第二十九話 危険な手伝い
「やっと諦めてくれましたかぇ」
清吉の報告を受けて、西海屋の主人、西海屋宗右衛門は美味そうに煙を吐いて、コンと煙草盆に煙管を打ち付けた。
「次の荷が今日に迫っておりましたので、あの日から早速、老中の戸田様に働きかけて御座いまして、あの町方も蟄居させましたし、目撃者も他へ仕事場を移させたりと、こちらに繋がる証人を排除する為、少なからぬ金子を使いましたのに、一向に諦めてくれませんでしたので、少々困っておりました。それでも未だ諦め無い様でしたら、何とか他の蔵を見つけるつもりで御座いましたが、こちらの方は、中々手頃な蔵が空いておりませんでしたので、漸く諦めてくれたと言う事で、そう無駄な金子でも無かったと、今は胸を撫で下ろしている所で御座います」
清吉は宗右衛門に答えて平伏する。
「しかし、未だ油断大敵ですぞ。受け取りの時に何かあったじゃ済みませんから、念の為、笠原先生を連れて行きなさい」
宗右衛門は清吉に、三白眼気味の目を向けて釘を刺した。
「はは」
清吉は短く平伏したまま応えると、そのままの姿勢で後ずさり、すっと立ち上がると部屋を後にした。
宗右衛門は新しい煙草を煙管に詰め、煙草盆から火を移すと、何か考える様に一服をつける。そして、煙草盆に大きな音を鳴らして煙管を打ち付けると、やおら宗右衛門は立ち上がった。
*
「この辺だったよなぁ〜」
みそのは永岡の謹慎を知って、自分でも何かしらの手伝いが出来ないかと、以前永岡に助けられた蔵の前まで行ってみようと思い立ち、今日は仕事が休みなのをいい事に、朝からその蔵までやって来ていたのだ。
みそのの中には、自分なら何かしら抜け荷に繋がる手掛かりに、気がつくんじゃ無いかとの思いもある。最初に猪牙舟で見た積荷には、確かに江戸の町ではそう見ることの無い、アルファベットが書かれているのを見たからだ。
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「あれ? 伸哉兄ぃ。ありゃぁ、みそのさんじゃ無ぇでやすかぇ? あんな所で何してんでやしょうねぇ」
今日は松次が漕ぐ猪牙舟で、伸哉も一緒に、遠目から蔵の様子を流す様に監視しに来ていた。
「みそのさんって、誰でぇ?」
松次が急に見知らぬ女の話しをしたので、伸哉は訝しんだ。
「あれ? 伸哉兄ぃはご存知じゃ無かったんですかぃ? みそのさんってぇのは、永岡の旦那の馴染みのお方で、この前拐かしにあって、永岡の旦那が助け出したお人でやすよぅ」
「な、何ぃ、そりゃ本当かぇ?」
「ほ、本当も何も、あんな大きな女子はそう見やせんし、あっしはその日に永岡の旦那の言いつけで、みそのさんを家まで送って行ったんで、見間違ぇる事ぁ無ぇと思うんでやすが」
伸哉の勢いに最後は自信無気になりながらも、松次は間違い無いはずだと答えた。
「それが本当なりゃ、厄介な事になり兼ね無ぇ。引き止めねぇといけねぇから、松次、ちょっくら岸に着けてくんな」
「へ、へい」
松次が猪牙の方向を変えようとした時、
「ちょ、ちょっと待て」
伸哉は厳しい声で松次を止めて、松次に前方を見る様に顎で合図をした。
「ちょっくら不味い雰囲気になりそうだぜぇ」
伸哉と松次が見ている先に、最近とんと姿をくらませていた、清吉らしい男が目に入って、そこへ向かう様にみそのがキョロキョロと周りを見ながら歩いている。
「おぅ、松次。ここは俺が見張ってっから、お前はひとっ走り、永岡の旦那に知らせて来い。急げよっ」
そう言って近場の岸に猪牙舟を着けさせて、松次を永岡の元へ猪牙で向かわせた。
*
「お嬢さん、何かお探しですかぇ?」
キョロキョロしていたみそのに、男から声がかけられた。
みそのは怪しまれない様に気をつけていたつもりだったので、自分の不審な挙動を思い返し、恥ずかしくなってしまう。
それでもみそのは、何食わぬ顔を装いながら、
「いえ、いつもと違う道を通ってみようと、歩いていたら迷ってしまった様でしてね。でも立派な御蔵が沢山あるので、ここは何の蔵なのかなぁと、興味が湧いてしまったのですよ」
と、取って付けた事を言って、やり過ごそうとしたのだが、
「そうですかぇ。それはそれは難儀な事で。ここらの蔵は、様々な物が収められてましてねぇ。特に決まった荷が入っている蔵は、少ないのでは無いのかと思いますよ。まぁ、うちの蔵なんかは正にその様な物で、中に入りますと、色々な物が有りますから存外面白いものなんですよぅ」
と、男は気さくに笑いながら、親切にも説明してくれたので、みそのもすっかり安心してしまい、
「そうなんですねぇ。なんか面白そうですねぇ」
と、話しに感心してみせる。
しかし、この男はやはり伸哉達が見立てた通り、探し回っていた目当ての清吉だったのだ。
清吉は遠目にみそのを見つけ、直ぐにあの時の栄吉が連れて来た女だと看破していた。最初はドキリとしたが、周りには他に誰か潜んでいる気配も無いので、とりあえず探りをかけてみようと思ったのである。
「ちょいと、うちの蔵の中を覗いて行きますかぇ?」
あれこれと世間話を挟んでいた清吉は、人が良さそうな顔でみそのを誘って来た。
「そ、そんな、いいんですか? お仕事の邪魔になるのでは無いのですか?」
「いえいえ。今は次の荷物が入って来るまで、丁度待っているところでしてねぇ。私も少し暇をもて余していたところなのですよ。自分はこの蔵の仕切りを任されている、清吉と言う者です。どうぞ宜しくお願いしますよ」
清吉と名乗った男は、少し戯けた様に口に人差し指を立てて笑った。
みそのも自分の名前を名乗ると、
「じゃぁ、お言葉に甘えて、見学させていただきましょうかしら」
と、笑顔でその好意に甘える事にした。
「ではでは、案内しますよぅ。さ、さ」
清吉はみそのを蔵へと手を示して案内し出した。
「不味いな。でも今出て行くのはどうなんだろうなぁ」
伸哉はみそのと清吉が、暫く談笑しているのを遠目で見ながら、自分がどうしたら良いか逡巡していた。
その内に遠目にも和やかな雰囲気で、みそのが清吉に案内されて、蔵の中へと入って行きそうになるのを見ると、流石に不味いと思い、やはり引き止めようと、腰を上げて走り出そうとした時、「おい」と、いつの間にか背後にいた男に声をかけられ、それに反応した伸哉は、思わず立ち止まって振り向いた。が、その瞬間、
「ぐぅっ」
と、短い唸り声を上げた伸哉は、どうされたか目の前が真っ暗になり、膝から崩れる様にして倒れ込んでいた。
*
「あいつぁ何のつもりなんでぇ…」
永岡は先ほどからブツブツと同じ事を言い、イライラと舟先を指で叩いている。
永岡は松次の報告を受けると、とりあえず刀と十手を腰にねじ込み、急いで組屋敷を飛び出して来たのだ。
出る時、下男の佐助に、大黒屋を探っている北忠と智蔵へ言付けを頼んだのだが、佐助の何の事やらと言う顔を見ただけで、そのまま出て来てしまっているので、それがちゃんと伝わるかどうかもわからない。
「とにかく間に合ってくれっ」
永岡は祈る様に小さく言い、松次に速度を上げる様、苛立たし気に声をかけた。
松次は先ほどから、他の舟の者が驚くほどの速度で、猪牙を必死に漕いでいる。
*
「ここは蔵と言っても、住み込みが出来る作りになっているのですよぅ」
清吉はそう言って、先ずはお茶でもどうかと勧めて来た。
みそのを案内して蔵へと入ってすぐに、待っていた積荷が丁度届いたのだ。
その知らせを受けた清吉は、俄か仕事が出来てしまったからと、親切にも作業が済むまで、お茶でも飲んで待っている様に言ってくれたのだ。
みそのが案内された部屋で待っていると、程なく下男らしい男がお茶を持って現れ、みそのにお茶を勧めてくれた。
「少し人相が悪いわねぇ」
みそのは下男が部屋を出て行くと、下男にしては荒んだ感じにも見える男を訝った。
「荷物って何が届いたのかしらねぇ?」
みそのは少し興味を覚えて、蔵の中に仮設された部屋の戸を、少し開けて覗いて見た。
荒々しい声と共に、次々と荷物が運び込まれて来る。その活気に感心しながら、暫くその様子を見ていると、運ばれて来ている木箱の中に、例のアルファベットと数字が書かれている物を見てしまった。
「あっ」
思わずみそのは声を出してしまい、ハッとして慌てて戸を閉めると、元いた所に座り直した。
『どうしよう。犯人の蔵へ来てしまったみたいだわ』
みそのは心の内で思い、しかし抜け荷を見つけた興奮と、この事を早く永岡に伝えたい気持ちが綯い交ぜになり、みそのは居ても立っても居られなくなって来た。
そんな時、
「みそのさん、どうかしましたかぇ?」
と、清吉が何気なく部屋に入って来て、みそのに声をかけて来た。
「い、いえ。そう言えば用事があったのを思い出しまして。あのう、折角のお誘いですが、今日はもう帰らなければと、丁度清吉さんに、お伝えしに行こうと思っていたところでして」
みそのは早く帰らなければ、人を待たせてしまうので申し訳ないと言って立ち上がった。
「いえいえ。そのお友達なら、こちらにいらしている様ですよ?」
清吉は先ほどまでとは打って変わった目付きで、ジロリとみそのを見て来た。
「えっ、どう…」
訳が分からずも、清吉の顔が急変し、本性を出したのに気づいたみそのは、恐ろしくなって言葉が出なくなってしまう。
「ほら、あそこに来ていますよぅ」
清吉が顎で指し示した先に、ぐったりとした男が担ぎ込まれた所だった。人相がここまで変わる物かと思う程、清吉は別人の様な悪人面に変貌している。
「い、いえ、私の知り合いではありませんが、そ、その人はどうしたのですか?」
みそのは本当に見た事も無い男だったので、すんなりと言葉が出て来て問い質した。
「またまた嘘がお上手なんですねぇ? こちらの方は、あなたと私を見張っていたらしいのですがねぇ?」
清吉は、ニヤリと嫌な笑いを浮かべる。
もしかして永岡の旦那の手下なのではと、それを聞いてみそのは思い当たった。
「では知らないのであれば、このお人がどうなっても良いのですねぇ?」
益々嫌な笑いを浮かべた清吉は、
「では死んでもらいましょうかねぇ。先生お願い出来ますかぇ?」
後から現れた浪人風の男に声をかけた。
「ち、ちょっと待ってくださいよ。なんで私が知らないからって、その人を殺すなんて事になるんですか!」
みそのはそんな理不尽に叫んでいた。
「ふふ、私の誤りでしたよ。このお人は、みそのさん。あなたが知っていようが、いまいが、残念ながら死ぬ事は決まっていたのですよ。ふふふふふ、誤解させる様な事を言ってごめんなさいねぇ」
清吉は卑下た笑いを浮かべ、
「先生、では後をよろし…」
清吉が言いかけたその時、入り口が騒がしくなり、ドタドタと鈍い音がしたかと思うと、勢い良く誰かが走り込んで来た。




