第十五話 神隠しと拐かし
プシューー
希美は江戸から帰るや、真っ先に冷蔵庫に駆け寄り、冷えたビールを取り出した。
そして今、ようやっと至福の時を過ごしている。
ただ、あまりにも急いでビールを開けようとしたので、そのビールをとり落としてしまい、少し吹き出してしまっていたのだが。
それでもビールをグラスに注ぐと、普段より泡立ったビールにニンマリとして、希美はゴクゴクと喉を鳴らし、一気に半分ほど飲んでしまった。
「あぁ〜、今日はまた格別ぅ〜」
更にビールを注ぎながら、希美は独り言を続ける。
「今日はメッチャ歩いたもんねぇ〜」
「足痛いっつーのっ。ん? ってか、ちょっと慣れてきたかもっ」
希美は足をさすりながら、またグラスに口をつける。
希美も最初の頃は、草履に慣れずに苦労した物だが、ここ最近は少しずつ慣れて来ていて、痛みも然程出ないようになっていた。
「でも、今日の事はどうやって報告しようかしらねぇ〜。正直に話しても良いものかしら…」
希美は永岡から大目玉を食らう自分を想像し、痛そうに顔を歪めて首を竦める。
「でも何とかして伝えたいなぁ〜。何かのヒントとかになってくれればいいし、永岡っちに聞いてもらって、意見も聞きたいしなぁ〜」
「でも、運動の後のルービーは、ほんっと、最高よねぇ〜。永岡っちもイケる口っぽいから、いつか飲ませてあげたいなぁ」
そう思いつつ、いつものように携帯をチェックすると、山のようなラインの履歴があるのと、夫からのメールがいつもの様に、同じ文面でぽつりと有った。
最初は疑似恋愛のようなつもりで、割り切っていた江戸での出来事が、ここのところは、希美の大事な部分になりつつある。
実際、永岡との距離も急激に近付いている事に、そして、それが歯止めがかけられなくなっている自分に、希美は悩まされている。
江戸から戻ったこの至福の時間も、夫からのメールを見る度に、急激に苦悩の時間に変わってしまう日々が、このところ続いている。
「ごめんね…」
希美はどちらに言うでも無く呟いて、胸に引っかかる、複雑に絡まったつかえを洗い流す様に、またビールを一息に飲むのであった。
*
「おぅ、永岡じゃねぇかぃ。どうしてぇ、早ぇじゃねぇかぇ?」
今日は先輩同心である新田に話しを聞こうと、永岡はいつもより早くに奉行所へ出仕し、同心詰所で待ち受けようと思っていた。いたのだが、新田の方が早く出仕していて、何かの調べ物していた様だ。
文机には何かの帳面が開かれて乗っている。
「おはようございます」
永岡は新田に一礼して歩み寄ると、文机の前に座り、もう一度礼をした。
「あの話しの続きかぇ?」
俺も話したかったとばかりに、新田はニヤリと笑う。
「えぇ。この間は、奉行所に帰ってからってぇお言葉でしたが、あの日は、広太の事で奉行所に戻れませんでしたし、昨日も朝から探索に出ちまったんで、新田さんの話しを後回しにしちまいました。申し訳ありませんでした」
「なに頭ぁ下げてんでぃ。詰まんねぇ事でペコペコ頭ぁ下げるもんじゃねぇぜぇ。それにお前、オイラに聞きてぇ事が、出来たんじゃねぇのかぇ?」
永岡は頭を掻きながら、申し訳無さそうに笑った。
「新田さんにゃ敵わねぇや。実はそうなんですょ。広太の斬られ方を見た訳じゃぁねぇんですが、手当てをした田辺宗周ってぇ、先生に聞いた話しでは、どうも新田さんの手下だった、輝三の斬られ方に似てたんですよ。オイラは輝三の斬られた傷跡は、新田さんと一緒に見てたんで、宗周先生の話しを聞きながら、輝三の傷が浮かんで来ちまって、広太と輝三が重なっちまったってぇ訳なんで」
「そんで?」
「はい。そんで昨日の現場を見る限りにゃあ、神隠しを装っての誘拐にしちゃぁ、大掛かりだし、その後の金の要求を当てにした、大店の娘ってぇ訳でも無ぇ。んなもんで、新田さんがあん時言ってた抜け荷ってぇのが、一番オイラにもしっくり来たってぇ訳で、是非にも新田さんの話しの続きが、聞きたくなっちまったってぇ腹なんです」
ニヤニヤしながら永岡の話しを聞いていた新田は、大きく頷いて膝を叩いた。
「お前もやっと分かって来たって訳さぁね」
嬉しそうに新田は言った。
「オイラも、輝三が斬られた時にゃぁ、ただの辻斬りにされちまったが、お前と一緒で、どうも斬られた傷の跡が気になってなぁ。あんな手練れしかつけられ無ぇ傷ぁ、滅多に拝めねぇ。物取りなんかの辻斬りにしちゃぁ、出来過ぎてるってな」
新田は文机に開いて置かれた帳面を、片手でパラパラとやって、
「オイラは過去にも似た様な斬り口の、辻斬りを調べたんだが、やっぱりそんな手練れの辻斬りなんざぁ、少なくともこの十年起きちゃいねぇ」
そこへ見習い同心の北山忠吾が入って来て、二人にお茶を差し出し、挨拶をして来た。
少しふっくらとしていて、愛想が良く、このようにお茶を進んで出したりと、何かと気が効く男なのだ。そして、従来から細い目をしているのだが、いつもニコニコしているおかげで、目を瞑っている様にも見える為、「おぃ北忠早く起きろぃ」とか「また北忠眠ってやがんのか」などと、北山忠吾を『北忠』と略され、先輩同心に愛されている。
「話しの途中に現れてしまいまして、すみません」
北忠が先輩に恐縮する。
「いいんだ北忠。お前もそろそろ誰かにくっ付いて、町廻りをする頃だってぇ、木戸様に言われてたんでぇ。丁度いいやぃ、お前も一緒に聞いてけ」
新田は与力の木戸から、「そろそろ北山を誰かにつけて町廻りさせてみろ」と、直々に言われていたので、良い機会だと思い、永岡にでもつけさせようと思い立ったのだ。
「何処まで話したっけかな」
北忠は急な事で緊張しながらも、話しをしっかり頭に入れようと座り直し、背筋を伸ばす。
「ここ十年の辻斬りには、遣い手がつけたらしい、刀疵の記録がなかったってぇ所です」
永岡が答えると、「そうだった、そうだった」と、新田は話しを続ける。
「そこで、範囲を広げて捜し出していたんだが、七年程前なんだが、未解決の抜け荷の事件に、正に今回と似た斬り口の殺しが見つかってな。オイラもその事件は、薄っすらと覚えていたんだが、すっかりそこには頭が回ってなかった訳さぁ。お前はまだ出仕 前か、見習ぇだろうから知らねぇで当然だが、オイラはもっと早くに、気がつくべきだったんだがなぁ」
新田は頬をかいて後悔する様に言った。
「でな、その事件ってぇのはな。何処からか、抜け荷の疑いの密告が入ったのが始まりで、最初は半信半疑で調べに当たってた様なんだが、調べに当たった手下が、次々に辻斬りにあって死んじまってな。終いにゃその怪しいと密告の有った蔵も、踏み込んだ時にゃ何も出て来ねぇわ、蔵の持ち主もなんら不審な所が無ぇわで、結局手下達は凄腕の侍の、試し斬りに遭ったんじゃ無ぇかってな。要は辻斬りの仕業ってぇ事で、片付けられちまった訳なんだよ。ただ、抜け荷絡みの辻斬りってぇ事で、記録には残ってて、他の辻斬りとは別になっていたんでぇ。んなもんだから、オイラが調べ直していた記録の中には、無かった訳なんだろうが、それにしてもちっとくれぇは、辻斬りの記録にも残ってていいもんなんだが、それをしなかったのは、抜け荷の噂は本当で、これ以上犠牲者を出したく無ぇとの理由だったり、かなり上の方からの圧力がかかったのだとか、とにかく上からの指示で、事件に蓋をしちまったって事も、奉行所内で噂されてたのさぁ」
「じゃぁ、新田さんも、その噂に根拠があったってぇ思ってんですかぇ?」
「まぁな。でもオイラも当時は、おかしいとは思ったんだが、なんせその事件は北の管轄だったもんでな。あまり触れられ無かったから、根拠ってぇ訳でもねぇのよ。ただそんな都合良く探索に出た手下達が、次々に辻斬りに遭うってぇのは、どう考ぇたって無理があるだろぃ? それも恐らく同じ下手人って事なら尚更よう」
お前もそう思うだろうとの目で、ニヤリとして、
「お前だったらどう考ぇるかぇ?」
と、新田は試す様に永岡に聞いて来た。
「オイラが考ぇるのは、恐らく大きな抜け荷かなんかが有ったんだろう、ってなとこですかねぇ? そいつの目ぇ逸らす為に、下手な芝居を打ちやがったんじゃ無ぇですかぃ」
新田は永岡が言うのを聞いて満足そうに頷く。
「じゃぁオイラ達は、その線を頭に入れて、今回の神隠しに当たろうじゃねぇかぇ。なぁ」
「そうですね。オイラもそこんとこから当たってみます」
「おぅ、そうだ。北忠はオイラと永岡について廻りねぇ。取り敢えずは永岡、今日はお前が面倒見てやってくんな。人手の具合で、オイラとお前を行ったり来たりするってこったな」
永岡は北忠を見ると、北忠は上気して顔が紅潮している。
「永岡さん、宜しくお引き回しの程お願い致します」
興奮して甲高い声で頭を下げる北忠を見て、『先が思いやられそうだな』と、永岡は頭を抱えそうになったが、
「おぅ、よろしくな」
と少し威厳を持たせて言っていた。
*
「邪魔するるぜぇ」
ガラガラと、戸が開く音と共に永岡の声が聞こえて来た。
あれからみそのと永岡は、入れ違いで会っていなかった。
永岡の方も少しばかり気恥ずかしい心持ちで、遠ざかっていた事もあるが、今は事件で忙しい。みそのも東京での丸越の仕事と、永岡に隠れての江戸の町での探索で存外忙しい。
「だから旦那ぁ、いきなり入って来ないでくださいって、言ってるじゃぁありませんかぁ」
それでも、みそのの口調は嬉しそうだ。
「物騒なのに、戸締まりしねぇお前が悪りぃんだろうが? ま、硬い事言うねぇ」
永岡はいつもの様に、上り框に刀を抜いて座った。
「ま、いいんですけどねぇ旦那なら。ふふっ、今お茶淹れるますね?」
みそのは浮き立つ様にお茶の用意をする。
「もうすっかり良さそうだなぁ」
永岡が大きな声で話しかけてくる。
みそのはお茶を淹れながら、「何の事かしら」と、少し首を傾げてから、お茶を持って永岡の元へ向かった。
「はい、どうぞぉ」
みそのが永岡にお茶を差し出すと、永岡がみそのの顔を覗き込む。
「本当に良さそうだなぁ。まずその顔じゃあ心配いらねぇな?」
そう言って永岡は美味そうに茶を飲んだ。
『あぁ、私病人だったんだわぁ』と、みそのはその時初めて思い出した。
「心配してくださってたんですねぇ」
今度はみそのが永岡を覗き込む。
「ま、まぁな。お前、茶店で二刻も眠っていやがったんだぜぇ。そりゃ少しは心配すらぁな」
「ありがとうございます。おかげですっかりと良くなりましたよ…」
本当は仮病なのに、これ以上揶揄うと心苦しいので、みそのはすぐに矛を収めてお礼を言った。
「広太さんのお具合はどうですか?」
みそのは気になっていた事を口にする。
「ああ、今はあいつも頑張っていらぁ。早く良くなる様にお前も祈ってやってくんなぁ」
「はぃ…」
永岡の口調があまり状態が良くないのかと、案じられるものだったので、みそのが心配で沈んでいると、永岡は殊更明るい声で、
「ま、大丈夫だろうよ。オイラはそう信じてるぜぃ。血が流れ過ぎたって言ったって、今まで保ってるんでぇ。それに、幸いな事に急所も外れていらぁな。広太は必ず助かるぜ」
と、みそのを励ます様に言う。
「そうですよね。絶対助かるって祈っていますね」
みそのは、あのひょろっとした、人の良さそうな広太の顔を思い出すと同時に、広太が早く回復する事を心から願った。
そして、心の内で『よしっ』と気合いを入れると、
「旦那に、ちょっと聞きたい事があったんですよう」
と、みそのは努めて気軽に切り出した。
そして、それを受けた永岡が何気なく、
「どうしてぇ?」
と、茶を飲みながら返す。
するとみそのは、奥から江戸の町の絵図を持って来ると、嬉々として永岡の前に広げた。
そして、みそのはその絵図を見ながら、
「私ね、神隠しに遭ったって言う娘さんのお家を聞いて、ここに印をしてったの」
と、朱墨で丸く印してあるところを指差して、続けようとすると、
「ま、待て待て。お前まさか、調べ回ってたんじゃねぇだろうなぁ?」
と、みそのがいきなり事件の話しをしだしたので、永岡は驚いた様な怒った様な目で、みそのを見る。
「そのまさか…って言いたいところですが、これはお菊さん達や、近所に売りに来る棒手振りの方々に聞いたんです」
みそのは首を竦めて言うと、永岡は少し安心した様に、上げた腰を元に戻して座り直した。
そんな永岡を尻目に、
「でも気になって、ここへは行っちゃったんだけど」
と、みそのは疑問が浮かんだ場所を指差しながら言うと、
「ば、馬鹿じゃねぇのかぁ、お前はっ!」
と、永岡がまた腰を浮かして、みそのをどやしつける。
「でも聞いてくださいよ、旦那ぁ」
みそのは首を竦めて、手で顔を守る様に小さくなって続ける。
「私も旦那に言われてますから、なるべく一人にならない様に、町々で人に声をかけながら、案内してもらって行ったんですからねっ。それに暗くならない内には帰って来ましたし、この通り、無事でいられているじゃありませんかぁ。私も旦那の役に立ちたいんですよう」
そして、みそのは少し涙ぐみながらも、かまわずに話しを続ける。
「旦那ぁ、私はこの絵図を見ていたら、気になってしまったんですよ。小舟町や馬喰町、元鳥越町や湯島横町に今回の相生町。神隠しにあった娘さんは皆、水辺のお家の娘さんで器量良しって、共通点が不思議でしてね。そんなに水辺に器量良しが集まるのかなって、どうしても確かめたくなってしまったんですよう。そして行ってみたら、噂好きのおかみさんなんかに、親切に案内してもらえるし、一人にならなければ、大丈夫なんじゃないかと思いまして、つい他の所も…」
永岡がジロリと睨むのを感じて、
「でも、そのおかみさん達の話しを聞いたりして、ますます面白い事もわかりましたから、是非とも旦那のお耳に入れて、どう思われるか、教えてもらいたくなったのですよう」
永岡が黙ったまま睨み続けている。
「ごめんなさい…」
みそのはボソリと、永岡の沈黙に耐えられずに謝った。
「まぁ、しょうがねぇか…。ずっと家に居ろって訳にも行かねぇし、お前も子供じゃ無ぇんだからなぁ」
永岡は諦めた様に言って小さく笑った。
そして気を取り直して真面目な顔で続ける。
「でも、手前から危ねぇ所に行って、痛ぇ目に遭う事ぁ無ぇやな。お前もそんな事にならねぇ様にしねぇとな?」
「……わかりました…」
みそのは素直に小さく頷いた。
「で、面白ぇ事って、なんでぇ?」
永岡がみそのに話しを向けると、
「そう面白いって改まって言われると、面白いかどうかはわからないんですが…」
「まぁ、いいから言ってみねぇ」
永岡は急に言い難くなったみそのを気にして、顔を綻ばせて話しを促した。
「大した話しでもないのでしょうがね。私が行った、ここのお市さんなんですが、話しを聞いたおかみさんが言うには、世間では、町一番の器量良しって事になってはいるけど、お和さんって娘さんの方が断然器量が良いって、ここらでは通っているんだそうです。神様が間違えて連れてったって、噂話しになるくらいみたいなんですよ」
みそのは絵図を指で差しながら、永岡に説明する。
「試しにお和さんの家に、案内してもらったんですが、確かに可愛らしい娘さんでして、町一番って言われるのも頷けたのですがね。それよりもお和さんの家と言うのが、少し奥まった所でしてね。人通りもお市さんの家に比べてまばらでしたし、少し貧しい所でしたので、器量良しを狙っての仕業でしたら、断然お和さんの方がやり易いのではないかって、思ってしまったんですよ」
みそのはいつの間にか、身を乗り出して話していて、永岡の顔がすぐそこにあるのに気づいて、驚いて話しを止めた。
「ご、ごめんなさい。なんだか夢中で話してたら…」
「かまわねぇよ。お前はそう思ったんだな。で?」
永岡が続きを促す。
「あぁ、そうでしたね。そうそう、それで私は器量良しは、二の次なんじゃないかと思いましてね。次にここへ行って、今度は神隠しの話しは伏せて、ここらで一番の、器量良しの娘さんを聞いてみたんです。そしたら、神隠しに遭った娘さんの名前は、誰からも出て来なかったのですよ。これは世間で言われてる様に、町一番の器量良しが神隠しに遭ったと言うのは、ちょっと違うのかなって思いまして、旦那に一度話しを聞いてもらって、教えてもらおうと思ったのですよ」
みそのが話し終えると、永岡は暫くみそのを見ながら黙っていた。
「お前は、神隠しじゃ無ぇで、川から手頃な器量良しを狙った、拐かしっだってぇ言いてぇんだな?」
口を開いた永岡にみそのが頷くと、
「大したもんだな。お前もよぅ」
と、永岡は呆れた様に笑ってみそのを見る。
「意外にその読みぁ当たってるぜぇ」
そして永岡は茶を一息に飲んでニヤリと笑う。
「オイラも新田さんと話してな。この神隠しは抜け荷が絡んでるってぇ筋で、洗ぇ直してるとこでよ。まぁ、凡そ荷下ろしした空き船にでも娘ぁ乗せて、外国か何処かに売り飛ばすってぇ寸法でよぉ。お前の言った事にも頷けて来るぜ。水運に慣れた連中なんだから、普段っから川や運河に舟ぁ、浮かして往き来してんだろうからなぁ。そのついでに、拐かしのネタの下調べってぇ訳だな。んなもんだから、なるべくなりゃ、器量がいいに越した事ぁ無ぇが、あまり奥まったところなんざぁ、舟まで戻るのにも一苦労だし、そもそも舟から狙ってたんじゃあ、一度は見かけても、なかなか狙いを定めるまでには行かねぇわな。聞いてしまやぁ簡単な道理にも思えるが、こう言った事ぁ、なかなか気づかねぇってもんでぇ。まぁ、そうと決まった訳じゃねぇが、そいつを頭ん中ぁ入れてんのと、入れてねぇのとでは、ずいぶんと違って来らぁ。良く気づいて、教えてくれたな。ありがとうよ」
そう言って永岡は、その後も探索の時間が短縮されたと言って、改めてみそのに礼を言う。
みそのは、永岡にこれだけ礼を言われて褒められると、なんだかむず痒くなって来てしまい、
「旦那の役に立つんだったら、良かったですよう」
と、顔を赤らめ、そそくさとお茶のお代わりを淹れるのだった。
みそのはこの前の続きが始まらないかと、少しハラハラとしたのだが、茶のお代わりを飲んだ永岡は、「だからと言って、無防な事ぁすんじゃねぇぜ」と、釘を刺す事を忘れずに帰って行った。
そしてみそのは、ほっとした様な、物足りない様な複雑な心持ちで、暗くなった町へ消え行く永岡の背中を見送るのだった。
「こんな時間なら、今度はお酒でも出してあげようかしら」
そんな言葉を江戸に置いて行く様に、みそのはあの戸棚へと向かうのだった。




