第十九話 搗き米屋に繁盛指南
「新田さん、オイラんところは智蔵も居やすし、手は足りてるんで、忠吾は新田さんに引き廻してもらった方が、あいつん為にもなるってぇ、気がするんですがねぇ」
先程から話しが堂々巡りで、永岡は辟易していた。
最初は新田が永岡と自分との二人で、北忠こと北山忠吾を、手が足りない方に付けて、町廻りをすると言っていたのだが、実際には初日は永岡が担当して、その次の日は新田の予定だったのだが、それからはずっと永岡が北忠の面倒を見ている。
「まぁ、永岡、オイラの方は手が足りてんだ。お前がしばらく北忠に仕事を教えてやれや。頼んだぜ」
もうこの話しは終わりだとばかり決めつけて、新田は与力の木戸に呼ばれているのだと言って、同心部屋を出て行ってしまった。
「ちっ」
永岡は、最近めっきり癖になってしまった舌打ちをして、同心部屋の端の方で、同僚の見習い同心と馬鹿笑いをしている北忠を、睨みつけるのであった。
*
「お前、今日からはもう泣き言は許さねぇかんな。良ぉぅく覚えておきやがれぇ」
そう言って永岡は、北忠を連れて奉行所を出て行った。
すると奉行所の待合所で永岡を待っていた智蔵が、早速駆け寄って来て永岡に耳打ちをした。
「そうかぇ、やっと出て来やがったなぁ。良くやったな、智蔵。早速行ってみるかぇ」
「へぃ、そうしやしょう」
二人は少し上気して、先を急ぐ様に歩き出した。
「な、永岡さ〜ん、ちょ、ちょ、ちょ」
北忠の事など眼中に無いかの様に、遠ざかって行く永岡と智蔵を、北忠は口を尖らせながらちょこちょこと、小走りで追いかけて行く。
今日は何を食べられるのやら楽しみな北忠と、事件の進展を予感した二人には、かなりの違いがあるが、同等の上気具合での一日の始まりである。
*
「ごめんくださ〜い」
みそのはあれから然程日を空けずに、鳥越町の善兵衛がやっている搗き米屋へ現れた。
「良く来て頂きました、みそのさん」
善兵衛は飛びつかんばかりに歓迎してくれて、先日の客間として使われている小上がりに、みそのを案内した。
今日は甚右衛門は、用事を済ませてから行くと言うことで、みそのは直接やって来ていた。みそのもその方が、両国まで回るよりも近くて済むので好都合だ。
その甚右衛門は既に到着していて、お茶を飲んでいたところで、みそのが入って来ると、にっこりと挨拶を寄越して来た。
「おはようございます、甚右衛門さん」
みそのも挨拶をすると、早速会談の席についた。
「では宜しいでしょうか?」
お茶を出されたみそのは、それに口を付けてから二人に切り出した。
「善兵衛さん、先ずはこちらをお確かめください」
みそのは袱紗に包んだ十両を、善兵衛の膝の前へ滑らせた。
「はい、確かに十両。ありがとうございます」
袱紗から取り出した十両を確かめた善兵衛は、押し頂く様にして頭を下げた。
善兵衛が持逃げされたのは八両と少しだったが、甚右衛門の進言により、切りの良い十両にして、余裕を持って再建に取り掛かる事になり、もう既にその金額で借用証文も用意していた。
「そこで善兵衛さん」
みそのは善兵衛が顔を上げると、すぐに話し出した。
「今はお店も綺麗にしていることですし、お客様もしっかりといらっしゃいますので、私は搗き米屋さんとしては、何も問題無いのだと思います。ただそれは善兵衛さんが怪我をしたり、掛売りのお金を持逃げされなければの話しで、今はそのおかげで、十両と言う借財を負ってしまわれました」
「そうですよね」と言う顔で、みそのが善兵衛を見ると、少し楽観視していた様に見えた善兵衛の顔が、現実に引き戻された様に引き締まって来た。
「十両ものお金を無理なく返済するには、今までよりも、ずっと大きい商売をしないとなりませんよね? しかし、それには仕入れにも更にお金がかかりますし、新たな売り先を、見つけて来なければならないですよね?」
善兵衛は神妙に頷く。
「大量に仕入れる当てがあって、売る当てもあるのであれば、思い切って更にお金を借りる事がお勧めかとは思いますが、きっとお米だって、簡単に集まる訳では無いでしょうし、売り先に至っても同じかと思います。なので、それは今後出来る時が来たらと言う事にして、今は今の商売の大きさに合わせて、工夫をして利幅を上げられることを、考えた方が良いと思いました」
善兵衛は困惑した顔で、「工夫、ですかぁ」と弱々しく呟く。
「はい、工夫ですよ。善兵衛さんの所は最初に話した様に、あんな災難さえ無ければ、元々商売は、上手く行っていたじゃありませんか? 商才はあるのですよ。それをもう少し工夫してみたら、きっと上手く行きますよ」
みそのは困惑した善兵衛に、励ます口調になって力強く言う。
「しかし工夫と言っても、私は搗き米屋さんの事はあまり分からないので、お客様側からの意見として、言わせてもらいますね」
そう前置きして、みそのは話しを続けた。
「私はお米を買うのだったら、何処のお米が美味しいとかは、興味はありますけど、何処のお店でも、買えるお米の産地が、決まっているのでしたら、近くで買うのでしょうし、そうしたら、尚更安いに越した事はないと思うんですね。もしそれが、安くて美味しい産地のお米を選べるのなら、お得だし楽しいから、少しばかり遠くても、私は買いに行くと思います。でもこちらのお米は今のところ、種類は無いので選べませんよねぇ?」
問い質す様に善兵衛を見ると、善兵衛はこくりと頷いた。
「そうしますと、他の楽しみが有ると、嬉しいかなぁと思ったのです。例えばおみくじみたいな物を引いて、当たりが出たら、精米をタダにしてもらえるとか、お米をタダにするとか、何割か水増ししてもらえるとか、色々な特典があったら楽しいし、おみくじ引きたさで、買いに来たくなると思うんです。でもこれは、お客様を呼ぶと言う意味での思いつきで、値段が高くなっては意味がないし、高くなっては人も集まらないと思っています。なので利幅を上げて売ると言う、今回の目的には向かないですねぇ」
みそのが善兵衛を見ると、善兵衛はホッとした様に頷く。
「でもそれは儲けを取らずに、人を集める為にするとして、人が集まったところに、新たな利幅を上げて、売れる物があったら、良いのではと思ったのです。私はそこで、例えば、握り飯をこさえて売るというのはどうかしら、と思ったのですよ。善兵衛さん、どうですか?」
みそのは善兵衛に伺いを立てる。
「ま、まぁ、売れるのであればいいのですが、私共は近所の飯屋にも米を卸している訳ですし、その商売敵になる様な真似をするのも、どうかと思いますしねぇ」
善兵衛は歯切れ悪く答える。
みそのはそれを聞いてにっこりすると、
「何も飯屋の商売敵になる様な、売り方をするのでは無くて、少し小腹が空いて何か摘みたいなって時に、丁度良い大きさの小さな握り飯を、具材なんかも工夫して売れば良いのですよ。幸いこちらの立地は裏に神社もありますから、その参詣客や、前の運河の舟の水手や、人足、大工さん等の色々な職人さんが、仕事の合間にちょっと摘める手頃な大きさの、美味しい握り飯ならば、食事と言うよりも、お八つの様な気分で食べてくれて、それからのお仕事にも力が湧くし、案外と重宝されるのではないのかと思ったのですよ」
これは先日お菊からもらった握り飯を、佃煮と一緒に美味そうに食べていた、永岡を思い出した事が発端で、その時お菊が握った握り飯が、大きな丸い形の握り飯だった事も有り、みそのには大き過ぎるし、食べ辛いと感じていた事と、お加奈の手料理で、雑魚と胡麻を軽く炒った物が存外美味しくて、これを握り飯にしたら美味しいだろうなぁと、感じた事を思い出しての事だった。
これは、現代でもおにぎり屋さんが有るのだから、江戸でも同じ様に、おにぎり屋さんが有っても良いのでは、と言う発想だった。
「善兵衛、これはやってみる価値はありそうですぞ!」
甚右衛門は膝を叩いて声を上げた。
「みそのさんは本当に大したものですねぇ。握り飯なんて、それだけで売れる物なんて、考えもしませんでしたよ。確かに、食事としては物足りないかも知れませんが、間食に摘むって発想でしたら、仕事中にそんな物が有ったら、重宝しそうですからねぇ」
甚右衛門は、自分も集金やらで出回ったりする時などには、小腹が空いて力が出ない時が有るのだと言い、団子とかの甘い物は苦手だし、かと言って、しっかりと飯屋で飯を食べる程でも無くて、困る時が多々有るのだと語った。
「甚右衛門さん、私は先日お加奈さんがこさえてくれた、雑魚と胡麻を軽く炒った物が美味しくて、小さな握り飯なんかになって、食べられたらいいなぁって思った事も有って、思いついたのですよ。お加奈さんにもどんな握り飯が良いか、考えてもらって下さいな」
「そうだったんですねぇ。でもうちのは、店の稼ぎ頭ですからねぇ。程々にしてもらわないと、うちが干上がってしまいますよぉ」
甚右衛門は少し戯けて笑った。
「良し、善兵衛。そうと決まったら、色々と試作して準備をしなくてはな」
甚右衛門は一人盛り上がって、善兵衛の肩を叩く。
「そ、そうだな。何でもやってみなければ、始まらない事だし、やってみますかな」
善兵衛は先程の歯切れの悪さも無くなり、最後は力強く、自分を勇気づける様に大きく頷いた。
「では、試作が出来ましたら、みそのさんにも食べて頂きたいので、その時はご連絡しますねぇ」
だんだん善兵衛も、先が楽しみになって来た様子で、最後はこの様な前向きな言葉を言って、みそのを見送るのだった。
そして甚右衛門は、お加奈に色々と相談したいと言う善兵衛と、両国の店へ一緒に帰ると言うので、みそのは運河沿いを一人で歩いていた。
*
店を出て歩き出したみそのは、少しして妙に誰かに見られている気がして、後ろを振り返るが、特にその様な人の気配も無い。
しかし、その思いは消えず、ふと運河の方に目をやると、猪木舟に乗った水手が、こちらを見ている様な気がして、慌てて視線を元に戻した。
みそのは、『もしかして、例の誘拐犯だったりしないかしら』と思い、背筋を震わせる。
今度は気取られない様に、そっとまた運河に目を向けると、猪木舟は速度を上げて遠ざかって行くところだった。
しかし、みそのは見てしまった。
遠ざかろうとする、猪木舟に積まれた荷物の筵が、少し捲りあがっていて、中の木箱が見えていたのだ。そこには、江戸にはふさわしくないアルファベットで、何やら木箱に書かれていたのだ。
「あっ」
思わず大きな声を上げてしまったみそのを、遠ざかろうとする猪木舟の水手が、チラリと見た様な気がして、みそのは慌てて、今来た道を走る様に引き返して行った。
*
「どうした栄吉、そんな慌てやがって」
「い、いや、それが権三兄ぃ。今さっきそこでちょいと大柄なんでやすが、いい女が歩いておりやして、またここの殿様の献上品にどうかと思い…」
「声がでけぇや、気ぃつけろぃ!」
権三兄ぃと呼ばれた男が、周りを見回しながら栄吉をどやしつける。
「へ、へぃ、すいやせん」
「ま、とにかく、あっしはそう思いやしてじっくりと見ていたんでやすが、その女もあっしが見てるのに気がついたのか、チラリとこっちを見た様な気がしやしてね。場所も場所だったもんで、怪しまれちゃいけねぇと思いやして、急いで竿を使って離れようとしたんでやすが、その女が急に『あっ』なんて、でけぇ声出しやがって、元来た道を逃げる様に、戻って行ったんでやすよ。そん時その女の目が、例の荷に行っていた様な気がしやしたんで、ふと荷を見てみやしたら、筵がめくりあがって、中の荷が少し覗いていたんでさぁ。なもんで、あの女は荷に勘付いたんじゃねぇかと、ここまで帰って来る間に、だんだんと胸騒ぎがしちまって、どうしょもねぇんでやす。どうしやしょう権三兄ぃ」
「ちょっとまてや栄吉ぃ。それだけかぇ?」
栄吉の話しを聞いていた兄貴分の権三が、小馬鹿にした様に口を開く。
「お前馬鹿じゃねぇのかぁ? その女が荷を見たとしても、御禁制に引っかかる様な代物だってぇ、どうやったら判るんでぇ」
「ま、まぁ、どうっていうか、良くわからねぇんでやすが、何となく。へぇ。確かにそうでやすねぇ。箱の中身をみたんじゃねぇんでやすし、確かに権三兄ぃの言う通りでさぁ」
栄吉はみそのに気付かれたんじゃないかと、だんだんと不安になって焦って来ていたのだが、権三に鼻で笑われて、どうやら自分の思い過ごしだったんだと、ほっとした様だ。
「その女ぁ、何か忘れ物でもしやがって、家にでも戻ったのに違ぇねぇ。お前も目出度ぇ野郎だなぁ」
権三が笑い、やっと栄吉も笑って安心するのだった。
「そんで栄吉ぃ。その女ってぇのは、そんないい女だったのかぇ?」
「そうでやすねぇ。先ずあっしだったら、是非にも物にしてぇって思いやしたねぇ。ひっひひひひひ」
やっと落ち着いた栄吉は、卑猥な笑い声を上げた。
「まぁ、そんな上物だったら、俺が先にいただいてからでも、献上品にするには遅くはねぇや。栄吉、今度その女ぁ見つけたら拐って来るんだぜ。そしたらお前も、ご相伴に預からせてやってもいいんだぜぇ?」
権三は、下品な顔でニヤニヤと栄吉を急き立てた。
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「それで、お前が見たってぇ水手ってぇのは、この辺りにいたんだな?」
智蔵の手下が聞き込んだ男が、神社でつい最近まで良く見かけていたと言う、若旦那風の男に似た男が、猪木舟の水手をやっているのを見たと言って来たのだ。
「へぃ、この川筋で、ちょくちょく見かけていたんでやすがねぇ。この前たまたま近くで、そいつの顔を見るこ事があったんでやすが、どうも何処かで見た様な気がしやしてねぇ。ずっと気持ちが悪かったんでやすが、ぱっと昨日思い出しやしたんでさぁ。そしたら智蔵親分ところの伸哉さんが、前にしきりに聞いて来た男だったんで、とにかく、伸哉さんには伝えておこうと思いやして、話しに行った次第なんでやす。へぃ。まず間違ぇは無ぇとは思うんでやすが、絶対かと仰られやすと、あっしも自信が無ぇんでやす」
「悪りぃな。お前も大事な仕事があるところ、付き合ってくれてんだし、疑ってる訳じゃあ無ぇんだが、こっちも大事な用向きなんでなぁ。すまねぇな」
「いえいえ、あっしも、そう言うつもりで言った訳じゃあ無ぇんでぇ。勘弁してくだせぇよ旦那ぁ。それよりもあっしは、旦那達のお役に立てればいいんでやすよぅ」
「ん?」
その時、永岡達の前方から、人が慌てて掛けて来るのが見えた。
「み、みそのじゃぁねぇかぇ?」
前から掛けて来るのがみそのだと気づくと、永岡は思わず駆け出していた。




