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第十八話 新たな依頼

 


「まだ見廻るんですかぁ〜。もうとっくにお昼時は通り過ぎてますよぉ〜。永岡さ〜ん」


 先程から北忠きたちゅうこと北山忠吾きたやまちゅうごが、だだを捏ねる子供の様に永岡にまとわりついていた。


「っるっせぇなぁ。もうじき昼餉にしてやるって言ってんじゃねぇかよっ。おめぇも男なんだからそんぐれぇ我慢しろぃ。いい加減、口に出すんじゃねぇやぃ」


 永岡がうんざり北忠を叱りつける。

 智蔵ともぞうは、ここのところ飯時ともなると始まる、二人のこんな遣り取りに苦笑するだけで、あまり関わらない様にしている。


「旦那、今日はなんだって安倍川町なんですかぃ?」


 先ほど永岡達は、智蔵の手下の所へ様子を聞きに立ち寄っていた。

 手下達は今日も広太こうたがやられ、おのりが拐かしに遭った神社を張っているのだ。

 相変わらず収穫らしい収穫が無いので、智蔵と一旦、別を当たろうかと話していたところ、先日勝手にみそのが探っていたと言う、安倍川町が気になり、その足で安倍川町まで廻ってみる事にしたのだ。


「あっこも運河沿いとあって水辺に近ぇってんで、みそのが勝手に探ってたらしいんでぇ。まぁ、結局なんもわからず、ただどっかの破落戸共に絡まれたってぇ、オチだがなぁ」


 永岡はそう言って笑った。


「でもまぁ、あいつのかんげぇも一理あるってぇもんだ。あの運河沿いは、未だ神隠し騒ぎはぇかんなぁ。次に狙いをつけられてもおかしかねぇわな。まぁ、無駄足かも知れねぇが、ちっと付き合ってくんねぇ智蔵」


「へぃ、そんなこってしたら、あっしもちょっくら気にもなっていやしたんで、造作もぇんでやすがね。まぁ、どうでやしょうかねぇ?」


 北忠を完全に無視して話す永岡と智蔵を、北忠は口を尖らせながら、必死について行くしかなかった。



 *



「智蔵はどう思うねぇ?」


 永岡と智蔵、北忠の三人は、安倍川町を一回りすると、通りかかりの煮売飯屋で遅目の昼餉を摂っていた。


「へぃ、あっしは可能性はひけぇ気がしやすがねぇ。旦那はどうなんで?」


「オイラもおめぇと同じで、ここはぇと思ってるぜぃ。周りにゃ神社と武家屋敷ばかりだかんなぁ。しかも水辺にゃ娘の姿を殆ど見ねぇ。あの水辺の辺りゃ、みんなそこそこのおたなばかりでぇ。なかなか一人で出歩く娘もいねぇし、なんたって娘好きしそうな町並みでもねぇやな」


「あれ? 永岡さん芋はお好きじゃないんですねぇ」


 二人が真剣に話しているところに、北忠のすっとぼけた声が挟まれ、永岡の芋の煮物に手を伸ばして来た。


たっ」


 永岡は北忠の思いのほか素早い箸さばきを、いとも簡単に、「ペシッ」っと小手を打つ様に叩いて、そのまま話を続けた。

 智蔵は、手を押さえながら口を尖らせ、むにゃむにゃ言っている北忠を見て、苦笑しながらも話しを続ける。


「あっしも気にはなっていやしたが、ご覧の通りの町の様相でさぁ。万が一ってぇこたぁ有るとも限りやせんが、わけぇ娘を拐かすにゃ、ちょいと向かぇんじゃねぇかと思っておりやした。でも旦那、一つ塗りつぶした気分で、すっきりしたじゃねぇでやすかぇ? これはこれで良かったんでやすよ」


「悪りぃな智蔵、付き合わせちまって。ま、飯食ったら別を当たるとするかぇ?」


 そう言って飯に取り掛かろうとした時、北忠に煮付けと飯のお代わりが運ばれて来た。



 *



「ここでございますよ、みそのさん」


 今日はお昼を呼ばれる形で、みそのは両国の古着屋『丸甚まるじん』で、お加奈かなの手料理を食べていた。

 そして今、先日の約束の、甚右衛門じんえもんの親類筋にあたる米屋ごめやに、甚右衛門に案内され、鳥越町までやって来たところだ。

 搗き米屋は、米問屋から米を仕入れて、百文売りで近在の庶民に売ったり、小料理屋や煮売飯屋なんかに米を卸したり、玄米を精米する手間賃を取ったりもする、米の小売店の様な物だ。

 甚右衛門は、借金を頼まれたこの親類筋の搗き米屋に、とにかく会って話しを聞いて欲しいと、みそのを連れて来たのである。


「ごめんなさいよぉ、善兵衛ぜんべぇはいるかぃ」


 甚右衛門は勝手知ったる様子で、みそのを連れて店へ入って行った。


「まぁまぁ。わざわざお越し願いまして大変恐縮なのですが、私がこの店の主人の善兵衛と申します」


 客間として使われている小上がりに、甚右衛門とみそのを案内すると、善兵衛がすかさず挨拶を寄越した。

 よくよく見ると善兵衛は手に包帯を巻いている。


『善兵衛さんは怪我をしていたのかぁ』


 と、みそのは、善兵衛の袂から覗く包帯に目を向けていると、善兵衛はそれに気づいて苦笑いを浮かべる。


「年甲斐も無く屋根の修繕をやっていまして、この様な様になってしまいましてねぇ。まぁ、今日お話しを聞いて貰おうとしている事は、これが起こりなのですがねぇ」


 善兵衛は、少し恥ずかし気に手をさすりながら言った。


「まぁ、善兵衛、そんな急かなくても良いじゃありませんか。先ずは、みそのさんにお茶を召し上がってもらいましょう」


 甚右衛門が善兵衛を窘めながら笑った。


「いえ、いいんですよ、甚右衛門さん。私、お話しをお聞きしますよ。どうぞお話し下さいな善兵衛さん」


 みそのは気にしないでいいからと、善兵衛に話しの先を促した。


「どうも歳をとると、せっかちになるって本当みたいで。お恥ずかしい限りですねぇ」


 善兵衛は非礼を詫びてから、本題に入りますとばかりに、「こほん」と小さく咳払いをして話しを続けた。


「この手が原因でもある話しと言うのはですね。実は、一月ほど前に私が屋根の修繕をしていた時に、足を滑らせて落ちてしまいまして、骨にヒビが入ってしまいましてねぇ。この通り、手が不自由になってしまったのでございます」


 善兵衛は袂をチラと捲り、怪我した手を晒して見せる。


「先程この店の主人とは言いましたが、この通り小さな搗き米屋な物ですから、米の仕入れやら、精米や小売の納品やらは、主人の私の仕事でしてねぇ。生憎うちには跡取り息子もおりませんで、男手が必要になってしまい、口入屋を介して人を雇ったのでございます。しかし、その男がまたとんでもない男でして、あろう事か店の掛売りのお金をくすねて、逃げてしまったのですよ」


 善兵衛はその時の事を思い出したのか、憤った形相になるも、それに気づいたのか、「ごめんなさいね」と言って、少し自分を落ち着かせる様に、茶を啜ってから話しを続けた。


「まぁ、最初はその男も一生懸命に仕事していて、なかなか良い奉公人を紹介してもらったと、喜んでいたくらいでしたので、ついつい私も気を許してしまい、集金を頼んでしまったのが間違いでしてね。今考えますと、本当にそれがいけなかったのですがねぇ。はい。そうして、その男に集金に行かせたのでございますが、間の悪い事に、その日は小口な物から、うちとしてはかなりの大口な客筋の集金も有りまして、締めて八両と二分程ありました。うちとしては次の仕入れも有りますし、そのお金が無いと、どうにも回して行けなくなってしまうと言う訳なのです。そこで親類筋からお金を借りようと、あれこれ駆け回ったのですが、ここの甚右衛門くらいしか、余裕のある親類はおりませんで、この甚右衛門にお願いに行ったのですが、その時に甚右衛門から、みそのさんの話しを聞きましてねぇ」


 みそのが甚右衛門を見ると、甚右衛門が申し訳無さそうに目顔で謝って来た。


「いえ、甚右衛門だって、少し前に甚平の作った借金を返済する為に、うちに借金を申し込んで来たのですからねぇ。幾ばくかしか貸せませんでしたが、その時は未だあんな事も有りませんでしたので、私も用立てる事が出来たのでしたが、でも甚右衛門は貸したお金を、礼金まで付けてすぐに返して来ましてねぇ。その時は何とも思わずに、貸した金がすぐに戻って来て礼金まで貰えたと、得した気分になったくらいでしてね。そうこうしているうち、甚右衛門の店が繁盛していると、人づてに聞いたりもしていましてね。私も自分の事の様に喜んでおりましたが、先だっての男の事が有っては、私もそう喜んでは、いられなくなってしまったのでございます」


 ここまで話して善兵衛は喉が渇いたのか、困り顔で茶を啜る。そして、もう一度咳払いをして先を続ける。


「そして甚右衛門が最後の頼みの綱で、訪ねて行ったのですが、人づてに聞いていた以上に、随分と店が繁盛していまして、しかも以前の店とは、まるで別の店の様になっておりましたから、私も驚きましてねぇ。だって、つい最近まで私に金の無心に来ていたのですから、そりゃもうびっくりですよ。ねぇ?」


 善兵衛は、意味あり気にみそのに目を向けて来る。


「え、えぇ。まぁ」


 みそのが曖昧に答えを濁すと、善兵衛はにんまりと笑って「うんうん」と頷いて、


「話しの要件は借金でしたので、単刀直入に切り出したのですが、甚右衛門があっさりと承諾するものだから、肩透かしを食らった形になりましてねぇ。まぁ、甚右衛門も余裕がある訳ではなかったのですが、自分が大変な時に貸してもらったのだからと、そのくらいのお金ならば、無理をすれば何とかなると言ってくれましてねぇ。もう涙が出る思いでしたよ」


 と、話しを続けて、善兵衛はみそのと甚右衛門を交互に見ると、


「でも、よくよく考えましたら、何故甚右衛門はついこの前まで、借金を申し込んで来ていたくらいなのに、どうやったらここまで店を繁盛させて、八両もの金を貸せる様になったのか、不思議に思いましてね。その訳を問い質したのでございますすよ。でも最初の内は、この甚右衛門も何も話さないものだから、私もむきになって昔の恩を引っ張りだして、なかば強引に、みそのさんの事を聞き出したと言う次第なのですよ」


 と、善兵衛はみそのを見て嬉しそうに笑う。


「私も商売繁盛の生き神様がいると言う噂は、耳にしていましたから、それがまさか、親類筋の店を立て直していたと聞いたら、知らなかった自分が情けないやら、教えてくれなかった甚右衛門が恨めしいやらで、どうにか甚右衛門に、みそのさんを紹介してもらって、みそのさんからお金を用立てて頂き、私にも商売繁盛の指南をして頂きたいと、そう思ったのでございます。もちろん、利息はしっかりと世間並みに取って頂き、ちゃんと返済するつもりでございますよ」


 善兵衛はいつの間にか真剣な顔をして、みそのを見ていた。


「どうでございましょうか、みそのさん」


 善兵衛は更に真っ直ぐとみそのを見て言った。


「ど、どうと言われましてもぉ…」


 話しはしっかりと聞いていたのだが、そんな自分は神様でも何でもないのだし、どう答えたら良いかわからないでいると、それを見ていた甚右衛門が口を開いた。


「みそのさん、本当にご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありません」


 甚右衛門は深々とお辞儀をすると、


「が、しかしここは、どうにか受けてもらってはくれませんかねぇ。私が善兵衛の借金の保証人になりますし、商売繁盛の指南と言いましても、それはそれで商売と言う物は、どう転がるかわかったものではございません。みそのさんの気づいた事を言っていただいて、私どもが半信半疑でやった様に、善兵衛にも、先ずはみそのさんから言われた事を、どんな事でも一生懸命やってもらいます。それがもしも上手く行かなくても、文句は言いませんし、言わせません。そしてもしも上手く行かなくなって、返済が滞る事になったとしても、私が保証人になっていますから、みそのさんへは、私の方からしっかりと返済はして行きます。なので善兵衛の願いを、どうか聞いてやってはいただけないでしょうか?」


 甚右衛門は語り終えると、頭を深々と下げて願った。


「甚右衛門さん、止めてくださいよ」


 慌ててみそのは、甚右衛門の頭を上げさせると、もう否応無く承知するしかなかった。


「では一日二日で考えをまとめますから、少し考えさせてくださいね。そうしましたら、こちらにお金をお持ちしてお話ししますね」


 みそのは四半刻ほど店の様子や、店の周りを見て歩くと、その日は甚右衛門と共に、善兵衛の搗き米屋を後にしたのだった。



 *



 プシュ


「あぁ〜、本当凄いわねぇ〜、あなたは〜」


「はい、命名。あなたは今日から奇跡ですぅ〜」


 希美はビールを半分ほど一息に飲んで、グラスに入った琥珀色の液体を眺め、驚嘆している。

 日々の喜びを最大限に楽しむ事が出来る、希美ならではの一人芝居の一幕だ。


「ん〜、でも責任重大だよなぁ〜」


 グラスに入った凄い奇跡を飲み干して、また新たな奇跡を注ぎながら、希美は今日の依頼を思い起こしていた。


「でも何だか面白そうだよなっ。ん〜」


 希美は楽しそうに独り言ちると、考えを巡らせて唸っている。


「でもやっぱり今日、永岡の旦那は来なかったなぁ〜」


 急に希美の頭の中が、先日の甘い沈黙の時間に、切り替わってしまっていた。


「いやだ私ったら…」


 気づいたら自分の手が、下へ伸びそうになっていた。


「でも…」


 希美は程なく、小さく甘い吐息を吐き始めるのだった。



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