第三十七話 動き出す調べ
「旦那、ありゃ伸哉じゃ無ぇんでやすかぃ?」
前を歩く巳吉の前を、丁度伸哉が横切る様に歩いていた。
「そうだなぁ。あいつあんな所で何やってんだかなぁ」
伸哉の先を歩く武家はとっくに通り過ぎているので、永岡と智蔵はその武家を見ていない。
「まぁ、長命堂の方で何か動きが有ったかして、そいつを探ってんだろうがなぁ」
永岡が言いかけた時に、前を行く巳吉が、伸哉が消えて行った方向へ曲がって行った。
永岡と智蔵もそれに続き、路地を曲がった所で、
「旦那、伸哉はあの武家をつけてるんじゃねぇでやすかぇ?」
と、智蔵が永岡へ声をかけてた。
路地を曲がると、前の巳吉の先を歩く伸哉がまた目に入って来て、その半町ほど先に武家らしい男が歩いている。
永岡と智蔵の所から、巳吉と伸哉を挟んで武家との距離は、一町(一町は109mくらい)も無いくらいだろうか。
「そうらしいなぁ。しかし伸哉も上手くなったもんだなぁ」
「へい。あっしらは、伸哉が探索中だって知っていやすから、判るようなもんでやすねぇ」
永岡も智蔵も、伸哉の巧みな尾行に頬を緩めた。
その内、遠目に伸哉がつけているであろう武家の男が、茶店か何かに入るのが見えた。
伸哉は何食わぬ顔で店の前を通り過ぎて、十間(18mくらい)ほどやり過ごし、小間物屋を覗き込む様にして歩みを止めた。そして、それと同時に永岡達の前を行く巳吉も、武家の男が入った茶店に入って行った。
「旦那、どうやら繋がってんのかも知れやせんぜぇ」
永岡と智蔵は店の手前で止まり、用水桶の陰へ身を潜めた。
「あぁ、どう見てもそうなるわなぁ。しかしなんでまた、あんな所で繋ぎをつける必要があんだろうなぁ」
永岡は武家の方の屋敷や巳吉の家など、他に人の目につかない所では無く、わざわざ町の茶店で会う必要性が、どこにあるのか訝しんだ。
「あっしらの他にも、奴等の事を探っていたりするんでやすかねぇ?」
「あぁ、わからねぇがあり得るなぁ。それかお互いの身元を知られたく無ぇか、ただ単に誰かに指示されて動いてるだけで、本人達ゃ、余り気にして無ぇのかも知れ無ぇしなぁ」
「そうでやすねぇ。あの武家も巳吉も、簡単に跡をつけられるくれぇでやすからねぇ」
智蔵は、巳吉が特に警戒する事無く、道中歩いていた事を思い出して、永岡の言葉に頷いた。
「何れにしても、そうと決めつける事ぁ無ぇやなぁ。可能性がある内は、どんなもんでも拾わねぇとなぁ?」
永岡と智蔵が話していると、伸哉が何気無く茶店に入って行くのが見えた。
「あの野郎、いい気になりやがってぇ。巳吉に気づかれねぇといいんでやすが」
智蔵が流石に伸哉の勇み足を心配する。
「ふふ、お前だって、自分が追ってた男が、茶店で誰かと会ってるとこを見りゃぁ、何を話しているか聞いてやろうと、同じ事をするだろうよ。まぁいいじゃねぇかぇ、お前の手間が省けたってもんさねぇ。どう転ぶか、見物と行こうじゃねぇかぇ」
「へへ、そうでやすねぇ。まぁ、巳吉のあの様子じゃぁ、大丈夫だと思いやすし。伸哉に任せるとしやしょうかぇ」
智蔵と永岡は、危なっかしくもある伸哉の機転を、期待しつつ見守った。
「おっ、出て来たぜぇ。しかし早ぇなおい」
伸哉が茶店に入って間も無く、巳吉だけ先に店から出て来て、こちらに歩いて来た。
伸哉が店の中から巳吉を目で追った時に、永岡と智蔵にも気がついた様で、遠目にも永岡達は伸哉が頷くのが判った。
「智蔵、巳吉はオイラが追うんで、伸哉が店から出たら、伸哉を助けて探ってくんねぇ」
「へい」
永岡と智蔵が頷き合うと、永岡は巳吉の後を追って歩き出した。
*
「そんなにも凄いのかぃ、松次ぃ」
北忠こと北山忠吾が、松次を羨望の眼差しで見ている。
あれから話し好きの北忠の話しは、どんどん変わって行き、先程まで北忠が、養子とは言え妻を持つ身として、松次に女の扱いを教示してやろうと、聞いても無いのに夜の閨の話しまでして、悦に入っていたのだが、「松次はどうなんだい?」と、自分で振っておきながら、妻しか女を知らない北忠は、松次の武勇伝に圧倒され、先程までとは打って変わり、今では松次を大先輩でも見る様に、羨望の眼差しで見ているのだ。
「伸哉兄ぃに比べりゃぁ、あっしなんて大した事ぁありやせんよ。兄ぃの女好きは、半端じゃ無ぇでやすからねぇ。しかもあの兄ぃは、これまたモテるんでやすよぅ。本当に羨ましい限りでさぁ」
「ほぉ〜ぅ、あの伸哉がねぇ」
北忠は、確かに端正な顔立ちの伸哉を思い出し、自分がこの話しで行けば、仲間内では一番の末席を温めている様な気がして、自分がこの話題に触れた事の迂闊さを悔やんだ。
「へい。伸哉兄ぃは女の扱いも上手ぇってぇんで、女が兄ぃの前に並んで待ってるぐれぇなんでさぁ。そんなもんで兄ぃは、その女達の家ぁ、順番に泊まり歩いてるってぇ寸法でやすよ」
「ほぉぉおお〜っ。で、松次、そろそろこの話題は変えないかぃ?」
だんだん自分の出る幕が無くなって来そうなので、北忠はいきなり話題を変えようとしている。
「北山の旦那が始めた話しでやすし、あっしは別に何でもいいんでやすよ?」
松次はもう北忠に慣れてきた様で、あっさりとしたものだ。
「そうかいそうかい、なら松次は和泉町の『とらや』の饅頭は食べた事があるかぃ?」
「あっ」
「さては松次、お前もあの饅頭に相当はまった口だねぇ? あれは本当に癖になるものねぇ。分かる、分かるよぉう!」
北忠は最近知った饅頭で、妻にわざわざ買いに行かせるほど、気に入っている饅頭の話題に、松次が思いの外良い反応を示したので、これは良い話しを振ったとばかり、益々にやけ面になる。
「い、いや旦那、あれ! あれが例の百姓なんじゃ無ぇんですかぇ」
「ん? 百姓?」
あぁそうかとばかりに、北忠はにやけ面をしまって、松次の指差す方を振り返って見た。
「そうに違い無いねぇ松次。やっと私達も救われたって事だねぇ。動きが無いと退屈で仕方ないからねぇ」
伸びをする様にして北忠はやる気を出す。
松次は、「北山の旦那は、全然退屈そうには見えやせんでしたよ」との言葉を呑み込んで、松次もまたやる気を出すのだった。
*
「伸哉、どうだったぇ?」
伸哉が武家の男を追う様に茶店から出て来ると、智蔵は何食わぬ顔で歩み寄り、顔を見せた伸哉へ声をかけた。
「へい、あっしが入って直ぐに、巳吉が出て行きやしたんでやすが、少し離れたとこに武家の男が座って居やして、帰り際に、その男の横に置いてあった袱紗を、何食わぬ顔で持って行きやした。それで巳吉が出て行きやしたら、あの男もすぐに腰を上げたってぇ訳でやして、何を話していたかはわかりやせんでぇ」
巳吉が男から何かを受け取った所は見たが、話しらしい話しは、伸哉が入った時には聞けなかった様だ。
「金かぇ?」
智蔵は袱紗の中身は金だったのか確認する。
「へい。中身は見えやせんでしたが、あの膨らみだと、二十両程の金じゃ無ねぇかと思いやした」
智蔵と伸哉は、男の後を追いながら話している。
「あの武家は長命堂と関係有るんだな?」
伸哉は長命堂を探っていたので、智蔵はその様に決めつけて聞いた。
「へい、あっしと留吉兄ぃとで、長命堂の周りを探っておりやしたら、裏口からあの武家の男が出て来やしたんでぇ。留吉兄ぃに、取り敢えず屋敷を突き止めて、何処の家中かと、そのお家に病人が出ていないかどうか、探る様に言われて来やした」
「やはりそうかぇ。お前も留吉も良い所に目が止まったなぁ。ふふ」
智蔵は二人の機転に満足そうに笑った。
「一仕事終えたってぇ後ろ姿ですぜぇ、親分」
伸哉は、先程よりも緊張感無く歩いている様に見えると、智蔵に説明した。
「ほぅ、お前も、そんなとこまで分かるようにになったかぇ。さっきの尾行姿も中々だったが、お前もいよいよ一人前になって来やがった様だぜぇ」
また智蔵が満足そうに笑みを浮かべると、伸哉も嬉しそうにはにかんだ笑顔を浮かべた。
「しかし、少しばかり歩かされそうだなぁ」
前を行く男の足取りを見ながら、智蔵がぼそりとこぼす。
「そうなんでやすかぇ?」
「あぁ、一仕事終えて気が抜けたのもあんだろうが、ありゃぁちょいと、距離を歩く様な歩き方にも見えっからなぁ。外れてくれりゃぁいいんだがな?」
そう言って智蔵はニヤリと笑った。
*
「おぅ、どうしてぃ?」
永岡が巳吉の後を追ってやって来たのが、北忠と松次が張っている押上村の一軒家だった。
永岡は、巳吉が一軒家に入って行くのを見届けると、北忠と松次が潜んでいる、佐吉の家の側の竹藪へ入って来たのだ。
「永岡さん、奴ら四半刻前にやって来ましたよ」
北忠が言って、松次が大きく頷いた。
「奴らって例の百姓かぇ?」
「はい。先ほど佐助の話し通りの風貌の男が、二人であの家へ入って行ったところでして、先ず間違い無いかと思います」
「ほぅ、いよいよ面白くなって来たじゃねぇかぇ」
永岡がニヤリと笑うと、巳吉がここへやって来る前に、恐らく伸哉が長命堂からつけていたと思われる、武家の男と茶店で会っていた事を説明してやった。
「その男は何者なんです?」
北忠が気になった様で、身を乗り出して聞いて来たが、
「未だ何も判っちゃいねぇんだが、この件に絡んでる事ぁ明らかだな。今智蔵と伸哉が探ってくれてっから、追っ付けわかんだろうよ」
と、永岡は首を振りながらも、智蔵達に期待を込めて応えた。
「佐吉の話しじゃぁ、彼奴らはここへ来た日にゃ一晩泊まって、翌朝早立ちするってぇ話しでぇ。今日は何処へも行かねぇはずだが、悪りぃが、今日はお前ら二人も佐助の家に泊まって、彼奴らの明日の早立ちについてって、行き先を探ってくれねぇかぇ?」
「へい、合点でぇ」
松次が応えたが、北忠はもじもじしている。
「ふふ、忠吾どうしてぇ。そんなに歩くのが嫌かぇ?」
最近歩き廻るのに、やっと文句を言わなくなって来た北忠だが、流石に遠出となると気が重いのだろうと永岡は笑った。
「い、いえ、歩くのは然程。そ、それで親分さん達が、その武家を探っているって事は、今夜は豆藤で報告を聞くって事ですよねぇ?」
「ま、まぁそうなるわなぁ」
永岡は嫌な予感がした。
「私も明日尾行に出る前に、その話しを聞いて、頭の中に入れておいた方が良いと思うのですが、如何でしょうか?」
「お前は…」
やはりなと思ったが、事このことにおいては、いつまでも根に持ちそうな、北忠の眠った様な顔を見ると、永岡は面倒臭くなって言いかけた言葉を収め、北忠と松次も、豆藤で飯を食いながら話しを聞き、その後またここへ戻って来て、明日の早朝から尾行に出る事を認めたのだった。
「ったくよぅ。オイラも焼きが回っちまったぜぇ」
永岡はそう言って舌打ちをすると、一軒家から出て来た巳吉に気がついて、それを救いとばかりに巳吉を追って行った。
「永岡さ〜ん、先始めちゃ駄目ですからねぇ〜」
北忠なりに抑えた声が永岡の背中にかけられると、永岡の前を行く巳吉が立ち止まり、暫く警戒する様に辺りを見回し、何も無いのを確認すると、首を傾げてまた歩き出した。
永岡はとっさに身を伏せてやり過ごしたのだが、丁度伏せた場所に野犬か何かの糞が有り、着物の袖を汚してしまう。
「ちっ、ったくよぅ」
永岡が振り向いて北忠を睨むと、北忠が嬉しそうに手を振って見送っている。
言葉を無くした永岡は、殺意を抱いた舌打ちを残して、遠ざかる巳吉を追うのであった。




