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第十二話 火照ったからだ



「あらぁ〜、みそのちゃん。良く来てくれたわねぇ〜」


 店先にみそのが顔を出しすと、いち早く見つけたお加奈かなが、店の中から飛び出して来て、両手を掴まんばかりに歓迎してくれた。


「お加奈さんもお元気そうで。それにお店も相変わらず繁盛しているみたいで、何よりですよ!」


 先日の永岡と甚平じんべいとの騒ぎがあった翌日に、また甚平が訪ねて来ていた。

 甚平は前日は動転していて、借金の返済をしに来た事を忘れて、帰ってしまった為、また出直して来たのだった。

 借金は当初、日は限らずに、それでも一年を目安にゆっくりと返せば良い、との取り決めであったが、みそのの手助けもあり、商売が急激に上手く行くと、なんと一月も経たずに、親類筋を含め借金を完済出来るまでになっていた。

 みそのには利息の他にお礼だと言って、かなりの色を付けての返済で、甚右衛門じんえもんから託されての、甚平の訪問だった。

 その際に、甚平の母親のお加奈が、是非にも会いたいとの事付けもあったので、今日早速、甚右衛門にお礼を言いに来がてら、お加奈に会いにやってきたのだ。

 実はみそのは甚右衛門達には、年増だと言っても、二十三、四くらいだと誤解されているが、甚平の母親であるお加奈と同じ、三十七歳なのだ。

 食べ物のせいか、過酷な水仕事等をする江戸の女に比べ、みそのは手も肌も綺麗で、若やいで見えるから納得なのだが、それにしても、かなりのサバを読む形になっているのが、心苦しいみそのであった。

 お加奈とは同い年なだけに、最初から気が合い、お加奈もみそのの事が、かなり気に入った様相だ。


「あらぁ、本当に着て来てくれたのねぇ。嬉しいわぁ」


 お加奈は、花柄のアップリケの様な、継接ぎの着物を着ているみそのを見て喜んだ。

 これはみそののアイディアで、穴の開いた着物や、ボロ布にしかならなそうな、草臥れた着物を組み合わせて、アップリケの様に、可愛い柄に継接ぎして売り出した物で、今ではこれが店の売れ筋として、若い娘に人気を呼んでいる。

 お加奈がお礼にと、みそのに贈ってくれた物を、みそのは今日早速着て来たのだ。

 お加奈は、みそのを店の中に引きずる様に連れて行くと、嬉々としてお茶を入れてくれる。

 みそのは、店の中で客の相手をしたり、着物を整えたりして立ち働いている、見知らぬ娘が二人いるのに気づいて、それを見ていた。

 お加奈は急須で湯のみにお茶を注ぎながら、みそのの様子を見ると、


「みそのちゃんのおかげで、お花の継接ぎが人気でねぇ。今じゃ穴の開いていない着物にも、継接ぎをするほどなのよぉ。だから私はそっちに掛りっきりでねぇ。それでも追いつかないから、あの娘たちを雇ってお店の事やら、私の手伝いやらをやってもらってるのよぅ」


 と、お加奈が嬉しそうにそう説明してくれた。


「でもねぇ、最近では早速真似して、似た様なのを、ウチよりも安く売り出してる古着屋もあるのよぅ。だからねぇ、私も色々考えて柄を変えたり、何かと工夫をしなきゃと思ってねぇ。一度みそのちゃんに、見てもらおうと思っていた所なのよう」


 お加奈はそう言って立ち上がると、奥の作業場へ何かを取りに行った。



「あらぁ〜! 素敵じゃないですか、お加奈さ〜ん」


 お加奈は作業場から数枚の着物を持って来ると、みそのに見せてくれた。

 柄が立体的になっていたり、小さな鈴がついていたりと、随所に工夫が施され、しかもどれもとても可愛い着物に仕上がっている。

 改めてお加奈の才能を垣間見たみそのは、


「お加奈さん、あなたは本当に凄いわよ! どんなに真似されようが、お加奈さんに敵う人なんていないわっ!」


 と、大絶賛してお加奈を大いに照れさせた。

 お加奈は本当にこの仕事が向いているらしく、みそのの思っていた以上の、可愛らしい着物が沢山出来上がっている。


「お加奈さんは本当に凄いわねぇ」


 みそのはもう一度言って感心した。

 そして一刻程お加奈とあれこれ話し、仕入れから帰って来た甚右衛門にもお礼を言うと、みそのはお店を後にする事にした。

 また甚平が物欲しそうにこちらを見ながら、客あしらいをしていているので、みそのは声をかけるかわりに、目顔で『じゃあね』と挨拶して歩き出す。

 そして、このお店は、江戸でも一、二の古着屋になるのだろうと想像して、とても充実した気持ちになり、気持ち良く家路につくのだった。



 *



 みそのがほんの数町歩いていると、向こうから、後ろにひょろっと背の高い男を従えた小柄な男と、立派な体躯の黒羽織りの男が、何やら話しながら歩いて来るのが見えた。

 すぐに広太こうたを従えた智蔵ともぞう親分と、永岡だと分かったが、何やらみそのは、永岡と会うのが気まずい気持ちになっている。

 数日前の夜に、人知れない仲になってしまったからだ。とは言っても永岡の与り知らない所の話しで、みそのしか知らないことなのだが。


「おぅ、おめぇじゃねぇかぇ?」


「ご無沙汰しておりやす」


 二人はみそのに気付くと声をかけて来て、広太は後ろでぺこんと首を振った。


「おめぇって旦那、私には『みその』と言う立派な名前があるんですがっ!」


 みそのは挨拶をしてから、口を尖らせて文句を言う。


「悪りぃ、悪りぃ、『みその』だったな。おめぇ名前なめぇは」


 永岡は意外に素直に訂正して、みそのの名前を口にする。


「そんで、おめぇ…じゃ無くて、みそのは何してんでぇ?」


「あ、はい、今日はお加奈さんにお呼ばれましてねぇ。甚右衛門さんのお店に、遊びに行って来たところなんですよう」


 いざ永岡に名前で呼ばれると、ドキドキしてしまって、みそのは顔が熱くなって来た。


「そうかぇ。ま、あそこも今じゃおカミさん様々だからなぁ。ちっとばかし遊んでても、甚右衛門は文句も言えねぇわな。ましてや相手がみそのとあっちゃな。ははっ、しっかし、みそのも遊んで暮らせていいご身分だなぁ。本当羨ましいぜぇ」


 永岡はニヤニヤしていいるだけで、ちょとも羨ましそうではない。


「みそのさん、大丈夫でぇじょうぶでごぜぇやすかい?」


「何がです? 親分さん」


 急に智蔵が心配そうに言って来たので、みそのはキョトンとして聞き返す。


「熱でもお有りなんでござんしょう。顔が少し赤こうごぜぇやすぜぃ?」


 本当に心配そうに言って、何処かで休む様に促す。


「そ、そうですか? す、少し熱っぽい気はしたんですが…。もう帰るだけですので、このまま早く帰って寝る事にしますよ…」


 永岡に名前を呼ばれた事で、数日前の夜を思い出し、顔が赤く火照っていた様だ。


「よく見りゃぁ、そうだな。顔があけぇや。みその、無理しねぇで休んで行きねぇ」


 永岡がみそのの顔を覗き込んで言うと、永岡の意を受けた智蔵が、


「おぅ、広太、先にあの茶店へ話し通しとけ」


 と、抜かりなく広太に指図すると、小気味よく広太も、


「へい合点でぇ」


 と、すっ飛んで行く。

 智蔵は広太がすっ飛んで行くのを見送ると、永岡に向き直った。


「そいじゃぁ、丁度喉も渇ぇたところでやすし。あっしらの話しも、茶ぁ飲みながらにしやしょうかぇ?」


「おぅ、そうだな。いいかんげぇだ。ほら、みその、あの茶店で休むぜぇ」


 智蔵と遣りとりした永岡は、ついて来いと言った感じにみそのへ首を振った。

 みそのは、また名前を呼ばれたからか、顔を赤らめてコクリと頷きついて行く。


 茶店に入ると店の親父が、親切に奥の座敷に案内してくれ、横になる様に勧めてくれる。

 みそのは熱などないのだが、横にならない訳にも行かず、素直に横になって休む事になったのだ。


「助かったぜ、親父」


 永岡は店の親父に声をかけると、


「オイラは智蔵と話しがあるんで、外で茶ぁ飲んでっから、ちっとばかし休んでいねぇ」


 横になるみそのに、そう言って永岡は部屋を出て行った。

 妙にみそのの耳には、その声が優しく聞こえて来る。


「惚れちまうだろぅ。まったく…」


 みそのは小さく呟いて目を閉じた。



 *



「あっ」


 みそのは思わず声を出して飛び起きる。

 目をつぶって横になっていたら、どうやら本当に寝入ってしまったらしい。


「どのくらい寝ちゃったのかしら…」


 全く時間の感覚がつかめない。しかし、外は薄っすらと暗くなっているようにも感じる。

 こんな時に時計があるといいのだけれど、と思いながら部屋を出て、店へと出てみると、永岡はまだそこに居て、智蔵の代わりに、年配の黒羽織りの男と話していた。


「じゃあ、ただの辻斬りじゃなく、抜け荷が絡んでるって言うんですかぃ?」


 永岡が少し驚いた様に言うのが聞こえた。


「声が大きいぞ永岡」


 年配の男はそう言って、みそのが出て来た事に気づいて、話しを止めると、永岡に首を振ってそれを知らせた。


「おぅ、ずいぶんと顔色が良くなったじゃねぇかぇ?」


「おかげさまで、本当に大分気分も良くなって来ました。ありがとうございました」


 永岡に声をかけられたみそのは、深々と頭を下げる。


「そりゃ気分も良くなるわな、二刻程眠ってたんだぜぇ。鼾も凄くてよぉ、ここの親父も苦い顔してたぜぇ?」


 永岡がニヤニヤしながらみそのを見てくる。


「そ、そうなんですか…」


 みそのが顔を覆い、小さくなるのを見た永岡は笑い出す。


「鼾は尾ひれでぇ、心配しんぺぇすんねぇ。でも二刻程眠ってたってぇのはぁ本当だぜぇ」


 みそのは、ホッとした様なムッとした様な、微妙な顔になったが、隣で微笑している年配の男を気にして、何も言い返さなかった。

 それを察して永岡は男を振り返る。


「こちらはオイラの先輩の新田さんだ」


「おめぇも挨拶しろぃ」


 新田が軽く頭を下げて挨拶すると、永岡はみそのに、そう言い足した。


「みそのです。どうぞお見知り置きを」


 新田に深々と頭を下げる。


 良く見ると、新田は意外と若そうだ。肌艶も良く、凛々しい眉毛に、大きな二重瞼が如何にも力強く、ギラギラした若さを感じさせる。ただ骨と皮のみで出来ているのではと、見紛える程の瘦せぎすで、綺麗に剃られた月代に、細い髷がちょこんと、申し訳程度に乗るしか出来ない髪の毛の薄さが、新田をより老けさせて見せていた。

 みそのが最初、かなりの年寄りかと思ったのはそのせいらしい。近くで見ると意外と同じくらいの歳かも知れない。


「永岡、娘さんを送ってやれや」


「はぁ」


「はぁじゃねぇだろ、はぁじゃ。おめぇ二刻もここで待ってたんだろうが」


「いや、大事でぇじな話しの途中ですし、あいつぁ元気も出て来た訳ですし」


心配しんぺぇだから、待ってたんだろが。被害者になってからじゃおせぇだろう? おめぇもそのつもりなんだろうから、話しは奉行所へもどってからすれば良い。良いから送ってやれや」


「はぁ、わかりました…」


 永岡と新田のやり取りを聞いて、みそのは何か大変な事が起こってるのだと、察するとともに、永岡が自分を心配してくれている事に、無性に嬉しくなった。

 二刻と言うとおよそ四時間だ。四時間も眠ってしまっていたのにも驚いたが、何だか心の底が、じんわりと暖められた様な心地になって、涙が出そうになるのを必死に堪えた。



「本当にすっかりお世話になってしまって…」


 先輩同心の新田が、探索を続けると言って出て行くのを、みそのは永岡と一緒に店先で見送ると、永岡に神妙に御礼を言う。

 それが照れくさいのか、永岡は店の親父に声をかけ、心付けの小粒を長椅子の上に置くと、さっさと黙って先に歩き出していた。

 みそのはその後について行くのだが、黙々と歩く永岡の脚は大柄なせいか、思いの外早く、みそのは少し小走りになって、必死について行ってる。そしてみそのは、永岡は何かを考えているのか、少し怒っている様にも思えて、なかなか声をかけられずに、口をもごつかせていたのだ。


「ん?」


 やっと気がついた様に、永岡がみそのに振り返り脚を緩めた。


「今日はありがとうございました。でも旦那ぁ、もう少しゆっくりと歩いてくださいよう」


 もうついて行けないとの、困った表情でみそのが言うと、


「あ、悪りぃ悪りぃ。ちぃとばかしかんげぇ事をしてたわ。そうだったな、オイラぁおめぇを送っていたんだな。病人に悪りぃ事したな?」


 永岡はすまなそうに言って、今度はゆっくりと、みそのの脚に合わせて歩いてくれた。


「でも、すっかり良さそうじゃねぇかぇ?」


 みそのは元々病人でもなんでもなかったので、心苦しく申し訳なさそうに永岡を見ると、


「旦那のおかげで、もうすっかりと元気になりましたよ…」


 と、困惑しながらも笑って見せたが、永岡はその顔を見て、まだ具合が良くないと誤解したらしく、


「あんまり無理するねぇ。駕籠でも拾うかぇ?」


 と、みそのを気遣い、益々みそのは心苦しく罪悪感を感じる。


「い、いいんですよぉ。そんな駕籠なんて勿体無い」


 顔を赤らめたみそのは、慌てて遠慮する。


「本当に大丈夫なんですから、永岡の旦那さえゆっくり歩いてくれたら、私は歩いている方が気分が良いんですよ?」


 努めてみそのが明るく言うと、永岡はみそのの顔を覗き込む。


「ま、たしかに気分は良さそうだなぁ。だからと言って無理するするんじゃねぇぜ。ま、あれだぜ、また水溜りを作られたんじゃ堪んねぇから、おぶるのは御免だぜぃ?」


 永岡は悪戯っぽく言うと少し脚を早めた。


「一言多いんですよ、旦那はぁ。ちょ、ちょっと早いですってぇ」


 みそのは脚を緩めた永岡に追いつくと、先ほど茶店で別れた新田の事を聞いてみた。


「新田さんかぇ? あの人はあぁ見えて、こっちの方も中々なお方だぜぇ」


 永岡がチャンバラの格好をしたが、永岡がすると本当に刀を持っている様に見える。


「オイラは見習ぇの時にゃ、新田さんについてたんでぇ。そんで今でも可愛がってくれてんのさぁ。今日は探索で偶々、オイラの廻りの内まで来ることになったみてぇでな。さっきは偶然オイラを見かけたってぇ寸法でぇ」


 永岡は嬉しそうに語っている。

 そしてみそのが気にかかっていた事を聞いてみると、


「ん、 歳か? 確かぁ。四十手前くれぇじゃなかったかなぁ」


 みそのは驚いたが、やっぱりとの思いもあり、複雑な心境になる。


「意外にお若いのですねぇ」


 みそのは薄々気づいていた事を、思わず口にしていた。


「まぁ、新田さんも気にしてるみてぇだが、あんだけ痩せてて頭があれじゃなぁ。もっと年寄りに見えたってぇんだろぃ?」


 永岡がニヤニヤしながらみそのを見て言うと、


「四十って言やぁ、じいさんって言われてもおかしかぁねぇが、新田さんはあぁ見えて本当に遣い手で、てぇしたもんなんだぜ?」


 と、続けて、また刀を振り回す格好をする。

 みそのは『四十でじいさんって』と、複雑な心境になって黙ってしまった。何せみそのもアラフォーだ。


「ん、どうしてぇ。急に黙りやがって、大丈夫でぇじょうぶかぇ?」


 少し沈黙が続いてると、永岡がみそのを気にしてくれた。


「い、いえ、さっき旦那が抜け荷がどうとか言って、驚きながら話してたのを思い出しまして…」


 みそのは話しの矛先を変えたくて、思いついた事を言っていた。


「あぁ、あれか。聞いてたかぇ?」


 みそのが頷くと、永岡は苦い顔をしながら話してくれた。


「最近、わけぇ娘が神隠しにあってる噂を、おめぇも知ってるな?」


 みそのはあまり知らなかったが、なんとなく頷く。


「まぁ、オイラは信じねぇが、最初は神隠しって言われてた事件なんだがな。そんな神隠しみてぇなこたぁ、そうそう続くもんじゃねぇし、娘がみんな器量良しってぇのも、引っかかるのさぁ。大概はそのまま、神隠しの仕業にされちまうんだが、やはり娘の神隠しがこうも続くと、お上も動かねぇ訳にゃ、行かなくなったってぇ訳で、オイラ達町方も、調べに走りめえってるってぇ寸法なのさ。そんな折に新田さんの手下が、探索中に斬られちまってなぁ。ところがこれは辻斬りの仕業だってぇ事で、片付けられちまったんだが、新田さんは自分の大事でぇじな手下なだけに、引っかかる所もあったみてぇで、その後も独自に探索を続けてたってぇ訳なんでぇ。そんで、その調べを進める内に、抜け荷が絡んで来てそうだってぇ話しに、行きついたんでぇ」


 永岡は語り終えると、


「あっ、これはぁ人に言うんじゃねぇぜぇ?」


 と、喋りすぎたと思ったのか、急いでみそのに釘を刺した。


「そんな事があったんですかぁ。旦那、私絶対に人に言いませんから大丈夫ですよ」


「まぁ、そのうちぁ瓦版にでも出て、一気に知れ渡っちまうんだろうけどなぁ」


 永岡はそれまででもいいから黙ってろとばかり、目顔で釘を刺した。


「そんな大変な時に、本当すみませんねぇ…」


 みそのは恐縮して言うと、永岡は面白そうに、悪戯っぽい目を向けて来る。


「新田さんはおめぇの事を、心配しんぺぇしてくれていたみてぇだが、器量良しってぇ言っても、みんな十五、六のわけぇ娘だけだからなぁ、おめぇ心配しんぺぇいらねぇさな?」


 そして永岡はみそのを覗き混んでニヤニヤ笑った。


「知りませんっ」


 みそのはプリプリと、脚を早めて先に行こうとしたが、難なく永岡は歩調を合わせて続ける。


「まぁ、ぇ訳でもぇんだろし、おめぇも気ぃつけるこったな? ま、暗くなったりも然り、とにかく怪しげな所には出歩かねぇこった。分かったな?」


 最後は永岡が少し真剣に言って来たので、みそのも神妙に頷いた。


 そんな話しをしていると、みそのの仕舞屋が見えて来た。

 なんだか名残惜しくなって来た様に、無意識にみそのはゆっくりと歩く。


「今日は本当にありがとうございました。旦那、折角なんでお茶でも飲んで言ってくださいよ」


 みそのはいつの間にか誘っていた。


「おぅ、何でもねぇやな。ま、きっと新田さんもまだ奉行所には、戻っていねぇ頃合いだろうし、おめぇんとこの美味うめぇ茶でも、馳走になって行くのも悪かぁねぇな。そんじゃ、頼むぜぇ」


 永岡は意外にもあっさり承諾した。

 みそのもてっきり、永岡は奉行所へ急ぐと思っていたので、「残念ですねぇ」との言葉を用意していたのだが、肩透かしにあった様になりながらも、心が躍るのだった。


「ちょいと待っててくださいねぇ、旦那っ」


 お茶の用意をしながら永岡に声をかける、今日はいつもの上り框ではなく、客間に永岡を待たせている。


「とは言っても、そうゆっくりもしてられねぇんでぇ」


 少し永岡はそわそわしている様にも見える。


「急がば回れって、言うじゃありませんかぁ。それに命の恩人を、無下に出来ないじゃぁありませんか」


 みそのはお茶の用意が出来ると、そう言いながら部屋に入って来た。


「回るのがオイラの仕事だってぇのさぁ。おめぇに言われたかねぇやぃ。それに命の恩人なんてぇのも大袈裟なんでぇ」


「あぢっ」


 湯呑みを奪う様に取って、急いで飲んだものだから、お茶を吹き出してしまった永岡は、慌てて立ち上がると、手拭いを持って駆け寄ったみそのと、二人もつれる様になり、みそのが上になって倒れてしまった。

 お茶は畳にぶちまけられたが、二人にはかかっていない。

 永岡がみそのにお茶がかからない様に、気を使ったおかげだが、そのせいで倒れてしまった事をみそのは知らない。


「ご、ごめんなさいね旦那」


 みそのは小さな声で言ったが、なかなか動こうとしない。


「お、おぅ、で、大丈夫でぇじょうぶだったかぇ?」


 永岡も怒ったりせずに心配そうな声で言う。

 みそのは、そのまま永岡に身体を預ける様にして、目を閉じた時、永岡の腕もみそのの身体をゆっくりと、圧迫する様に抱きしめて来た。



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