第二十七話 鍋で一杯
「おぅ、どうでぇ?」
永岡は、栄吉を捉えた時とは姿を変えて、蔵の様子を探る伸哉に声をかけた。
「へい、蔵の持ち主は案外簡単に知れやした。永岡の旦那もご存知かと思いやすが、最近江戸でも良く耳にする様になっていやす、西海屋と言う船問屋が持ち主らしいんでさぁ。へい、例の上方で財を成して、江戸にも店を構えやした大店でやす。ただ色々と事情が混み入ってやして、未だ報告するまでには至ってねぇんでやす」
「ほぅ、流石に伸哉だなぁ。仕事が早ぇじゃねぇかぇ」
永岡は感心して伸哉を見た。
永岡は澁澤屋敷を出てその足で、伸哉と留吉が探っている、例の蔵の側まで来ていたのだ。
伸哉がほんの一刻半足らずで調べたのは、蔵が西海屋と言う船問屋の持ち物なのだが、西海屋は、この蔵を貸し蔵として使っている様で、実際にこの蔵を使っているのは、他の船問屋や、大名や大身旗本等の御用を受けた者との事で、その辺のところの調べが、未だはっきりついてはいないとの事だった。
「西海屋の方は、智蔵とオイラの方で当たってみらぁな。お前と留吉は、もうちっとばかし、その貸し先ってぇのを当たってくれねぇかぇ?」
「へい、旦那。繋ぎは親分の店へ付けときやすんで、旦那の方も言付けがありゃぁそちらの方で」
「おぅ、そうだなぁ。そしたらお前達にも話しておきてぇ事も有るんで、今夜は智蔵んところに集まってくんな。一杯やりながら話そうじゃねぇかぇ。今日のところは早目に切り上げるとしようぜぇ」
「へい、承知しやした」
永岡は取り敢えず、件の凄腕の辻斬りの話しだけして、十分に気をつける様に伝えて立ち去った。
*
「おぅ、来たかぇ」
あれから永岡は、智蔵を澁澤屋敷の裏手の、運河を挟んだ向かい側に所在する、北忠の実家である畠山屋敷に向かわせて、事の次第を忠吾に話しておく様に頼むと、松次の漕ぐ猪牙舟で、伸哉と留吉が調べに当たっている例の蔵まで行き、様子を伺ってから、また澁澤屋敷へ引き返して来ていた。
そして、一先ず澁澤屋敷への見張りを解くと、浅草御蔵前の近くにあると言う、船問屋の西海屋を松次の操る猪牙舟を使って、北忠と智蔵も一緒に様子を見に行っていた。しかし、今日のところは流す様に外から見ただけで、智蔵が女房にやらせている居酒屋で、早目の酒肴を楽しみながら、打ち合わせをしていたのだ。
「ご苦労だったなぁ」
寒そうに入って来た二人を智蔵は労った。
「へい、ありがとうごぜぇやす」
伸哉と留吉の二人はそう言って、永岡から受け取った杯を先ずは一気に呷って、ほっとした様な顔をした。
「まぁ、後はゆっくりと好きにやってくれや」
永岡は徳利を伸哉に渡すと、新たに温かい肴を智蔵の女房に頼んでやった。
「で、どうだったんでぇ?」
伸哉と留吉がある程度酒と料理を摘んで、人心地ついた頃合いを見ると、永岡は話しの矛先をそちらに向けた。
二人には一通り澁澤屋敷での出来事と、ここへ来る前に、船問屋の西海屋を見て来た事などは、肴を摘んで飲んでいる間に聞かせていた。
「へい、あっしらも未だ、これからってぇところなんでやすが、先ずは大名や大身旗本なんてぇのは、調べも難しくなりやすんで、他に何処の船問屋が、あの蔵を使っていやがってるのかと、どんな仲介人が仕切ってやがんのか、探るところから始めたんでやす」
伸哉は留吉の顔を見ると、留吉は頷く。
留吉は伸哉より先輩の手下なので、気を使って確認したようだ。
元より留吉は口下手な方なので、こう言った報告は専ら伸哉がしているのだが。
「船問屋の方はまるでつかめなかったんでやすが、その代わり、大黒屋ってぇ米問屋も、この蔵を使っていたってぇ事と、清吉ってぇ番頭風の男が、仲介人をしているみてぇで、あの蔵に良く顔を見せてるってぇ話しを、聞き出したくれぇなもんなんでやす。近くにいやした人足の話しでは、かなりの荷を、この清吉ってぇ野郎が、取り仕切ってるってぇ話しでやした」
留吉も頷いている。
「ここへ来るまでに、ちょいと通り道だったもんで、米問屋の大黒屋を見て来やしたが、活気がある店ってぇくれぇで、ちょいと外から見た限りでは、別段怪しい所は見当たりやせんで。まぁ、深くは探っておりやせんので、なんとも言えねぇってところでやす。とにかく、まだ探りも入れたばかりでやすから、今ん所はこんなところでごぜぇやす」
特に収穫らしい収穫がなかった事を、語り終えると済まなそうに謝った。
「いや、二人とも大ぇしたもんでぇ。そんな焦る事ぁ無ぇやな。今朝方、澁澤様が死んでいたのがわかったってぇくれぇ、話しも変わって来ちまっている訳だしよぅ。何よりも、こっからは慎重にやった方が良さそうだぜぇ」
永岡は良くやってると言った具合で、智蔵を見る。
「そうでぇ、伸哉。今度ぁちっとばかし慎重に過ぎるくれぇでも、良い気がしてるくれぇでぇ。永岡の旦那も仰る様に、手柄を急くよりも慎重にやろうじゃねぇかぇ」
智蔵は満足そうに、伸哉と留吉を眺めて二人を労った。
「そしたらあっしらは、明日っから何処当たって行きやしょうかぇ?!」
智蔵に褒められる様に言われて気を良くしたか、伸哉は身を乗り出す様に勇んで言った。
「おいおいおいおい、手柄を急くんじゃねぇって、今言ったばかりじゃぁねぇかぇ」
智蔵が半分笑いながら伸哉を窘めると、
「あっ、そうでやしたねぇ。すいやせん」
伸哉は額を叩いて戯けた様に言い、皆を笑わせると、浮かした腰を下ろした。
「はい、熱いのをお持ちしましたよぅ」
一同が和んだ時に、智蔵の女房のお藤が土鍋を持ってやって来た。
「おおぉ」
土鍋の蓋を開けると未だグツグツとしていて、もわっと湯気が勢い良く立ち上がる。
「今日は永岡の旦那の好きな豆腐ですよぅ」
お藤はにっこりと笑みを浮かべながら永岡に言う。
「お藤のこいつぁ、美味ぇんだよなぁ。言っちゃぁ悪りぃが、豆腐と大根しか入って無ぇのに、なんなんだろうなぁこいつの美味さは」
永岡はそう言って、ぱっと顔を綻ばせて喉を鳴らす。
実は永岡、お藤の作る一見なんとも無い鍋料理が好物で、中でもこの豆腐と大根の水炊きが、この店での何よりの楽しみになっている。
「お藤の料理はどれも美味えが、オイラはこいつを食べる為に生きてるって言っても、過言じゃ無ぇくれぇなんだぜぇ。智蔵じゃなかったら、オイラが嫁にしてぇくれぇだぜ」
「永岡の旦那ったら、よしてくださいよぅ。そんな事仰ったら、ウチの人が妬いちまうじゃないですかぇ。はっははははは〜」
お藤はいつもの永岡の軽口に、可笑しそうに笑った。
「誰が妬くけぇ。旦那の軽口を本気にするねぇってぇんでぇ。ほら、客が呼んでるじゃねぇかぇ。行った行ったぁ」
智蔵は手で追い払う様に女房を追い立てる。
「図星を突かれちまったかい、あんた。ふふ」
お藤は肩を窄ませ、悪戯っぽい笑顔を浮かべると、ちょこちょこと戯けた格好で、呼ばれた客の方へ向かった。
「けっ」
智蔵はこの女房にだけには敵わぬとばかり、むっとしてると、
「料理上手な可愛い女房じゃねぇかぇ?」
永岡はニヤリと智蔵を羨む様に揶揄った。
「熱い内に、早速いただくとしようぜ」
永岡はそう言って話しに蓋をすると、早速鍋に箸を伸ばした。
薬味は生姜醤油と酢醤油に、ネギを刻んだ物なのだが、このネギも刻む前に軽く炙っている様で香りがいい。しかし永岡は、生姜醤油や酢醤油を付けて食べるのも良いのだが、そのまま軽く塩を振って、七味と、薬味の炙って刻んだネギをかけて食べるのが、このお藤の鍋料理の醍醐味だと思っていて、一人気に入っている。
この鍋は、出汁は昆布だと下に敷いてあるので、すぐ解るのだが、入っているのが見えないが、干し椎茸の戻し汁や、他にも削り節なんかでしっかりと、出汁をとっているらしいので、大根の甘みも相まって、ほんの少し醤油を垂らすだけでも充分美味いし、そのままでも深い味わいを楽しめるからだった。
「ん〜っ、やっぱ美味ぇなぁ」
至福の表情で永岡が顔を上げると、先ほどから黙って黙々と食べていた北忠が、愕然とした顔で、薄っすら涙を浮かべているのと目が合った。
北忠が永岡に気付くと、尊敬の眼差しを永岡に向けて大きく頷き、また黙々と食べ始める。
そんな北忠を見た永岡は、
「ま、お前ぇはそうなるわなぁ」
と、クスリと笑うも、今回ばかりは北忠の後を追う様に、はふはふと鍋の続きを楽しんだ。
そうして皆がお藤の鍋を堪能した後、永岡は満足気な心地のまま話を切り出した。
「なぁいいかぇ。明日からの手配りなんだがな。やはりオイラはあの蔵の持ち主が、一番臭えと思ってるんで、この際一つに絞りてぇところなんだがな。色々と枝葉が分かれて来やがったんで、未だそういう訳にも行かねぇのさぁ。んなもんでここは、やはり手分けして当たらなけりゃならねぇ。そこでなんだが、伸哉と留吉」
「へい」「へい」
「その清吉って仲介人は、きっとオイラが見た奴に違ぇねぇと思うんでぇ。あの蔵にぁ今日は居なかったみてぇなんだが、どんな動きをしてるか分かってんのかぇ?」
「へい、聞いた話しでやすと、荷物の出し入れが無え時でも、毎日の様に居る時も有りゃぁ、ぷっつりと顔を見なくなる時も有るってぇんで、いつ居るかは未だ掴めていねぇんでやす」
永岡の問いに答えて、伸哉はまた済まなそうな顔をする。
「いいんでぇ伸哉。そんな面ぁする事ぁ無ぇやな。今はその話しだけでも十分でぇ。その清吉ってぇ野郎が黒幕とは思えねぇんだが、今ある手掛かりん中では、野郎は確実に関与してるに違ぇ無ぇ。先ずは留吉と伸哉は引き続きあの蔵で、今度は清吉ってぇ野郎に的を絞って探ってくんな」
「へい、合点でぇ」
勢い良く応えた伸哉に、永岡は苦笑いを浮かべつつ、
「今日も言ったが、凄腕の浪人がいるってぇのを頭ん中へ入れて、無理するんじゃ無ぇぜぇ」
改めて慎重に進める様に釘を刺した。
「そんで、二人が探って出てきた、大黒屋ってぇ米問屋の方だが、こいつぁ忠吾と智蔵が引き継いで探ってくれ無ぇかぇ。そんでオイラと松次は、船問屋の西海屋に行って来らぁ。伸哉にも言ったが、何処で凄腕の浪人が出て来るともわからねぇ。みんな十分用心して事にかかってくんなっ」
永岡は最後に見渡す様にして、皆の気を引き締めた。
「ん? 忠吾は何処行ったぇ?」
話しに夢中になっていた永岡は、そこに北忠が居ない事に漸く気がついて、周りを見渡した。
「ほほほほほほほほっ、北山の旦那もお上手なんですからぁ」
お藤の笑い声を背中に、調理場の方から北忠が眠った様な笑顔で帰って来た。
「ちっ、お前こんな時にな…」
永岡は言いかけて馬鹿らしくなり、目の前の猪口を呷る。
「失礼しました。で、話しは何処まででしたかぇ?」
すっとぼけた北忠をちらりと見て永岡は、こんな奴でもきっと何かの役に立つのだと、自分に言い聞かせながらも溜息をついた。
「あんた、北山の旦那ったら食通なんですねぇ〜。さっきは鍋が美味しいって、わざわざお褒めに来てくださって、良かったら今度は、柚子も添えてくれですってよぅ。皆さんとは違い、口が肥えてます事。ほほほほほほぉ。でね、あんた。あんたと別れても永岡の旦那の次には、北山の旦那が待っているから、心配するなって言っておくれなんだよぅ〜。あんたまた妬かないでおくれよ。ふふふふふふぅ」
北忠が眠った様な顔で、ニヤニヤしながら頭を掻く隣で、永岡は顔を顰めている。
智蔵はお藤にむっとしながらも、どうでもいい様にうんうんと頷きながら、手でお藤を追っ払う仕草であしらった。
そしてその場は妙な沈黙に包まれる。
「で、は、話しは、そのぉ…」
流石に北忠も沈黙に耐えられなくなった様で、何か言わねばと困った様に口を開くのだが、この雰囲気は変えられそうになさそうだ。
そんな様子を可笑しそうに見たお藤は、また肩を窄ませて悪戯っぽい笑顔を浮かべると、ちょこちょこと戯けた格好で、呼ばれた客の方へ向かうのであった。




