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第四十話 繋がりつつある調べ

 

「元気出してくだせぇよぅ、北山の旦那ぁ」


 あれから北忠きたちゅうこと北山忠吾きたやまちゅうご松次しょうじは、前を行く男達を追って黙々と歩いて来ていた。

 川崎宿を通り越して神奈川宿までは、北忠も何だかんだと愚痴を言いながらも、未だなんとか歩いていた。それも、男達が神奈川宿では昼餉を摂るだろうと、松次に言われ、何とか気持ちを保っていての事である。

 しかし、その励みにしていたその神奈川宿も、あっさりと通り過ぎてしまっていた。

 その辺りから北忠は、見るからにげっそりと窶れて見えるほど、英気を無くし、しかも一言も話さなくなってしまっていたのだ。

 松次は普段自分が黙っている事は有るが、北忠の黙っている所など見た事も無く、自分も神奈川宿での昼餉をエサに、北忠を励ましていた事も有ったので、流石に気の毒になって声をかけているのだ。


「………」


 北忠は松次の呼びかけに、かすかに頷く様にしたのが応えなのか、言葉が無い。

 普段から眠った様な細い目なので、苦しげに目を瞑っている様にも見えるし、松次は益々困惑してしまう。


「旦那ぁ、あっしがひとっ走り先へ行って、飯屋かなんか見つけ次第しでぇ、適当に弁当をこさえてもらって来やすから、旦那はこのまま彼奴らを追って、歩いて来てくだせぇよぅ」


 松次か見かねて提案すると、北忠はピクリと眉毛を動かした。


「それで良いんでやすね?」


 松次が念を押すと北忠はコクリと首を振り、「○△□ょ…」と、聞き取れない程の小声で何か言ったので、松次は了承を得たと解釈する事にして走り出した。

 と、松次が走り出して直ぐ、前を行く二人が、街道筋の店へと入って行くのを見て、松次は足を止めた。


「旦那ぁ、ちょっと様子が変わって来やしたんで、もう少し辛抱してくだせえ」


 松次が北忠に状況を説明して、二人が店から出て来るまで、目立たぬよう側の木陰で休む様に進言した。


「ぞ、で、松次ぃ、そ、そんな悠長な事を言ってる場合じゃないよっ」


 のぼり旗が出ていなかったので判り辛かったが、近付いてみて、街道筋の店が食べ物屋と判ると、北忠は俄然元気が出て来て、「我らも旅人なのだから、ここで隠れている所を目撃されたら、怪しまれる事間違い無し」と捲し立てて、そのまま吸い込まれる様に店へと入ってしまった。

 北忠の身軽さに、松次は呆気に取られてしまう。

 そして、既に北忠が店へと入ってしまった現実に、「はぁぁ…」と大きな溜息を吐くと、


「えぇぇい、ままよぅっ」


 と、松次は破れかぶれに、北忠を追って自らも店へと飛び込んだ。


「だ、旦那ぁ」


 店に入った松次は、恨めしそうに小声で言いながら北忠の前に座る。


「そんな顔しなくても、松次の分も頼んでおいたから大丈夫だよぅ」


 北忠は、松次が自分の分だけ注文したのだと勘違いして、恨めしそうにしてると思ったらしく、ちゃんと二人分注文しているのだと宥めてくる。


「しかし松次ぃ、この店は饂飩うどんしかないみたいだよぅ。饂飩じゃぁ、腹が膨れないじゃないかねぇ?」


「声が大きゅうございますよ。旦那様」


 松次は、目当ての二人組が面白そうに、ニヤニヤしながらこちらを見ているので、北忠へ軽く目配せしながら、もう観念して、旦那を宥める奉公人と言った様子で、北忠に接する事にした。



「あぁ〜美味しいねぇ、松次ぃ。これだけ腹を空かせれば、どんな物でも美味しくなるんだねぇ?!」


「旦那様、声が大きゅうございますって」


 大声でご満悦な北忠を、また松次が小声で窘める。


「空腹に勝る料理人はいないって事だねぇ〜。ここの親父は、わざとこんな所で店を開いてるんじゃないのかねぇ?」


 普通なら不味くて食べられたもんじゃない等と、美味そうに饂飩をすすりながら、店主に聞こえんばかりに言っている。


「松次あれだよ、神奈川宿で食べそびれた旅人目当ての店なんだよ、ここは。ここの親父は中々知恵が回るねぇ〜」


 変な感心をしながら、北忠はお代わりを頼んだ。


「おっ、松次。悪かったねぇ、お前の分もお代わりしてあげなきゃねぇ? この後の旅に触るところだったよぅ。ふふふ」


 北忠の様子に二人組はクスクスと笑っていると、北忠が店主に声をかけて、松次の分と一緒に、その二人組の分までお代わりを頼んでしまった。



 *



 永岡は迷っていた。

 今まで巳吉にしても、皆、捕らえること無く泳がせていたが、目の前を歩く男は早々に捕らえ、口を割らせても良いのでは無いかと、思い始めていたのだ。


「まぁ、行き先を突き止めてからでも遅くはぇかぇ…」


 少し心が逸っている自分を、戒める様に独り言ち、永岡は跡を追う事にした。

 来た道と別の道を辿っているので、未だ帰る訳では無いと踏んでいたからだ。

 暫く歩く内、永岡は『おや?』っと気づく物が有った。

 霊岸島のあの男の住処から、みそのが居た本所の町医者を辿り、住処へ戻るのかと思いきや、両国橋を渡りそのまま広小路を抜けると、川沿いをひたすら歩いて、今はほとんど武家屋敷ばかりの、小川町界隈まで来ていたのだ。


「もしや市ヶ谷の、尾張様のお屋敷まで行くんじゃねぇだろうなぁ」


 ふと永岡は、この男が向かっている先は、尾張屋敷が集まる界隈では無いかと思うのだった。そこは今、智蔵と伸哉が探りを入れているはずだ。


「しかしどうして、わざわざそんな七面倒くせぇ事するってぇんだぁ。意味がわからねぇぜ」


 また歩きながら独り言ち、永岡は考える。


「いよいよ臭くなって来やがったなぁ」


 千代田のお城を左手に見て、ぐるりと反対側、今は番町の方まで来ていた。

 しかし、相変わらず、何でこの男が尾張屋敷へと行くのかは解らず、永岡は未だ半信半疑でいる。


『まぁ、その内繋がんのかもなぁ』


 余り先読みしてても埒が明かないと思い、尾行に集中する事にした。

 ここらは周りが武家屋敷ばかりなだけに、人気も少なくなり、尾行し辛くなっても来ていたからだ。



『ほぅ、迷わずへぇりやがったな』


 永岡は男の屋敷に入る姿が、どう見ても初めてでは無さそうな、小慣れた様子を見て、もしかしたらあの男は、元々この屋敷の人間なのではとも思ってしまった。

 永岡はここまで尾行して来て、どうも男の歩き方が、何処と無く武士が町人に成りすましている様な、そんな違和感を感じていたからだ。腰が二本差しをしていない分、座りが悪い様な、癖のある歩き方にも見えたのだ。


 先ず永岡は、向かいの屋敷の門番に声をかけた。そして、あの男が入って行ったのが、何処の屋敷の物なのか聞いてみると、門番は無愛想だが律義に答えてくれ、難なく屋敷の持主が尾張藩の物だと知れた。

 そうと判った永岡は、この辺に智蔵と伸哉が居るものかと思い、今の門番に、もう一度智蔵と伸哉らしき町人が訪ねて来なかったか聞いてみたが、今度は無愛想そのもののつれない返答で、今日はその様な者は訪ねて来てないとの事だった。


『はて、尾張様の屋敷は数あるからなぁ。智蔵達が探ってる屋敷は、他に有るってこったろうなぁ』


 永岡は門番のつれない返事にそう思い、取り敢えずあの男が何者なのか探るべく、屋敷の裏へ回り、下女なり誰かが出た来るのを待つ事にした。



 *



「おぅ、ご苦労だったなぁ」


 永岡は、智蔵達が集まっていたところへ顔を見せると、開口一番労った。

 ここは智蔵が女房にやらせている居酒屋、お馴染みの『豆藤』だ。


「へい。永岡の旦那もお疲れ様でごぜぇやした」


 伸哉がすかさず永岡に酒を注いで出迎えた。


「おぅ、ありがとうよ」


 永岡は一息に飲み干して人心地になると、早速今日の様子を皆に話し、次は先ず同じ尾張屋敷の調べに出ていた、智蔵と伸哉に話しをする様に促した。


「へい。あっしらが探ってやした尾張様のお屋敷でやすが、上屋敷と下屋敷の間くれぇに有りやして、控え屋敷の中では、比較的大き目な屋敷でごぜぇやす。なんせ尾張様の江戸屋敷は三十以上ありやすから、永岡の旦那と会えなくても不思議はありやせんや。お話しを聞くところ、永岡の旦那が探ってたのは、きっと戸山の下屋敷にちけぇ方なんだと思いやすよ」


 智蔵は永岡の話しから、永岡は戸山にある下屋敷近くの、控え屋敷を探っていたのだろうと言った。


「しかも、あっしらは、麹町の中屋敷へも行ってやすから、会えねぇのも尚更でさぁ」


 智蔵はちびりと酒を舐めて舌を濡らすと、話しを続けた。


「先ず、屋敷に消えて行きやした、坂上ってぇ男が出て来るのを待ってる間に、また昨日の下女が出て来たんで、坂上ってぇのは普段何処へ行く事が多いか、聞いてみたんでやすが、外出先までは知らねぇとの事でやしてね。そんで取りえず、奴の評判だけ聞きやしたんでさぁ。まぁ、その下女の話しでやすがね、坂上ってぇのは、その控え屋敷を仕切ってるだけあって、中々顔が効くらしいんでやすが、細けぇこたぁ言う上に、威張りくさった男の様で、おまけに金にしわい等散々でやして、奉公人からは嫌われてるみえぇでごぜぇやした。ま、あっしはそこまで聞いてから、中屋敷の方へと、伸哉を残して探りに行ったんでやす。しかし中屋敷は場所も場所でやすし、中々近寄りがてぇ所でやして、今日のところは怪しまれねぇ内に引き上げて、伸哉を待たせていた控え屋敷へ、けぇる事にしたんでやす。そしたら向こうから坂上と、坂上をつけている伸哉がやって来やしたんでさぁ」


 智蔵がそこまで話して伸哉に目配せをして、続きを話す様に促した。


「へい。あっしは親分に言われやして、引き続き坂上ってぇ男が出て来るのを待っていたんでやすが、親分と別れてから四半刻程しやしたら、坂上が表門から出て来やして、坂上をやり過ごしてから、試しに知り合いの振りして門番に聞いてみたんでやす」


「おいおいおいおい、そりゃまた思い切ったなぁ」


 永岡はニヤリとして伸哉を茶化した。


「へい。親分が良く使う手でやして」


 伸哉は門番に、「今すれ違ったのは坂上様ではないか」と問いかけ、自分は坂上と約束をしていたのだと言い、何処へ行ったのかを訪ねたのだった。

 伸哉が頭を掻きながら苦笑いして、智蔵に小さく頭を下げた。


「その門番は、この頃は良く中屋敷へ行く事が多いし、今朝方中屋敷からの使いがあったとの事で、今日も中屋敷へ行ったんじゃねぇかと言いやしたんで、すぐさま追って行ったところに、親分と鉢合わせしたんでさぁ」


 智蔵と顔を見合わせて頷いた伸哉は、後の話しは智蔵に任せるとばかり、助けを求める様に目配せをした。


「へい。そう言う訳でやして、坂上は一刻半程中屋敷におりやしたが、先に話した様に聞き込みもし難い上、見張り難い場所でもありやして、今日のところはすいやせんが、収穫らしい収穫は無かったんでやすよ」


 智蔵は申し訳無さそうに謝った。


「いや。坂上が良く中屋敷へ行く事が分かったじゃぁねぇかぇ。それに金にしわいってぇこたぁ、裏をけえせば金に転ぶってぇ事も考えられらぁ。色々と先に繋がるかも知れねぇ。収穫はあったぜぇ」


 永岡は改めて二人の働きを労った。


「まぁ、オイラも手を打つんで、中屋敷の方はオイラに任せて、智蔵達は、先ず坂上ってぇ男を、もうちっと追ってくれねぇかぇ?」


 永岡は後で会う弘次の顔を浮かべ、智蔵に目配せした。智蔵には弘次が加わる事は話してあったからだ。


「留吉の方はどうでぇ?」


 永岡は、いつもの様に黙って聞いていた留吉に話しを向けた。


「へい。長命堂と西海屋との繋がりは、未だはっきりと掴んでいやせんが、西海屋の奉公人の中に、長命堂の庄左衛門が訪ねて来たところを、見たって言う奴もおりやして、しかし、どう言う要件かや、関係は未だ良くわかっちゃおりやせん」


 留吉は申し訳無さそうに永岡に頭を下げた。


「おいおい止めろぃ。十分おめぇも、めぇに進んでるぜぇ。また明日っからも頼むぜぇ」


 永岡は徐々に調べが進んで行き、その内それが、だんだんと繋がってくるんだと言って、留吉に酒を注いでやる。


「智蔵、オイラは明日の手配りしに、これから行かなきゃならねぇんで、後は頼むわ。まぁ、今日は飲んで疲れを癒してくれぃ。んじゃまた明日もここで集まらぁな」


 永岡は智蔵に目配せをすると、皆に感謝の目を向けて立ち上がった。


「おぅ、お藤、今日はけぇるんで皆をよろしくな」


 丁度肴を持って来たお藤に声をかけながら、その袖に心づけを落とすと、慌ただしく永岡は店を出て行った。



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