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第十七話 秘密の酒と肴



「邪魔するぜぇ」


 戸の開く音とともに永岡が入って来る。


「あら、永岡の旦那。また今日も遅いのですねぇ?」


 みそのは、なんだか永岡が現れそうな気もしていたので、すぐに用意していたお茶を持って現れると、永岡の前にすっと差し出した。


「おぅ、随分と用意がいいじゃねぇかぇ?」


 みそのは目を丸くして驚く永岡が可笑しくて、笑いながら、


「いえ、旦那が丁度お茶を淹れていた所に現れたのですよう。それとも、もしかして旦那は、そこらで見ていたんじゃないですか?」


 面白がって永岡の顔を覗き見る。


「あら旦那、お腹でも空いているんですか?」


 永岡の随分と疲れた様子を見てとって、みそのがそれを案じる。


「そうかぇ、腹が減ってる様に見えちまってたかぇ?」


 情けなさそうに自分の顔を手で擦りながら、永岡は溜息を吐く。


「どうしたんですよぅ、握り飯ならありますけど召し上がります?」


 偶々さっきおきくが訪ねて来ていて、亭主が呑みに行って帰らないので残ったからと、飯の残りを握り飯にして届けてくれたのだ。

 とは言っても、お菊は、みそのに愚痴を聞いてもらう口実だったらしく、亭主の愚痴を散々言うと、スッキリとして帰って行ったのだった。


「そりゃぁいいな。馳走になるとするかぇ」


 永岡は嬉しそうにし、急に元気が出て来た様な顔になる。


「じゃあ、少しお待ちくださいねっ?」


 程なくみそのは、お菊から貰った握り飯と佃煮を出してやった。

 永岡は相当お腹が空いていたのか、貪る様に握り飯に噛り付き、佃煮を口にした。


「なんだこりゃぁ」


 永岡の大きな声に、みそのがびっくりしていると、


美味うめぇじゃねぇかこれっ。これどうしたんでぇ?」


 永岡はびっくりした顔で聞いて来た。


「そ、そんなに気に入りましたか? 前に頂いたのを置いてあったんですが、なかなか一人だと減らないものでしたから、旦那が食べてくれるんなら大助かりですよう」


「こんな佃煮、食ったこたぇぜぇ」


 永岡は目を輝かせながら、美味そうに佃煮で握り飯を食べている。

 みそのは永岡の酒の肴にと、職場の丸越の地下食で、老舗の『銀鮒佐ぎんふなさ』の佃煮を買って用意していた物を、握り飯と一緒に出したのだ。


「江戸の佃煮ぁ奉行所に付届けがあるんで、あらかた食ったつもりだったが、未だこんな美味うめぇもんがあったんだなぁ」


 永岡は握り飯を食べ終えると、関心した様に言った。

 みそのは、未だ少し佃煮も残っていたので、


「旦那、お酒でもつけますか?」


 と、聞いてみる。


「これで一杯やんのも悪かねぇなぁ。冷でいいや、頼めるかぇ?」


 ニヤリと永岡は嬉しそうにする。

 みそのが酒の用意をして出してやると、「ありがとうよ」と受け取って、一口舐めて驚きの声をあげた。


「おめぇ、いつもこんな上等な酒飲んでやがんのかぇ!?」


「い、いえ、お酒も貰い物なんですよう」


 みそのは気圧されながらもそう言うと、祖母の知り合いが京に居て、祖母が亡くなってからも送られて来ると言い足した。

 実はこれも佃煮と一緒に買っておいた酒で、お店のお勧めを奮発して購入していたのだ。

 しかし、いよいよ何処で手に入れたか追求されそうだったので、咄嗟に言い繕ったのだ。


「私もお酒は飲めるんですが、あまり得意じないのでね。旦那に飲んでもらえると助かりますよ」


 みそのはビールは飲むが、日本酒は本当に得意では無い。

 味は好きなのだが、すぐに酔ってしまう節があるので、飲むとしても少量しか飲めないのだ。


「そうかぃ。それは嬉しいこったが、それにしてもおめぇんとこは、やたらと美味うめぇもんが揃ってやがんなぁ」


 よほど美味いのか、永岡は手酌で酒を飲みながら上機嫌に感嘆する。


「今日は碌に飯も食えなかったんで助かったぜぇ」


 永岡はそう言うと、昼間の北忠きたちゅうの話しを、みそのに愚痴って酒を舐めた。


「可愛らしいお人じゃないですかぁ?」


 みそのはクスクス笑って相槌を打つと、


「おめぇは、話しだけ聞いてっから笑ってられるんだぜぇ? これがずっと一緒に居てみろぃ。おめぇだって頭をかけえるに決まってらぁ。ま、そのおかげで、こんな美味うめぇ酒と肴にありつけたってぇもんだから、あながち北忠きたちゅうに感謝しても、おかしかぁねぇんだがなぁ」


 永岡は半分諦めた様に言うと、最後の酒を一気に呷った。

 みそのは何とも、ほのぼのとした心持ちになり、心の内が暖かくなるのを感じていた。

 そして、そう言えば自分にも面白い事が有ったと、昼間の破落戸に絡まれて、滅法強い浪人風の侍に助けられた話しをした。


「ほう、そんな粋な浪人がいたのかぇ? しかもかなりの手練れの様だなぁ。で、その浪人はなんつぅ名前なめぇだったんでぇ?」


 永岡は興味を唆られたのか、身を乗り出して聞いて来る。


「それが私もあっと言う間の出来事で、お礼を言うのが精一杯でして、お名前を聞くどころじゃなかったんですよう。だから周りの人達が、『しんさん』って、呼んでいた事しか分からないんですよね?」


「新さんだとぉ?!」


「は、はぃ。確かにそう呼ばれてましたが、旦那はご存知なんですか?」


 永岡の意外なほどの驚いた声に、何かを知っていそうなので、みそのは聞いてみる。


「まぁ、知ってるったってぇ、オイラも見たこたぇんだがな? って言うのはな。その新さんってぇのは、奉行所でもちっとばかり有名人でよう。オイラの詰所ん中でも、ちょいちょい話しに出て来るのさ」


「何か悪い事をしてる人なんですか?」


 みそのは恐る恐る永岡の顔を見る。


「いやいやいやいや、その逆でぇ。神出鬼没に何処へでも現れちゃあ、今日のおめぇみてぇに、困ってる奴を助けてめえってるってぇ謎の浪人でよ。そいつの名前なめぇが新さんってぇ訳よ。まぁ、神出鬼没とは言っても、ある程度出没する所ぁ限られちゃいるんだがな。何処かの家臣てぇ訳でもぇようだし、そこそこ親しくなったってぇ奴も、誰もが住処を知らねぇから、ただの浪人ってぇのも胡散 くせぇし、とにかく相当、金回かねめえりもいいってぇ話しなんで、浪人って言っても、家が大層なおたからを残して浪人したんじゃねぇかとか、裕福な大身旗本の部屋住みや殿様が、粋狂で世直しにめえってるんじゃねぇのかとかよ。とにかく分らなねぇ事だらけの謎の男なのよ。それにな、何処かの藩主がお忍びで町を徘徊してると、本気で思い込んでる奴もいるくれぇだぜ」


 とにかく永岡も、噂は聞いていたので興味があった様なのだ。


「ところでおめぇは、何の用が有ってそんなとこまで行ったんでぇ?」


 永岡は突然話しを変え、ニヤリとやった。


「………」


「やっぱりかぇ。そんなこったろうと思ってたぜぇ」


 みそのが黙り込むのを見た永岡が、顔を顰めさせて呆れた声を上げると、


「ごめんなさぃ」


 と、みそのは上目遣いで小さく観念した。


「このめぇも言ったが、自分からのこのこ出てって、危ねぇ目に遭う様な真似はするんじゃねぇぜ?」


 少し優しく言われた様な気がしたのは、永岡が酔って来たからだろうか。

 みそのは「はぃ」と小さく応えると、永岡を見ているだけになってしまい、二人は甘い沈黙に吸い込まれていった。



「すっかり馳走になっちまったなぁ。ありがとうよ」


 永岡は沈黙を振り切る様に、ひょいと腰を上げた。


「美味かったぜぇ」


 みそのは、あっさりと帰って行った永岡を見送ると、自分が何に心を痛めているのか、はっきりとそれを見ている心地になり、それが同時に永岡の姿と共に、夜の闇に消えて行く。そしてその闇が、まるで幻の様に何も無かった事にしてくれた様でホッとした。

 しかし、今夜のみそのはなかなか江戸から離れられなかった。

 いつもならさっさと東京に帰り、ビールを飲んでいる頃なのだが、先程の甘い沈黙を思うと、東京へ帰り辛くなっていたのだ。



 *



「おはようごぜぇやす。甚平です、朝早くからすいやせん」


 玄関先で戸を叩く音と共に声がするのを聞いて、みそのは目を覚ました。


「いけない、寝ちゃったみたいだわっ」


 慌てたみそのは、今何時だろうと時計を探すのだが見当たらない。みそのは寝ぼけているのか、状況がいまいちつかめない。


「みそのさん、いやせんかぃ?」


 外からの甚平の声で、みそのはやっと、あのまま江戸で眠ってしまった事に気づき、とりあえず着物を直して慌てて玄関に向かった。



 *



「おはようございま〜す」


 顔を上げると、雅美まさみがコーヒーをトレイに乗せて笑っていた。


 希美は今朝、甚平の訪問で起こされた事で、江戸に泊まってしまった事に気づいたのだった。

 甚平の用件は誰だか親類の頼みで、一度時間を作って欲しいと言うような事で、みそのの都合を聞きに来たのだった。

 しかし、仕事に遅刻してるのではないかと、内心ヒヤヒヤして焦っていたので、甚平の言葉はあまり頭の中には入って来ず、明後日の約束をしたはずなのだが、それも確かな物かは不安なくらいだ。

 そうして甚平が帰ると、急いで東京へと戻ったのだが、時計を見ると未だ6時前で一安心だった。江戸の朝は早いのだ。

 その為、ゆっくりとシャワーを浴びても時間が余り、家を早目に出て丸越の駅地下のカフェで、のんびりとコーヒーを飲んでいたところだった。


「雅美ちゃん、おはよん」


 希美が挨拶に応えると、「店長早いんですね〜」と言いながら、雅美は希美の前に腰を下ろした。


「店長髪伸ばしてるんですかぁ?」


 雅美は希美の髪の毛を覗き込む様に見ている。


「ま、まぁ、どうしようかな〜って、今考え中なの。雅美ちゃんどう思う?」


 希美は江戸へ行く様になってから、髪を伸ばし始めていた。やはり髪を伸ばさないと、変に思われてしまうと思っていたからだ。


「いいんじゃないですかぁ? だって店長はロングも普通に似合うと思いますし、今まで店長の『私は高校球児と一緒で、耳に髪の毛がかかると、も〜ガマン出来なくて、切りたくなってくるのよぉ〜』って言うのが、少し変わっていたんだと思いますしぃ」


 希美のモノマネをしながら言って、雅美は一人で笑っている。


「何度もそれで挫折している訳だし、今回は頑張ってみてくださいよぉ?」


 雅美はニコニコして、応援する様にガッツポーズをしてみせた。


「そうよねぇ〜。そしたら、もし私の高校球児が出て来たら、絶対に雅美ちゃんが止めてねっ!」


 希美が笑って応えると、


「任せてくださいよ。もしそんな高校球児をみつけたら、私がケツバットしてやりますから〜」


 と、雅美が笑いながらバットを振る仕草をしている。

 希美はコーヒーを吹きそうになりながら、一緒に笑ってしまう。


「でも店長? 旦那様がいるって言うのに、恋なんかしちゃったりなんかしてるんじゃないんですかぁ? 最近店長が綺麗になったって、みどりちゃん達が話してましたよぉ?」


 雅美は疑う様に目を細めて、声を落しながら言って面白がっている。


「な、何言ってるのよぉ。私は最近じゃなくて、前世から既に綺麗なのです〜」


 希美は戯けて答えたが、内心ドキドキしてしまっていた。


「そうですよねぇ〜」


 雅美は笑いながら応えて、少し真面目な顔になり、


「でも店長、最近化粧品変えてたんなら教えて下さいよ。抜け駆けは絶対ダメですからねっ!」


 と、笑いながらも鋭い視線で言い放った。


 雅美は希美と同い年だが、若さを保つ為には何でもやっていて、おまけに化粧も上手いので、パッと目20代にも見えなくもなく、若いスタッフの、みどりちゃんとはなちゃん達には、陰で化け物扱いされているくらいなのだ。

 そんな美容マニアの雅美は、希美が綺麗になったのは、化粧品を変えたからだと思ったのかも知れない。


「つーか抜け駆けしてるのは、いつも雅美ちゃんだと思うんですけどぉ〜」


 希美は、『雅美ちゃんらしいな』と思いながら、クスクスと笑うのだった。



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