「視界の駆け引き」<エンドリア物語外伝76>
「この箱の封印を解いて欲しいのです」
カウンターに乗せられたのは、5センチ四方の正方形の箱。
色は黒。材質不明。光沢があり艶々としている。
「当店は古魔法道具店です。封印の解除をご希望でしたら、魔法協会の方に行くことをお勧めします」
オレの言葉に、箱を持ち込んだ女性のアイスグリーンの瞳が揺れた。
年は50歳前後。白髪の混じった長い金髪を後ろのまとめている。レースのついた絹のドレス。薄手のコートも絹の上物だ。だが、どちらも使い古されており、袖口はすり切れている。零落した大家の奥様といった風情だ。
「その………」
ためらったあと、小声で言った。
「有料なので………」
思い出した。
魔法協会では封印の解除は鑑定など、魔法に関することならば大抵のことは引き受けてくれる。ただし、料金は『嘘だろ!』と言いたくなるほど高い。
女性は祈るように指を組んだ。
「売るつもりはあるのです。中の物がわからないので、それで………」
古魔法道具店では、買い取りする商品の鑑定は店の方で行う。そのシステムを利用して、封印を解こうとしているようだ。
箱を持ち上げてみた。
封印の種類は星の数ほどあるが、ほとんどの場合、箱の直接書くタイプと封印の紙を貼るタイプの2種類だ。箱の表面はツルリとしており、何も書かれていない。紙も貼られていない。
蓋と本体の境にあるはずの切れ目が、目を凝らしても見つけられない。
「この箱を当店より前に別のお店に持ち込まれましたか?」
女性がうなずいた。
「私の国の古魔法道具店に持ち込みましたが、持ち込んだ3件とも鑑定が出来ないからと買い取りを断られました」
絹のドレスから、貧乏国エンドリアの国民ではないと予想ついていたが、他国とはいえ3件も断られるとなると、かなりの難物らしい。
ムーに鑑定を頼むか、シュデルに頼むか。
ムーなら鑑定できるかもしれないが、中身によっては事件を引き起こすかもしれない。【ムーが吹っ飛んだ】とか【ムーが消失した】とかは大歓迎だが、オレが巻き込まれるのは非常に困る。魔法協会に未提出の始末書が、いま食堂に山積みになっている。シュデルに手伝ってもらって片づけているが頑張っても今週中には終わりそうもない。
これ以上、絶対に増やしたくない。
シュデルは鑑定の能力は、ベテランの古魔法道具店の店主並だ。だが、3件も断れた難物となると、箱に記憶がついているか、箱が魔法道具で自身の影響下におけるかしないと、さすがに厳しい。
どちらを呼ぶか。
まだ、考えている途中だというのに、奥の扉が開いてシュデルが姿を表した。
「店長、この始末書ですが………これは失礼しました。ようこそ、いらっしゃいました」
始末書片手に、優雅にお辞儀した。
顔を上げたシュデルは、客の女性を10秒ほど凝視した。身を翻して、奥にいくと1分も経たずに戻ってきた。
手には、やけに重たそうな金袋。
「奥様、金貨20枚です。この箱の買い取り金額です。いかがでしょうか?」
女性が驚愕した。
「あの…………」
オレを見た。
金貨20枚。
オレの血と汗の結晶。
心の中で血の涙を流しながら、オレは笑顔を作った。
「金額にご不満がなければ、当店で買い取りますが」
女性は涙を浮かべて、シュデルから金貨を受け取った。しっかりと抱きしめた。
数秒、そうしたあと、オレとシュデルに深々とおじぎをして、店を出ていった。
オレは女性が出て行った扉を見つめたまま、シュデルに聞いた。
「その箱、何の効果だ?」
「わかりません」
思わず、シュデルの顔を見た。
女性がでていった扉を懐かしそうに見ている。
「いま、なんて言った?」
「お客様が母上………ロラム王国のジョセフィン妃によく似ていらしたのです」
「それで金貨20枚で買ったと?」
「お客様のご子息が重い病気になり、お金が必要でした。金貨20枚あれば完治するまでの薬代と生活費が賄えるはずです」
「それで金貨20枚を渡したと?」
「はい」
シュデルが満足そうにうなずいた。
「箱の価値はわからないんだな?」
「はい」
「銅貨1枚もないかもしれないんだな?」
「はい」
「そうか………歯を食いしばれ」
「はい?」
「シュデルゥーーー!」
オレの渾身の力を込めた必殺パンチは、ラッチの剣と魔法鎖のモルデによって阻止された。
「面白いしゅ~」
上機嫌のムーが魔法陣を書いている。店舗のテーブルに紙を広げられた紙に、複雑な模様を次々描いている。
「何枚目だ?」
「28枚目です」
オレの問いに、シュデルが答えた。
「できたしゅ」
完成した封印解除の魔法陣の中心に箱を乗せると、紙はすぐに炎に包まれた。
「つぎ、いくしゅ」
ムーがカウンターの下から紙を取り出した。
「諦めたほうがよくないか?」
焦げた紙がテーブルの周りに散乱している。
「そうです。紙も無料じゃありません」
シュデルが小声で言った。
同情で高額買い取りをしたことをラッチの剣にたしなめられたらしい。ラッチの剣がシュデルに諫言することなど滅多にないことだけに、反省して小さくなっている。
「楽しいだしゅ~」
歌でも歌い出しそうな上機嫌で、新しい紙をテーブルに広げた。
ムーが魔法陣を間違えることは滅多にない。28回も失敗することが異常だ。
それだけじゃない。
何かが引っかかっているが、それの正体がわからない。
シュデルが窓の外に目を向けた。
ジョセフィン妃に似ていると言っていた、先ほどの女性を思い出しているのだろう。
「そうか」
オレは前にジョセフィン妃を見ている。年齢は同じくらいだが、他に似ているところはない。床の隙間からみたから断定できないが、髪も目も暗い色に見えた。
「シュデル、さっきの女性客の髪は何色に見えた?」
「ジョセフィン妃と同じ黒です」
「オレには金髪に見えた」
「光の関係ではないでしょうか」
「白髪交じりの淡い金髪だ」
「僕が見間違えたのでしょうか」
オレは考えているシュデルをそのままにして、ムーに呼んだ。
「ムー!」
魔法陣を書いているテーブルの端に箱は置かれている。
「箱は何色だ?模様は見えるか?」
「茶色のだしゅ。これは模様じゃなくて、文様だしゅ」
「どんな文様だ?」
ムーがいらだたしげに言った。
「見てわからないしゅか?」
「オレには見えない」
魔法陣を書いていたムーの手が止まった。
端に置かれた箱に、顔を向けた。
「…………ウィルしゃん」
「真っ黒で模様はない。蓋と箱本体の境目もわからない」
数秒後、ムーが言った。
「…………困ったしゅ」
「どっちだ?」
オレかムーの、どちらかが箱に嘘を見せらされている。いや、両方とも嘘を見せられているのかもしれない。そうなると、対処のしようがない。
だが、オレとムーの決定的な違い、魔力がないことでオレが箱の干渉からのがれていて、正確な映像を見ているのあれば、対処方法があるかもしれない。
「…………わからないしゅ」
「僕の魔法道具で………」
「ダメだろ」
「できないしゅ」
「どうしてですか?」
「もし、魔力のないオレの見ている物が本物なら、魔法が関わっている魔法道具が正しく動くと言い切れるか?」
「みんなで偽物を見ていたら、もっとわからなくなるしゅ」
シュデルの能力を過信していたのだ。道具についている記憶はシュデルにしか見えない。だから、人も道具もシュデルが見る記憶を作り出すことは出来ない。
シュデルは騙されることはないと信じていた。まさか、記憶はそのままに、視覚をいじる魔法道具があるとは思わなかったのだ。
もっと用心するべきだったのだ。
オレはカウンターから出て、ドアに向かってゆっくりと歩き始めた。
「しかたない。オレはロイドさんに箱の能力を封じる魔法陣か護符を頼んでくる」
「止まってください」
「攻撃するしゅ」
シュデルの氷の声。
ムーの本気が伝わってくる。
オレは足を止めた。
「店長、逃げる気ですね」
「違うだろ。オレはお前達を助けるために………」
ドスッ!
ラッチの剣が飛んできて、オレの頬をかすめて壁に刺さった。
冷や汗がこめかみを伝う。
「ムーさんの書いた魔法陣が27枚も燃えました。ムーさんの視覚が狂わされているなら、魔術師である僕の視覚も狂わされると考えるのが自然です。ムーさんと僕の見ているものが真実ではないとなると、ムーさんと僕が動くのは非常に危険です」
「だから、オレが箱の能力を押さえる………」
バズッ!
床に穴が空いた。
「ムー、やめろ!魔力の調節が苦手…………どういうことだ」
ムーの魔力ではあり得ない小さい穴だ。
「ボクしゃんじゃないしゅ」
「すみません。僕がやったようです」
シュデルが自分の手を見て、呆然としている。
「ネクロマンサー以外の魔法も使えたのか?」
「違うしゅ。魔力をぶつけただけしゅ」
「巨大なゴキブリいたので…………」
とっさに、魔力を放出したらしい。
「よく、こんなに小さな穴を開けられたな」
ムーが魔力を放出すると、この町が吹っ飛ぶと聞いたことがある。
「僕はムーさんと違い、魔力の調節ができます。極わずか、粉のレベルで当てただけです」
「ボクしゃんだって、できるしゅ!」
「喧嘩は後にしろ!」
怒鳴ったオレは、さりげなくドアのノブを握った。
ドスッ!
足下に穴が空いた。
振り向いて怒鳴った。
「店を壊す気か!」
「逃がしません」
シュデルの目が据わっている。
「オレはお前達を助けるために………」
「店長は、視覚が狂わされた僕たちを危険だと判断して、逃げる気ですよね?」
「何を言っているんだ」
後ろ手にノブをゆっくりと回す。
「ウィルしゃん」
ムーの印を結んだ指が、オレの方向を向いていた。
オレは逃亡を諦めた。
「オレが外部から助けを呼ばなければ、どうにもならないだろ!」
オレに魔法の知識はない。
ムーとシュデルが視覚を狂わされているとなると、箱の能力を押さえ込む方法がない。
「方法はあるしゅ」
「あります」
「あるなら、言ってみろよ!」
ムーがテーブルの上の置いた紙を指した。
「ウィルしゃんが書くしゅ」
「オレが?何を?」
シュデルが微笑んだ。
「魔法陣に決まっているじゃないですか」
「はぁ?お前ら、オレの魔法知識を知っているのか?入門編も最初の数ページしか読んでないなんだぞ」
「本を見ながら書くしゅ」
「無理をいうなよ」
「本に見本の魔法陣が書かれているしゅ。それを写せば………しもたしゅ」
ムーも気がついたようだ。
魔法に関係する本に使われる文字をオレは読むことができない。
見本の魔法陣があれば、写すことはできる。だが、文字をオレは読めないから封印の魔法陣がどれなのか、正しい魔法陣を教えてもらわないといけない。ムーとシュデルは視覚が狂わされている。オレに正しい魔法陣を教えてくれる人間は、桃海亭にはいないことになる。
「ほらな。オレが今からロイドさんの店に行って、能力を封印する魔法陣を書いてもらって………」
ムーが指で印を結んだ。
「待て!」
「わかりました。店長に能力を封印する魔法陣を思い出してお願いするしかないようですね」
「オレが覚えているはずないだろ!」
「桃海亭で最も多く書かれる魔法陣です。簡易版で結構です。書いてください」
シュデルがカウンターの下から紙を取り出した。
持ち込まれた魔法道具が危険な能力を持つ道具の場合は能力を封じる。売り物だから目立たないように封印の札を貼るが、緊急時は能力を封じる魔法陣の紙に乗せて一時しのぎをする。
能力を封じる魔法陣をよく目にしているのは事実だが、正確に書けるかと言えばオレにはムリだ。知っている文字ならば何かに意味づけして記憶できるが、書かれている記号も文字もわからないのだから、全体をひとつのデザインとしてしかとらえていない。記号の正確な形も場所もわからない。
「オレには書けない」
「能力を封じる魔法陣は特殊な魔法文字は使いません。思い出せば書けます」
「よくある魔法文字も、特殊な魔法文字も、オレに見分けがつかないことをわかっているのか」
ムーがオレに木炭に紐を巻いた物を手渡した。
「これなら書きやすいしゅ」
「だから」
ムーが紙を指さした。
オレはしかたなく、思い出しながら書いた。
「二重丸だったよな」
魔法陣の基本形を書く。
「店長、本気になれば、きちんとした絵が書けるんですね」
シュデルが感激したような声を出した。
「バッチしゅ」
ムーが絵を見てうなずいている。
オレの書いた二重丸。
赤いゴーレム事件の時、ムーに『目医者に行くしゅ』と言われた画力だ。あれから数ヶ月しか経っていないのに、いきなり画力があがるはずがない。
線はヨタヨタと蛇行しており、見事な楕円形だ。
2本ある線は太陽を回る彗星並に、勝手な軌道を描いている。
「店長、次は記号です。覚えていますか?」
「簡易版なら12個ですむしゅ」
最初の記号。
試しにグルグル渦巻きを書いてみた。
「あっています」
「OKしゅ」
次は太陽のマークを書いてみた。
「その調子です」
「はいだしゅ」
面倒くさくなったのでキケール商店街の店を思い出しながら、端から関係ありそうな物を書いてみた。
最初はイルマさんの喫茶店だから、大きな半円に小さな半円をつけてコーヒーカップ。次は果物屋だから丸に線を一本付けてリンゴ。
あっという間に記号は12個そろった。
「これに乗せるだけです」
「置くしゅ」
オレは箱を手に取った。
そして、テーブルの紙の上に持って行った。
そっと、置く、ふりをして、横に投げた。
ガシャン!
窓が割れ、箱が外に出て行った。
「書け!能力を封じる魔法陣を書け!」
オレが急かすと、シュデルがカウンターから紙を持ってきて、ムーが木炭で素早く書いた。それを持ってオレは外に行き、パン屋との境に落ちていた箱を拾って乗せた。
割れたガラスから店内の声が聞こえてきた。
「なんですか、この魔法陣!」
「魔法陣じゃないしゅ。落書きしゅ」
「店長、絵が下手すぎます」
「絵じゃないしゅ。手が痙攣しただけしゅ」
書けといわれたから、頑張って書いた魔法陣。
紙に乗った箱を、オレはジッと眺めた。
「店長、箱はどこにあるのですか?」
「預けてある」
「持ってくるしゅ。ボクしゃんが蓋を開けてあげるしゅ」
「今は必要ない」
オレを見るシュデルとムーの目に、困惑が見える。
あの箱がある限り、いつ視界が狂わされるかわからない。
「僕の影響がありませんから、桃海亭で売るのはどうですか?」
「考えておく」
能力を封じる紙に乗せたまま、オレはロイドさんの店に向かった。箱をロイドさんの店の近くにある魚屋のノックスさんに預け、ロイドさんに能力を封印する護符を作ってもらい、ノックスさんから預けた箱を受け取り、箱に貼った。その次にニダウ警備隊の詰め所に行った。アーロン隊長に頼んで地下にある特殊結界が幾重に張られた牢屋の奥の収納庫に納めてもらった。最初は置くことを渋ったアーロン隊長だが【ムーの暴走を止める特殊アイテム】と説明すると笑顔で『置いてやる』と言ってくれた。
「ウィルしゃん。ボクしゃんあの箱欲しいしゅ」
ムーが目をキラキラさせた。
「僕もあると嬉しいです」
シュデルが顔をほころばせた。
「オレはいらないなあ」
オレは窓の外をみあげた。
青い空に白い雲がよく似合う。
背中に2人の視線を感じながら、オレは青い空を眺め続けた。