第四話 お園さんとの約束
「こんにちは〜」
希美はお園さんには、「次からは勝手に入って来てくださいね」と、言われていたので、あれからお園さんの家には何度か訪れているが、その度にそのお言葉に甘えて、自分の家の様に、玄関の引き戸を開けて入って行く。
「いらっしゃい、みそのちゃん」
「では、早速着替えてしまいましょうね」
もう希美は、一人で着物を着られる様にもなって来たのだが、お園さんはこれが嬉しいらしく、着替えを手伝ってくれる。
「お園さん、本当に毎日の様に押しかけちゃって、迷惑じゃないですか?」
希美はあれから、十日の間に七日も来てしまっているのだ。
希美の仕事の日は、お店の早番遅番に合わせて、午前中や夕方だったり時間はまちまちだが、希美はここへ来て、庭の手入れや家の中の掃除をするのが、なんとも楽しくて堪らなくなっている。
希美は柱や床などを拭いていると、瑞々しく黒光りして来て、本当にお家が喜んでいる様に感じる。
以前お園さんが、お掃除をさぼるとお家に怒られてしまうと言ったのも、今では頷ける。
自分の家の掃除をしていても、こんなに楽しく出来た事など無かった希美は、実は毎日ここに来たいところを、あえて日を開けたりしていたのだ。
それでもお園さんがお店に来た際に、一緒に帰ったりと、なんだかんだ毎日の様に来てしまっていた。
「私はみそのちゃんが来てくれて、お話しも出来てとても楽しいし、お家のお掃除まで手伝ってくれるのだから、迷惑どころか、感謝しているくらいですよ」
お園さんは帯を結びながら、希美に応えている。
「みそのちゃんの時間を使わせてしまって、申し訳ないくらいなのですからね?」
お園さんはそう言って、「はぃ、結べましたよ」と、ぽんぽんと軽く希美の背中を叩いてにっこりした。
*
「本当にみそのちゃんは、お掃除が好きなのねぇ」
二人で床を拭き終わると、お茶を喫っしながら、お園さんは楽し気に笑った。
「このお家は特別なんだと思います。自分の家なんかは面倒に思っちゃうけど、このお家だと、なんだかお家が喜んでくれている様で、私も楽しくなって来るんですよ」
希美は、ここのところ思っていた喜びを口にした。
「このお家も、みそのちゃんに会えて喜んでいますよ?」
お園さんはいつもの様に優しい顔で、大きく頷きながら満足気に言う。
「みそのちゃんは、このお家と相性が良いのねぇ。私も同じ思いでやってきたのですけど、最近は身体が思う様に動かなくてねぇ」
「私、仕事場も近いし、夫もほぼ単身赴任みたいな感じだし、お園さんさえ良ければ、本当に毎日でもこちらに遊びに来て、お掃除なんかも手伝いますよ」
希美はここぞとばかり、本心を言ってみた。
「みそのちゃんは、みそのちゃんで楽しんで欲しいから、ここで毎日お掃除やら、私のお相手やらだと申し訳ありませんよぅ……。本当に、みそのちゃんの好きな様にしてくださいねぇ」
お園さんはしんみりと言うと、
「ありがとうねぇ」
と、お園さんは少し目尻を光らせながら、希美に頭を下げた。
「お園さん、私も本当にお園さんに会いに、このお家に来るのが楽しいの。あまり気にし過ぎないでくださいね」
希美は殊更明るく言って、お園さんの肩をぽんぽんと叩いた。
*
ここのところ、お園さんは寝込みがちで、希美は泊まりで看病する日が続いている。
「みそのちゃん、こんな事までさせちゃってごめんなさいねぇ」
「そんなことを気にしなくても良いんですよ。お園さんは早く良くなることだけ、考えてれば良いんだから」
年が明けて新年の挨拶に訪れた時に、希美は、お園さんが体調を崩しているのを知った。
心配はしていたのだが、日に日に悪化していて、最近では一日中、寝床から起き上がれない様になり、みるみるうちにお園さんの身体が弱って来ている。
それもあって希美は夫に相談し、ここのところは、泊まり込みで世話をしているのだった。
「本当はお仕事も休みたいところなんだけど、幸いこのお家は、お店から近いので良かったと思っていたけど、私がいない時は本当に大丈夫なんですか?」
希美はお店に出ていると心配で堪らない。
「お願いがあるの、みそのちゃん」
突然切り出すお園さんに、希美は少しびっくりする。
「どうしたんですか、そんなに改まって」
少し微笑んでお園さんは続ける。
「みそのちゃんに、これからもこのお家の面倒を見て欲しいの」
「もちろん、お園さんさえ良ければ、これからもずうっと来て、お掃除なんかもお手伝いするつもりですよ」
お園さんは、穏やかな表情で微かに首を振る。
「私が居なくなってからも見て欲しいのよ……。そろそろお迎えが来るからねぇ」
「そんなこと言わないでって、言ってるじゃないですか。早く良くなって、一緒にお掃除しながらお話ししましょうよ。まだまだお園さんは大丈夫ですって」
希美は努めて明るく言ったつもりだが、涙が邪魔をして、最後は言葉に詰まってしまった。
「ありがとうねぇ。でも今のうちに、みそのちゃんには言っておきたい事があるのよ」
お園さんは目を瞑ると、何か考えをまとめる様にしてから語り始める。
「みそのちゃんはいつだったか、私が江戸時代から来てる人みたいと、言っていましたが、それは当たっていたのですよ。ーーふふ、正確には、私が江戸時代に行っているのですがね?」
希美は、思ってもみなかった事を話し出したお園さんに、何と言って良いかわからず、ただお園さんの話す口元を見ている。
「みそのちゃんにあげた着物も、江戸で誂えた物なんですよ」
お園さんは、みそのの着ている着物に目をやり、ふっと微笑むと、今度は天井を見つめながら続ける。
「私はね、最後は江戸でって決めていたの…。でもそうなると色々と、こっちの手続きが面倒でねぇ。前にもお話ししましたが、私は夫を早くに亡くしていて、子供もなくて一人ですからねぇ。もう頼れる人もいないし、みそのちゃんにお願いしたいのよ」
お園さんはいつもの優しい目で、希美を愛でるようにして頷く。
「ちゃんと考えてもらえないかしら」
最後はみそのの目を見て言ったが、急に疲れが出たのか、お園さんは目を閉じると、そのまま眠ってしまった。
希美は、暫く呆然とお園さんの寝息を聞いていた。
*
「店長どうしたんですか?」
「店長?」
あれから仕事に出た希美は、先ほどお園さんが話した言葉を、色々頭で巡らせていた。
「あ、ごめんなさいね。色々考えちゃって。ダメね、しっかりやらないとね。うん」
気合いを入れ直すつもりで、希美は両手を伸ばす。
「店長、園さんのお具合、あまり良くないのですか?」
希美が園さんの看病をしているのは、スタッフには言ってあった。
「そうねぇ、でも良くなって来そうよ」
希美は希望を込めて答えたが、涙が溢れそうになっていた。
「あまり寝てないんじゃないですか?」
「今日はお客様も少ないですし、ご飯食べ行く約束の緑ちゃんが後で来るので、店長は早上がりしてくださいよ。それにいざという時は、緑ちゃんにヘルプに入ってもらいますから」
緑ちゃんというのは、今日はシフトに入っていないスタッフで、この花ちゃんととても仲が良い。
「任せてください!」
と、花ちゃんは、小さくマッスルポーズをして、希美を笑わせる。
「花ちゃんは優しいねぇ〜」
と、乱暴に頭を撫でる仕草をして、希美は戯けてみせる。
「今日は甘えさせてもらおうかしら」
いつもはお腹が痛かろうが、早上がりなどはしないのだが、今日は花ちゃんの厚意に、素直に従う事にする希美だった。
*
お店を出た希美は、お園さんは熱でぼぅっとしていて、夢の中の事を言っているのか、もしかして本当の事なのか、はたまたそれらが入り混じってしまっている話しなのかと、色々考えを巡らせながら歩いている。
『でも要は、私がお園さんをどう思っているのかが大事だよなぁ』
そう思ってみると、長患いで夢と現実が混同している話しでも、夢みたいな話しが本当にあったとしても、それはどちらでも良い事で、何をしてあげたいかが重要なのだと気がついた。
「それよっ!」
と、口に出した時、希美の心の迷いも外に出て行った気がした。
気持ちがスッキリしたら、途端にお園さんの事が心配になり、早く顔が見たくなって、自然、希美は足を速めるのだった。
*
「おはよう、お園さん」
昨日はあれから帰ってからも、お園さんは目を覚ます事は無く、朝までぐっすり寝られた様だった。
「おはよう。今日は少し気分が良い様ですよぅ」
確かに昨日よりもお園さんの顔色が良いので、希美は少しほっとした。
「みそのちゃん、考えてくれたかしら」
お園さんは身体を半分起こし、希美を優しく見てくる。
希美は、お園さんはしっかりしていたんだという安心感と、本当に夢みたいな話しがあるのかとの、懐疑的な期待が綯い交ぜになった心地になる。
「決まりましたよ」
希美は微笑んで、お園さんの隣に腰を下ろした。
「お園さん、私はお園さんと、もっと一緒にいたいのが正直な気持ち。でもお園さんが望む事を応援したいのも本心……。うん、だからこのお家は私がお世話しますので、安心して江戸を楽しんで来てくださいね」
目を閉じて話しを聞く、お園さんの目尻に溜まった物を見た希美は、
「任せてくださいっ」
と、小さくマッスルポーズをしてみせた。
しかしその肩は小刻みに揺れていて、中々それが治らない希美であった。