第四十三話 心強い味方
「きゃっ」
みそのは飯田に巻かれまいと、必死で跡を追っていたところ、突然背後から肩を掴まれて悲鳴を上げてしまった。
「なんだ新さんじゃないですかぁ。びっくりさせないでくださいよう」
みそのは肩を掴んだのが新之助と判り、安堵しながらも口を尖らせて文句を言う。
「悪ぃ悪ぃ、でもどうしてあの男を追ってるんだぇ?」
新之助もみそのに謝りながらも、前を行く男を追っているのが判っていた様で、足を止めずにみそのに問い質した。
「前に話した、偽薬を捌いてた男なんですよ」
みそのは歩きながら新之助へ、昨日道庵先生の所に、偽薬を持ってやって来た町人風の男が、今日は武士の格好で歩いている所を、偶然見かけて跡をつけているのだと説明した。
「ほぅ、良く気がついた物だなぁ。相変わらず大したもんだ。はは」
「笑い事じゃありませんよ。でも新さんが通りかかってくれて良かったぁ」
みそのは一人では心細かったのだと、新之助に言い、一緒に来てくれる様に願った。
「まぁ、ワシは暇を持て余してるでな、お安い御用さぁ。はははは」
新之助は何やら面白くなって来たと、目を爛々とさせ、みそのに胸を叩いて見せた。
*
「やっぱり、下手打っちまったみてぇだな。ったく、オイラとした事がどうしょもねぇなぁ」
永岡は、あの男はもうこの屋敷からは出てしまったのだと、やっと見切りをつけて動き出していた。
永岡はこれから霊岸島まで行くのも、後手後手に回ってしまうと思い、今日はあの男を捨てる事にした。そして智蔵と伸哉が探る、尾張藩上屋敷と下屋敷の間くらいに位置する、控え屋敷へと向かう事にしたのだ。
「ったく、しくじったなぁ」
またぼやく様に独り言ち、永岡は先を急ぐ様に歩いた。
*
「そうなんでやすかぇ。長命堂の庄左衛門は、西海屋の番頭の兄弟だったんでやすねぇ?」
留吉は思わず大きな声を上げて、身を乗り出していた。
留吉は今日、その昔、悪さをしていた時に世話になった、雷神の政五郎に話しを聞きに来ていた。
政五郎は元は武家の出では無いかと言われ、腕っ節もめっぽう強い。そして浅草寺雷門近くに駕籠屋を構え、意気盛んな男達を束ねてこの辺りを縄張りにする事から、雷神との二つ名で呼ばれている。
政五郎はこの辺りでは知らぬ者がいない、男伊達の親分なのだ。
「おぅよ。お前の探ってる長命堂の庄左衛門ってのは、これがめっぽう好きみてぇでな」
政五郎はサイコロを振る格好をすると、ニヤリとやった。
「そんで俺んとこの賭場で、ある日大負けした時があったのよ。そん時、うちの若ぇのが、庄左衛門には、もう張らすのを止めさせ様としてたんだがな。庄左衛門は自分は西海屋に兄弟がいるから、金は工面出来ると言い張って、どうにも聞かねぇ事があったのよ。まぁ、そん時ぁそれでも負けを取り戻す事も出来ずに、散々負け越して借金こさえたんだがな」
政五郎の賭場は、阿漕に金を巻き上げる様な事はしない代わりに、負けが込んで返済出来そうも無い男には、それ以上賭けさせない様にしている。どうやら庄左衛門も、そう言った事があったらしい。
「半信半疑だったんだが、二日後に五十八両の金を耳を揃えて持って来やがったから、あながち嘘じゃねぇって、うちの若ぇのが言ってたのよ。まぁ、そんなんで直ぐに回収出来たもんだから、裏は取ってねぇんだけどな?」
その後も懲りずに、ちょいちょい賭場へやって来て、勝ったり負けたりしながら、案の定負け越しているとの事だった。
「そうなんでやすねぇ。政五郎親分、この事ぁ、うちの親分の耳に入れても宜しいんでしょうかぇ?」
政五郎と智蔵は懇意にしているとは言え、賭場を開く方と、取り締まる方での立場を気にして、留吉は伺いを立てた。
「まぁ、智蔵親分の事でぇ。良い様に計らってくれんだろうし、お前もこの話しから広げて行きてぇんだろぃ? 小せえ事ぁ言うんじゃねぇやぃ」
政五郎は笑って留吉に応えた。
そもそも政五郎は、腕っ節の強い男伊達なだけに、渡世人や町の不良共が、勝手に政五郎を慕って集まってしまったのが元なので、ヤクザ家業と言っても、土地の者からは絶大な信頼を寄せられている。
そんな人柄も有って、智蔵は政五郎に一目置き、懇意に付き合っているのだった。
「へい、ありがとうごぜぇやす。また政五郎親分には、後日、うちの親分からの言葉をお伝えしに来やすんで、今日はこれにて失礼しやす。へい。御免なすって」
留吉は何度も頭を下げると、政五郎の店を後にするのだった。
*
「どうやら目的は女だなぁ」
みそのと新之助は、飯田を追って広尾村まで来ていた。
飯田がこの仕舞屋へ、いそいそと入って行くところを見て、新之助はぼそりと呟いたのだ。
「この家の前の持ち主は、妾でも囲ってたのかも知れんなぁ〜」
少し長閑な口調で新之助は続けると、
「へぇ〜、新さんも、お妾さんが何人もいそうな口調ですねぇ?」
みそのは新之助を揶揄う様に言って笑った。
「んんっ、ん〜」
新之助は、大奥に何人も囲ってるとも言えず、図星を突かれて咳払いをして誤魔化した。
「あら、案外本当なのかしら?」
みそのは新之助の反応を見て面白がると、
「お前さんも永岡殿がおらなんだら、その列に加えてやるのだがなぁ〜」
と、新之助は悪戯っぽく言って、ニヤリとやり返した。
「ところで、お前さんの知り合いの医師はどうなったぇ?」
新之助に突然話しを変えられて、みそのはしどろもどろになりながら、未だ長崎だか何処かに行っていて、連絡が取れないと言い訳し、急にあたふたとしてしまう。
「まぁ、長崎に行ってるのであれば、その御仁が、暫く江戸を留守にするのも致し方なかろうが。しかしながら残念よのぅ」
と言うや、新之助はみそのを突き飛ばし、振り向きざまに太刀を抜き払った。
ガキィン
鋼と鋼が打ち合う重い音と共に、白昼に火花が散った。
「むっ」「何奴だ」
襲って来た覆面の男は、覆面の下で小さく呻いて新之助に声をかける。
「おいおいおいおい、何奴ってぇのはこっちの台詞だぜぇ」
新之助は、今の斬撃で痺れた手を握り直しながら応える。
「その刀はお主の物か?」
「だったらなんとするよぅ」
覆面男は構わず続けて、新之助が応える。
「ほぅ、ならばお主は、将軍家の者って事なのだな。もしや吉宗ではなかろうな? ふふ」
「何ぃ」
「薄っすらと葵の紋が、彫られておるでは無いか?」
覆面の男は、新之助の刀に透し彫りにされている葵の紋を、あの一瞬の斬撃で読み取ったらしい。
「だったら刀を納めるってぇ訳でも無さそうだなぁ」
新之助は覆面の男の剣気がみるみる膨らみ、肌にピリピリと刺して来るのを感じる。
「ふふ、将軍を斬るのも中々出来ぬ事なのでなぁ。もし話しが本当ならば、願っても無い好機では無いか」
言うや否や、覆面の男が一気に間合いを詰め、袈裟掛けに斬りおろして来た。
「んっ」
新之助は太刀でそれを合わせて、受け流そうとしたのだが、覆面の男の太刀筋が急に鋭角に変わり、新之助の首を、水平に撫で斬って来たのに合わせ切れず、不覚にも太刀を跳ね飛ばされてしまった。
新之助は瞬時に飛び退り、辺りを見回し間合いを広げる。
「ふふ、まだ首が繋がってるだけでも褒めてやろう」
覆面の男は、ニヤリと覆面の下で笑った様な目を向けて、じりじりと最後の間合いを詰めて行く。
『こ、これまでかっ』
新之助が覚悟を決めて小太刀を抜き払った時、
プシュー
側で妙な音がしたかと思うと、霧の様な物が目の前を覆い、覆面の男が悲鳴を上げて後ずさった。
「い、今よ、新さん!」
みそのの声に新之助は漸く我に返り、覆面の男に小太刀で斬りかかった。
しかし、新之助もその霧に目をやられ、おまけに吸い込んだものだから、焼ける様な熱さで咳き込み、覆面の男を斬るどころでは無くなってしまった。
みそのが護身用の催涙スプレーを使ったのだ。
覆面の男は、目元しか晒していなかったのが幸いしたのか、何とかこの場から逃げ出して行く。
新之助は目をやられるは、咳き込むはで、追うどころでは無く、身体を丸めて苦しんでいると、何処からか数人の町の男達が駆けつけ、新之助を介抱しだした。
「ワシは良いからあの男を追えっ」
新之助は咳き込みながらも、漸くそれだけ言うと、また咳き込む、それを案じながらも町の男達二人は、覆面の男を追って駆け出した。
「い、痛たたたたたた、痛いっ」
みそのは残った町の男に、後手に捻られ拘束されてしまう。
「ば、馬鹿もん! その娘を離さんか!」
催涙スプレーで目が効かない新之助は、みそのの声で、手の者がみそのを拘束しているのに気づくと、大声で怒鳴りつけて止めさせた。
「は、早よ、水を持て」
新之助の側に残っていた、もう一人の手の者に指示を出すと、その者は脱兎の如く水を求めて駆け出して行った。
柄杓に水を汲んで駆け戻って来た手の者から、両手で水をもらい受け、目を洗い、うがいをして漸く落ち着いた新之助は、何が何やら訳が解らず固まっているみそのを見ると、悪戯っぽく笑って手招きした。
「散々だったなぁ。少し何処かで話そうかのぅ」
新之助は小声でみそのに言うと、例の仕舞屋に入って行った男は、残った町の男二人、いや、新之助の手の者に、跡をつけて身元を探る様に指示を出し、みそのを促す様に歩き出した。
*
みそのを連れて少し歩いた所に、瀟洒な造りの小料理屋があり、新之助は躊躇わず入って行く。
「今日は、ワシらが居る間は客を取るで無いぞ」
新之助は出迎えた女将に一言言うと、みそのを中に誘う。
中はこじんまりとしているのだが、調度品や掛軸等も重々しい、中々趣のある部屋に通され、みそのは部屋を見回しながら所在無げに座った。
先程女将に伝えていた様で、直ぐにみそのにお茶と、新之助には酒が運ばれて来た。
「女将、ワシが呼ぶまで人を近付けん様にな」
新之助は女将に人払いさせて、手酌で酒を猪口に注いでみそのに笑いかけた。
「どう思ったぇ?」
新之助は悪戯っぽく言って酒を飲む。
「ど、どうって…新さんが将軍様って事ですか?」
みそのは先ほど覆面の男が言っていた事や、怪し気な新之助の手先の事を思い出して、恐る恐る聞き返した。
「まぁそんなところだ。で、どうだぇ? ふふ」
新之助は面白そうにみそのを覗き込む様にして、みそのが話すのを待つ。
「い、いえ、私はそんな、良く解らないと言うか、何と言って良いやら、ど、どう答えれば良いのでしょう?」
みそのはまさか自分が対峙しているのが、徳川吉宗だとは俄か信じられ無い思いで、逆にどう答えたら良いのか聞いていた。
「ははっ、そいつは良いや。そりゃそうじゃろうのぅ。まぁ、どう思ってもらっても良いわな。ただこれは、お前さんのここに仕舞っておいてくれないかの?」
新之助は自分の胸を軽く叩くと、照れ臭そうに片手拝みをしてみそのに頼んだ。
「は、はぃ」
みそのは小さく答えると、新之助は大きく頷いて続ける。
「それじゃ、これからの話しは、ワシもここに仕舞っておくとするかの」
新之助は、また自分の胸を軽く叩く。
「それでお前さんは、いつの時代から来たんだぇ?」
新之助に単刀直入に聞かれてみそのは驚き、思わず新之助を見たまま固まってしまった。
「ふふ、そうなんだろぅ? 悪いがワシは手の者を使って、お前さんを調べさせたんじゃが、お前さんは謎が多くてのう。そんな事は先ず無いと思ってあたのじゃが、さっきの催涙ガスで、合点が行ったのよ」
新之助はニヤニヤしながら自分の推理を語った。
「お前さんの知り合いの医師ってぇのも、未来の者ならば、あの位の調べは大した事は無いのかも知れんし、お前さんが以前話していた外国語の文字も、お前さんが未来から来たのだったら、アルファベットくらい読めて当然じゃろうしのぅ。あの催涙ガスだって、未来の武器じゃったら納得行くと言うもんじゃ。どうなんだぇ?」
新之助はニコリとして、最後にもう一度みそのに問い質した。
それでもみそのは固まったまま、小さく頷くが思考が働かない。
「まぁ、ワシもお前さんと似た様なもんなんだよ」
「え?」
新之助は片目を瞑って秘め事を明かすと、みそのは漸く頭に指令が走った様に、驚きの声を上げる。
「ワシは1945年の8月からやって来たのよ。昭和20年じゃ。戦争真っ只中でのぅ、ワシは未だ十四歳の子供じゃった」
新之助は遠くを見る様にしてから、みそのを見て頷いた。
「そんな子供のワシにも、徴兵の知らせが来てのぅ。ワシはこれでも、剣道では神童とも言われたぐらいでな? 日本国の為にやっと働ける日が来たのじゃと、待ちに待っとったワシは、喜び勇んで思わず川へ飛び込んだのじゃよ。それがいけなかったのか良かったのか、今ではどちらでも良いのじゃがのぅ。その飛び込んだ川底が渦を巻いて、ワシを引きずり込んでな。ワシは必死で浮かび上がろうとしたんじゃが、水は飲むは息が出来ぬはで、気を失う間際には、すっかり死ぬ物だと思ったものじゃ。しかし気がついたら、ワシは誰かに介抱されててな。それが面白い事に、ワシと瓜二つの男に介抱せれていたじゃよ」
新之助はみそのを見て寂しそうに笑った。
「その男が今のワシの新之助様じゃ。暫くはワシも、武士の格好をしている新之助様を見ても、全く意味が解らんでな。次第に江戸時代にでも、来てるのでは無いかと感じたのじゃが、何と言って良いやら解らず、記憶喪失の振りをしていたのさぁ。そうして助けてくれた新之助様とは、どうにも気もあってな。その後もワシは、新之助様と友達付き合いをしていたのじゃ。余りにワシ達が似ているものじゃから、そのうち入れ替わったりして遊んだりしたものよ。ふふ、そして、あれこれと運命の悪戯か、新之助様が紀州藩主に成ろうと、時代が動き出した時に、ワシは新之助様の、影武者の様になっていったという話しでな。そんな中、ある陰謀で、影武者のワシでは無く、本物の新之助様が暗殺に遭ってしまったのじゃ。じゃが、兼ねてより新之助様が決めていた約束事があってな。影武者であるワシが生き残ったとしても、ワシが新之助様として生きて、新之助様の『世を良くする政を突き進むべし』との言葉を守り、命がけで新之助様の代わりを務めて、ワシはここまで来たのじゃよ」
新之助の話しに、みそのは固唾を飲んで聞き入っていた。
「お前さんは、今とお前さんの生まれた時代を、往き来出来るのかぇ?」
そんなみそのの様子を見て、新之助は気さくな感じに口調を変えて聞いて来た。
「え、ええ。そ、そうです」
「ほぅ、やはりなぁ」
「ワシと違って心の余裕と言うか、落ち着きみたいな物が有るのは、その辺の違いが有るのかも知れんのぅ。で、ワシより後の時代から来てるのじゃろう?」
「は、はぃ、2016年になったところです。もう昭和では無く、平に成ると書いて、平成と言う時代になっています」
「平成かぁ。『弊静』だと金に困りそうな年号じゃなぁ。民は飢えずに食えているのかぇ?」
新之助は政を一手に背負い込む、徳川幕府の将軍だからか、先ず民衆の事を心配した様だ。
「はい。不景気では有りますが、人が飢える事は先ず無い日本になっています」
「ほぅ、それは大したもんだ。ワシの頃は食えんかったからのぅ。ふふ、で、あの戦争はどうなったんだぇ?」
新之助は自分が喜び勇んで挑もうとしていた、あの戦争の行方を聞こうとして、直ぐに手をかざし、
「うむ、やはり聞かんでおこう。ふふ」
と、やはり聞いたらつまらないと思ったのか、ある程度予想はしているのか、途中でその質問を取り消した。
「お前さんが往き来しているってぇのは、誰でも往き来出来る世の中になったって、訳では無いのじゃろぅ?」
「はい。多分私だけかと…。良く解りませんが、普通は考えられない事なんです」
みそのは、自分がどの様な経緯で江戸に来る様になったのか、その江戸と東京の通り口であるあの戸棚は、一人しか往き来出来ない話しなど、正直に新之助に話して聞かせた。
「何だか、新さん、いや、吉宗様にお話し出来て、心が軽くなったと言うか、すっきりしました」
みそのは、誰にも言えなかった秘め事を打ち明けられ、すっかり気持ちが晴れやかになったのか、本当に嬉しそうに言った。
「新さんで良いぞ、新さんで。これからも新さんで宜しく頼むよ。のう?」
新之助はみそのが改まるのを嫌い、これからも親しく呼んでくれる様に頼む。
「は、はぃ。では新さんと呼ばせていただきますね、新さん」
「おうよ、それで良いのさぁ。ははは」
新之助とみそのは顔を見合わせて笑い合う。
「でもお互いここでの話しは、他言無用でな?」
新之助は片目を瞑ってニヤリとした。
「まぁ、これからはちょこちょこ会おうじゃないかぇ。今日のあの男の事も有るし、お前さんの知り合いの医師にも会わせてもらわないとだしな。はははは」
新之助は冗談めかして言うと、自分に繋ぎを付けたい時は、この前教えた煙草屋に声をかける様に言い、自分がみそのに会いたい時は、今日みたいに突然現れるので、今度はびっくりしないようにと笑うのだった。
みそのは驚愕の事実を知った事もあったが、それよりも、強力な理解者が現れた喜びで心が躍る。
そして最後は心強い味方を得た気分で、瀟洒な小料理屋を後にするのであった。




