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酸いも甘いも噛み分けて  作者: 篠原 皐月


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85/128

(85)予想外の告白と乱入

 騒動の翌日、出社した沙織を待ち構えていたのは、これまで以上に好奇心に満ちた視線と、それ以上に非難を含んだ視線だった。

「ほら……、あの人よ」

「昨日、エントランスで……」

「えぇ? そんな事が?」

 そんな囁き声が耳に入る毎に、沙織の機嫌が微妙に悪くなる。


(朝から他人の噂話に、花を咲かせてるんじゃないわよ)

 しかし沙織は、今日が一連の出来事の仕上げの日だと自分自身に言い聞かせながら、傍目には平然と職場へ向かった。


「おはようございます」

「…………」

 そんな彼女が営業二課がある部屋に入り、いつも通りに挨拶をした途端室内が静まり返り、その空気が緊張をはらんだ物に変化した。そして一瞬遅れて、あちこちから声がかかる。


「お、おはよう、関本」

「今日も早いな」

「皆さんも、いつもより早くありませんか? もう殆ど全員、揃っているみたいですし」

「そっ、そうだな……」

「偶々だ、偶々」

「こんな日もあるさ」

「……そうですね」

 周りを見回しながら沙織が何気なく口にすると、弁解がましい声が返ってきた事で、沙織は溜め息を吐きたくなった。


(何も吉村さん相手に暴れるつもりは無いのに、揃いも揃ってそんなに怯えたり警戒しなくても良いじゃ無いですか)

 沙織が自分の席で、うんざりしながら仕事の準備を始めていると、友之と吉村が連れ立ってやって来る。


「関本、ちょっと良いか?」

「はい、課長。何でしょうか?」

 何の話かは当然分かってはいたが、座ったまま不思議そうに見上げた沙織に、友之は慎重に声をかけた。


「その……、昨日、一之瀬社長が来社した時に遭遇した筈だが、その時に例の社内報の記事を載せたのは誰だったのかは聞いたか?」

「え? ……ああ、そう言えば、誰かは聞いていませんね。証拠を掴んだから社員を訴えるとか和洋さんがふざけた事を喚いていたので、叱り付けて追い返して以降、全て着信拒否にしていましたし」

「……やっぱり鬼だ」

「佐々木君、何か言った?」

「いえ、何も」

 素っ気なく答えた沙織の背後で、佐々木がぼそっと呟く。そんな彼を一睨みしてから、沙織は再び友之に向き直った。


「実はそれに、吉村が関わっていたんだ。それで、関本にきちんと詫びを入れたいそうだ」

「関本、今回は本当にすまなかった。この間、自分にあった偏見や誤解を正して、全面的に非を認める。あんな騒動を引き起こして、本当に申し訳なかった」

 これまで一歩下がっていた吉村が、友之の隣に並んで謝罪した上で、彼女に向かって深々と頭を下げた。しかし沙織はそれに対して感銘を受けた様子が無いまま、淡々と問い返す。


「はぁ、あれは吉村さんでしたか……。ですが何ヵ月か前に入社したばかりの人が、社内報の管理システムにおいそれとアクセスできるとは思えませんけど?」

「その……、それはだな……」

「まあ、誰でも良いです。その誰かさんには、また馬鹿な事はするなと言っておいてください。じゃあ、そう言う事で」

「……え?」

 さすがに人目があるところで田宮の名前を出して良いものか、咄嗟に判断が付かなかった吉村は口ごもったが、そこで沙織があっさり話を終わらせてしまった為、困惑した。周囲も同様であり互いに顔を見合わせる中、吉村が恐る恐る声をかける。


「あの……、関本?」

「何ですか、吉村さん。次は何の話ですか?」

「いや、次って……。その……、怒って無いのか?」

「怒る? さっきの事についてですか?」

「そうだが……」

 そこで沙織は一瞬変な顔をしてから、大真面目に言い切った。


「単に仕事に全く関係無い事で、馬鹿が馬鹿な話を真に受けて、馬鹿騒ぎしていただけじゃ無いですか。仕事に全く影響が無かったのに、怒る必要があるんですか?」

「…………」

 再び室内が静まり返ったが、ここで佐々木が口を挟んでくる。


「それなら先輩。万が一、仕事に影響が出ていたらどうしたんですか?」

「馬鹿な噂も馬鹿な奴も、纏めて全力で潰すだけよ」

「……やっぱり鬼だ」

「さっきから何なの、佐々木君。喧嘩を売ってるわけ?」

「惚れた」

「はい?」

「吉村?」

 佐々木の呻き声に沙織が不愉快そうに言い返すと、それに吉村の声が重なった。何を言われたのか良く分からなかった沙織は勿論、唐突過ぎて理解が追い付かなかった友之も不思議そうに吉村に視線を向けると、彼は真正面から沙織を見据えながら告げる。


「女には珍しい位の竹を割ったような潔さと、若さに似合わず他人の過ちをあっさり許せる懐の深さに惚れた。今はフリーと聞いていたし、俺と付き合ってくれ」

「…………」

 その告白で室内が三度みたび静まり返り、沙織と友之の顔が引き攣った。


(どこまで間が悪いのこの人! よりにもよって職場で、しかも友之さんの前で何ほざいてんの!? 取り敢えず友之さんを余計に怒らせないように、何とかこの場をさっさと終わらせないと!)

(ほぅう? 夫の前で妻を口説くとは、いい度胸をしているな。確かに俺達の関係は知らないだろうが、何か適当な、殴る理由は無いものか)

 友之がかなり物騒な事を考え始めた目の前で、沙織は内心相当焦りながらも、傍目には冷静に吉村に言い返した。


「生憎と私、自分より能力の無い人と付き合うつもりは無いので」

「それなら昔付き合ってたって言う、ダメンズとかは何なんだ?」

「…………」

 吉村は本当に何気無く尋ねたのだが、それで友之の機嫌が確実に悪化したのを見てとった沙織は、少々焦りながら弁解した。


「当時は偶々、自分とは違ったタイプが面白いとか錯覚してたんですよ! 人の黒歴史を、ほじくり返さないで貰えますか!?」

「それは悪かった。じゃあ取り敢えず、関本より営業成績を上げて能力があると証明できれば、俺と付き合ってくれるわけだな?」

「え? いえ、そんな事は一言も言ってませんよね!?」

「そうだな。まずは交際を考えると言う事で」

「そう言う類いの事も、言ったつもりは皆無ですが!?」

(何、この人! 微妙に日本語が通じていない気がするんだけど!? 友之さんの方から、益々不穏なオーラが漂ってきている気がするし!)

 全然終着点が見えないやり取りに、沙織が本気で焦ってきていると、突如として室内に女性の叫び声が響き渡った。


「いた、沙織! そこを動くな!」

「え?」

 そう叫ぶなり、出入り口から一直線に自分めがけて突進してきた由良に、沙織は本気で面食らった。他の者達も唖然とする中、やって来た由良は沙織に掴みかかって問答無用で怒鳴り付けた。


「ちょっとあんた、どうしてくれるの!?」

「ゆ、由良? いきなり何事よ? それにもうすぐ始業時間でしょう? 総務部に戻らないとまずいんじゃ」

「私がここに来るのは、部長と課長公認よ! と言うか解決するまで、総務部に戻れないの! さっさとあんたのお父さんに電話しなさい!」

「はぁ? どうして朝っぱらから、和洋さんに電話しなきゃいけないのよ?」

 全く訳が分からない沙織が怪訝な顔で問い返すと、由良は深呼吸して怒気を鎮めてから、徐に口を開いた。


「……あんた、私に嘘をついたわよね? マンションを借りているのは、『名前呼びする位に仲の良い、遠縁の一之瀬和洋さん』からだって」

 それにはさすがに沙織も強く言い返せず、弁解がましい台詞を口にする。


「まあ……、名前は合ってるわけだし、遠縁って言うのは血縁関係があるって事で……、つまり親子関係も血縁関係があるって事だから、あながち間違ってもいないわけで……。全面的な嘘と言うわけでは」

「まだグチャグチャ言うか!? あんたのせいで、総務部内の空気が居たたまれなくなってんのよ!!」「だからどうしてよ! さっきから、全然意味が分からないんだけど!?」

 再び怒鳴られた沙織が声を荒げて言い返すと、由良は何とか怒りを押さえ込みながら話を続けた。


「あんたは知らないだろうけど、うちの富野部長は前の奥さんと離婚しているの。一人娘が、三歳の可愛らしい盛りにね」

「それは知らなかったわ……」

 いきなり沈鬱な表情で由良が語りだした内容に、沙織の顔も微妙に強張る。


「しかも、奥さんが浮気して離婚する事になったのに、子供が小さいから母親の方が養育に適任とかふざけた理由で、娘さんは奥さんが引き取ったのよ」

「……それはちょっと、どうかと思う」

「当初は養育費を出す代わり、月一程度の面会は認められていたけど、一年も経たずに奥さんが浮気相手の男と子連れで再婚して、養育費の支払い義務も無くなったから娘さんに会わせて貰えなくなったそうよ。更に再婚相手の仕事の都合で引っ越して以来、音信不通でね」

「……気の毒な話ね」

「部長はその後再婚して子供が二人生まれたけど、どちらも男の子で……。だから余計に生き別れになった娘さんの事を、こっそり興信所に依頼して消息を調べて貰う位、可愛くて心配してるのよ」

「そこまでするのは、やり過ぎのような気が……」

 思わず沙織が感想を述べた途端、それに盛大に由良が噛みついた。


「泣けてくる位、いじらしい話じゃないの! それに今の妻子に見られたら、気を遣わせたり気を悪くするかもと心配して、興信所からの報告書とか隠し撮りの写真は、全部職場の机に置いてあるのよ!?」

「……退職したら、どこに隠すのかしらね」

 沙織は思わず遠い目をしながらそんな心配をしてしまったが、彼女の反応は由良の怒りを増幅させただけだった。


「ふざけんな! そんな娘さんに対して色々と思うところがある部長の目の前で、あんた昨日、娘を心配して乗り込んで来た父親を、赤の他人のくせに父親面して余計な事はするなと散々詰った上、蹴り転がして泣かせたんですって!? 本当に血も涙も無い女ね!?」

「だから! それはちょっとしたはずみで! 別に本気で蹴ろうと思ったわけじゃないわよ!」

 本気で弁解した沙織だったが、由良が恨めしげな声で話を続けた。


「私があんたの友人だと言う事を、同僚達が話していたのを課長が耳にしてね……。出勤したら課長にそのまま部長席に連れて行かれて、部長から昨日の一部始終を聞かされたの。『一之瀬さんがあまりに気の毒で、思わず貰い泣きしてしゃしゃり出てしまった』と部長がしみじみ語った途端、周りの同僚達から怒りの視線が突き刺さったわ」

「…………」

 人望の篤い事で有名な富野部長の話で、その場の空気がどうなったのかが分からない沙織ではなく、思わず口をつぐんだ。


「騒ぎの後、部長が一之瀬さんを近くの喫茶店に連れ出して、色々な話をしたんですって。何でも最近、興信所の調査で娘さんの結婚が決まった事を知ったそうで、一之瀬さんを慰める合間に『せめて祝いを贈ろうと考えていたが、やはり父親らしい事を全くしていないのに、娘からすれば迷惑だろうか』と悩みを吐露したら、親身になって相談相手になってくれて、すっかり意気投合して連絡先を交換したそうよ。今度一緒に飲みに行くんですって」

「へぇ……、それはまた、何とも……」

「それで『君の友人が親に職場に乗り込まれて、気分を害したのは理解できる。一之瀬さんの行為が、あまり誉められた物では無い事も分かっている。だがもう少し、一之瀬さんに優しく接して貰えるように、君からやんわりと意見して貰えないだろうか?』と部長に懇願されたのよ」

「由良……、それって公私混同だと思うけど」

「うるさい! さっさと一之瀬さんに電話! そして『お父さん、昨日わざわざ職場に来てくれて、沙織はとっても嬉しかったわ! だけど裁判とかになったら社内で気まずくなるし、訴訟とかは止めて欲しいの。それから昨日は勢い余って、蹴り倒しちゃってごめんなさい。本当はお父さんの事は大好きだから、誤解しないでね?』って可愛く言ってあげれば、一件落着なのよ!」

 途中、いつもとは全く異なる明るく軽い口調で由良が語った内容を聞いて、沙織は盛大に反論した。


「ちょっと由良! それ、どう考えても私のキャラじゃないから!」

「私のキャラでも無いわよっ! さあ、さっさとこの場で電話しなさい! でないと、あんたとの友情もここまでよっ!」

 ここで至近距離から睨み付けられた沙織は、抵抗を諦めた。


「……分かった。電話するから、手を離して」

「言っておくけど、スピーカーホンにしなさいよ? かけたふりをして、一人芝居で誤魔化すような真似はさせないわ」

 まさにしようとした事を先回りして言われた沙織は、舌打ちしたいのを何とか堪えた。


「どれだけ信用がないのよ……」

「これに関しては、全く信用は無いわ」

「酷い言われようね」

 きっぱりと断言された沙織は、渋々スマホを取り出しながら、チラリと友之の様子を伺う。


(全く……、どうしてこんな事に! 大体、他部署の人間が入り込んで業務を妨害しているのに、友之さんも他の人達もどうして傍観してるのよ!)

(沙織が言いたい事は分かるが、どのみち一之瀬さんを宥めて貰わないと困るし、この際吉村と頭を下げに行く前に、電話して貰おう)

 申し訳なさそうな友之の視線を受けた沙織は完全に諦め、スピーカー機能をオンにした上で和洋に電話をかけた。


「沙織、どうかしたのか?」

(うわ、声が暗っ! そう言えば昨日うっかりフォローするのを忘れて、あのまま寝ちゃったし!)

 さほど待たされる事なく和洋がそれに応答してくれたが、ここで沙織は迂闊な事に、昨夜彼に連絡しておくのをすっかり忘れていたのを思い出した。それで動揺しながらも、手の中のスマホに慎重に語りかける。


「ええと、その……、もう仕事中かしら? 私も今職場で、周りに同僚が居るから、あまり長話はできないんだけど……」

「ちょっと! 何をごちゃごちゃ言ってるのよ?」

 途端に由良が不機嫌そうに小声で文句を言ってきたが、沙織にしてみればたまったものではなかった。


(これでこの会話は、周りに聞き耳を立てている人間がいるって悟ってよ!? 余計な事を喋ったら、電話と一緒に親子の縁も切るから!)

 その怒りの一念は何とか伝わったらしく、和洋が慎重に問い返してくる。


「……ああ、うん。こちらも会社だが、大丈夫だ。だが、仕事中に電話して構わないのか?」

「うん……。それは構わないし、早めに電話しておこうと思ってね……」

「沙織。これ以上ぐだぐた言ってたら怒るわよ?」

 再び由良が小声で恫喝してきた為、沙織は慎重に話を進めた。


「ええと……。その、昨日ははずみとは言え、蹴ってしまって悪かったわ……」

「いや……、沙織の職場で、騒ぎを起こした俺も悪かったし……」

「それで……、和洋さんが私の事を心配してくれたのはとても嬉しいんだけど、さすがに裁判沙汰になると本当に困るから止めて欲しいと」

「『和洋さん』じゃなくて、『お父さん』でしょうが!」

「分かってるわよ! ちょっと黙ってて!」

 すかさず声を潜めながらも鋭く突っ込みを入れた由良に、沙織も小声で言い返す。


「沙織? どうかしたのか?」

「こっちの話だから。それでね? お父さんが私の事を心配してくれているのは、良く分かっているから」

「……沙織?」

「昨日はちょっと苛ついて酷い事を言っちゃったけど、お父さんの事は大好きだから、そこは誤解しないで欲し」

「さ、沙織ちゃあぁ~ん! お父さんも、お父さんも沙織ちゃんの事が大好きだよぅ~! 沙織ちゃんが裁判が困るって言うならそんなのは止めるから、いつまでもお父さんの事を好きでいてくれるかい!?」

 いきなり感極まった口調で尋ねてきた和洋に、沙織は若干引きながら言葉を返した。


「そうね……、いつまでも好きでいてあげるわ……」

「うぅうっ、嬉しいよおぅっ!! 沙織ちゃあぁあぁ~ん!!」

「……私も嬉しいわ」

 完全に泣き叫んでいる和洋に沙織はうんざりしながら応じたが、彼が急に泣くのを止め、地を這うような声で釘を刺してくる。


「但し、沙織ちゃん。今回馬鹿な事をやらかした奴らには、二度目は無いと言っておいてくれるかな?」

 その恫喝を聞いてしまった友之と吉村は顔色を悪くしたが、沙織も肝を冷やしながら何とか話を纏めにかかった。


「分かったわ。私からちゃんと言っておくから。それじゃあ、仕事の邪魔をしてごめんなさい。そろそろ切るわね」

「うん、沙織ちゃんも仕事頑張って。またお土産を持って会いに行くからねっ!」

「……お待ちしてます。それじゃあまた」

 最後の能天気な和洋の声を聞いて沙織は脱力しつつ通話を終わらせ、由良に視線を向けた。


「これで良い?」

「まあまあね。だけど、一之瀬さんが泣いて喜んでいたし、あんたの対応があれでも取り敢えずは良しとしましょう」

「あれ以上、何をどうしろと言うわけ!?」

 上から目線でダメ出しをされた沙織は思わず声を荒げたが、由良はそれに構わずに話を続けた。


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