第十三話 求めるからだ
ドキドキと突き上げる様に、永岡の心臓が脈を打っているのが、みそのの身体に伝わってくる。そして身体が熱くなって来るのを、お互いに伝え合っている。
永岡の腕の力が緩まり、みそのはゆっくりと顔を上げると、永岡と目が合い、そして見つめ合う。
みそのはゆっくりと目を閉じ、永岡の口に自分のそれを近づけていく。永岡もそれに応える様に、ゆっくりと、みそのの身体を引き寄せた時、
ドンドンドンドン、ドンドンドンドン
「旦那ぁ、居やすかぁ、旦那ぁ〜」
ドンドンドンドンドンドン
「みそのさん、旦那ぁ〜!」
と、戸を叩く音と共に、外から大慌てで叫んでいる男の声が聞こえて来た。
みそのと永岡は、我に帰った様に素早く離れると、互いの顔をチラリとみながら、二人とも自分の着物の乱れを直す。
そして永岡は名残惜しそうに小さく笑うと、何も言わずに玄関先へと走って行った。
「どうしてぇ智蔵、智蔵だろぃ?」
永岡が大声をあげながら走って行き、勢いよく戸を引き開けると、智蔵が転がる様に入って来た。
「だ、旦那ぁ大変でやすぜっ!」
はあはあと肩で荒い息をする智蔵は、次の言葉が出て来ない。
「おぅ、みそのっ、智蔵に水を持って来てやってくれっ」
永岡が声をかけると、みそのは既に柄杓で水を運んで来ていて、永岡に手渡すとまた奥へと戻って行く。
「おぅ、気が効くなぁ。ありがとよ」
永岡はみそのの機転に驚きつつ礼を言うと、
「智蔵、先ずこれを飲みねぇ。それからゆっくり話しゃいいやぃ」
と、水を差し出しながら智蔵へ声をかけた。
智蔵は奪う様に柄杓を受け取ると、ゴクゴクと喉を鳴らして一気に飲み干し、
「こ、広太がやられたんでさぁ!」
と、興奮して叫ぶ。
「な、なにっ。おい、真面目に言ってんのかぇ!?」
永岡も興奮している。
「こんな事ぁ、冗談でも言えぁせんやっ!」
更に興奮して智蔵が挑む様に言い返す。
「そ、そうだな。悪かった、この通りでぇ。で、どういうこった。わかる様に説明してくれ」
永岡は少し冷静になって頭を下げると、智蔵に話しを促した。そこへ奥から戻ったみそのは、智蔵に丁度飲みやすくなったであろう、先ほど淹れた冷めたお茶を出してやる。
「ありがとうごぜぇやす」
お茶をまた一息に飲んで、智蔵もやっと落ち着いた様で、事の転末を話し出した。
「あの後旦那と別れやしてから、茶店で打ち合わせた通りに、あの辺りを当たる事にしたんでさぁ。小間物屋のお典ってぇのが、あの辺りじゃ一番の器量良しって、聞き込んだもんでやすから、行ってみりゃぁ、歳も十五と、ぴったり今までの神隠しに当てはまりやしたんで、お典に最近変わった事ぁ無かったかを、聞いとりやしたんでぇ。そしたらこのお典は、自分には変わった事ねぇが、最近お春ってぇ幼馴染が、誰かにつけられてる気がするって言ってたって、話しでやしたんで、聞いたらそこからお春の家も近ぇし、取り敢えず広太をお典の所に張り付かせて、あっしがお春の話しを聞きに行ったんでごぜぇやす」
みそのは新しく入れ直したお茶を、永岡と智蔵に出してやった。
智蔵は目礼して茶を啜って続ける。
「あっしがお春の家に着いてみやすと、お春は丁度風邪を拗らして臥せってるってぇんで、今日の所は外に出かける心配も無ぇでやすし、話しはまた日を改めてと思いやして、すぐにお典の所へ引き返したんでやすが、あっしが戻ってみやすと、見張っているはずの広太の姿が見えやせんで。なんせ、ほんの三町くれぇの距離だったんで、四半刻も経っていねぇはずでさぁ。あっしは何かあったと思いやして、店へ入って母親に問い質したところ、あっしが出て程なく、お典を職人の所へ使いにやったと言うんでさぁ。広太もそれについて行ったに違ぇ無ぇと、行き先を聞いてあっしも向かったんでやす。そしたら通りすがりの神社で、呻き声がしたもんで、とにかくすっ飛んで行きやすと、境内で広太のヤツが…」
その時の事を思い出し、智蔵は声を詰まらせる。
智蔵は「すいやせん」と、一口茶を啜り、自分を落ち着かせる様にすると、また話しを続けた。
「あっしが広太に駆け寄りやすと、広太はあっしに気づいたのか、痛みに顔を歪めながら、あいつぁ申し訳無さそうに、『お典』とやっと口にしやして、がっくりいっちまったんでさぁ…。しかしまだ広太のヤツの息がありやしたんで、あっしは必死で人を呼びやして、戸板で広太を田辺先生の所へ運んだんでやす…」
田辺先生とは、若い頃に長崎で和蘭陀の蘭学、医療を学んだ、蘭医で、田辺宗周と言う町医者だ。
宗周は少し変わり者で、本来ならば何処かの藩のお抱え医師として、召抱えられてもおかしくない名医なのだか、町の者の為、藩医の誘いも断り、貧しい者からは、ろくに金も取らないで診てやる様な、奇特な貧乏医者なのだ。
「いい判断でえ。智蔵。良くやったな。あの先生んところなりゃ大丈夫だろぅ」
永岡は声を詰まらせ下を向く智蔵の肩を、優しく叩いて労うと、
「で、広太は大丈夫なんだな?」
自分に言い聞かせる様に問い質す。
智蔵は泣きそうな顔で首を横に振り、
「わかりやせん、旦那…」
と、縋る様に永岡を見て、
「あっしも田辺先生んとこへ担ぎ込んでから、先生が治療してくださる所ぁ見てやしたが、ばっくり切られちまった背中の方は、先生が言うにゃぁ、傷は深ぇが急所が外れてるとかで、一刻程かけて治療してくださった後に、もう傷の方は大丈夫って言ってくださったんでやす。しかし先生が言うにぁ、ちっとばかし血が流れ過ぎてるから、助かるかどうかはわからねぇって言うんでぇ。まぁ、これ以上治療が遅れたら、間違ぇ無く助からなかったってぇ仰いやして、話しの終ぇにゃぁ、あっしがそれを避けさせたんだと、仰ってくださいやして、後は広太に頑張って貰おうって、励まされたんでやす」
と、その時の事を説明した。
そして永岡に知らせようと茶店に戻って、女を送って行く様子で帰って行った事を、店の親父に聞き出し、奉行所よりもみそのの家に居るのではと、先ずはここを訪ねて来た様だ。
「そうか、智蔵。やれる事ぁやったんでぇ。あとは宗周先生の言うように、広太に頑張って貰おうぜぇ。オイラ達は、広太をそんな目に合わせた拐かし野郎を、とっ捕まえてやろぅじゃねえかぇ」
永岡は怒りを抑える様にして智蔵に応えた。
「智蔵、お前も疲れてんだろうが、オイラと一緒に、もう一度広太の所へ行ってくれるかぇ?」
涙目で智蔵が頷くと、永岡はみそのに振り返り、
「そう言うこった。オイラ達ぁこれから行くが、お前も余り外へは出歩くんじゃねぇぜぇ」
みそのには今日はもう外へは出るなと釘を刺し、永岡は智蔵を抱える様にして出て行った。
そしてみそのは、そんな二人を心配そうに、見えなくなるまで見送っていた。
*
プシュ
今日の希美は、江戸から戻ると先ず最初にする楽しみのビールも、開けはしたがなかなか口に出来ないでいた。
言葉を交わす事は無かったが、実直そうな顔で挨拶して来るあの広太が、生死をさまよっているかと思うと心配でならない。
それに誘拐や殺人事件など、ドラマやニュースの中でしか知らないので、俄かに身近で起こっている事に、信じられない気持ちと恐怖が混ざり、なんとも落ち着かない気持ちになっていた。
ただ、永岡とのあの事だけは、今でもドキドキしていて、そんな落ち着かない気持ちながらも、どうしても希美の身体は熱く疼いて来る。
気づくと、自分の手が下へと伸びていた。
「わ、私、こんな……」
後ろめたい気持ちを抱きながらも、希美は自分の手が抑えられない。
希美の甘い吐息が小さく部屋に響いている。
「私って、こんな……女だったのかしら…」
希美は漸くビールに口をつけ、我に返りつつ呟くのだった。




