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第三十九話 広がる事件



「ほぅ、それが継友つぐとも様も関わっているとあれば、些か剣呑な話しじゃのう」


 永岡は朝一番で、登城前のお奉行、大岡越前守忠相に面会を求めて、昨日の一件を報告していたのだ。


 永岡は、今回はお奉行の下知での調べでもあるが、事が徳川御三家の一つ、尾張徳川家にも及び兼ねない事を考え、先ずはお奉行の裁可を仰ごうと、昨日の豆藤で話しを聞いてから、今日の面会は決めていたのだ。


「先ず継友様においては、そこまでは考えられないのだが、念の為ワシの方から、上様の耳にも入れておいた方が良いだろうな。しからば永岡、町奉行所としては、尾張様へは表立っての調べは出来ないのだが、お主にはその辺の調べを続けて欲しいのだ。やってくれるか?」


「はっ。そのつもりでございました」


 ここまで来たら、何とお奉行に言われようが、その覚悟は決めていた永岡が畏まっって答える。


「お主は継友様の弟君であらせられる通春みちはる様を存知ておるか?」


「いえ、存知ませぬ」


 大岡が知らぬ名前を出して質して来たので、永岡も少々訝しんだ。


「まぁ、お主が存ぜなくとも致し方ないのだが、その弟君は、上様も一目置く中々の切れ者でなぁ。失礼ながら何か企み事を成すには、少々継友様には荷が重いとワシは思うのじゃ。もし尾張徳川家を巻き込む様な大事で有れば、ワシは通春様が、何かしら絡んでおるのでは無いかと思うでな。そこの所も頭に入れて事に掛かってくれまいか」


 大岡は幼い時から神童と謳われた、通春(後の徳川宗春とくがわむねはる)の関与が無いかどうかを探る様に、永岡に指示を出したのだ。

 通春は幼い頃より、神童と謳われる程の才知に長けていたのだが、その反面二十男として生まれたせいか、良く町場に繰り出し豪遊したりと、些かやんちゃな所もあり、それも吉宗の気に入る所にもなっていた。

 しかし、以前より吉宗からは可愛がられているのだが、何故か大岡は、通春を吉宗の様には見る事が出来ず、人知れず危機感すら感じていたのだ。


「まぁ、ワシの感働きみたいな物で、さしたる確証は無いのだがな。頼んだぞ、永岡」


「はは」


 永岡は未だ何も知れない物への好奇心と共に、大岡に平伏して応えるのであった。



 *



松次しょうじぃ、やっこさん達が出て来てしまったねぇ。やっぱり、これは行かなきゃならないんだろうねぇ?」


 北忠きたちゅうこと北山忠吾きたやまちゅうごは、普段からの眠たそう顔を一層眠そうにして、押上村の百姓家から出て来た二人組を見るや、松次に早速嘆き節になっていた。


「北山の旦那ぁ、昨日は豆藤で、今日の活力をいただいたじゃねぇでやすかぇ? 気合い入れて行きやしょうよぅ?」


 松次は昨夜『豆藤』で、北忠がお藤の鍋を堪能しながら、上機嫌に明日の重要性を説いていた様子を思い出し、頭を抱える思いで励ました。


「まぁ、余り遠くまで行かないでおくれと、祈るとしようかねぇ?」


 松次に励まされ、嫌々ながらも腰を上げた北忠は、ぱっぱと仕事が済む事を心から祈っている様だ。



 *



辰二郎たつじろうさんじゃないですか、どうかしたんですか?」


 みそのは仕事が休みという事も有ったが、昨夜は永岡を眺めながら寝てしまい、そのまま朝を迎えてしまっていた。

 朝になってそれに気づいたみそのは、慌てて東京へと戻り、シャワーを浴びると、すぐさま江戸へと戻って来ていたのだ。


 今日のみそのは、先日からお加奈かなに遊びに来る様に言われていた事も有り、これからお加奈に会いに、両国まで出掛けようと思っていたところだった。

 そんなところへ、みそのに指南を受けた棒手振りの辰二郎が、突然みそのの家に顔を出したのだ。


「急に訪ねて来て申し訳ねぇんでやすが、みそのさんが偽薬だって教えてくれた業者が、今朝方繋ぎを付けて来たって、道庵どうあん先生が言って来たもんでよぅ。みそのさんがめぇに、何かわかったら教えてくれって言ってたもんで、知らせに来たんだがねぇ」


 みそのは永岡に取り締まってもらおうと、辰二郎に薬の出処を聞いていたのだが、それは町医者の道庵が仕入れていた薬で、その道庵は、仲介人を通さずに買う事で、安価に仕入れられるとの業者の話しを信じ、仕入れていた代物だったのだ。

 道庵も最初納品されていた薬が、真っ当な品だった事も有り、これは良い取引きが出来たと、すっかり騙されていたのだった。

 道庵は今回の事では、かなり心を痛めると共に、憤りも抱いていた様子で、町奉行所へ知らせるべく、その後も何食わぬ顔をして、次の繋ぎを待っていた様だっだ。


「それで今度はいつ納品に来るのですか?」


 みそのは、わざわざ知らせに来てくれたお礼を言うと、辰二郎に詳細を聞いた。


「何でもいつも急な話しみてぇでやしてね。今日の午後には用意出来るとの事でさぁ。今朝方道庵先生ん所へ現れて、注文数を聞いてったらしいんでやすよ。あっしが朝の分を売りさべぇて家に戻りやしたら、道庵先生からの言伝がお秋にありやしたんでね。そんですっ飛んで来たんでやすよ。へい」


 辰二郎は、最近では商売も順調で、日に二度三度と売りに出ていると言う。


「商売の邪魔をさせちゃったみたいで、ごめんなさいね」


 みそのは、辰二郎が次の棒手振りに行くのを取り止めて、知らせに来てくれた事に恐縮した。


「何を言ってなさるんで、みそのさん。あっしらも、またお春の様な子が出ねぇ為にも、はえぇとこお縄になってもらいてぇんでやすし、商売の方は、みそのさんのお陰で、日に何倍なんべぇも稼がせていただいてやすからねぇ。これでみそのさんの頼みを疎かにしちまったら、バチが当たるってもんでやすよぅ」


 辰二郎はにこりと笑って、そんな事は気にしないで欲しいとみそのに願った。


「今からだと永岡の旦那に知らせても、間に合わないでしょうから、辰二郎さん、私を道庵先生の所へ案内していただけますか?」


「えっ、みそのさんが行くんでやすかい? ならあっしも最後までご一緒しますよ。何、商売の事なりゃ今も言った様に、心配しんぺぇなさらずにおくんなせぃ。それこそ、うちのお秋に叱られちまいやすからねぇ」


 みそのの申し出に、辰二郎が一人で行かせる訳には行かないと、自分も一緒について行くと言い出した。


「そ、そうですかぁ…。それでは、重ね重ねお世話になります。よろしくお願い致します」


 みそのは少し躊躇ったが、素直に辰二郎の好意に甘えることにして、早速道庵先生の元へと案内してもらう事にした。



 *



「旦那ぁ、やはり今日は押上おしあげ村に行くんでやすかねぇ?」


 今日は朝から巳吉みきちの住処で張り込んでいて、丁度今、家から出て来た巳吉を目で追いながら、智蔵ともぞうが永岡に話し掛けた。


 永岡はお奉行との面会を終えて、先ずは昨日の手配り通り、智蔵と伸哉しんやと一緒に、巳吉の住処から探索を始める為、直接巳吉の住処で待ち合わせていたのだ。

 留吉とめきちは引き続き、長命堂ちょうめいどうを一人で探る事になっている。


「旦那の読みでは、押上村へ行って闇薬を取りに行ってから、長命堂へと納めに行くんじゃねぇかって事でやしたが、あの足取りだと、やはり押上村へ行きそうでやすねぇ」


「あぁ、そうみてぇだなぁ。これでいよいよ押上村へ行くのがわかりゃぁ、オイラの予想通りに長命堂へ行くはずでぇ。そしたらさっき話した様に、伸哉を連れて、昨日の尾張様の調べにめえってくんなぁ」


「へい、承知いたしやした」


 永岡は昨日の内から、巳吉にはある程度見切りをつけ、尾張屋敷の探索に当たる事を智蔵には話して有り、何れにしても、お奉行である大岡の裁可を受けてからとの事で、先ずは巳吉の住処で待ち合わせていたのだ。


「おっ、益々オイラの予想通りになりそうだぜぇ。智蔵、さっきの大岡様の話しを頭に入れて、よろしく頼むぜぇ。こっちも引き継ぎを手配りしてあるんで、オイラも追っ付け向かわぁ」


「へい、では旦那、あっしらはこれで」


 永岡は、いよいよ巳吉の行き先が固まって来た事で、智蔵と伸哉を、市ヶ谷の尾張屋敷へと送り出す事にしたのだ。



 *



「んん〜。未だはっきりした訳では無いのだろう? のう忠相?」


 登城して直ぐに、大岡越前守忠相は、将軍である徳川吉宗に早速拝謁を願い出て、永岡からの報告を吉宗の耳にも入れた所だった。


「はは。今少し調べさせてから、上様への報告をするべきかとは思いましたのですが、天下を揺るがす大事に、なり兼ね無い事でも有りますので、先ずはそのお耳に入れた方が良いと思い、はっきりとした話では有りませぬが、上様にはその様に解釈なされた上、上様の方からでも、お調べして頂くのが得策かと忠相は考えておる次第でして、未だ如何様にも取れる話しで有りまする」


「んん〜、あの通春みちはるがのう。とにかくワシも、通春にそれとなく探りを入れてみるとするが、忠相、お主の方の調べも逐一ワシの耳に入る様にせよ」


 吉宗はやや苛立ちながら大岡に応えて、その後の調べの報告を催促した。


「はは。では上様の方でのお調べも、この忠相へ」


「うむ」


 吉宗は大きく頷き、大岡との話しを終えて庭へ出た。


「……」


源次郎げんじろう、聞いていたか?」


「はっ」


 いつの間にか、吉宗の足元に膝をついて畏まっていた男が、吉宗に御意を表したかと思う間も無く、音も無く姿を消していた。


「ふふ、源次郎は相変わらずよのぅ」


 吉宗は、紀州時代からの忍びである源次郎の早業に呆れ、ぼそりとこぼした。


「んん〜、しかし、思わぬところで通春の名前が出て来たのぅ。あやつは一癖有るが、忠相が思っている様な男では無いのだがのぅ。んん〜、此処からだったのかのぅ。確執にならんと良いのじゃが」


 吉宗は妙な事を独り言ち、難しい顔で庭を眺めている。



 *



「忠吾達はもう出た様だなぁ」


 佐吉さきちの家の側にある竹藪で、永岡は巳吉の様子を見ながら独り言ちた。

 永岡は北忠の世話を焼く松次を思い、苦笑いをしていたのだが、直ぐに風呂敷を担いだ巳吉が出て来たので、永岡も直ぐさま巳吉の跡をつける為、その背中を追った。


「ん? どうやらオイラの予想も、こっからは違う様相になるらしいなぁ」


 あの後巳吉は永岡が予想していた様に、押上村の例の百姓家に寄り道もせずに行き、中へ入って直ぐに出て来たのだが、思っていた方面へは歩き出さず、此処から先は永岡の予想とは違っていた。


「面白くなって来たってぇ事さぁね」


 永岡は、また独り言ちて巳吉をやり過ごし、引き続き巳吉の跡をつけ始めた。



 *



「彼奴ら全然休む様子が無いねぇ。松次、ちょいと休む様に仕向けて来ておくれよぅ?」


 北忠が先ほどから同じ様な事ばかり言うので、松次は、ほとほと手を焼いて困り顔である。


「北山の旦那ぁ、だからそれは無理な話しでさぁ。昼時には、流石に彼奴らも足を止めると思いやすんで、もうちっとばかり辛抱してくだせぇよぅ」


 松次も、先ほどから同じ様な事を言っては、北忠を宥めている。


 早立ちした二人を追って来た北忠と松次は、品川を抜け、六郷の渡し舟を何食わぬ顔で同船して渡り、今は川崎宿を通り過ぎた所だ。


「川崎宿を素通りするってぇ事は、神奈川宿までは未だ未だ歩くってぇ事だろぅ? 彼奴らは何をそんなに先を急ぐんだろうねぇ?」


「い、いや、旦那ぁ。先を急ぐも何も、旅は大概あんなもんでごぜぇやすよ」


 通常は日がある内しか旅が出来ないので、明るい内に、出来るだけ距離を稼ぐ為に歩き通すのが、この時代の旅の常識である。


「そうなのかぇ。私は江戸から出た事が無かったからねぇ。そう考えると、やたらと江戸から出るもんじゃ無いねぇ?」


 一応永岡からは、ある程度遠くまで行っても大丈夫な様にと、十分な路銀をもらって来ているのだが、北忠的には、どうせ江戸から出たとしても、日帰り出来る様な距離だと、高をくくっていた様なのだ。


「これ以上先へ行かれると、今日の報告が出来ないじゃ無いかねぇ。松次、こうなったら世間話をしがてら、行き先を聞いちゃおうかねぇ?」


「だ、旦那ぁ。今日は豆藤のこたぁ諦めてくだせぇよぅ」


 松次は、『豆藤』での料理目当ての報告の事かと呆れて、堪らず北忠に釘を刺した。

 北忠はそれを見てニヤニヤしているのだが、松次には北忠が何か企んでいる様にも見えて、先が思いやられるのであった。



 *



「あなたがみそのさんですか。この度は私が未熟なばっかりに、危うく患者を死なせてしまうところでした。お春坊に限らず、他にもあの薬の服用を勧めておりましたので、みそのさんのお陰で、私は何人もの命を奪う様な真似をせずに済みました。本当にありがとうございました」


 医師の道庵先生を辰二郎と訪ねると、挨拶もそこそこに、みそのは道庵に感謝され恐縮してしまう。


「いえ、私なんてそんな。先生が話しを聞いてくださり、早速患者さん達のお家を回ってまで、お薬を止めさせたのが、何よりの功労だったのですよぅ。お春ちゃんだけじゃ無く、皆さん無事と聞いて本当に良かったですよ。それにしても、本当にその業者の方は許せないですよねっ」


 みそのは人の良さそうな道庵と話していると、沸々と業者に対しての怒りが込み上げて来てしまった。


「えぇ。私の不覚もあるのですが、本当に許せませんな。まぁ、もう暫くしましたら、その業者も偽薬を持って来ますでしょう。狭いのですが、それまで奥でお待ちください」


 道庵は患者を待たせている様で、業者が来るまでの間、奥の住居の方で待つ様に勧められ、みそのは辰二郎と二人、奥で待たせてもらう事になった。


「それにしても辰二郎さん、近くに良いお医者さんが居てくれて安心ですねぇ?」


「へい。今回の事を除けば、本当あっしらは道庵先生様々なんでさぁ」


 道庵はみそのが想像していたよりも大分若く、三十前くらいの溌剌とした好青年だった事に、みそのを驚かせていた。同時にお春の成長を考えると、近くに若くて優秀な医者が居る事に、こんな力強い事は無いと感じていたのだ。



 *



 その少し前、永岡は巳吉を追って両国広小路を通りかかった際に、両国橋を渡ろうとする辰二郎とみそのを見かけていた。


「ん? みそのじゃねぇかぇ。ありゃ辰二郎も一緒だなぁ。お秋とお春を訪ねに行くんだろうかぇ」


 永岡は人混みの中、巳吉を尾行しつつみそのを発見していた。流石同心と言うべきか、みそのは特別なのか、明らかではないが、みそのと辰二郎が両国橋を渡る所を目で追っている。


「永岡の旦那ぁ」


 そんな時に急に誰かに声をかけられた。


「おぅ、弘次こうじじゃねぇかぇ。びっくりしたぜぇ」


 永岡が時折使っている、元盗人上がりの密偵の弘次だった。


「あっしもさっき丁度繋ぎを受けて、旦那の言伝の長命堂ちょうめいどうへ行く所だったんでさぁ。あの娘さんとは、その後好い仲になったんでぇ?」


 弘次が永岡の目線の先にいるみそのを、目ざとく見つけて嬉しそうに笑っている。


「ば、馬鹿言うねぇ。今はそんなこたぁ言ってる場合じゃぇさなぁ」


 永岡は、弘次にみそのの警護を頼んでいた事を思い出し、バツが悪そうに応えた。


「へへ、そうでやしたね。お務めでのお呼び出しでごぜぇやした、すいやせん」


 弘次はきりりと顔を引き締め直して、永岡の指示を待つ。


「お、おぅ、突然呼び出して悪かったな。道々話すんで、先ずはあの男を一緒につけるとするぜぇ」


 永岡は仕切り直す様に言って歩き出した。


「おめぇだから話す事なんだがな。そう思って聞いてくんねぇ」


「へい」


 永岡は弘次をかなり信用していると見えて、未だ智蔵にしか伝えていない、尾張徳川家の通春の事まで、今までの経緯を話して聞かせた。


「まぁ、そう言うところさぁね。そんなんで、調べは未だこれからってぇところよ。おめぇにゃ、別口から尾張様に探りを入れてもらいてぇんだが、難しいかぇ?」


 永岡が言い終えて弘次に問いかけた。


「へい、何てったって尾張様ですからねぇ。あっしの手蔓でも、尻込みする奴ぁ多いでしょうよぅ。でも、ま、何とかやってみやすよ」


 意外にあっさりとした顔で応えた弘次に、永岡はニヤリとして頷いた。

 その時、前を歩く巳吉が、木戸口を通って一軒の裏長屋へ入って行った。


「オイラはさっき話した様に、巳吉は長命堂へ行くと踏んでたんだが、どうも風向きが変わって来た様だぜぇ。こっからは巳吉が出て来たらおめぇが巳吉をつけてくんねぇかぇ。オイラはここに居る新手をつけてみらぁ」


「へい。承知しやした」


「こっから先は長命堂へ行くと思うんだが、次にどっか寄り道しても、今日の所は巳吉を尾行する事に集中してもらって構わねぇんで、長命堂に着いたらおめぇの目でも、長命堂をざっと探ってくんなぁ」


 永岡は巳吉が裏長屋へ入って行くと、簡単にこの後の手配りを弘次と話し、今日の夜にみそのの家で落ち合う事を約した。

 そして巳吉が出て行くのを弘次が追う形で、弘次とは別れたのだった。

 程なくして、巳吉が出て来た裏長屋から、一見ちょっとした商人風の男が、顔を出して歩き出したので、永岡もその後を追って行く。



 *



「ん? みそのじゃねぇかぇ。またあいつぁ、こんな所で何やっていやがんでぇ」


 永岡が追っている男が入った町医者から、漸く男が出て来たかと思った矢先、それを追う様にみそのが顔を出したのだ。


「ったく、あいつぁ、また余計なこたぁしやがってんじゃねぇだろうなぁ」


 永岡はそう独り言ちると、みそのの後から辰二郎が、みそのを引き止める様な格好で現れたので、永岡はやはり思った通りだと思い、前を行く男には気づかれない様、二人に近づき声をかけた。


「な、永岡の旦那ぁ」


 小声だが急に呼び止められる形になり、みそのは驚いて永岡を呼ぶ。


「おめぇ、永岡の旦那じゃねぇぜぇ。探索はオイラ達に任せておけってぇの。辰二郎、おめぇもこいつを止めねぇかぇ」


 永岡は男を目で追いながら、二人を叱りつけた。


「す、すいやせん。でも、みそのさんは悪くねぇんでぇ。あっしが情報を仕入れて来たのが遅かったもんで、永岡の旦那に知らせる暇がぇってぇんで、こんな事に…」


「まぁ、今は時間もぇや、何とも無かったんだから良しとすらぁ。おめぇ達ぁもう良いから、家へけぇりな。ありがとうよ、気ぃつけてけぇるんだぜ」


 永岡はもう自分に任せろとばかりに、二人には労いの言葉を添えて帰る様に言う。


「あっ、みその」


 行きかけた永岡に呼び止められて、みそのは永岡を見上げる。


「おめぇにゃ悪りぃが、今夜おめぇの家でオイラの手下と、繋ぎをつける事にしちまったんで、ちっとばかし遅くなると思うが、弘次ってぇ奴が現れたら、オイラが行くまで、何か飯でも食わして待たせてやってくんな」


「は、はぁ」


 急の話しでみそのは生返事で応える。


「悪りぃな。ちょいと訳ありで、智蔵達とは別口で会わねぇとなんで頼むわぁ」


 永岡は言い切らないうちに、早足で男を追って行ってしまった。


「もう、勝手なんだからぁ」


 みそのはぼそりと文句を言って、辰二郎と顔を見合わせた。


「旦那に信用されてるって証でさぁね」


 辰二郎はそれでも嬉しそうに見えるみそのを、揶揄う様に気の毒がった。


「まぁ、しょうがないわよねぇ。でも辰二郎さん、今日は本当にありがとうございました。お仕事も放り出させちゃった事だし、この後辰二郎さんところで、何か粕漬けでも購って行こうかしら。ふふ」


 みそのは永岡の知り合いの弘次の為にも、何かお菜を用意するのにそう言って、辰二郎に嬉しそうに笑うのだった。



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