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(52)思いがけない出来事

「友之、また俺の一人飯に付き合って貰って悪いな」

「予定は空いていたからな。沙織との約束が入っていたら、お前からの誘いなんか、微塵も迷う事無く断るが」

「正直な奴だな」

 妻が子供を連れて亡夫の実家に顔を出しに行くのに合わせて友之を誘った正彦は、目の前の従兄弟が憎まれ口を叩きながらも、沙織との約束があってもキャンセルしてくれるであろう事が分かっていた為、笑って応じた。

 そして広めの座敷を襖で二つに仕切られた部屋に通された二人は、早速飲みながら料理を堪能し始める。


「ところでその口ぶりだと、沙織さんとは上手くいってるんだろ? お前に声をかけたら『酒と料理が美味い店で、変に高級感を醸し出す料亭の類では無い所』なんて指定をしてきたから、リサーチして今度彼女を誘うつもりだろうし」

「まあな」

「それなら良かった。春先には、随分揉めていたしな。一体何をやらかしたのやら」

「ちょっとな」

 苦笑いしながら短く答えている友之に、正彦は呆れ顔になった。


「お前……、あの騒ぎを、一言で片付けるな。巻き込まれた玲二が気の毒過ぎるぞ。これであっさり沙織さんと別れていたら、玲二の代わりに俺が本気で一発お見舞いするところだ」

 そう苦言を呈してグラスを傾けた正彦だったが、ここで友之が真顔になって言い出した。


「正彦」

「何だ?」

「実は、結婚しようと思っている」

 それを聞いた正彦は手の動きを止め、次いで慎重に友之に確認を入れた。


「一応確認させて貰うが……、その相手は沙織さんだよな?」

「今の話の流れで、沙織以外の誰と結婚すると言うんだ?」

 心外そうに眉根を寄せた友之に、正彦が負けず劣らずの難しい顔になりながら弁解する。


「いや、だってお前、いきなり難しい顔になってそんな事を言い出すし。普通結婚話を切り出すなら、もう少しのろけたり、顔が緩んでいるものだろう?」

「俺が結婚したいと言っても、沙織が何と言うか良く分からないからな」

 大真面目にそんな事を言われた正彦は、座卓にグラスを置いて項垂れた。


「……お前達、ちゃんと付き合っているんじゃなかったのか?」

「一応そうだが……。沙織は結婚に対して、特に夢も希望も持っていないタイプだし。『面倒くさい』の一言で、切り捨てられる可能性だってあるしな」

「お前達……、それで本当に付き合っているって言えるのか?」

 友之の話を聞いて、ほとほと呆れた正彦だったが、取り敢えず話を進めてみた。


「ところで、それについての叔父さん達の考えはどうなんだ? とは言っても花見の時の反応を見る限り、真由美叔母さんは彼女の事を、随分気に入っている感じだったが」

「両親にはまだちゃんと話はしていないが、二人とも以前から沙織の事は気に入っているし、祖父母にも合わせてみたら同様だった」

 それを聞いた正彦は、短く口笛を吹いて笑って応じた。


「へぇ? 随分手際の良い事で。それなら問題無いじゃないか」

「こちらは良くても、あちらがな……」

 そう言って深刻そうに溜め息を吐いた友之を見て、正彦は心配そうに詳細について尋ねた。


「『あちら』って、沙織さんの方で何か問題でもあるのか?」

「シスコンの弟に敵認定されて、娘ラブの父親に害虫認定されている」

「お前……、何をやらかした?」

 本来、外面と人当たりの良い従兄弟がここまで言うからには、相当な事をやった筈だと見当を付けた正彦が、顔付きを険しくしながら問いただすと、友之は弁解などはせずに淡々と答えた。


「夜のうちに沙織のマンションに弟が無断で来て、泊まったのを全く知らずに朝から沙織と一戦交えていたら、朝食の支度ができたから食えと言われて、三人で陰険漫才をしながら食べた」

 それを聞いた正彦が、盛大に顔を引き攣らせながら尋ねる。


「お前……、どの面下げて朝飯を食ったんだよ……」

「本音を言わせて貰えば俺だってその場で遁走したかったが、わざわざ三人分作ってあるのに、手を付けずに帰るわけにはいかないだろうが。余計に印象を悪くするだけだ」

「予め、お前の逃げ道を断っておいた上での、真っ向勝負か……。なかなか骨のある弟みたいだな」

 思わず唸った正彦に対して、友之が説明を続けた。


「それから……、沙織のマンションで、勢いに任せて彼女を押し倒しかけたところに、死んだと聞かされていた父親がやって来て問答無用で殴り倒されたから、反射的に殴り返してから、その人物が彼女の父親だと判明したんだ。それで」

 そこで慌てた様子で、正彦が友之の台詞を遮った。


「おい、ちょっと待て。初対面で殴り合いだと?」

「ああ」

「馬鹿だ……。初対面で害虫認定とか、ありえないだろ」

「…………」

 再び項垂れて呻いた正彦に、友之は反論せずに無言でグラスを傾けた。しかしすぐに正彦が顔を上げて、声をかけてくる。


「だが、それ位で諦めるつもりは無いだろう?」

「当たり前だ」

「それじゃあ頑張れ。取り敢えず今日の支払いは、全額俺が持ってやる」

「悪いな」

「大して悪いと思っていない顔で言うな」

 そこで男二人で笑い合い、それからは世間話などをしながら楽しく飲んで食べていた彼らだったが、それから三十分ほどして事態が急変した。


「それでは、こちらのお部屋になります。先にお飲み物をお伺いしますが、いかがいたしましょうか?」

 襖で仕切った隣の部屋に客が通されたらしく、女性店員の声が微かに聞こえてきたが、最初友之は聞き流していた。しかしそれに応じて客が発した声を聞いた途端、飲んでいた酒を噴き出しかける。



「取り敢えずビールと、和洋さんは烏龍茶で良いわよね? 飲めないんだし」

「沙織、一言余計だよ」

「かしこまりました。少々お待ちください」

「うっ、ぐっ、ぐはっ!」

「おい、友之、どうした?」

 いきなりむせた友之を見て、正彦が心配そうに声をかけると、友之は隣と仕切っている襖を指差しながら、声を潜めてその理由を告げた。


「今の声……。続き間に沙織と、さっき話した沙織の父親が来ている」

 それを聞いた正彦は、驚いて勢い良く襖に顔を向けながら尋ねた。

「はぁ? お前、まさか知ってたのか?」

「知るわけ無いだろう。偶然だ」

「凄い偶然だな……。挨拶しなくて良いのか?」

 そう尋ねた正彦だったが、友之は苦渋の表情になりながら、呻くように告げる。


「本来なら、挨拶するべきだろうが……。沙織の両親は離婚して、彼女は母親に引き取られて育ったんだ。滅多に会えない娘との二人っきりの団欒に割り込んで邪魔をしたら、それだけで確実に怒りを買う筈だ。今日は気付かないふりをして、万が一顔を合わせる事態になったら挨拶する」

 友之が神妙な顔でそんな事を口にするのと同時に、隣の部屋から上機嫌な和洋の声が聞こえてくる。


「沙織とゆっくり顔を合わせるのは、実に久し振りだからな! 本当は今日は接待を受ける予定があったんだが、しっかり豊に押し付けてきたぞ!」

「他人に迷惑をかけていながら、偉そうに言わないの。全く……、今度豊に謝らないと」

 うんざりした感じの沙織の台詞を聞いて、正彦は小声で友之に確認を入れた。


「豊って、誰の事なのか分かるか?」

「父親の会社で役員として勤務している、沙織の兄の名前だ」

「確かに邪魔したら、恨まれそうだよな。難儀な奴」

 正彦から完全に憐れむ目を向けられ、友之が憮然とした表情になる。しかしそんな事とは知るよしもない隣室では、沙織と和洋が早速乾杯してお通しに箸を付けながら、呑気に語り始めた。


「ところで沙織。最近、変わった事は無いか?」

「変わった事? 特に無いけど」

「それなら、職場でセクハラとかパワハラとかモラハラとかで、一人密かに悩んでいるとか! 沙織! お父さんには何も隠さなくて良いんだぞ!? そんなに職場が嫌なら、いつでも俺の所に転職しろ! 俺はいつでも大歓迎だからな!」

 声高に和洋が叫んだ為、沙織はうんざりしながら父親を窘めた。


「あのね……。一滴も飲んでないのに、錯乱して叫ばないでよ。他のお客さんに迷惑でしょうが。店から文句を言われたらどうするのよ」

「だって沙織ちゃん! もうお父さん、心配で心配で! あんなセクハラ暴力男の下で働いているなんて!」

 その叫びをしっかり聞いてしまった友之と正彦は、引き攣った顔を無言で見合わせつつ、襖ににじり寄って二人の会話に聞き耳を立て始めたが、そんな事は夢にも思っていなかった沙織は、語気強く訴えられた内容について、溜め息を吐いて弁解した。


「だから、人聞きが悪過ぎるから。あの時は偶々、意志の疎通に問題があったと言うか、ちょっとした誤解と行き違いがあって」

「誤解と行き違いで、女を押し倒す上司なんて安心できるか!」

「普段職場では、普通に上司と部下の関係でしか無いから、本当に安心して」

「本当かい? 職場で迫られたり」

「くどい!」

「それなら良いが……」

 しつこく追及されて、さすがにイラついた沙織が一喝すると、和洋は不満そうな顔をしながらも引き下がった。それを見た沙織は安堵しながらも、少々後ろめたい気持ちになる。


(付き合ってはいるけど、職場では上司と部下の立場を守っているもの。嘘はついてないわよね)

 そう自分自身を納得させていると、和洋が彼女の顔色を窺いながら、恐る恐る言い出す。


「だけど沙織ちゃん……」

「まだ何かあるの?」

「本当に、いきなり結婚とかしないよね?」

「……しないんじゃない?」

 いきなり脈絡の無い事を問われた沙織は、僅かに動揺しながらも傍目には素っ気なく答えたが、和洋はしつこく食い下がった。


「本当に? もし万が一、あの男と結婚するなんて言ったら、お父さん泣いて怒って闇討ちするからね!?」

「だから、どうして素面で錯乱してるのよ……。本当に勘弁して」

「沙織! お父さん、信じて良いんだよね!?」

「しつこい! あのね、この先誰かと結婚するとしても、課長とは結婚しないわよ!」

 そんな事を沙織がきっぱりと言い切った途端、それがしっかり聞こえてしまった隣室内の空気が凍りつき、和洋が訝しげに問い返した。


「どうしてそこまで、あの課長と結婚しないって断言できるんだ? 逆に怪しいんだが」

「邪推するのもいい加減にしてよ。だって課長とは、直属の上司と部下の関係じゃない」

「はぁ? それは当然じゃないか」

 困惑しきった表情で頷いた和洋に、沙織が辛抱強く説明を続ける。


「確かに、『社内恋愛禁止』とか『同部署勤務者同士の結婚禁止』なんて、社内規定で制限されてはいないわよ? 今時は色々五月蠅いから、すぐ『人権侵害だ!』って騒がれかねないし。それに関しては、れっきとしたCEOの和洋さんだって分かるわよね?」

「それはそうだろうな」

「でも実際には、同部署勤務同士で結婚した、もしくはするのが公になった場合、大抵女性の方が他部署に異動しているのよ。そのままの配置で勤務する事って、これまでの例ではありえないわ」

「うん、まあ……、確かにお互い色々とやりにくいだろうし、そういう事もあるよな」

 実例を挙げて沙織が説明すると、和洋も考え込みながら頷く。


「だから、仮に私と課長が結婚する事になった場合、どう考えても年上で管理職の課長を動かす筈は無いし、私が異動させられる事になるじゃない?」

「なるほど。それはそうだ」

 そこで納得顔で相槌を打った和洋に、沙織は少々腹を立てながら話を締めくくった。


「なるほど、じゃないわよ。本当に冗談じゃないわ。仕事が面白くて、営業二課に骨を埋める気満々なのに。そんなデメリットしかない結婚を、私がわざわざ好き好んですると思うの?」

 そこまで懇切丁寧に説明された和洋は、忽ち上機嫌になって頷いた。


「しないよな。沙織ちゃんは本当に、仕事が大好きだし」

「そういう事。そういうわけだからつまらない話なんかしていないで、どんどん飲んで食べるわよ?」

「うんうん、沙織ちゃんが一生独り身でも困らない位の財産を、ちゃんと残してあげるからね? 寧ろ、お嫁になんかいかなくて良いから!」

「……はいはい、分かったから。老後は左団扇で暮らせそうで、とっても嬉しいわ」

「うん、お父さん頑張って働くからね!」

 気のない口調で応じた沙織だったが、和洋はこの間の懸念が払拭されて嬉しいらしく、満面の笑顔で食べ進めた。


(全く……。あの時の話を何度も蒸し返す上に、しつこいんだから……。確かに友之さんに、良い印象を持っていないのは分かるけど。これで「実は付き合っているけど」なんて打ち明けたら、発狂する事確実ね)

 すこぶる上機嫌な父親を眺めながら、沙織は密かに考えを巡らせた。


(でも、結婚か……。確かに現状では有り得ないんだけど……、友之さんはどう考えているのかしら? あっさり別れる事になるかと思ったら、なんとなくズルズル続いているし)

 沙織が呑気にそんな事を考えている頃、隣の部屋では顔を青ざめさせた正彦に促されて、少し前から無表情になっていた友之が、重い腰を上げていた。



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