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第三十一話 それぞれの思惑

 


「あぁ、オイラも焼きがめえっちまったなぁ」


 永岡は、みそのの仕舞屋を出ると、ぼそりと独り言ちた。

 そして、薄く光の漏れる仕舞屋へ振り返り、


「まぁ、惚れちまったもんは、しゃぁないかぁ」


 と、自分に言い聞かせる様に続け、先ほどまで愛し合っていた仕舞屋を後にした。


 実は永岡は、みそのとはこうなる事を望んでいながらも、今までは深い関係になるのを避けて来たのだった。

 永岡は、みそのとは今までも良い雰囲気になり、何度もそんな機会が有ったにもかかわらず、今日まではぐっと堪えていたのだ。

 それは自分が町方を守る奉行所の同心であり、みそのがその町方である町人の娘だとのけじめや、身分の差を気にしての事も多少ある。が、それだけではない。

 永岡はみそのと初めて出逢った日、みそのに惹かれてしまったのか、どうも興味が湧いてしまった様で、みそのと知り合ったきっかけでもある、荒神あらがみ一家いっかの下っ端との揉め事を気にかけ、お節介にも、みそのを影ながら警護してやっていたのだ。

 とは言っても、手の空いている密偵をみそのの家に張り付かせ、荒神一家が何か仕掛けてくる様ならば、永岡の名前を出して護ってやる様、手配りしていたくらいの事で、手配りして程なく、永岡が手隙の際に荒神一家へ顔を出し、釘を刺しておいたので、その密偵も二、三日で、みそのの所から引き上げさせていたのだ。

 しかし、その密偵は引き上げる際に首を傾げ、不思議な事を言い出していたのだ。

 その密偵の話しでは、みそのはほとんど家からは出ず、生活するには不可欠な、煮炊きをしている様子も無いので、どうにも不思議でおかしいとの事であった。

 その時は永岡も、多少興味は湧いたのだが、みそのは一人暮らしな上、ほっそりとした女なので、少食って事も考えられるし、密偵が目を離した時にでも煮炊きしたり、外で飯でも食っているのだろうと、然程気にしてはいなかった。しかし、みそのと親密になって行くに従い、確かにおかしい事が多々あり、何か悪事を働くとは思わなかったが、みそのが何者なのか気になり出し、自分でも時折こっそりと、みそのを張り込んで調べる様になっていたのだ。


 永岡は調べてみると、確かに密偵が言っていた様に、煮炊きもそうだが、急にふいと姿を消したりと、みそのには不審な所が多々あった。それに、みそのが出す茶も、酒も、料理も、今まで永岡が口にした事の無い上物で、その出所が未だに不明だったりもする。

 みそのには悪いが、茶や酒、佃煮など、みそのに出された物は、これはと評判の江戸中の店から取り寄せたり、食べに行ったりと色々手を尽くしたが、未だに何処で仕入れたのか掴めていない。その為、尚更みそのは何処から来て、一体何者なのか、永岡にはわからない事だらけだった。

 先日の捕物の際も、みそのが指し示した木箱には、西洋の文字が書かれていたと、証拠品を物証した奉行所の者から、今日知らされたばかりで、もしみそのが、その文字を読み取っての行動ならば、普通の町の娘では有り得ない。とにかく、はっきりしない内は、みそのとは一線を越えない様に、自分を律して来たのだった。


 それでも今夜、永岡は自分の想いを抑えられずに、みそのと夢にまで見た関係になってしまったのだった。


「まぁ、後悔してねぇけどなぁ」


 自分の組屋敷に向かう永岡は、先ほど愛し合った事を思い出し、またぼそりと独り言ちるのだった。



 *



 江戸から戻った希美は、放心状態でぼぅっとしている。

 先程の永岡の息づかいや匂いが蘇って来る。

 それと同時に夫への後ろめたさも、沸々と希美を覆い尽くして行く。



 プシュ



「…………」


 いつものビールも味が良くわからない。


「君もこんな時があるんだねぇ」


 世界で一番頼りになる琥珀色の友達も、今日の希美には役不足らしい。


「はぁ〜」


 しかし、夫への後ろめたさよりも永岡の匂いが勝り、希美の溜息を少し甘い物にしていた。



 *



「永岡さん、今日は機嫌が良いのですねぇ?」


 北忠きたちゅうこと北山忠吾きたやまちゅうごが、朝の同心詰所で永岡に茶を出しながら訝しんでいる。


「んなこたぇさな。いつもオイラは気分上々さぁねぇ。どうしてぇ忠吾?」


「いや、どうって言うかですねぇ。昨日まで、上のやり方が気に食わねぇ、とか何とか言って私に当たるもんですから、今日はどうなる事やらと憂鬱だったんですからねぇ。どうもこうも無いですよぅ」


 確かに昨日までは、ろくに西海屋さいかいやの調べもせず、清吉せいきち一人に罪を被せてとんとん拍子に詮議が進み、あっと言う間に裁決されてしまった事へ、その不満の矛先を、北忠の眠った様なにやけ顏にぶつけていた節があった。


「ふっ、そっかそっか。おめぇにゃ悪りぃ事したみてぇだな? ふふ、まぁ、おめぇにゃ、そんくれぇの方が良いんだがなぁ。はは」


 永岡はみそのとの関係に不安を覚えながらも、充実した気分になっていて、それを押さえ付けていたはずだが、奉行所に出仕して早々、北忠に指摘されてしまい、何とも決まりも悪く、可笑しくなって堪らず笑ってしまった。


『まぁ、そんな気にするこたぇか』


 永岡は心の内で独り言ちて、口を尖らせながら文句を言い続ける、北忠の眠った様な顔を眺めた。



 *



「みそのちゃん悪いねぇ。永岡の旦那にも言われてるんだけんどもねぇ、どうしてもって聞かないのさぁ。本当ありがとねぇ〜」


 お菊がみそのの仕舞屋を訪ねて来て、珍しく神妙に話している。


 お菊の用件はと言うと、鮮魚の棒手振ぼてふりをやっている義弟が、病の娘の薬代を用立てたいと、最初はお菊の夫で、大工をやっている兄、寅一郎とらいちろうに泣きついて来たとの事が起こりだった。

 寅一郎は、そんなことならお安い御用とばかりに、弟の辰二郎たつじろうに二つ返事で請け合っていたのだが、その時に、女房のお菊が仲良くしているみそのの事を、ついうっかり話してしまったそうなのだ。

 辰二郎はみそのとは知らずも、商売繁盛の生き神様の様な女が、金貸しをしている噂を聞いていたので、まさかこんな身近に、その噂の生き神様が居るのだと聞いて、是非にもその生き神様との噂のみそのから、今回のお金を用立てたいと、兄の寅一郎に言い募り、そして最後には、お菊にまで泣きついて来たのだとの事だった。

 しかし、寅一郎は比較的腕の良い大工の様で、手間賃もそこそこ貰って、十分稼いでいる事も有り、貸す訳ではなく薬代として使ってくれと、気っ風良く辰二郎に二両の金を差し出し、話しを終わらせ様としたのだが、辰二郎はと言うと、それでもこの際に是非ともと、どうしても引かなかった。そして困り果てたお菊がしょうがなく、聞くだけ聞いてみるとの成り行きで、みそのの所へやって来たのが事の次第なのだ。


「まぁ、辰二郎さんとこは棒手振りって事で、うちの人ほど稼ぎが無いからねぇ。もし、みそのちゃんが引き受けてくれるんなら、うちの人も一旦弟にやるって、決めた金なんだからって、弟の借金の保証人は元より、借金を無事返済した暁には、無理を聞いてくれたお礼として、礼金も出すし、弟にやるはずだった二両も、その礼金の前金として、みそのちゃんに差し上げるからって事で、うちの人からも、どうか辰二郎さんの力になって欲しいって、言われちまってたんだよねぇ。あぁ〜、でもこれで私も面目躍如って事だねぇ。はははははは」


 お菊は、みそのが快く受けてくれて安堵したのか、やっと明け透けに笑い声を立てた。


「でも、棒手振りの手間賃で、二両のお金を返済するのは難しそうですねぇ?」


 みそのは他でも無いお菊の頼みなので、この申し出を取り敢えずは承知したが、そもそもこの借財には無理がありそうで、それを心配をした。

 無論みそのも金貸しが生業と言う訳では無いので、無理に取り立てるつもりは無く、今まで通り、ないし、それ以上に稼いで貰った上で、借金の返済をして貰える様、知恵を絞ってみようとは思っている。


「だからうちの人も、どうせ弟にやると決めた金だからと、この二両を担保に話して来いなんて言ったんだよぅ」


「ま、まぁ、そのお金はとりあえず持って帰っていただいて、先ずは、辰二郎さんがどんな仕事ぶりをしているか、見させていただいて、私なりに色々考えてみますよ」


 みそのは中々出したお金を納めたがらないお菊に、最初からお金を受け取ってしまったら、辰二郎さんの為の良い思案も湧かなくなると、最後は脅す様に言ってお菊を納得させた。


「とにかく明日か明後日にでも、辰二郎さんの所に行って見ますのでね。その時はお菊さん、案内をお願いしますね?」


 そう言ってお菊を安心させたのである。



 *



「旦那様、如何致しましょうか」


 美味そうに煙管をふかしている西海屋さいかいやの主人、宗右衛門そうえもんに、平伏しながら男がお伺いを立てている。


「まぁ、直ぐには町方も動けないでしょうからねぇ。ほとぼりが冷めるまで、笠原かさはら先生には湯治にでも出ていただいて、その間に、この間の荷を捌いてしまいましょうかねぇ」


 先日の抜け荷の事件では結局、永岡が十手で叩き割った木箱からしか、御禁制に当たる抜け荷は出てこなかった。

 永岡もそこの所が引っかかってもいたのだが、無い物は無いのだし、当の清吉も首を斬られて物を言えない有様だったので、どうしようもなかったのだ。


 宗右衛門はそんな事も有るかと見越して、目の前で平伏している男が、折良く事件前日に、上方での用向きから帰って来ていた事も有り、抜かり無く指示を出していたのだ。

 この男は由蔵よしぞうと言い、宗右衛門の右腕とも言われている。


「では、計画は当初の予定のまま、遂行して宜しいので御座いましょうか?」


「うむ。多少は変更せざるを得ないでしょうが、大筋は変わりませんよ。由蔵、良きに計らってくださいねぇ」


「畏まりました。もう既に計画は動いておりますれば、この遅れも時期に取り戻せる様、思案しております」


 うんうんと言う様に宗右衛門は頷き、煙草盆に煙管を打ち鳴らした。

 庭先で今し方まで木漏れ日に遊んでいた雀達が、その音で一斉に飛び立ってしまう。宗右衛門はその揺れる枯れ木を、三白眼気味の目で満足気に暫く眺めるのだった。



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