もあるので、留吉だけを潜り込ませて、後は遠巻きに見張る手筈を説明した。
「まぁ、本当ならとっとと、この辺でふん捕まいてぇ頃合ぇなんだが、今回の山は奉行所でも訳あって繊細でなぁ、そこへ来て西海屋絡みとなりゃぁ、尚更慎重にならなけりゃならねぇんで、悪りぃが暫くの間協力頼まぁ」
永岡は、片手拝みで照れ臭そうに政五郎に願った。
「旦那とはこう言う縁だったんですよ。ふふ、気にしねぇで、これからも気軽に使ってくだせぇよ」
政五郎は気持ち良く応えて、頼もしく胸を叩いた。
*
「こいつぁ美味いなぁ〜」
新之助は、先程からみそのの出す酒と肴を口にする度に、感嘆の声を上げている。
「ふふ、新さんったら、居酒屋に一杯引っかけに来たのじゃないのですから、ちゃんと用件を話していってくださいよう?」
みそのは、昨日の夜も永岡が探索の打ち合わせに訪れ、自分達だけ打ち合わせて、湯漬けを食べて満足すると、さっさと帰ってしまった話しをし、みそのが話したかった事など、全くお構い無しだったのだと、新之助に愚痴っていた。
「悪ぃ悪ぃ、そうだったな。でも人というものは、美味い物を食べている時が、一番幸せと言うものでな? その時は他の事柄など、すっかり何処かへ飛んでしまうものよ。まぁ、そういう訳で、そ奴等も悪気は無いのじゃ。ワシも含めて大目に見てくれんかのう」
新之助は、みそのを窘める様に言い、悪戯っぽく笑う。
「それにしても、『剣菱』にも勝る酒があるものなのじゃのぅ。あれはあれで樽の香りが移って、何とも良い香りなんじゃが、このすっきりとしていて、芳醇な酒の香りも申し分ないとあっては、酒問屋も放っておくまい。この様な酒を作るのは、未だこの時代では難しい物なのかのぅ」
新之助はそれでもぼそりとこぼしてから、本題に入るかの様に背筋を伸ばした。
「昨日あれから、手の者から報告を受けたんじゃがな。先ず謝って置かねばならんが、ワシ達に斬りつけて来た者は、途中で回復した様で、ワシの手の者も襲われた上に、取り逃がしてしまってなぁ。まぁ、ワシでも危なかった事を考えると、手の者にもきつくは言えんでなぁ。許してやってくれんかのぅ?」
「い、いえ、そんな、許すも許さないも無いですよ。でも、その方達はご無事だったんですか?」
「あの男も逃れる為に刀を振るったのか、着物を斬られたようじゃが、幸い傷一つ負ってなかったわぃ。ふふ、それが益々彼奴らにとっては、言い訳のしようが無いと、猛省しておったのじゃがな?」
新之助は、その時の様子を思い浮かべたのか、声も無く笑った。
「そしてあの仕舞屋に、女としけ込んでいた飯田と言う男じゃが、あの後は町木戸が閉まる前に、自分の屋敷へと戻っていったとの事なんじゃが、その屋敷と言うのが尾張の物じゃったそうじゃ」
新之助は不満気な顔をして、話しを締めくくった。
「そう言う訳じゃで、永岡にも昨日の事を教えてやってくれ。まぁ、あの飯田と言う男の屋敷は、知ってるんだろうがな。あの仕舞屋の事や、ワシ達を襲って来た男の事などは、知らんと思うでなぁ。あぁ、解っていると思うが、あくまでもワシは、新之助として話すんじゃぞ。手の者はワシがつけて行った事にすれば良い。それに永岡が何か言っていたら、ワシの耳にも入れてくれんかのぅ?」
「解りました。永岡の旦那には上手く伝えておきますね」
みそのは、新之助と秘事を明かし合って、随分と気持ちが楽になったのだが、その反面、また新たな秘事が増えてしまった事に、今更ながら気がついた。
明かせぬ秘事が、もう一つ増えてしまったみそのは、心の内で永岡に詫びるのであった。




