第二十五話 手繰る事件と無事の報告
「智蔵、未だ見てるかぇ?」
みそのと別れてから、栄吉を寝かせた猪牙舟に歩み寄った永岡は、猪牙舟に腰を下ろして待つ智蔵に、背後の様子を聞いた。
「へい、未だ何食わぬ顔で見ていやすよ」
智蔵はそちらを見ているとは気づかれない様、永岡と穏やかに話している風に装っている。そして、何食わぬ顔でチラチラとこちらの様子を伺っている、何処かの番頭風の男を目の端で捉えていた。
「ふん、やはりなぁ。こいつの行き先ゃぁ、きっとあっこだったんだろうよ。オイラがこいつに走り寄った時に、真っ先に蔵へ入って行った様子は、余りにも訳知りな素早さだったかんなぁ。番頭にしちゃぁ目が据わってやがったから、おかしいとは思ったんだがよぅ」
永岡は栄吉に躍り掛かった時に、冷静にもそんな周りの事までも見えていた様だ。
「それにしても旦那ぁ。あの一瞬の間で、そこまで見ていたんでやすかぃ。大したもんでやすよぅ」
「やめろぃ。相手がこんなチンピラ野郎だったからなだけさぁね」
永岡は決まり悪気に、栄吉を軽く蹴って頭を掻く。
「まぁ、オイラも最初は、そこまでは気にはして無かったんだがな。お前がこいつをここへ運んで声をかけてくれた時に、あの野郎がしれっと、こっちの様子を見てやがったからよぅ。やはり最初にあの野郎を見た時の違和感は、間違ぇ無かったんだって思ったまでよぅ」
二人は遠目から見ると、一つの捕物を終え、談笑している様にしか見えない。
「まぁ、今日のところぁこいつを連れて帰るとするかぃ」
「旦那、あの蔵ぁ調べなくてもいいんでやすかぇ?」
とっとと帰ろうとする永岡に、智蔵は疑問をぶつける。
「ま、今踏み込んだところで、何も出て来ねぇだろうよ。きっとあの騒ぎの間に、見られちゃいけねぇもんは、裏から持ち出すなりしてんだろうから、ああやってしれっとしてられんのさぁ。もし調べられても、どうぞどうぞと通してくれるぜ。その代わり何も出て来なきゃぁ、次ぁ難しくなるぜぇ。ここまででけぇ蔵だ、そこそこの大店の物に違ぇ無ぇ。そうなりゃきっとオイラ達の上を通して、難癖つけて来やがるに違ぇ無ぇのさぁ。抜け荷が絡んでんなりゃ尚更のこった。オイラ達を潰しにかかって、逆にオイラ達がお咎めを食う羽目にもなり兼ねぇ。ま、そう言う事もあり得るってぇ推測なんだがな」
永岡は手をぐうっと突き上げて、伸びをする素振りをすると、視線を背中に感じながら、「じゃぁ行くとするかぇ」と、一仕事終えた様に、番頭風の男には一瞥もくれず猪牙舟に乗り込み、満足そうに、栄吉を隠した筵の膨らみをペシペシと軽く叩いて、猪牙を出す様指示をした。
「へいっ、合点でぇ」
松次程ではないが、智蔵も中々巧みに猪牙舟を操る。
永岡はそんな智蔵を頼もしく見遣ると、満足気に大きくもう一度伸びをするのだった。
*
「ほぉう、それでその町方はそのまま引き上げて行ったと言うんだね」
穏やかな話口調なのだが、全く表情の無い能面の様な、笑っている様にも、怒っている様にも見える顔の男が、先程起こった出来事の報告を受けている。
その老年の男は、地味な色合いだが、深い藍色のギラギラと光る絹物を身に纏い、その年齢にも似合わぬ、肌つやの良い顔に乗っかる三白眼気味な目を、報告をする男にギロリと向けている。
「どう取り計いましょうか、旦那様」
「まぁ、捨て置いて良いでしょうが、念には念を入れておいておくれ。清吉、頼んだよ」
「はい、畏まりました旦那様」
清吉と呼ばれた永岡達の騒動を見て、報告に来た男は、畳に頭を押しつける様にして返事をした。
「しかし澁澤様も困ったお人ですねぇ。若い女子を手篭めにする為に拐っておきながら、その始末をうちへ押し付けて、金まで取っていたのだからねぇ。その挙句、町方なんぞに尻尾を掴まれるのじゃぁ、こちらももう面倒見切れませんぞ」
清吉の見立てでは、栄吉は澁澤屋敷からあの蔵まで、町方につけられていたのではないかとの報告をしている。何かと機転が利き、抜け目ない清吉を、この旦那様と呼ばれた男は、何かと重用している様だ。
今清吉から報告を受けている、この老年の能面の様な顔をしている男は、最近江戸でも知られる様になって来た、西国上がりの商人で、京、大阪で財を成した船問屋、西海屋の主人、西海屋宗右衛門である。
「まぁ、うちもそこそこ、これで儲けさせて貰えると思ったものですから、私が澁澤様へ耳打ちしたのですがねぇ」
淡々と能面の様な顔で煙草盆を引き寄せ、煙管に煙草を詰め始めた。
「そろそろ澁澤様は潮時かと」
清吉は既に切り捨てるつもりの様に進言する。
宗右衛門は煙草盆から煙管に火を移しながら、軽く頷き一服する。
「清吉にその辺の後始末は任せますよ。笠原先生には、その一仕事をしてもらったら、戻って来て頂きなさい」
美味そうに煙草をふかして、コンと煙管を煙草盆に打ち付けた。
「仔細お任せくださいませ。旦那様」
清吉は頭を下げながらずるずると後ろに下り、すっと立ち上がると、仕事に取り掛かる様子で出て行った。
*
「本当にあっしは知ら無ぇんでやすよぉ。ぎゃぁ」
あの後、智蔵が漕ぐ猪牙舟で伸哉と留吉を探しながら、北忠こと北山忠吾の実家である畠山屋敷まで、一旦戻る事にした永岡だった。
そして永岡達は、途中で疲れた顔をしている二人を見つけ、大番屋へ先に行って休んでいる様に声をかけ、畠山屋敷で待つ北忠の所へと、そのまま猪牙を走らせたのだった。
永岡が畠山屋敷に到着すると、北忠の他に、甚平と新田も奉行所からやって来ていた。
そして新田からは、大目付に話しを通している最中で、その返答があった上で、奉行所も動き出すとの手配りを聞き、永岡は栄吉を捕まえ、みそのを助けだした経緯を話した。
その後は、念の為、畠山屋敷には引き続き北忠を詰めさせ、甚平を家に帰らせると、新田と智蔵の三人で、伸哉達が待つ大番屋へと、栄吉を連れてやって来ていたのだった。
「ほおぅ。知らねぇでお前は、人を拐ってたってぇーのかぃ?」
褌一丁にされて縄で吊るされた栄吉を、「バシィッ」っとまた竹を割いた棒で強かに打つ。
「ぎぇっ」
栄吉の背中には割かれた竹の棒で、打ち付けられた傷がいくつもあり、そこから血が汗と共に流れ落ちて、褌も赤く染まって来ている。
「永岡ぁ。オイラが代わってもいいかぇ?」
新田は厠へでも行く様な気軽さで言い、永岡と入れ違える様に栄吉の側に寄ると、伸哉と留吉に縄を緩め、栄吉を地面に下ろす様に声をかけた。
「お前は、あの娘を拐かししたんだろうがよぅ。そんでその娘を何処かに運んでるところを、この永岡に見つかって捕まったんだろうがぁ。違ぇのかぇ? オイラ達ぁお前が誰に頼まれて、何処に連れて行こうとしたか、そいつを聞きてぇだけなんだがなぁ」
新田はのんびりと、庭先で世間話でもしているかの様な口調になっている。
「どうしても思い出せねぇのかぇ? それとも本当に知らねぇのかねぇ?」
栄吉は益々口を閉ざして、何も言わずに新田を睨みつけている。
「お? オイラを見りゃぁ、思い出してくれるってぇのかぇ? そんならオイラも手助けしてやるぜぇ」
新田は抜く手も見せずに、いつの間にか脇差を抜き払い、栄吉の目の前に切っ先をピタリと止めてニヤリとした。
栄吉は一瞬の早技に動揺しながらも、未だ新田を睨みつけている。
「おっ、ちっと怖がらせちまったみてぇだなぁ。こいつぁお前を斬り刻む事なんかにゃ、使わねぇから心配するねぇ」
新田は地面に転がっている、先程永岡が振るっていた竹の棒を拾い上げ、その棒へ、サッと脇差を滑らせたかと思うと、脇差は既に新田の腰の鞘に収まっていた。
「そうそう、これなんだがなぁ」
新田は、今し方脇差を滑らせて削り取った、先の尖った大きな楊枝の様な物を拾い上げると、目の前にかざしてから栄吉にも見せてやる。
「こいつぁ痛そうだろぅ? まぁ、痛そうじゃなくて痛ぇんだがなぁ」
ニヤリとして栄吉を見ると、栄吉は流石に唾を飲み込み、少し脅えを見せたが、それでもまた新田を睨み返す。
「こいつをなぁ? ここんとこにこう押しやってだなぁ。ほれっ、この石ころでこう打つと…」
「ぐぎゃ〜ぁ」
新田は栄吉の足の親指の爪の間に、先ほど脇差で削り取った、先の尖った大きな楊枝を打ち込んでいたのだ。
「なぁ、痛ぇなんてもんじゃねぇだろぅ?」
そう言ってさらに石ころで楊枝を打ち込む。
「がぁ〜っ」
叫び声を上げた栄吉は痛みに耐え兼ね、堪らず気絶してしまう。
「おぅ、水ぁかけてやれ」
新田に言われた伸哉は、穏やかな顔で笑う新田が恐ろしくて、ブルブルと手を震わせながら水を汲んで来て、栄吉の頭から水をぶちまいた。
「ふぁ、ふぁ、ふぁ、はぁ」
栄吉は水をかけられ目を覚まし、荒い息遣いになりながら目を瞑り、痛みにもがいている。
「どうでぇ、思い出したかえ?」
「ぎゃっ」
新田は深々と打ち込まれた大きな楊枝を、勢いよくすっと抜いて栄吉に問い質すと、栄吉はその痛みに短く叫んで、痛さで目を瞑って震えている。
「そうか。未だ思い出せねぇかぇ? そんならここんとこはもっと効くぜぇ。こうして、ほれっ、こうだ」
新田は今度は足の小指の爪に、同じ様に竹の楊枝を打ち込んだ。
「ぐぎぇ〜、や、や、やめてくれ〜」
痛みにのたうち回りながら、栄吉は必死で懇願している。
「おぅ、オイラはお前が思い出せる様に、手伝いをしているだけさぁねぇ。お前が思い出してくれりゃぁ、止めるも何もねぇやな」
栄吉はブルブルと震えながら、首をうんうんと縦に振り、
「は、は、話しやすっ、話しやすから…」
栄吉は青ざめながら必死に言うと、力尽きた様にまた気を失ってしまった。
*
「甚平さん、本当にありがとう」
みそのが深々と頭を下げている。
みそのは松次に連れられて、家に帰る事にしていたが、みんなが心配をしてくれているのだと思い、松次に頼んで、やはり無事の報告をする為に、顔を見せに行く事にしたのだ。
先ず向かったのは善兵衛の店で、みそのが顔を見せた時には、もう初売りの握り飯を売り切った後だった。
みそのが顔を見せると、善兵衛達はヘトヘトな顔をしていたが、飛びかかる様にみそのの手を取り、無事を喜んでくれた。
みそのは、そんな善兵衛にお礼を言うと、今日の初売りの成功を讃えて一緒に喜んでいた。そして善兵衛に、お加奈は家に戻っていると聞いたみそのは、また改めて顔を出す約束をして、善兵衛の店を出るや、両国の甚右衛門の店へと、松次に連れられてやって来たのだ。
そこでもお加奈と抱き合う様にして無事を喜び、最後に甚平に、今日の活躍のお礼を言った所だった。
「ほ、本当に良かったです、本当に」
甚平は永岡から、無事にみそのを救い出した事を聞いてはいたが、やはりみそのの顔が見られてほっとしている様だ。
「はい。本当にみなさんのおかげで助かりました。ありがとうございました」
みそのは色々な事を思い起こしてか、涙を溜めながら見送りに出てくれた甚平と、その横にいるお加奈に感謝を込めて深々とお辞儀をした。
「気をつけて帰っておくれよぅ。松次さん、よろしく頼みましたねぇ」
お加奈はくれぐれもみそのを頼むと、松次に頭を下げてお願いをする。
「へい、任せてくだせぇ」
松次は今日の事件ですっかり自信がついた様で、頼もしくお加奈の願いに胸を張るのであった。




