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(57)多方面からのアプローチ

 予定時刻に合流した二人は、何事も無いように食事を済ませてプールバーに移動し、これから使う台で借り受けたキューを手にしながら確認を入れた。


「さて、エイトボールで良いか?」

「そうですね。ハンデを貰えれば。友之さんとは年季が違いますから」

「それなら沙織の方は四個落としたら、8番を落としても良い事にするか?」

「それで進めましょうか」

 それから先攻後攻を決め、ブレイクショットを済ませた沙織は、グループボールとなったローボールの配置を見ながら、まずどれをポケットするべきかを考えた。


「ところで……、本当に普通にご飯を食べて、普通にここまで来ましたね」

 狙った的球に首尾良く手球をヒットさせ、台を回り込みながら沙織が告げると、彼女の様子を笑顔で眺めていた友之が、怪訝な顔になった。


「はぁ? どういう意味だ?」

「返事待ち状態で気まずいとか、どうなっているのかと問い質したいとか、そういう心境にはならないんですか? あまりにも普通すぎて、気を回しているこっちが馬鹿みたいなんですけど」

 半ば拗ねながら、沙織が次の的球を狙ってショットすると、友之は益々不思議そうな顔になった。


「別に、沙織が気を回す必要は無いだろう? 考えるのは、俺の方だと思ったが」

「何も考えていないように見えるから、聞いてみたんですが」

「考えていないわけないだろう? 断られたら、今度はどういう風に話を持っていくかとか、色々考えているぞ?」

「断っても、諦めないつもりですか?」

 次に当てるつもりだった的球は狙いが逸れてしまった為、沙織が無意識に舌打ちすると、友之は如何にも心外そうに言い返してくる。


「それなら聞くが、沙織は普段全く取引のない商品をいきなり持ち込まれて、『買ってください』と言われたら、そのまま無条件で相手の言い値で購入するのか?」

 そこで完全に狙える的球が無くなった沙織が「セーフティ」を告げて交代すると、友之はキューを構えながら大真面目に尋ねてきた。それに沙織が、半ば呆れながら答える。


「しませんよ、そんな事。と言うか、例えに商談を持ち込まないでください」

「ある意味、自分自身を売り込む必要があるわけだから、同じような物だろうが」

「まあ、確かにそうかもしれませんけど……」

 憮然としながら答えた目の前で、手球が友之のグループボールであるハイボールの一つに当たり、それが一直線にコーナーに転がってポケットに成功する。それを確認した友之が、彼女に向き直って事も無げに笑ってみせた。


「だから一度拒否された位で、あっさり諦めてたまるか。寧ろ、一度や二度断られるのは想定内だ。各種条件やアプローチを変えて、何度でも再挑戦するだけだろうが」

 至極当然な口調で言われたそれを聞いた沙織が、思わず顔を引き攣らせる。


「それ、下手をすれば、ストーカー一歩手前じゃないですか?

「職場も同じだし、上司だから逃げ場無しだな。だから本心から納得して了承して貰うように、色々考えているから安心しろ」

「そうですか……」

 あっさり笑い飛ばした友之が、再び的球の一つに狙いを定めるのを眺めながら、沙織は小さく溜め息を吐いた。


(何だか退路を断つと言うよりは、私がプロポーズを受けるのを前提にしている気がするわ。何なのよ、その変な自信は)

 それから友之が二回ショットしてから沙織に交代したが、先程聞いた内容が少々引っかかっていた彼女は、ショットの合間に尋ねてみた。


「因みに他のアプローチって、現時点ではどんな事を考えているんですか?」

「それはオーソドックスに、外堀を埋める事か?」

 それを聞いた沙織が、一気に不安を覚える。


「……え? まさか両親とか兄弟を攻略するつもりだとか、言いませんよね?」

「普通は話を具体的に進める前に、家族と友好関係を築いておくのが有効じゃないのか?」

「普通ならそうでしょうし、豊は反対とかはしない筈で、母も結構放任主義なので大丈夫だと思いますが……。和洋さんと薫に関しては、ちょっと無理ではないかと……」

「やってみないと分からないだろうが。徹底的に調べて、攻略法を考える」

「攻略法って……」

 控え目に意見を述べた沙織だったが、友之が真顔で宣言した為、本気で困惑した。


(本気っぽい……。どう考えても、揉める予感しかしないけど……)

 その動揺が出てしまったのか、沙織は惜しいところでファウルを繰り返し、友之の番になった。一方の友之は全く動揺する事無く、手堅く立て続けにグループボールを沈め、見事に8番ボールのポケットに成功する。


「よし、これで俺の勝ちだな」

「お見事。ですけど、今度はハンデをもう少し増やして欲しいです」

「考えておく。ところで一杯どうだ? ちょっと喉が渇いた」

「そうですね。飲みましょうか」

 そこで二人はキューを預け、壁際のカウンターに移動して並んで座りながら注文した。


「そういえば……、ジョニーの事だが……」

「ジョニーがどうかしましたか?」

 目の前に置かれたウイスキーのグラスを持ち上げながら、友之が徐にジョニーの事を口にした。それを聞いた沙織が、軽くそのグラスに自分のソルティドッグのグラスを合わせつつ怪訝な顔で尋ねると、彼は予想外の事を言い出す。


「もしその気があるなら、俺の家で飼っても良いぞ?」

「いきなり何を言い出すんですか」

「あらゆる方向からの、アプローチの一環だ。沙織の事だから、あのマンションから引っ越したら、ジョニーが食べる餌が減るとか心配しそうだからな。両親も、どれほどの“イケメン”ならぬ“イケネコ”なのかと興味津々で、飼う事に賛成している」

 苦笑いで友之が説明したが、沙織は幾分申し訳無さそうに断りを入れた。


「それはありがたい申し出ですけど、その必要はありませんから」

「どうしてだ?」

「実は今日、ジョニーの飼い主と本名が判明しました」

「それは驚いたな。どういう事だ?」

 興味津々で尋ねてきた友之に、沙織は説明を続けた。


「待ち合わせの前にちょっと買い物もしたかったので、夕方の早めにマンションを出たんです。そうしたら偶々、飼い主の女性と一緒に散歩をしているジョニーと遭遇しました」

「へえ? それは凄い偶然だったな」

「本当にそうですね。日中にジョニーを見たのは初めてでしたが、日の光の中でもジョニーは抜群のイケネコでした……」

「お前の、ジョニーの魅力に関する主張は分かった。それで?」

 その時の情景を思い返しながら、しみじみと語る沙織を見て、友之は少々うんざりしながら話の先を促した。


「飼い主の方は、夜に猫用の出入口からジョニーが抜け出しているのを把握していましたが、ケージに入れようとすると怒って暴れるので、黙認していたそうです」

「しかし外に出るのが分かっていたのなら尚更、首輪は付けておいた方が良くはないのか?」

「どうもジョニーは、束縛されるのが嫌いみたいで。首輪とかは断固として、拒否しているそうです」

 それを聞いた友之が、グラスを傾けながら呆れ顔で感想を述べる。


「随分と気位が高い猫だな」

「ある意味、お貴族様ですから」

「え?」

「ジョニーの本名は、『アレクサンダー・ユーグリクス・ラスティネル・フローリドⅡ世』だそうです」

 それを聞いた友之は、飲んでいたウイスキーを噴き出しかけた。


「う、ぶはっ! ぐっ……。おい、それって、血統書付きって事だよな?」

「そういう事ですね」

「そっ、そうかっ……」

 そのまま笑い出したいのを堪えるように、片手で口元を覆って俯いた友之に向かって、沙織が説明を続けた。


「飼い主の女性が、如何にも上品な女性で……。あの女性なら、ジョニーを従えて歩いていても納得できます。まさに女王陛下と、それに付き従う騎士って感じで。あの二人を眺めていたら、なんとなく柏木さん達を思い出しました」

 沙織のその台詞を聞いて、友之は瞬時に笑いを消して項垂れる。


「……今ので、一気に笑えなくなった。洒落にならん」

「そんな素に戻って、呻かないでくださいよ」

 軽くそんな文句を言ってから、沙織は話を続けた。


「ジョ二ーと私が顔見知りな事を察した飼い主さんから話しかけられて、時々家に来ている事を話したら、『迷惑をかけて申し訳ありません』と謝られました。『こっちは好きで餌をあげたり構っていたので、気にしないでください』と言いましたが」

 それを聞いた友之が、さもありなんと言う表情で同意を示す。


「それはやっぱり、自分の知らないところで餌を貰っていたと知ったら、普通飼い主は気にするだろう。ジョニーの夜間外出が、今後禁止になるかもな」

「う~ん、でもジョニーなら、どうにかしてフラフラ出歩きそうな気がするんですよね。その方に外出の頻度を聞いたら、明らかに私の所に来る時以上の回数で、出かけているみたいですし」

 そこで友之は、眉間に軽くしわを寄せながら考え込んだ。


「そうなると……。まさか沙織の所以外にも、顔を出している可能性があるのか?」

「その可能性は濃厚ですね」

 沙織が頷いて同意すると、友之は途端に不機嫌な顔になって飲み始める。


「……猫の分際で許せん。あちこち渡り歩きやがって」

「猫に対して、そんな風に真顔で怒らなくても」

(本当に、時々意外な顔を見せる時があるのよね)

 そのままブチブチと小声でジョニーに対する悪態を吐いている友之に、沙織は笑いを堪えながら一口飲み、結論を述べた。


「そういうわけで、別に私が引っ越しても、ジョニーの事は心配無いのが判明しましたから」

「それなら取り敢えず、懸念が一つ減って良かったと言うべきか」

 そこで気分を直したらしい友之が、いつもの表情で飲み進めるのを横目で見た沙織は、改まった口調で声をかけた。


「友之さん?」

「うん? どうした?」

「ハンデ上乗せで、勝負してみても良いですよ? それで友之さんが勝ったら、この場でプロポーズの返事をしますけど。どうですか?」

 沙織がそんな賭けを持ち出すと、友之は即座にすこぶる真顔で反応してくる。


「受けて立つ。どういう条件だ?」

「そっちがマッカランをあと十杯飲んでから、私が三球で8番を落とせる条件です」

「却下」

 友之が微塵も迷わずにはねつけたのが予想外だった為、沙織は驚きながら問い返した。


「そこまで即答しますか……。お酒には強い方だから、それ位飲んでもふらつく程度で泥酔はしないでしょう? それならハンデとしては、ちょうど良いかと思ったんですけど」

 しかしその問いに、友之は渋面になりながら言い返す。


「あのな……。俺は明日の朝一番で部長と春日と一緒に、手越マテリアルに出向く予定があるんだ」

 それを聞いた沙織は、少し前から職場内で話題に上っていた商談の事を思い出した。


「ああ……、決まれば大口契約締結って言うあれは、明日だったんですか……。でも、一晩でお酒は抜けますよね?」

「冗談を言うな。万が一抜けなかったり、寝坊したり二日酔いで商談に支障をきたしたらどうする。お前は大事な商談の前夜に、平気で大酒をあおれるのか?」

 険しい表情で叱責されて、沙織はさすがに自分の非を認めた。


「すみません……。失言でした」

「分かれば良い。取り敢えず、結婚をかけた勝負はお預けだ。あと1、2回ゲームしたら出るぞ」

「そうですね」

 冷静に言い聞かせてくる友之に素直に頷き、沙織はグラスを舐めるように少しずつ飲み進めた。そして少ししてから、友之に声をかける。


「……友之さん」

「どうした?」

「どんな仕事に対しても決して手を抜かないところ、前から結構好きですよ?」

 微笑みながらそんな事を言ってみると、友之は驚いたように軽く目を見開いてから、盛大に溜め息を吐く。


「あのな……」

「はい。何ですか?」

「今の発言は、上司としてって事だよな?」

「勿論そうですが、一人の人間としても好きですよ?」

 すました顔で沙織が言ってのけると、友之はカウンターの上で両手を握り締めて俯きながら、かなり無念そうに呻いた。


「明日、あの商談が入っていたのが、本当に悔やまれる……」

「その悔しさを糧にして、何が何でも話を纏めてきてください」

「当たり前だ。上司としても一人の人間としても、惚れ直させてやる」

「吉報を待ってます」

 決意漲る表情で再びグラスを手にした友之に、沙織は明るく笑いながら応じた。


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