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酸いも甘いも噛み分けて  作者: 篠原 皐月


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(5)友人関係の樹立

「課長、こちらに目を通して頂けますか?」

 その声に友之は顔を上げ、相手を確認してからクリアファイルを受け取った。

「分かった。後から机に戻しておく」

 それを受けて沙織は一礼し、無言で自分の机に戻って行ったが、早速その中の販売計画書を取り出して内容を確認しようとした友之は、私用のレポート用紙が一枚紛れ込んでいた事に気が付いた。


(うん? これは……)

 それには先日の非礼に対する短い詫びの文章に続き、是非お詫びをさせて欲しいとの旨が書かれており、最後に都合の良い日時を尋ねる言葉で締めくくられており、友之は思わず小さく笑ってしまった。


(彼女らしいと言えば、彼女らしいな。明らかなプライベートの用件で、社内メールや仕事用のアドレスで、俺の都合を聞くのは躊躇われたか。だが、れっきとした仕事の文書に紛れ込ませる事は、どうなんだろうな?)

 相変わらず微妙な判断基準を持っている彼女に笑いを誘われながら、友之はすぐに近い日付で空いている日時をそこに書き出し、書類に目を通してから何食わぬ顔で彼女の机にそれを戻した。

 

 そんな笑いを誘われたやり取りをしてから二日後、友之は仕事帰りに因縁のあり過ぎる店の前で、沙織と落ち合った。

「悪い、待たせたか? 先に出たのは分かっていたんだが、なかなか抜けられなくてすまない」

「いえ、私が早めに出ましたし、大丈夫です」

「しかし……、ここで良いのか?」

 改めて、前回連れて来た時に沙織が酔いつぶれた店の玄関を眺めながら、金額的な面と相手の心情を考えながら友之が尋ねたが、沙織の返答に迷いは無かった。


「はい。お酒もお料理も美味しかったと思いますが、残念な事に泥酔してしまったせいで、後半の記憶が曖昧なもので……。課長にお詫びをしつつ、是非仕切り直しをしたいと思ったものですから」

 大真面目にそんな事を言われた友之は、苦笑する事しかできなかった。


「関本らしいな。それなら今日は遠慮なく、ご馳走になるか」

「ええ、そうして下さい」

 沙織が予め席を押さえていた為、前回同様すぐに奥のテーブル席に通された二人は、四人用の広々とした席に落ち着いた。


「それでは課長、今日一日お疲れ様でした。こちらの都合で足を運んで頂いて、申し訳ありません」

「お疲れ。ご馳走してくれると言うんだから、そこまで気にするな。それにお酌とかもしなくて良いぞ?」

「ですが」

 店員が運んできたおしぼりで手を拭きながら、沙織が神妙に言い出したが、友之は相手の言いたい事を察した上で明るく笑いながら言い聞かせた。


「これは関本が個人的に、俺に詫びるための席だろう? 仕事じゃないんだから、本当に構わないからな。料理はコースを頼んでいるみたいだが、酒は好きな物を頼んで良いし。俺も好きな物を頼んで、手酌で飲ませて貰うから」

「そうですか? それなら遠慮なく」

「そうしろ。すみません、籐の舞を貰えますか?」

「あ、私は鷺島をグラスで!」

「やっぱりいける口だな」

 視線で飲み物を尋ねてきた店員に、早速友之が希望を伝えると、沙織も微塵も迷いなく注文する。その様子を見た彼は、我慢できずに再度笑った。


「くうっ……、やっぱり日本酒は辛口に限るわっ!」

 お通しをつまみながら飲み始め、早速満足げな声を上げた沙織を見て、友之は何気なく問いを発した。

「本当に美味そうに、というか、幸せそうに飲むよな。ご両親も日本酒が好きなタイプなのか?」

「……え? どうしてここで親が出てくるんですか?」

「いや普通、親に最初に、酒の飲み方とか教えて貰うだろう?」

 途端に不思議そうな顔になった沙織に、友之が怪訝な顔で応じる。それを聞いた彼女は、納得した様に頷いた。


「やっぱり課長は、良いところのお坊ちゃんですよね……。再認識しました。あ、今の発言は、馬鹿にしたわけじゃありませんよ? 普通お酒とかって、悪友とか先輩とか女とかに教えて貰ったとか言いそうですから」

「そうか? まあ確かに以前にも、そういう事は言われたかもしれないな」

「因みに私は、母親に飲み方を教えて貰いましたが。好みもほぼ同じですし、毎年の誕生日には、つまみ付きで美味しいお酒を、蔵元から実家に直送して貰っています」

 それを聞いた友之が、深い溜め息を吐いて項垂れる。


「……親の好みが完璧に分かっていて楽だな。羨ましい」

「どうしてですか?」

「もうすぐ母親の誕生日なんだが、毎年何をプレゼントするかで悩んでいるんだ」

「それは本当に大変そうですが、課長って親孝行なんですね? マザコンっぽくは見えませんが」

 意外そうな顔になって、遠慮のない事を口にした沙織を、友之が恨みがましく見やる。


「お前……、プライベートだと宣言したら、微妙に性格が変わって失礼だな」

「すみません、こんな性格で」

「確かにマザコンと言われても、構わないがな。同居して、日々世話になっているし」

「そうでしたね。課長は実家在住でした。お世話になっている母親に感謝の気持ちを表す為に、誕生日にプレゼントを差し上げるのは当然です。万が一課長をマザコン呼ばわりする不埒者がいましたら、私が代わりにボコりますのでお知らせ下さい」

「だから、構わないと言ってるだろうが」

 生真面目に沙織は頭を下げたが、それを見た友之は笑い出し、釣られて沙織も笑った。


「正直、時々口煩いと思う事はあるがな。一人息子だから仕方が無いと、とっくに諦めてるし」

「そうですよね。課長は社長の一人息子なのに、良く三十過ぎても独身生活を謳歌できているな~と、不思議に思っていたんです。何かコツでもあるんですか?」

「別にコツって言うか……、両親とものんびりしていると言うか、恋愛結婚だったから無理に見合いとか勧められる事も無かったと言うか……。他人の事より、お前の方はどうなんだ?」

 そこら辺をあまり突っ込まれたくなかった友之が、半ば強引に話の矛先を変えると、沙織が少し驚いた様に目を見張った。


「は? 私ですか?」

「ああ。地元を離れている分、親は結構心配しているんじゃないのか?」

「いえ、私実家に帰っても、全然『結婚しろ』とか言われないもので」

「そうなのか? 年齢の事を言ってしまって悪いが、関本は今年二十七だろう? 一般的に言えば、そろそろ周りから色々言われる頃じゃないのか?」

 過去に親よりも寧ろ周囲から散々言われていた友之が、自身の経験を思い返しながら尋ねると、沙織はちょっと困った顔をしながら、手にしたグラスをテーブルに置いて言い出した。


「う~ん、うちは世間一般とは、ちょっと価値観がずれているもので……。以前何かの折に、私の家族構成についてはお話しした事があると思いますが、実家では母と弟の三人暮らしだったんです」

「ああ、確かお父さんが早くに亡くなって、お母さんが女手一つで関本と弟さんを育てたんだよな? 本当に大変だったと思う」

「いえ、まあ……、それほどは……。慰謝料とかもありましたし……」

 心底感心しながら、苦労したであろう沙織の母親について言及した友之だったが、何故かそれを聞いた沙織は居心地悪そうに身じろぎした。そして彼女が呟いた内容を耳にして、友之が若干顔つきを険しくする。


「慰謝料って……、お父さんは病死だと思い込んでいたが、過労死とか事故死とか、まさか医療ミスで亡くなったとか?」

 その疑念を聞いた沙織は、必死に手を振りながら否定した。

「いえいえ、そんな物騒な事ではありませんから! それで母の職業は弁護士なんですが、所属先の事務所で、主に離婚訴訟を取り扱っているんです」

 若干慌てながら沙織が口にした内容を聞いた友之は、意外そうに首を傾げた。

 

「所謂、離婚訴訟専従の弁護士というやつか?」

「専従まではいっていないと思いますが、九割以上はそうじゃないでしょうか?」

「それを専従とは言わないのか?」

「要するに、男女間のドロドロとした揉め事に、四六時中触れる仕事なわけです。それで守秘義務がありますから固有名詞を出さない推察するような事も言いませんが、家で色々愚痴る事も多かったわけです」

 そこまで話を聞いた友之は、半分は納得したものの、率直に疑問を口にした。


「愚痴なら、職場で同じ弁護士に聞いて貰えば良いんじゃないのか?」

「それだと曖昧にぼかしても、誰の事かすぐ分かってしまいますし、安心できないじゃないですか。仕事上の事で相談するのとは微妙に内容は違いますし、誉められる事でもありませんから」

「確かに、そうかもしれないが」

「だから変にストレスを溜めるより、家の中で愚痴る位は良いかと思って、素直に聞いていたんですよ。異論や下手な意見を挟まず、おとなしく話を聞いてあげて『そうだよね、大変だね。世の中馬鹿な人が多くて困るよね』って宥めて慰めてあげれば、それで母は落ち着くんですから」

「変なところで、苦労してたんだな……」

 妙にしみじみと語った沙織を見て、思わず友之は同情した。


「大学に入ってからは、偶に実家に帰る時にしか、聞いていませんが。幸い、離れて暮らしている一人娘に電話してまで、愚痴る気は無かったみたいです。東京に出て来る時にこれから毎日のように電話がかかってくるのかと、密かに戦々恐々としていたんですが」

 そう言って肩を竦めた彼女を見て、友之は苦笑した。


「十分節度は弁えているお母さんみたいだな。寧ろ愚痴りたかったと言うより、それをきっかけに関本と話したかったとかじゃないのか?」

「後から考えると、そうかもしれませんね。うちは母の職業のせいか、母子家庭と言うより父子家庭のイメージでしたから。よくよく思い返すと、母と女同士の話的な話題で盛り上がった記憶が皆無なんです」

「普段の関本を見ていると、もの凄く納得できる。オンオフの切り替えが明確だしな。それもお母さんの影響っぽいな」

「私もそう思います」

 苦笑しながら頷いた沙織だったが、ここで急に遠い目をしながら呟く。


「結局そんなこんなで、小さな頃から散々男女の修羅場もつれ話を聞かされて育ったもので、周りの皆が周囲の男子生徒達を盗み見しながらキャッキャウフフし始める頃には、自分でも冷め切った恋愛観を保持するようになっていまして……」

「うん……、それは良く分かった」

 友之も静かに頷いたところで、丁度次の料理が運ばれてきた為、会話が一時途切れた。しかし店員がその場からいなくなるとすぐに、友之が素朴な疑問を口にする。


「そうなると、関本は男と付き合った事はあるのか? これは純粋な好奇心からなんだが、失礼な事を聞いてすまん。気に障ったら、答えなくて構わないから」

 それを聞いた沙織は、呆れ気味に言い返した。


「失礼だと分かってるなら、わざわざ断りを入れてまで聞かないで下さいよ。本当に課長って、プライベートだと結構面白いですよね? あ、仕事中がつまらないと言ってるわけじゃありませんよ? 仕事中に変な面白さは、必要ありませんから」

「お前だって断りを入れながら、マザコンだのとなんだのと結構失礼な事を言ってるだろうが」

「本当ですね」

 互いにそんな事を言って苦笑してから、別に隠す事も無いかと思った沙織は、あっさりと答えた。


「えっと、さっきの男云々の話ですが、これまでに一応、四人と付き合いましたよ?」

「ほう? それは意外だったな」

「でも交際期間が最短五日で、最長三ヶ月ってところなんですが。これって、付き合ったうちに入ると思います?」

 真顔で問い返された友之は、本気で頭を抱える。


「頼む……。そんな事を、俺に聞かないでくれ」

「聞いてきたのは課長ですし」

「なんとなく分かった……。お前が男と長続きしなかった理由」

「私も分かってはいるんですけど、男の為に自分の性格とか生活スタイルを、変えるつもりはありませんから」

「……それは関本に、自分の為に変えたいと思わせられなかった男が悪いな」

 溜め息を吐いてから、何気無く口にした友之だったが、沙織は意外そうな顔つきになった。


「……へえ?」

「どうした?」

 何か気に障った事を言ったかと、思わず見返した友之に、沙織がそのままの表情で答える。


「そういう反応が返ってくるとは、正直思っていませんでした」

「そうなのか?」

「友人にこの手の話をすると、大抵は『確かにお前は、友人としては良いんだがな』と、もの凄く残念な顔をされるので」

 それを聞いた友之は少しだけ考え込んでから、確認を入れた。


「その友人って言うのは男か?」

「はい。こんな性格ですから、女の友人より男の友人の方が多いですね。ですけどその人達に特定の恋人ができたり結婚すると、相手から変に邪推されないように自然に距離を置くようにしていますから、最近では友人付き合いそのものが、随分少なくなっていますが」

「なるほど。俺の方も同世代の友人は結構結婚してるから、独身時代みたいに気軽に飲みにも誘えなくなってるのは確かだな」

 少し考え込んでから、友之は顔を緩めながら言い出した。


「しかし、関本は本当に面白いな。今までの飲み会でも、こういう話はした事は無かっただろう?」

「それはまあ、仕事の一環でしたし。TPOは弁えるべきですから」

「確かに今はプライベートだが、俺に遠慮なく結構ベラベラ喋って構わないのか?」

「課長は他人のプライバシーに関わる事を、他の人間に向かってベラベラ喋る方なんですか?」

 少し意地の悪い質問をしたかと思ったが、冷静に真顔で返されてしまった友之は、一瞬当惑してから破顔一笑した。


「分かった。参った、降参だ。どうやら俺は、上司としてだけでは無くて、一人の社会人としても信用して貰っているわけだ」

「そのつもりでしたが、分かり難かったですか?」

「ちょっとな」

「それなら少しだけ反省します」

 そこで友之は堪え切れずに笑い出し、何故真面目に答えたのに笑われるのだろうと、沙織は憮然となった。そして何とか笑いを抑えてから、友之が楽しげに言い出す。


「どうだ、関本。寂しくなってきた交友関係を少しでも華やかにする為に、俺を年上の友人にするつもりはないか?」

「はぁ? 課長をですか?」

「ああ。ジョニー以下のイケメン風情で、本当に申し訳ないが」

 その満面の笑みでの申し出に、沙織の顔が微妙に引き攣る。


「……嫌味ですか」

「多少は」

「課長って仕事中とは、微妙に性格が違ってますよね」

「お前程じゃないがな」

 自分で言っておかしかったらしく、友之が口元を押さえて笑いを堪える。そんな肩を震わせている彼を眺めた沙織は、諦めたように言葉を返した。


「分かりました。それじゃ今後は仕事上では上司と部下、プライベートでは友人関係という事で宜しいんですね?」

「そういう事だな。別に構わないだろう? 関本は公私はしっかり区別するタイプだし」

「勿論です」

 当然の如く頷いた沙織に向かって、ここで友之がさらりと要求を口にした。


「そういうわけだから、今度の休みが空いているなら、母親の誕生日プレゼントを選びに行くのに付き合ってくれ。部下だったら公私混同な事なんか頼めないが、友人だったら構わないよな?」

 にっこりと人好きしそうな笑みを浮かべながら言われた内容に、沙織は盛大に言い返した。


「単に部下を公私混同でこき使う、口実欲しさですか!?」

「人聞きが悪い。それなりのランチを奢るぞ?」

「課長は本当に口が上手いですし、調子が良いですよね!」

「それは最高の褒め言葉だな」

 そう言っておかしそうに笑った友之は、なおもブツブツ言う沙織を宥めて友人関係樹立と次の休みのショッピング同伴に同意させ、それからは楽しく会話しながら最後までコース料理を食べ進めたのだった。


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