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酸いも甘いも噛み分けて  作者: 篠原 皐月


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(67)罪悪感

「ただいま。友之達は、もう食事は済ませたのか?」

 帰宅した直後にリビングを覗いた義則が、そこに妻の姿しかなかったのを見て尋ねると、真由美は立ち上がりながらそれに答えた。


「あら、あなたは聞いていなかったのね。沙織さんは今夜はマンションに泊まって、友之は仕事が片付くまで残業して、適当に食べて帰って来ると言っていたわ」

「そうか。だが沙織さんのマンションと言うのは、これまで住んでいた一之瀬さん名義の、あそこの事だよな? どうしてそこに泊まるんだ?」

「今年は今日、二十四日が金曜日で、明日は土曜日でしょう?」

「勿論そうだが?」

「沙織さんが名誉アドバイザーになっている《愛でる会》の中で、イブやクリスマスにフリーの人達が集まって、十分な広さのある沙織さんのマンションで、《シングル・ジングル・パーティー》を毎年開催しているのですって。イブとかが平日の時は、その直近の週末に設定しているそうだけど、今年はちょうど金、土で」

「シッ、シングル、ジングッ……、ぶっ、うわははははっ! それはまた、随分楽しそうだなっ! あははははっ!」

 説明の途中で口元を押さえ、盛大に笑い出してしまった夫を見て、真由美は笑みを深めた。


「本当にそうね。ソファーとかを隅に寄せて寝袋や毛布を持ち寄って、だらだらと寝転がりながら、オールナイトでパジャマパーティーですって。できる事なら、私も混ざってみたいわ」

「さっ、沙織さんと暮らしていると、色々予想外の事が起きて、退屈しないな!」

 爆笑している義則に相槌を打ちながら、真由美がダイニングキッチンへと向かう。


「本当に楽しいわね。明日のお昼過ぎには沙織さんが帰って来るから、うちでクリスマスパーティーをするわよ? ご馳走の準備は、抜かりなく進めてあるんだから。期待していてね?」

「ああ、そうさせて貰うよ」

「そういう訳だから今夜は二人だし、あなたが帰って来るのを待っていたの。一緒に食べましょう?」

「分かった。部屋に鞄を置いてくる」

 妻からの提案に義則は笑顔で頷き、着替えの為に自室へと向かった。

 そんな義則に大受けしたパーティーは、沙織のマンションで大いに盛り上がり、皆で交代で入浴してから再びリビングに集合した。


「はあぁ~、食べたぁ~、飲んだぁ~」

「なんかここまで笑ったのって、久しぶりかも」

「偶には女だけで、馬鹿騒ぎするのも良いよね」

「毎年、場所の提供ありがとう、関本さん」

「どういたしまして。馬鹿騒ぎって言っても、まだおとなしいレベルだし。物も壊してないし、大音響で音楽を垂れ流しているわけじゃないし、大丈夫よ」

 マットレスや寝袋、ソファーに思い思いに座ったり寝転んだりしながら、寝る前のひと時を雑談で盛り上がっていると、中の一人がしみじみと沙織に告げた。


「だけど、本当に関本先輩が羨ましいです。こんな立派なマンションを格安で貸してくれる、太っ腹な親戚の方が居て」

「それは私も、本当に感謝しているわ」

(今更言えない……、ここが父親の持ち物だなんて)

 愛でる会でも説明を面倒くさがって、当初から父親とは死別設定にしていた上、実は結構成功して資産家の部類に入る父親がいると打ち明けたら妬まれるかもと懸念した沙織は、何となく本当の事を言いそびれていた。そして密かに悶々としているうちに、話題が他の事に変わる。


「そう言えば最近、松原課長とお付き合いしている女性の話、全然聞かないですよね?」

「そうね。以前は定期的に、話は聞いていたのに」

「何だかんだで、一年位聞いていないかも。沙織、そこの所どうなの?」

 複数の者達に大真面目に問われた沙織は、内心で激しく動揺しつつも、なんとか平静を装いながら応じた。


「どう、と言われてもね……。本当に付き合っている女性はいないし」

「本当に?」

「本当だから」

(付き合っているのを通り越して、もう結婚しちゃっているけど)

 そんな言い訳にもならない事を沙織が心の中で弁解していると、周囲が真顔で議論し始める。


「やっぱり仕事が充実していて、そちらに集中したいって事なんでしょうか」

「それもあると思うけど、課長も三十代半ばに差し掛かって、真剣に結婚相手を吟味している時期なんじゃない?」

「そうなるとそろそろ《愛でる会》の解散も視野に入れないと」

「そうですよね。ちゃんとした奥さんがいるのに、社内でファンクラブなんか作られていたら、その人が気分を悪くするでしょうし」

 周囲がうんうんと頷いて同意を示す中、沙織は控えめに意見を述べてみた。


「別に……、ファンクラブがあるからと言って、機嫌を悪くするような事は無いと思うけど?」

 それを聞いた面々が、苦笑しながら応じる。

「そりゃあ沙織だったら、平然としていそうだけど」

「世の中の女性が、関本先輩みたいに動じない人ばかりじゃありませんから」

「非公認ファンクラブとは言え、私達なりのけじめよね」

「そうは言っても、もう半ば松原課長に公認されていますけど」

「確かにそうね!」

 そこで沙織以外の者達は揃って爆笑し、沙織は居心地の悪い思いをする羽目になった。


(本当にごめんなさい。本当なら付き合い始めた時点で、報告すべき事だったんだけど、秘密にしたままズルズルと……。皆、気の良い人ばかりなのに)

 沙織がなし崩し的に付き合い始めた頃を振り返り、密かに後悔している間に、話題は次の内容に移った。


「結婚と言えば新見さんが、近々会長から退くつもりだって言うのは本当?」

「はい。本宮さんとの結婚が、本決まりだそうです」

「本当にあの二人、意外性の固まりみたいなカップルよね……」

「本人達が幸せなら、他人がどうこう言う筋合いは無いわよ」

 伝え聞いた経緯を耳にしていた面々が、揃って遠い目をする中、その中の二人が目を輝かせながら意気軒昂に叫ぶ。


「それはともかく、こうなったら近々、会長選があるわけよね!?」

「ふっ、ふふふっ、今度こそ会長の座は貰うわ! 前回の惜敗の悔しさをバネに、今度は絶対勝ってみせる!」

「ちょっと新川さん! 少しは年長者を立てようとは思わないの!?」

「勝負に情けは無用! それとも先輩は、勝ちを譲られて欲しいんですか?」

「いちいちムカつく言い方をするわね! 実力で勝ってみせようじゃない!」

 ここで参加者の中では最年長の来生桂華と由良が揉め始め、他の者達は苦笑しながら溜め息を吐いた。


「ああぁ、始まっちゃった……」

「戸塚先輩、駄目ですよ。会長退任の話なんかしたら」

「ごめんなさい。全面的に私のミスだわ」

「大丈夫よ。二人とも竹を割ったような性格の人だし。言うだけ言ったら遺恨を残さないから」

「それにしても、会長の座の霊験あらたかですよねぇ」

「本当。一応任期は二年になってるのに、歴代会長でそれを全うした人は皆無だもの」

 会員在籍期間がある程度の者は顔を見合わせて頷き合い、入会して間もない者が確認を入れる。


「全員、会長になってから一年以内に出会いがあったり、面識がある相手でもきっかけがあって交際が開始したりしているんですよね?」

「偶然がここまで重なると、必然だと思います」

「最近はこの事実を嗅ぎ付けて、純粋に松原課長の活躍を応援するつもりが無い肉食女子が、玉の輿狙いで表向きは殊勝に入会を申請してくるから、厳重に選別しているもの」

「本当に邪道で失礼です! 課長本人が二の次だなんて!」

「だからあの二人なんて、まだまだ可愛い方よ? ちゃんと松原課長を敬いながら、ついでに良縁を狙っているだけだもの」

 にこやかに先輩である戸塚にそんな事を言われてしまった沙織は、微妙に顔を引き攣らせながら応じた。


「そうですか……。やっぱり木曽さんの験担ぎハンカチ騒動辺りから、水面下で女子社員の間で噂が広がったんでしょうかね……」

「あれは不可抗力でしょう。あ、明里と言えば、結婚式に招待されてるのよね。それで《愛でる会》の有志でお祝いを持っていく話になっているけど、聞いている?」

「はい、意見も出しました」

「寄せ書きと、結局何になるんですか?」

 そこでまた話題が変わり、桂華と由良も言い争いを止めて議論に加わったが、沙織もそれに参加しつつ頭の中では違う事を考え込んでいた。


(この間友之さんにも、何となく言いそびれているのよね……。《愛でる会》がいつの間にか「良い男ウォッチング」の趣味と、「良縁ゲット」の実益の両方を追及する団体に、華麗な進化を遂げている事。それにやっぱり《愛でる会》の皆にも知之さんとの事を秘密にしているのは、さすがに後ろめたいな……)

 友之が聞いたら「それのどこが『華麗な進化だ!』」と文句の一つも出そうな事を大真面目に考えつつ、沙織は笑顔を取り繕いながら、少々憂鬱な時間を過ごした。



 ※※※



「ただいま戻りました」

 パーティー翌日、昼過ぎに戻って来た沙織をリビングで出迎えた真由美は、にこやかに声をかけた。


「お帰りなさい。お昼は食べてきた?」

「はい。簡単に済ませてきました。少し、部屋で休んでいても良いですか?」

「ええ。洗濯物があったら、出しておいてね?」

「ありがとうございます」

 対する沙織も笑顔で応じたものの、なんとなく覇気が無いように感じた真由美は、彼女がドアの向こうに消えてから隣に座っていた夫に話しかける。


「沙織さん、何となく元気が無かったみたいだけど、遅くまで話し込んだりして疲れたのかしら?」

「後で友之に、ちょっと様子を見に行かせるか」

「そうね」

 そう提案した義則は時間を無駄にせず立ち上がり、自室に居るであろう息子の所に向かった。


「沙織? 寝ているか?」

「起きてます」

 父親から沙織の帰宅の様子を聞いた友之が早速彼女の部屋に向かい、控え目に声をかけながら中に入ると、ベッドの上にうつ伏せになっている彼女が目に入った。それに加えて、疲れているともふてくされているとも取れる声音に、友之は軽く首を傾げてからベッドに歩み寄ってみる。


「どうした。せっかく泊まりに行ったのに、楽しく無かったのか?」

「……楽しかったですよ?」

 うつ伏せになったまま沙織が呻くように応じ、そんな彼女を見て友之は眉根を寄せながらベッドの端に座った。


「見た感じ、それだけでは無い感じだがな。具合が悪いわけでは無いよな?」

「体調は大丈夫です」

「それなら、まずは良かった」

 安堵して小さく溜め息を吐いた友之は、そこで腕を伸ばし、沙織の頭を撫でながら再度尋ねる。


「それで? どうした?」

「この間、色々と言いそびれていて、皆に対する罪悪感が少々……」

 優しく声をかけられた沙織が、素直に自分の思いを口にすると、友之はそのままの口調で事も無げに応じた。


「お前がここまでへこんでいるなら、少々では無さそうだがな……。どうする? やはり結婚した事を公表するか? 俺が異動しても構わないし」

「は? 異動? 何を言ってるんですか?」

 慌てて上半身を起こして背後を振り返った沙織は、真剣な表情の友之と真正面から向き合う事になった。


「実際、俺が課長に昇進したのが早過ぎると、未だに時折言われているからな。確かに俺より年長で、実績もある人が二課うちにいるし」

「それは実際に上層部で検討した上で、友之さんのそれまでの力量と実績を鑑みて課長就任が決まったんじゃないんですか? 課の皆も、納得している話だと思っていましたが?」

 無意識に顔をしかめた沙織に、友之が軽く首を振ってから言い聞かせる。


「俺の課長就任の時の事を、蒸し返すつもりはない。仮に俺が異動する事になっても、すぐに二課の運営を任せられる人材には事欠かないと言っているだけだ」

「納得できません」

「そう怒るな。困ったな」

 語気強く訴えた沙織を見て、友之が苦笑いの表情になる。そんな彼の表情を少しの間凝視した沙織は、憑き物が落ちたような表情で短く告げた。


「……決めた」

「何を?」

「いつになるかは分かりませんが、きちんと結婚している事実を公表するつもりですけど……」

「そうだな」

「それは友之さんを二課から押し出すのでは無く、私がどこか他の課長の椅子を分捕って異動する時です」

「…………」

 沙織がきっぱりと言い切った瞬間、友之は呆気に取られて黙り込んだ。しかし室内が沈黙に包まれてから数秒後、それが爆笑に取って代わる。


「ぷっ、あはははっ! 本当に沙織は極端だよな! うん、本当に見ていて飽きないぞ」

「馬鹿にしているんですか?」

 気分を害したように軽く睨んできた沙織を、友之は笑いながら宥める。


「いやいや、本当に誉めているから。変に溜め込まないで前向きな所も、俺は気に入っているし。隠し事が下手なタイプでは無いが、秘密とかも持って無いだろう?」

 そんな事を言われて反発を覚えた沙織は、勢いで答える。


「ありますよ? 大した秘密ではありませんが、友之さんに言っていない事位」

「へえ? あるんだ。因みに、どんな事を言っていないんだ?」

「《愛でる会》に関する事ですけど」

「あまり良い話では無い気がするが、俺の気のせいか?」

「…………」

 ついうっかり口を滑らせた途端、友之の顔が微妙に引き攣ったのを見て、沙織は口を閉ざした。その反応に、友之が少々強い口調で迫る。


「沙織、どうした? 言ってみろ」

「大した話では無いので、やっぱり止めます。ちょっと睡眠時間が足りないので、昼寝をしたいから出て行って貰えますか?」

 そこで話は終わりとばかりに、元通りベッドにうつ伏せになった沙織だったが、そこでおとなしく追及を止める友之では無かった。


「お前……、ふざけてるのか? そんな事を言われたら、気になって今夜眠れなくなるだろうが! さっさと吐け!」

 そんな事を叫びながら、飛びかかる勢いで友之が自分の背中にのしかかってきた為、沙織は慌てて弁解しながら身体を捻り、その下から抜け出そうとした。


「ちょっと友之さん! 本当に、わざわざ話す事じゃ無いから!」

「大した事じゃないなら話せるだろうが!」

「夫婦間でも、ちょっとした秘密の一つや二つ持つのは、当たり前でしょう!?」

「そんなの認めるか! よし、分かった。そこまで言うなら、身体に聞こうじゃないか!」

「ちょっと! そんな真顔で、堂々と悪役台詞を垂れ流さないで! 第一、こんな真っ昼間から、何をする気よ!?」

「決まってるだろうが! 夫を蔑ろにする妻にはお仕置きだと、相場が決まってる!」

「はあぁ!? 友之さんって、時々本当に馬鹿よね!? お義母さん達も家の中に居るのに、見つかったらどうしてくれるのよ!?」

「そんな事知るか!」

 これまで息子夫婦を心配し、ドアの所で室内の様子に聞き耳を立てていた義則は、当人達がぎゃいぎゃいと痴話喧嘩をしつつ、ベッドの上で取っ組み合いを始めたのを耳にして、諦め顔で小さく溜め息を吐いた。そして音を立てずにドアノブに掛けてあるプレートをひっくり返し、静かにその場を離れる。


「ある意味、馬鹿息子ですまんな、沙織さん。『立入禁止』にしておくし、真由美にはしばらく二階に立ち入らないように、さり気なく伝えておくから」

 そんな謝罪の言葉を口にしながら、義則は難しい顔で階段を下り始めた。


「しかし友之の奴、自分が異動する可能性も視野に入れていたか……。だがどちらが異動するにしても、感情的なしこりは残るだろうし……。やはり従来通りの勤務を継続できるように、何とか手を打ってやらないとな」

 それが社長であり、父親でもある自分の役目だろうと、義則は密かに決意した。



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